2017年11月30日 (木)

ダンボールのにおい

気がついたら冬になっていた。毎日いろんな出来事に遭遇しているようで、実はそうでもないような…
波はあったほうがいいのか、それともなるべくなら穏やかなほうがいいのか…
なにも深く考えず、来る波にうまく乗ってその中でもがきながら考えていくしかないのだと最近は思う。もし波に乗れなかったら、それはそのとき考えればよくて。
まず第一に、体力の衰えを感じる。そうなると気持ちもなんとなくそうなっていく。人生の折り返し地点ってそういう感じなんだろうか。
そんなことばかり言っていると、なんとなく気持ちも沈みがちだけど、もしかしたら折り返した先には今まで味わったことのないような新しい出来事も待っているのだと、できればそう信じていきたいもの。

母からダンボール箱が届いた。開けてみると友達からいただいたというもぎたてのキウイフルーツ、それと一緒にりんごが3つがビニールの袋に入っていた。83の母ひとりでは、こんな量のキウイはとても食べきれないし、キウイだけでなく母はときどきこうしてお友達からのいただきものをダンボールに詰めて送ってくれている。
その箱を開けると、実家のにおいがしたり実家の近所にあるスーパーマーケットの袋なんかをみたりしてなんともいえない気持ちになるのだ。ただ、懐かしいという言葉だけではとても表しきれない、温かくも切ない気持ちだ。
そのキウイの袋の上に、近所の洋品店の袋を見つけた。中には冬用の温かい肌着が入っていた。値札はついたままだった。
その感じがいかにも母らしくて胸がきゅんとなってしまった。
母親って娘がいくつになろうと母親なんだな。そんなあたりまえのことに、すごく感動したり胸がしめつけられたり苦しくなったり…
人生の折り返し地点にはいろんな感情が渦巻いているってことなんだろう。
昔から母は自分の気持ちを言葉で表す人ではなかった。嬉しい気持ちや悲しい気持ちも決して外に出す人ではなかったと思う。それが子どもの頃は寂しく思ったこともあった。なぜなら、一度も母から褒められたことがなかったからだ。母は私のことなんかなんとも思っていないんだと私は勝手にそう思っていた。
でも、それが母の表現なんだって大人になって分かるようになった。心の中では人一倍娘のことを心配ししたり、心の中で一緒にに泣いてくれたり、母はそういう人だって。

自転車に乗って洋品店に向かう母の姿を想像するだけで、なんだか泣けてくるよ。

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2017年10月26日 (木)

プレゼントは嬉しい

卵焼き器を買ってもらった、王子に。別に頼んでもいないし、とくべつ貸しがあったわけでもないのだけど。というかそんなこといちいち言ってる私、、、ヤな女だ。というのも、そもそもプレゼント慣れてしていないといのもあると思う。こう言っちゃなんだけど、王子さま(あえてさま付け)はそもそもあまりそういうことをしない人なので、こちらもそれで慣れているわけで。だからなおさらのこと、どう反応していいのかわからなかったんですね。
「箱の中身開けてみて」て言われて開けたとき、思わず黙り込んでしまった私。それを見ていた王子さま、「え?!なんで?!嬉しくないの?」って。
そしてそのあと沈黙がしばらく続く…。というありさま。
心の中で何を思っていたかというと…
⚫︎これ職人さんが使うみたいな本格的なやつじゃ〜ん。どう扱っていいのかわからないじゃ〜ん。
⚫︎そもそもプレゼントがどうして卵焼き器なんだよぉ〜。卵焼き器持ってるし〜。ぜんぜんロマンチックじゃないよな〜。
⚫︎っていうか、ありがとうって素直に言えない自分がいちばんダメなんじゃん。王子怒らせちゃったよ。

たぶん、こんな感じだったと思う。
そしてそのあととって付けたみたいにありがとうっていうのもなんだかなぁと思って、さっそく卵焼き器に火入れしたり実際にだし巻き玉子を作ってみたりして、いかにも的なありがとうを実践的にアピールしたわけです。

