2019年9月 5日 (木)

父とヤカン。

 麦茶を沸かしているヤカンの口が壊れてしまった。この夏、一番活躍した台所役者である。お湯が沸くとピーピー鳴って教えてくれるあのヤカン。私にとって特別思い入れのある品なのだ。
 前の夫と別れて初めて借りた小さなアパートでお金がなくて小さなフライパン一個で暮らしていた頃、このヤカンが実家から送られてきた。それまではお茶を飲むためのお湯もこのフライパンで沸かしていたのだけど急須にどうしてもうまく注げない。こぼす量のほうが多いくらい。ヤカンひとつでこんなにもストレスが減るなんてと、嬉しくなって実家に電話したほど。そして驚いたのは、私からリクエストしたわけでもないのにこのヤカンが送られてきたということ。
親と子というのは、遠く離れていてもどこか通じているものがあるのだろうか。テレパシーってやつだろうか。
そんなことをぼんやり考えながら、さてお湯でも沸かそうとヤカンのフタを開けたらさらに驚くべきことが。
なんとヤカンの中に、その頃季節だった丸々と太った栗がびっしり詰まっていた。
まだ父が元気に生きていた頃の話。

 
 その頃の父の口癖といえば「じゅんちゃんのことが心配で心配でまだ死ねないよぉ」だった。まぁ本当に親には迷惑かけっぱなしの私だったから父がそう言うのも無理はない。
父は母以上に母っぽいところがあって、元気な頃は炊事洗濯アイロンがけ 全部父がやっていた。

何十年もサラリーマンとして働きづめだった父は定年退職後、なにかぽかんと気持ちに穴が空いてしまったようでいつもテレビの前でゴロゴロ過ごすようになってきた。そのうち少しづつ痴呆も強くなってきて、そのことを母に注意されたり怒られたりしてそんな姿の父を見るのはほんとにつらかった。私が早くから実家を出たいと思ったのはそのこともひとつある。
それでも毎月一度、近所のスーパーで買った野菜やら日用品をダンボールいっぱいに詰めて送ってくれた父だった。
頭はボケながらも、今日はどこどこのスーパーの卵が安いとか洗剤が安いとか、そういう情報を新聞折り込みのチラシで毎日チェックするのも父のひとつの趣味だったようだ。そしてそんな父のことを隣で母が「男のくせにそんなことばかりして…」となじるのもお決まりだった。
 
このヤカンが私のところにやってきて10年になる。そうか10年前はまだ父は元気だったんだ。遠い昔のことのようにも思えるし、つい最近のことのようにも思える。
壊れた口を直してまだまだこれからも使っていこう。
栗の季節になると思い出す。
さあコーヒーでも淹れよう。



 

 

| | コメント (0)

2019年8月26日 (月)

表現するってすばらしいな。

子どもの頃の苦い経験から、今でも身体的な問題点を人から指摘されるとなんともいえない気持ちになる。心にちくりと針を刺されたような一瞬の痛みのような刺激が私の体をかけめぐる。
言ってきた相手を睨むわけでもなく、ムッとなるわけでもなく、こんな自分が悪いんだダメなんだと自分をぼっこぼこにしたくなる。そして心は一気に縮こまって、殻の中に逃げ込もうとする。
昨日たまたまそういう経験をして、子どもの頃に味わったのと一緒だと懐かしくも心は痛がゆかった。
この年になっても、こどもの国から抜け出せてない自分がいるんだな、たぶん。
 でもまぁそういうことを客観的に見ることができるようになった今は、あの頃よりも余裕ができたということだろう。
子どもの頃の心の経験って刻まれちゃうんだ。いくつになっても厄介につきまとうしね。

 おとといくらいから、朝晩がとても過ごしやすくなってきた。風のにおいが全然ちがう。とんぼがクルクル飛んでいるし、夏休みの宿題の追い込みに忙しいのか近所の子どもたちの姿もあまり見ない。もう秋だ。
今年こそプールに行くぞと決めていた自分なのに、まだ水着さえも買っていない。来年に持ち越しかな。
過ごしやすくなったとはいえ、心はぐぐっと秋のしんみりモードに切り替わる。これも厄介といえば厄介…。

