2020年2月24日 (月)

あさくまのコーンスープ。

無性にあさくまのコーンスープが飲みたくなっていそいそとランチに出かけた。
ランチタイムはお肉料理を注文すればコーンスープを始めサラダやフルーツなどが食べ放題というシステム。大好きなコーンスープを好きなだけお代わりできるだなんて夢のようだわ。

 というのも、私にとってあさくまは子どもの頃に初めて家族で外食に行った場所。
明るいイメージのファミリーレストランとはちょっと違っていて大人の雰囲気が漂っていた。少し薄暗くてテーブルや椅子も深みのある色合いで、飾ってあるものや壁の風合いは和と洋が合わさったよう感じで子どもながらにかっこいい!って思っていた。
当時、毎週土曜日に通っていた英語教室がその近くにあったこともあって、帰りにはあさくまに寄ってケーキやアイスクリームを食べる というのもお決まりだった。父はタバコをふかしながらコーヒーを飲む というのもお決まり。
今もあるのかな、アイスクリームに花火がささっているやつ。弟があれを注文して目の前に運ばれてきたとき、びっくりして固まってたもんね。
そしてたまに晩ごはんを食べに家族で出かけたりもした。外食の味があまり得意でない母が、あさくまのサラダのドレッシングを美味しい美味しいと言って食べていたっけ。ちょっとセロリっぽい味がして私も大好きだった。
私はもっぱらここのコーンスープが大好きで必ず注文していた。コーンスープは大好きでいろんなお店で食べたけれど、やっぱりここのが一番。コーンの甘さがちょうどよくって、なにしろ濃厚。飲むというより食べるって感じ。

 そんな家族との思い出のお店の本店がなんと愛知県にあるということを知ったときはほんとにびっくりした。
千葉県の野田というところで育った私にとって、あさくまは野田にしかないものだとずっと思っていたから、まさか名古屋で再会できるだなんて思ってもみなかった。

 そしていちばんにその思い出のコーンスプーンをなみなみとカップに注いで、じっくり堪能したわけです。思い出のまんまの味。これぞあさくまのコーンスープ。わー懐かしい〜。
そしてそのあとサラダにあの思い出のドレッシングをかけて食べて、メインのお肉を食べたらもうお腹いっぱいという状態に。
コーンスープをお代わりする気満々でいたにもかかわらず、もう入らない…。(涙)
 
思い出はすぐにポケットの中から取り出せてあの頃にタイムスリップできるのだけど、知らないうちにこんなにも年とっちゃったんだぁと思うと、時の流れに空しさを覚えちゃうね…。トホホ。
でもまぁ、このべろはちゃんと覚えているんだな。そう思うとべろの記憶ってすごい。

今度実家に帰ったら母をあさくまに連れて行ってあげたいな。

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2020年2月20日 (木)

外時間。

ようやくキャンプに行けた。1ヶ月ぶりくらいだろうか。天気は雪 時に暴風。
前回は雨ザーザーで地盤が緩んでペグが抜けちゃうという騒ぎ。それにくらべたらずいぶんマシ。
そして前回同様、テントじゃなくてポールとブルーシートでの空間作り。ついにその域にいってしまった。もはやテントじゃなくて小屋である。
これのいいところは、安い費用でできてしまうのと翌日の片付けが楽ということ。
この時期テントは夜露と結露でびっしょりになる。これを乾かすのもひと苦労なのだよね。それにくらべてブルーシートは翌朝さっと干して雑巾で拭いたらすぐたためる。難点はなんといっても"ぜんぜん映えない"ということだろう。でもまぁそんなことはまったく気にしないので、このチープ感を楽しんでいたりもする。キャンプ場では逆の意味で目立っていると思う。

 簡易小屋なのですきま風もハンパない。底冷えもすごい。ダルマみたいに着込んでホットウイスキーで体を温める。ビールなんて寒くて飲めたもんじゃない。

夜には雪もやみ空には満天の星。オリオン座の中にあんなにもたくさんの星たちがいたことに驚かされる。
寒すぎて水道の水が凍っちゃったりお風呂も入れなかったりトイレまでやたら遠かったり、いろいろ不便なことはあるのだけどなぜかまた来たくなる。このいろいろめんどうな感じをわざわざ味わいたくなるのが不思議。
薪割りしている時間、火を見ているだけの時間がとても貴重なものに感じる。"生きてる"をかみしめてるんだろうか。
 それでもって朝がやってきて日常に戻らなきゃと思うとさびしくなる。これも毎度のこと。
長い瞑想から解けるみたいに。もうちょっと味わっていたいって思うのだ。

 そして帰ってくると、日常が少しだけ新鮮に見える っていうマジック。いろんな"便利"やいろんな"あたりまえ"をありがたく思えてしょうがない。

 外時間は私にとってリセットするためのスイッチなんだな。



 

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2020年2月17日 (月)