あれから毎日だし巻き玉子を焼き続けている私。3日が経った今、だいぶこの卵焼き器ちゃんとも友達になれて気がする。今まで使っていたテフロンのやつとは扱いも全然違ってとってもデリケートなのだけれど、これで焼くとお蕎麦やさんで出てくるようなだし巻きができるのです。最初の「な〜なんだ、卵焼き器か」の印象を覆すかのごとく、今では大のお気に入りの品になっています。
というわけで、プレゼントのお礼はだし巻きの腕を上げることがいちばんてっとり早いということみたいです。もちろん言葉でありがとうも伝えようと思います。

ちなみにどうして卵焼き器なんてプレゼントしてくれたの?と聴いてみたところ、楽○ポイントが貯まったからそのポイントでゲットしたとのことでした。
それ聴いたらありがとうのタイミングも、なんかちょっとびみょうな感じに…。
さて、今日もだし巻きの練習しなくちゃ。

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2017年10月11日 (水)

天国の父にいいわけ。

父が亡くなってちょうど一年経った。正直、実感があまりないのだ。実家に帰れば居間の奥から父の「順ちゃんお帰り〜」の声が聴こえてくるようだし、二階の父の部屋にはみっちりとタバコの匂いが染みついているし、喫茶店に行くのが好きだった父なので今ここにいないのはまた近所の茶店にでも行っているのだとも思うし。ほんとうにお仏壇に父の写真が飾ってあることが不思議でたまらないし、逆に現実に気づかされる瞬間でもあって。人が死ぬということはこういうことなんだろうというのを父の死を経験して思ったことでもある。
ここ最近、夢の中に父がよく登場する。父と一緒に母やまだ小さかった息子たちも一緒に。3人の息子たちが赤ん坊のときから実家には世話になっていたし、息子たちが小さなときから私は仕事を抱えていたので保育園の送り迎えもよくお願いしていた。名古屋に引っ越してきてからは夏休みなど長い休みのときは必ずといっていいほど新幹線にのって千葉のじぃじとばぁばのところにやってきては夏の思い出の1ページを作ってもらったものだった。
うちの父と母が仲が悪いことは昔から有名だけれど、息子たちももちろんそのことを分かっていてじぃじとばぁばの喧嘩が始まると「あー、またやってるやってる」みたいにからかったりしていた。もうそれがあの家のひとつの風景だったからじぃじとばぁばの不仲さなんて、彼らにとってはどうでもよかったみたいだ。あぁやっていい大人が本気で言い合いしていることが逆に彼らには面白く見えたようだ。それが千葉のじぃじとばぁばのお家なんだと。
そういうひとつひとつの場面を今、夢で見る。まだ小さかった息子たちの表情や、今よりもずいぶん若々しかった父や母の表情も鮮明に。息子たちはもう大人になっているし、父はいないし、母はひとりになってしまったし、そんな現実を思うと時の流れはすばらしいものをもたらすけれど、その流れに逆らいたくもなるし、戻りたいと思ったりもする。
でも、そんなことできるわけないのだから、しっかり深く味わわなきゃいけないんだろうな、今を。ほんとうにむずかしい。生きていくってことはつまりこういうことなのでしょうね。
父が死ぬ直前まで「順ちゃんの未来が心配でなかなか死ねないんだよ」と言っていた。死ぬまで父を安心させてあげられなかったし、きっと今天国でも心配していると思う。そのことを後悔しているかといえば、実は違っていて、お父さんっ子だった私なので、しっかりちゃんとしてしまったら父を安心させてしまうことになって父の存在がどんどん遠くに行っちゃう気がしたのだ。
そう言い訳するね、父さん。天国で聴いていますように。



木曽三川公園のコスモスです。天国みたいです。

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2017年10月 4日 (水)