 昨日は知り合いのお嬢さんが出演するというミュージカルを観に行った。
役者さんたちのものすごい熱演ぶりに何度も涙しそうになりながら、この人たちのくもりのないまっすぐな表現に何度も心を打たれた。かっこいいなぁ、すごいなぁって。
私はもちろん演劇はできないけれど、自分にも何かまっすぐに表現できるものってないかなと、そういうものを探してみたくなった。
それができたら今よりもっと自分らしく生きられそうな気がする。身軽になれそうな気もする。
 
 さてそろそろ仕事だ。

| | コメント (0)

2019年8月22日 (木)

すべてが思い出になる。

 久しぶりに長男と三男に会った。ふたりとも縦にも横にも厚みにもたくましく成長していた。
そしてなにより、自分の道を自分で決めて歩いていこうとする姿勢に母ちゃんは胸を打たれた。
そうだよね、もう成人してるんだものね。母ちゃんの中ではずっと小さい頃のまんまの君たちでいるのだよね。時計を進めなきゃと思いつつも、やっぱりかわいいと思ってしまう。すっかりオッさん化してる君たちを見ていても、やっぱりかわいいものはかわいいんだもの。
Img_1236
長男がお昼にチャーハンを作ってくれました。中に入っているチャーシューも手作りだそう。上に乗せた味玉もそのチャーシューの汁に漬けておいたものなんだって。味付けもちょうどいい。こんなに愛情がこもったチャーハン食べたの初めてだよ。このチャーハンに長男のすべてが込められていることも。
母ちゃんはひとくち食べて涙が100粒くらい出そうになりました。

そして小さい頃からずっと長男と三男は犬猿の仲できて、このふたりが一緒にいるってどうなるんだろうと思っていたら、お互いなにを喋るでもなく同じ空間にただただいる、、、それだけなのにあまりにもその空間にふたりが馴染んでいることに母ちゃんはびっくりしました。いつの間にふたりとも大人になってるじゃん!長男の作る料理を三男が普通にパクパク食べているのも、なんかいい絵だな。

                                            Img_1235
夕方ものすごい雨がざーっと降ってきて雨が弱まったのをねらって長男と晩ご飯の材料を買いに出掛けました。
見上げれば空に虹がかかっていました。息子と歩いて買い物に行くなんてあの子が小さい頃以来だもの。そしてこの虹のことも思い出になるのだろうね。
重たい荷物も持ってくれるし、もうすっかりいろんなことを息子たちに抜かされてしまった気分。
何を抜かされたのか具体的には表現できないけれど、もう私より一歩も二歩も先を歩いているんだと思う、息子たちは。
そのことを一瞬さびしく思ったりもするけれど、やっぱりこれはいいことなのだ。素敵なことなのだ。頼もしい君たちにこれからも陰ながら母ちゃんはエールを送っていこう。
そしてまたいつかこうしてごはんを囲める日がくるといいな。
 次男はただいま就活まっただ中で今回は会えなくて残念だった。母ちゃんは応援するのみだ。

| | コメント (0)

2019年8月18日 (日)

花火大会へ。

  昨日はお店をお休みにして岐阜の花火大会に行ってきた。
この仕事にとって大事な週末をお休みすることに抵抗はあったのだけど、相方さんの「たまには自分たちも楽しまなきゃダメだよ」の一言で思い切りがついた。

そう言われてみれば心から楽しむということを最近していなかったかも。楽しんでいるつもりでいても、いつだって気持ちはどこか違うほうをむいていた。楽しむことに集中できないというか、何かが邪魔しているというか。
そんなことしているうちに、素直な心からの喜怒哀楽ってものができなくなってしまった。
私は今、楽しんでいるの?嬉しいの?怒っているの?それとも哀しんでいるの?……
ぜんぜんシンプルじゃなくて、いつだってモヤがかかっている感じで。心と自分が分断されてしまったみたいな。