日記じゃないけど。

  書かないでおこうと思ったけど、やっぱり書きますね。
人のブログを荒らすのはやめましょう。
私自身に対して言いたいことがあれば、コソコソこんなところに書かないで
ちゃんと顔を合わせてお話してくださいね。

 かなしいことだけど、負の言葉が与えるエネルギーって強いのだよね。
いい言葉をもらうよりも、ずっとずっと強くて怖い。
そういうことを平気でできてしまうって一体どういうことなのだろう。
それってすごく淋しいことだと思うよ。

 今はネット上になんでもかんでも書き込めてしまう怖い時代だからこそ
ひとつひとつの言葉に慎重になるべきだと思う。
 まぁいろいろ言われて当然の人間だけど。

私ひとりだったらまだいいですよ。
このブログに訪れてきてくださった人たちの目にも当然触れるわけですよ。
みんな不快に思うんじゃないかな。

 私も最初はかなりショックを受けました。落ち込みましたよ。
でもこれって、よくあるネット荒らしみたいないたずらなんじゃないかなと思って
エイっと気持ちを切り替えました。(いたずらだとしても趣味悪いよ)
と思っていたら、忘れたころにまた同じような悲しい内容の書き込みがありました。

 このブログに関しては誰でも自由にコメントできる設定にしていたのですが
今回このようなことがあったので、こちらで一度確認してからコメントとして掲載させていただこうと思いますね。
もちろん例の辛い内容のコメントはサヨナラさせていただきました。

 そして自分自身もあらためて言葉の持つエネルギーについて考えさせられました。
同じ言葉なら相手ハッピーになるような言葉をチョイスしようと思いました。
日記は顔の見えない文字だけの世界。
だからこそ気持ちを込めようと。


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2020年2月16日 (日)

ほのぼのな風景。

「車の整備とかってさぁ、ひとりでやってるとむなしくなってくるんだよね〜」とちょっとぴりぴりしながら言ってくる相方さん。きっと本音は「てめえも車乗ってんだから手伝えよなー!」なんだろうけど、優しい相方さんは絶対にそんなこと言ってこないので ここは黙ってお手伝い。
ふたりで初の共同作業?!"オイル交換"に挑みました。
こんな面倒こと 相方さんはいつもひとりでやっていたんだ などと今まで知らんぷりでいたことを少しばかり申し訳なくも思ったり。
オイル交換なんて面倒だから、オー◯バックスに持っていてやってもらえばいいじゃん なんて無責任に言ったこともありましたよ。
工賃がもったいないというのもあるけれど、そもそも相方さんはなんでも自分でやらないと気がすまない人。それを知りながらも私はけっこうバッサリと言ってしまうわけです。
 そういうこともふくめいろいろ反省しつつ、しっかり(?!)お手伝いしました。といっても何もできない私は隣で「ガンバレー」的なエールを送るくらいのことしかできなかったけど。

 そんな作業をしていたら、ご近所のおじいさんがよちよち歩きのお孫さんの手を引いて公園の方へ歩いていきました。
私たちの前を通りかかるおじいさん、こいつら一体なにやってんだ〜みたいな目で見てきたので「こんにちは」と声をかけてみました。するとかなり疲れきった声で「こんにちは」と返ってきました。
年老いたおじいさんには、元気のかたまりみたいな小さい子のめんどうなんてさすがに応えるだろうなぁ。そんなことを思いつつ作業の続きに戻りました。

 1時間後、おじいさんとお孫さんが戻ってきました。
さっきまで疲れきった感じのおじいさんは別人みたいになっていました。顔からは笑みがこぼれ、さきほどまで孫の手を引きとぼとぼ歩いてたおじいさんは今度は孫を抱っこして「たかいたか〜い!」とあやしながらこちらに歩いてくるではあーりませんか。
お孫さん以上に元気になって戻ってくるおじいさん。なんかいいな〜とほほえましく思いました。
 それでもって、そのあとおじいさんは今度はおばあさんに孫のめんどうをバトンタッチ。おばあさんは孫をあやすのがとっても上手でした。
その光景もなんだかとてもほのぼのしていて、こちらも作業しながらそういう家族のあったかい風景を見させてもらってほっこりしました。
 
 私も父や母を思い出しました。
当時まだ元気だった父は孫3人をつれて動物園に連れて行ってくれたり夏はプールにも連れていってもらいました。父はいつも本気で遊んでくれました。それを母が見守る感じでした。
男ばかりだから、とにかく常に動き回っているし部屋は汚すしで父も母もヘトヘトになって「めんどうなだ〜」なんてこぼすときもあったけどやっぱり孫が遊びにくることを楽しみにしていたのはたしか。「夏休みは来るの?」「冬休みはいつから来るの?」なんて電話口の父の声のトーンを今でも覚えています。孫っていうのはジイジやバアバにとって特別な存在なのだな。