十五夜

朝晩はずいぶんと涼しくなってきた。季節の移り変わり目ってやっぱり少しだけセンチになる。
隣の家の改装工事やらでここ数日朝からずっとトントンカンカン賑やかしくやっていてテレビの音も聞こえないくらいなんだけど、でもなぜか今はその音が嫌じゃない。しかも裏手にはガタゴト電車が通っているしでいろんな音が入り混じっている状態なんだけど、これはこれで安心する。何かが進行形で動いていることだったり、そこに人間の温度があることだったり…そういうのが今の私の安心要素になっている。
そんな賑やかなBGMをバックに、NHKでやってるベニシアさんの番組を見ていたら、ただただ泣けてきて、それでもって心の垢が落ちた気さえ。なんだろな、本来の人間の在り方ってこうあるべきなんだろうなという要素がベニシアさんの暮らしの中にぎゅっと詰まっている感じというか。自然と共存している感じとか人間どおしが自然に繋がっていく感じとか。裏も表もなく駆け引きもなく、すべてがありのままであることとか。自分で勝手にストレスを製造しながら自分の枠の中だけで小さく生きている自分がものすごく恥ずかしく思えた。でも、私もこういうふうに生きたいと実はずいぶん昔から思っていた。一番の難関は“自分自身に素直になるということ“だというのも実はわかっているのだけど。むずかしいのう。
貴族の生活を捨ててまでベニシアさんが大切にしたいと思った生き方には、やっぱり私たちには想像つかないような特別な想いがつまっているんだと思う。縁側でお茶を飲みながらお庭の手入れをしている彼女の姿を見ていると、生きるということを大切にしている人なんだなあというのを同じ人間として感じる。薄っぺらくではなく深いところで。美しい過去だけではなく、いろいろな苦労をたくさんしてきた人なのだろうなということも。
さらに、番組中に流れている音楽がとても素敵なところもこの番組が好きな理由のひとつ。川上ミネさんという方が作った曲で、どれも優しくてやわらかくて包みこんでくれるような、そして昔を思い出したくなるようなそんな曲なのだ。番組に出てくる大原の自然にぴったりなところも。
などと、最近はめっきり自然とか音楽とか風とか植物とかに癒されたい願望が強くなっていている。同時に物欲がどんどんなくなってきているのも。疲れているんだろうか、もうそういう年ごろなのだろうか。
今日は十五夜。どこかでススキを見つけてこよう。自分の息子たちにはしてあげられなかったことを今も後悔しているのだけれど…こどもの頃一度だけ父がお月見的なことをしてくれたことがあった。土手に行ってススキを取りにいって、どこやらでお月見団子を買ってきてススキと一緒にお供えして、お風呂上がりのシッカロールの香りに包まれながら、お月さまをバックにそれと一緒に写真を撮ってもらったこと。ただそれだけなんだけど、何年かたってあの写真を見て「こんなことあったんだな」って振り返ったことがあった。でもそれが思い出っていうものなんだろうなと思ったし、思い出って年月とともに熟成されるものだから、今となれば宝物なのだよね。
今月の11日で、父が亡くなってちょうど一年。だからなのかな、なんだか今夜のお月見は特別な気がしてね。

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2017年9月26日 (火)

赤いジュータン

新鮮なサバを買ってきてジャガイモと人参と一緒に淡く炊いたのを、お客さんが「これうまい!」と言ってくださったのがすごく嬉しかった。地味な料理なだけに実はいろいろ工夫した。サバの臭みが出ないようにとか、サバを鍋に投入するタイミングとか。でもそういうのって食べる側にはわからないし、というかわからなくてよいわけで。最終的に口に入れたときの印象ですべてが決まっちゃう。この仕事の怖いところでもある。だからそのお客さんの反応で思わず「やったね!」ってなった。心ん中でガッツポーズしてしまったことだよ。なんか気持ちのキャッチボールができたみたいで、あ〜この仕事やってよかった、って思えた瞬間だった。
まぁ私の作るものはどちらかというと地味系だしそもそも家庭料理だけど、その中で私ワールドを表現するのが自分の役割だと思う。万人受けはねらっていなくて、たったひとりでも私ワールドを感じとってもらえたら、そっちのほうがだんぜん嬉しい。そのために今日も明日も頑張れるってもん。
なんでもそうだけど、地道に頑張った先にご褒美みたいなものってあるんだろうね。ものすごーく地味に行くしかないんだろうね。だったらその地味で長い道のりを少しでも楽しく歩いていきたいものだよね。その工夫が日々の課題なのだろうな。