  頭上で大きく花開く色とりどりの光は、その時間だけいろんなものをを忘れさせてくれた。異空間にいたかのよう。
和太鼓の音がお腹の奥のほうにずしっと重みをもって響いてくる感じと花火のそれとはとてもよく似ていると思った。
 そして花火の上がっている間はとにかく圧倒されっぱなし&その世界観にのめり込みっぱなしでずっと無言だった私。本当に感動すると声を出すことも忘れちゃうんだな。
周りにいた浴衣の女子高生たちや若いカップルの子たちははとにかくキャーキャーワーワー言っていて、そういうのもちょっと羨ましいなって思ってしまったけど。

 たしか以前来たのは10年くらい前だったかな。相方さんと知り合ったばかりのとき。なので今回で2度目。
相方さんが毎年のようにここに来ているかのように私にいろいろ言ってくるもんだから、あ〜きっとこの人にとっては毎年恒例のイベントだったんだろうなぁと勘ぐってしまう自分もいたりして、以前の私だったら絶対女心ってやつがむき出しになっていたと思うけど、今となればもうそんなことどーでもいいやって感じ。それこそ彼の過去の思い出のお裾分けをしてもらってる気分だ。

 車だったのでノンアルコールのまま、帰りに美味しいラーメン屋さんでさくっと食べて渋滞に巻き込まれず無事帰宅。
私にはめずらしいノンアルday。おっかない夢をたくさん見て夜中に何度も起きて気持ちを取り直すのだけど、それでもまた怖い夢の続きを見ることに。
どれだけストレス溜まってるんだ…。

 今日は昨日以上の猛暑日。朝からもう洗濯機を2度も回している。ノンアル明けの朝は体がとても軽いしフットワークも軽い。それはそれでいいことなんだけど、あの だるーい、なんにもしたくなーい、細かいことなんか気にしないー みたいな不健康な感じも悪くはないな。あの感じがあるから頑張ろうって思えることもあるし、あのだらしなさがちゃんとしなくちゃ!に繋がったりもする。
むずかしいね。







 

| | コメント (0)

2019年8月12日 (月)

気持ちの整理。

 ここ2、3日、なんだか気持ちが冴えない。毎日をなんとなーく平べったく過ごしてきたところに、突然足元に石ころがごろごろとあらわれて 臆病な私はそこを飛び越えられずにただそこに立ち竦んでいる…みたいな感じだ。
昔の自分だったらなんなく越えられていたと思う。なんならそのスリル感を楽しんでいたことだろう。あーこの感覚、また来ちゃいましたー、ぐらいに思っていただろう。そしてこのスリルをいくつも乗り越えることこそが自分自身を強くするものだ、なんて思っていただろう。

今となってはずいぶん小さくまとまってしまったな私…と思う。弱っちくなったものだ。
 そんな自分を責めようとは思わないけれど、もうちょっとしっかりしなきゃと喝を入れたくはなる。
そしてその方法は自分でもなんとなく分かっているのだけど、勇気がないというか力が出ないというか。そんなこんなで言い訳ばかりでごまかしている気がする。
だからそんな昨今の自分がちょっと嫌いだったりする。
 
 自分を嫌いに思っていると、どうしてもそういうオーラみたいなものが滲み出る。人は寄ってこないだろう。というか、自分で壁を作ってしまっているのかも。ほーんと嫌な私…。

 久々に自分を整理したくて日記を書いてみた。書くことで事が解決する訳ではないけれど、自分の内側との対話ができる。こういうことも最近めっきりやっていなかったから今日はちょうどよかった。大事だな。

 

 しかし今日も暑い熱い…。明後日のメロキャン(昨年に引き続き夏のメロディ合宿。といってもただただみんなで楽しくお酒を呑む会というふう)の準備で朝からドンキに行ったりホームセンターに行ったりスーパーに買い出しに行ったりで買い物メモとにらめっこしながら動きっぱなし。
暑くてまったく食欲がない私に栄養をと、お昼に相方さんがパスタをおごってくれた。久々に誰かの作ってくれるごはんを食べられる幸せよ。最近のおうちのごはんといえば冷汁ばかりだったから、相方さんも何か美味しいものを食べたかったのかもしれないな。
たまには手の込んだものでも作ってあげなきゃと反省した今日の午後でした…。
さて。仕事に向かわなきゃ。

| | コメント (0)