先日、矢勝川沿いの彼岸花を見に行ってきました。土手の斜面に真っ赤な絨毯が敷き詰められていました。



最近はこういう景色が何よりも癒し&心の栄養に。彼岸花、上からみるとほんとうに花火みたい。



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2017年9月21日 (木)

彼岸花と銀杏

田んぼのあぜ道に彼岸花。街路樹の根元にも、土手のススキにまぎれながらも。みんなどこかで「いっせーのーせ」って申し合わせたみたいにいっせいに咲くにのだ。すごく不思議。
昔、誰かが言ってた。彼岸花って不吉な花だって。でもそんなこと気にしない。この花を見るためにこの季節があるといってもいいくらい、私にとって特別な花。
花が咲く前はものすごく貧相なかっこうでひょろっと土から顔を出すのだよね。なんだかよれよれのマッチ棒みたいな頼りない姿。で、いよいよってときにぱーっと一気に華やかな衣装をお披露目してくれる。上から見ると花火のような、蜘蛛の足みたいにも見える。夏の蓮子の花を見たときと同じような印象を、この花からも受けるのだ。この世の次元を超えたところにある花たちだって。
きっと天国っていう場所にはこういう花たちが咲いているんだろうな。

9月も下旬っていうのにまだまだ暑い。それでも木陰に入るとちゃんと秋がいて。風の匂いも空気の柔らかさも、やっぱり秋なんだよね。
それでもって昨日は思い切って銀杏の下ごしらえをした。日曜日にせーじさんからビニール袋いっぱいいただいたのがそのままにしてあった。せーじさんいわく「ママがよろこぶと思って!」とかなんとか言って得意げだったけど、もうこりゃ罰ゲームだね。袋いっぱいといっても、かなり大きい袋だし、あの独特の臭いとたたかいながら店の軒下でひたすら剥きまくること1時間半。途中で銀杏汁が目に入ったりしてひとりで大騒ぎしながら、なんとか完了。ひとつ宿題を終えた気分。王子なんてものすごく遠いところで「ボクは関係ありませーん」みたいにしてパソコンやってるし。まったく男の人って…って感じだ。
軒下に干したので、数日後には料理に使えそう。でもどうやって食べようかしら。正直、銀杏って茶碗蒸しの底のほうにちょろんと入ってるやつしか知らないぞ。たくさん食べ過ぎたら鼻血とか出ないんだろうか。
そんなこんなで秋の風物詩をいろいろと堪能するのはよいことですね。

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2017年9月 8日 (金)

日記を書こう

ここのところ、肉体的にではなくいつもどこかに疲労感があって、重たいな〜重たいな〜と思っていたら、たぶんこれだ。気持ちをここにはき出していなかったのが原因…たぶん。日記って誰かに読んでもらうためでもなく、自分で振り返ったりするものでもなく、私にとっては“今“の表現なんだ。
だから書こうと思った、今を。
もともと言葉として外に表すのが苦手なので、出さないぶん(出せないぶん)内側にたまっていく。当然、たまっていったものたちは行き場を失う。たとえばこういうとき、目の前にピアノがあって思い切り弾けちゃったりしたら、だいたいチャラになる。これは過去に経験済み。でも今はなかなかそういう環境にいないので一生懸命探す、行き場を失ったこの子たちの解決法を。もっともっと踊りが上手になってそれができるようになればいいのだけれど、そうなるのはまだまだ先な感じがするし。
料理っていうのもかつては解決法のひとつではあったけれど、がっつり仕事になってしまった今、これもなかなかむずかしい。とすると…残ったのは日記なのだ。文章を書くのは得意なほうではないけれど、自分なりのシンプルな言葉を並べるだけでも、その重みはずいぶんと軽くなるものなのだ。
ということを、今さらながらに気づかされて久々にパソコンの前に座っている。正直、時間に振り回されている日常の中では日記を書くなんてまず後回しになる。そんな時間があったら仕込みの時間にあてたり、普段なかなかできない家事の時間にあてるのがまっとうな気もするけど。でもどうやら自分の場合はそれだとダメみたい。自分をいう人間が保てないというか、不安定になるというか。
ただ単純に今の気持ちを誰かに話すことができたらどんなに楽か。自分以外の人間と共有できることの幸せ感とか、そういうのを味わってみたいとも思うのだけど、今はできない気がする。強がってるわけじゃないし、壁を作ってるわけでもない。今はただそういう場所にいるということ。そういう時期なんだと思う。
最近、相方さんによく言われるのは「キミの言うことに返答するのってすごくむずかしいんだ」と。
はいはい、どーせ私は宇宙人ですよ!とは言わないけれど、たぶんそういうことなんだと思う。コミュニケーションがうまくできないというか。そのとき一瞬だけ寂しくなるのだけれど、これが自分だからしょうがない。普段ほとんど喋らない私の言葉を、分からないなりにもひとつひとつ拾ってくれたことにありがとうだ。(でも傷つく言葉はやめてほしいとも思うけど)
そんなこんなで、言葉を外に出すのが不得意な私の唯一の手段として、この場所を使っていこうと思う。この気持ち、誰か分かって〜、というのもあるかもしれないけど。
日記なんてそんなもんでしょ。