2019年7月10日 (水)

梅雨空に。

休みの日に見る夢にはきまって息子たちが出てくる。まだあどけない頃のあの子たちがはしゃぎまわっているのだけど、そのはしゃぎ方には3人それぞれの性格がすごくよく表れていて、私はそんな息子たちを怒りながらも夢の中のその光景を懐かしんでいる。
夕べの夢の中には匂いもあった。水遊びする池みたいなところでは草むらの青々しい匂いが。公園のお山のところでは湿った土の匂いがした。その匂いがこの夢をいっそうリアルなものにしてくれた。もっともっとこの夢の中にもぐっていたかったな。

なぜだか休みの日の夢にはあの子たちが登場する。私が知っているあの子たちとの思い出を一個一個辿るように。

 そして必ず夜中に目が覚めて、そこからずうっと息子たちのことを考えはじめる。元気でやっているだろうか。それぞれの目標に向かって頑張っているだろうか。彼女はできたのかな、とか。
 もしかしたら自分は嫌われているかも知れなくて…身勝手は承知の上で…それでも母ちゃんはずっとずっと君たちの母ちゃんでいたい。
そんなこんなで頭の中はどんどん冴えていってしまって気がつけば外は薄明るくなっている。

 そうなるともう眠れなくて今朝は一番で仕入れに行った。
先週は暇な日が多かったから、食材も仕込んだものもいろいろ残ってしまっていて、冷蔵庫を開けるたびに気持ちは萎えるのだよね。
だって、食べものって少しでも無駄にはできないし、使い切ってあげないと食べものに申し訳ないって思ってしまう。
昔はそこまで思わなかったかも知れないけれど、この仕事をするようになって本当につくづくそう思うようになった。冷蔵庫の隅っこに忘れられたニンジンのしっぽとかがシナシナになっていたりすると、思わずごめんなさぃ…って言いたくなる。(ニンジンに)
最後まできちんと使い切ってあげようと思う。それが食べものを扱う人間の責任だから。
なので、今残っている食材も無駄にしないように調理してあげなくては。アイディア次第でなんとでもなるし。

 今日は雨は降らないらしい。分厚い雲がどしっと重みを持って空一面を覆っている。こういう天気の日はなんとなく気持ちまで湿っぽく重たくなる。
気持ちを切り替えるためにも久しぶりに日記を書いたのだけどね。


| | コメント (0)

2019年7月 1日 (月)

なんとかしたいという気持ち。

 何年かぶりに会う友人。底ぬけに明るくて誰にでも優しくて、かつて私も彼女からたくさんの元気をもらった。
そんな彼女との再会に何日も前から胸がときめいた。

そしてその日、彼女は相変わらずだった。あぁ、この感じ懐かしいなぁと思うのと同時に、なぜだかどうしてだか私は、あの頃の自分を思い出していた。彼女と会ったばかりのあのときの自分を。

 私の中の時計はあのときから止まったまんまだと思った。
何も変わってないじゃん。何も進化してないじゃん。ともすれば、あの頃よりもいろんな意味で衰退しちゃっていないか…。
だから彼女に再会したとき、ただただすごーい!しかなかった。
相変わらず周りの人たちへの思いやりが強くって面倒見もよくって、とにかく頼もしい。情が厚くて涙もろくて。私が一番感動するのは、彼女が全身全霊でまっすぐに生きている という姿勢。

 もしかしたら、彼女のほうがあの頃となにも変わっていなくて、変わってしまったのはこの私?!