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2017年8月31日 (木)

サバ缶生活最終日。

サバ缶生活もとりあえず一区切りということで、今日は最終日。なにか凝ったものでも作ろうかとも思いましたが、やっぱりいつも通りでいきます。
作り続けていて思ったことは、あまり手をかけないほうがいい ということ。水煮缶とはいえ、もう味が完成されているんですよ。だからシンプルに食べるのが一番。サラダにのせるとか、豆腐にのせるとか、そのまま食べるとか。
とはいえ、1ヶ月サバ缶生活っていうノルマを自分に課したからには、工夫しなきゃなんないです。正直おもしろかったし、サバ缶効果かどうかは疑問ですが毎晩悩まされていたこむらがえりも、この数週間はまったくといっていいくらい出なくなりました。
なのでそれだけでもやってよかったんじゃないかなぁと思っています。



最終日に作ったのはサバ缶パエリア。
15センチほどの小さいフライパンで作りました。
パエリアの本来の作り方とは違いますが、こういう身近なフライパンでも失敗しない方法があります。
まずひとつは、研いだお米を30分浸水させておくことと、もうひとつは水分を入れたらぶわ〜っと沸騰させながらお米にお水を吸わせるために全体を混ぜるということ。
あとは火を弱くしてアルミホイルでフタをして12分。
このやり方だと、お米の硬さがちょうどよく仕上がります。
ちなみにお米と水分の割合は同量。

オマケ。
実は今回いろんなサバ缶を試してみました。といっても値段は100円代前半で買える水煮缶と限定しました。お高いやつはもうそれだけで美味しいから手を加える必要なんてないですものね。
ハズレももちろんありましたし、値段のわりに美味しいものもありました。
中でもこれ

1缶130円くらいだったと思います。一番のお気に入りです。近所のスーパーに売ってました。
サバの脂ののりがよくて濃厚な味わい。それでいて生臭くない。
ちなみにハズレだったのは、加工は国内でやっているのだけどサバが外国産 ってやつでした。
いろいろお勉強になりましたよ。

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2017年8月30日 (水)

サバ缶生活30日目。



冷やし中華サバ缶のせ。
今日は手抜き。乗せただけ…です。
といってもそれなりにポイントがあります。ゴーヤと合わせる、というところ。
塩もみしてさっと湯がいたゴーヤとサバ缶との相性はなかなかよいものです。それでもってマヨネーズを添えて味の変化も楽しむべし。
夏バテに効きそうな一品完成。

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2017年8月29日 (火)

サバ缶生活29日目。



こうして毎日サバ缶と向き合っていると、同じサバ缶でも美味しいのと、そうでないのと…あるんですわ。
今日買ってきたのは、はっきりいって美味しくない!生臭いんですよ。
だからね、なんとか食べるために、こんなものを作ってみました。

サバ缶パテ。
サバ缶と玉ねぎ、ケッパー、レモン汁、クリームチーズ、ディル 、塩少々をミキサーでガーッと混ぜてペーストにしました。
これで臭くな〜いです。
バケットにぬって食べましたよ。白ワイン欲しくなっちゃいました。

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