 なるべく人目に触れぬようコソコソ生きてないか…私。
 どんどん閉じこもっていっていないか…私。
 人を怖れていないか…私。
 
なんだかいろいろ考えさせられた。
彼女との再会を嬉しく思う気持ちと、すっかりしょぼくれてしまったこの自分を恥じる気持ちとが心ん中で入り混じっていたのはたしか。

やっぱりなんとかしたいって思ってるんだ。どうにかしたいって思ってるんだ。この情けない自分を。




| | コメント (0)

2019年6月17日 (月)

テレビを消してうまれる時間。

 ここ2週間くらいずっと心に引っかかっていることがあって、何をしていてもそのことばかり考えてしまう。
ずっと大切に温めていたものが、ある日突然自分の中から消えてしまった…みたいな。そのことを自然な流れとして受けいれるべきなのか、もしかしたら自分に非があってそういう結果になってしまったのか…とか、いろいろ考える。考えれば考えるほど悪いことばかり想像してしまう。

そんなこといちいち考えても仕方がないことはわかっているのだけど、やっぱり私にとってそれがいかに大切だったかということに、あらためて気付かされた出来事だった。どのみち流れには逆らえないので、しっかりと受けいれるべきなのだろう。
正直、そのことに対して落ち込んだ時期もあったけれど、その時間も自分にとっては大事だったし、無駄ではなかった。
前を向くしかないし、今あるものを温めていくしかないのだろうな。

 今日は空が高くてどこまでも水色に澄み渡っている。久しぶりだな。風は強めだけどこのくらいが気持ちいい。

最近あまりテレビを観なくなってきたので、アパートではもっぱら音の無い時間を過ごすことが多くなった。
今まで気にもとめなかった鳥のさえずりや電車の音、近所の子どもたちのはしゃぐ声や、夕方近くにきまって聞こえる町内放送なんかがよ〜く聴こえる。このアパートは道路に面しているから夜中以外はずっと車の音が絶えないのだけど、その音に混じっていろんな音があることに今さらながら気づいた。そういう時間がけっこう楽しい。
 まず、考える時間や思う時間が増えた。今まであえて考えないようにしてきたこと見ないようにしてきたこと、そういうことと真正面から向き合う時間ができた。向き合ってみると、今まで目をそらしてきたことが全然たいした問題でもなかったことが分かったり、なにより自分の気持ちがどういう位置にあるのかということに敏感になってくる。
 そして一番の変化は料理をするようになったこと。
今まではアパートではほとんど料理はしなかった。キッチンは狭いし、調理道具もあまりそろっていないし。なんといっても仕事で料理作って深夜に帰ってきてまで料理なんて絶対嫌だった。
でも最近は、ちょこちょこやるようになった。深夜に軽く食べられるものを昼間のうちに作っておいたり、ひとり飯もちゃんと作る。
休みの日以外は外食はほとんど行かなくなった。なのでちょっとだけカラダも元気になった気がする。相方さんのカップラーメン率もものすごく低くなったし。(それでも彼は買うんですけどね)
 なので今のところはテレビ時間が少なくなってなんとなくいい感じまわっている気がする。
 
今も近くでシジュウカラが鳴いてる。

| | コメント (0)

2019年6月11日 (火)

久しぶりの晴れ間。

 天気予報では昼から雨とのことだったけれど、今のところまだなんとかもっている。ここ数日の雨続きで洗濯物がずっと乾かない。湿った洗濯物がどんどんたまっていくので干す場所ももうないくらい。今朝はりきってベランダに干した。家中のハンガーを集めてきて干しまくった。
そんな洗濯物たちが気持ちよさそうに今風になびいている。今日は乾くといいな。
なんて言っている間にも雲が分厚くなってきたぞ。やっぱり降ってくるのかしら。

 夕べは静かだった。22時過ぎにもうお客さんが来る気配もしなくて早めに店を閉めてアパートに帰ってきた。そしていつもなら適当にすませてしまうごはんも、夕べは味噌汁などを作ってちょっとだけ手を加えたものを。

そして先週録っておいた“昨日何食べた?”をちゃんと見た。(いつもなら眠くて途中で必ず寝てしまう)
あのドラマに出てくるごはんがいちいち美味しそうで毎週見ているのだけど、料理の工程とか節約のための豆知識みたいなネタもおりまぜているところがすごく好き。作るのはゲイの男の子なんだけど(俳優の西島さんが演じてる)いろんな意味で繊細なところとか。
夕べ見た中でこんなセリフがあった。「自分ひとりのためだけに作るごはんはスパゲティだけとか一品料理になりがちだけど、誰かのために作るごはんは品数や料理全体のバランスを考えて作るものなんだな」こんなような内容だったと思う。
ふむふむだった。そうなんだよね、料理って食べてくれる人がいてだから自然に気持ちがこもる。それが“美味しい”になるんだと思う。
たまにひとりで部屋で食べるごはんは、ちっとも味がしないのはそういうことなんだろうな。
 と言いつつも、今日の昼ごはんはひとり。相方さんは朝から仕事に出ている。冷蔵庫の整理も兼ねて、もやしとか小松菜とか人参を湯がいてナムルを作って、ごはんの上にのせてナムルごはんにして食べた。それとお客さんからいただいたすごい椎茸(岐阜のしいたけブラザーズの)とレタスで中華風のスープを作って。
ここの椎茸はまるでお肉。味が濃くて食感にもボリュームがあってなんといってもジューシー。初めて食べたけど、噂通りとても美味しかった。

さて、今日は休みの日。部屋の掃除はやった。あれもこれもやりたいことはあるのだけど、カラダがいまいちだるくてまだなかなか力が入らない。そんな中、冷蔵庫の整理第2弾として今台所で、はじっこ野菜ばかりのカレーを煮込んでいる。そろそろかき混ぜにいこう。




| | コメント (0)

2019年6月 8日 (土)

呼吸。

 夕べの雨は凄かった。ザーッと勢いよく降ってきたと思ったら、きゅうに静まったりして。かと思えばゴロゴロ〜っと大きな雷が鳴ったり。
仕事しながら空の大合唱に耳を傾けていた。それにしても賑やかだったなぁ。
 今日は一変してぴーかん。午前中は月一のヨガ部。
寝転がったときに足の裏で柔らかい風を感じたり、見上げれば水色の空に綿菓子みたいな雲が浮かんでいたり、そんな中で最高に気持ちいいヨガができた。
今日は呼吸法が中心だったのだけど、どれだけ普段の自分の呼吸が浅いかというのに気付かされた。たぶん私の場合、胸の上の部分だけでしか呼吸してないんだと思う。だからゆっくりカラダ全体を意識して呼吸すると、普段意識していないカラダの部分にエネルギーが巡っていく感じがわかる。だんだんカラダの奥のほうがぽかぽかしてくる。そうか、この子たちも私のカラダの一部なんだなぁと、普段ほっぽらかしにしていることを反省するのだ。そもそも深呼吸すら普段やっていない気がする。呼吸って大事なんだ。そして意識して呼吸をするということも。
 部長のりえちゃんも相変わらずパワー全開で気持ちがいい。なんていうのかな、まっすぐなんだよね。自分がちゃんと自分になっているというか。
 お弁当のときに、なんだか今日はみんなしてまったりムードでぽわんとしていたのがよかった。今日はそういう日なんだねぇとみんなで言い合えたのも。
私はやっぱりみんなの前でしゃべるとか、そういうことができないことに毎回ちょっと落ち込む。みんなのいい話を聴けば聴くほど、できない自分が嫌になる。昔はなんでもおしゃべりできたのに、なんでこんなになっちゃたんだろう。
まぁ私は聴き役専門でいいのかなぁ。

帰りに仕入れをして、仕込みは夕方からにする。今朝早かったから。
ベランダからの風が気持ちいい。最近日記を書く場所を変えたのだ。今まではちゃぶ台にiPadを持ってきて床に正座して書いていたのだけど、今は窓際の小さなスペースに机を持ってきて椅子に座って書いている。なんとなく気分が変わる。
網戸が壊れているからほぼ窓全開。すぐ横には洗濯物。向かいのアパートのベランダもすぐそこ。日記書きながら向こうの人にこんにちわできそう。
もうちょっとひと休みして仕事に行こう。

 

| | コメント (0)

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

日記・コラム・つぶやき