そんな自分の昔話も思い出しましたよ。

 そしてなんとか無事にオイル交換も終了。
といっても私はたいしたこと何ひとつやっていなくて、きょろきょろ周りの景色に心をうばわられていただけなんですけどね…。 
 

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2020年2月13日 (木)

ラーメンもとめてお出かけ。

 名古屋ラーメン祭にお客さんと一緒に行ってきた。
そういえば20代のころに横浜にある"ラーメン博物館"というところに行ったっけね。そう思うとラーメンブームには終わりがないんだな。味の流行りはあれど、どの時代にも愛される食べものなんだ。
そんな私、とくべつラーメン通というわけではないけれど、美味しいものならなんでも大好き。よだれを垂らしながら事前にパンフレットでしっかり予習してきたのだ。
それでもって会場につくなり小走りでお目当の店の前の列に加わった。今日は暖かいから並ぶのも苦じゃないな。
ただね、お店によって列の長さが違うからラーメンが出てくるタイミングもみんな違うのね。我ら4人もとりあえずみんなで集合する場所を決めてここで食べようという場所を決めたんだけど、並んでいる列がみんな違うからタイミングがバラバラ。みんなの集合を待っていたら大事なラーメンが伸びちゃう。
 いちばん最初に集合場所に着いたのはこの私。まだ誰も来てない…どーしよ、でも待ってたら大事な旨旨タイミングをのがしちゃうじゃん。先に食べちゃうぞとばかりにひとり勢い勇んでズルズルっとラーメンをすすり始めた。少したら他のメンバーもパラパラと集まってきてそれぞれにズルズルタイム。これでいいのだ。
そんなわけで、それぞれのジャストタイミングでとくに会話もなく勝手に食べる!というこの感じがよかった。ラーメンも美味かったし。
私以外、相方さんを含めみんな男子だったというのもあるのなか、そういう気楽な感じがすごく清々しかった。
そして、我らはそれぞれひとり2杯ずつ完食して腹ぱんぱんになってさくっと帰ってきた。女子どうしだったらそのあとお茶しよ〜みないな流れになるかもしれないけど、目標達成したらハイおしまい みないなこんなシンプルな感じもいい。
 
 帰ってきて時計を見たらまだお昼の12時半。相方さんがオートバックスに行くというので着いていったけど、これが実に長くかかってしまった。探し物がなかなか見つからなくて私が「店員さんに聞いたらどーお?」というも 「いや、いいんだ」と言ってきかない。同じ棚の前で腕を組みながら何十分も眺めている。じっとしているのが苦手な私は店内をくるくる何周も歩いたりして時間をつぶした。
 そしてようやく諦めて「ネットで買うからいいや」と言っていた。はて、この何十分の間はいったいなんだったんだろう。あえては聴かないけど。
男の人ってさくっとシンプルにいくときもあれば、こうしてじっくり時間をかけることもあるのだね。
男子の世界はほんとよく分からぬなぁ。
でも着いてきちゃったのはこの私なので、今日は文句も言わず静かにしてたけど。
 そしてその帰り道、バッテリーがおかしなことになってエンジンがかからなくなった。ここ最近よくある症状なのだけど、道の真ん中できゅうにエンジンかからなくなっちゃうのは、何度経験してもやっぱり怖いわぁ。
相方さんの超絶運転技巧でなんとか戻ってきて只今充電中。
そして気づけばもう夕方。お出かけする日は1日があっという間。気分転換できてよかったわ。
そろそろ支度をして仕事に向かおう。



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2020年2月 6日 (木)

友人との再会そして実家に帰るの巻。

 まったく筆が進まず久しぶりの更新。
ここのところ、今の自分をキープしていくことは果たしてどうなんだろう、などと思ったりして。
とはいっても仕事は好きだし、自分のお店もあるわけだし。
こんなことを思うのは贅沢なことなんだろうか。
ただ、自分の中に生まれた”違和感”のようなものがある以上、そいつともちょっと向き合ってやらなきゃとも思う。

 火曜日に、突然思い付いて高校のときの友達ちひろちゃんに会いに新幹線に飛び乗った。
5年ぶりくらいだろうか、、いやもっとかな。それでも会えばあの時の空気に自然に戻る。おばさんになったって気分は高校生だ。(無理あるか)
昭和感漂う駅前のしぶ〜い居酒屋でひっかけて懐かしの友の話で盛り上がって、その勢いではしご酒もしっかりこなしてサクッと別れた。とてもいい時間だった。
 高校のときの帰り道はいつも一緒だったちひろちゃん。ふたりで駅の階段を駆け上がりホームを突っ走った。たま〜に途中下車して美味しいケーキなんか食べたりもして。
そんなときいつもちひろちゃんは私の左側のちょっと前を歩いてた。そんなことを47歳になって思い出したのもよかった。
私は昔から女の人とはカラッとした付き合いしかできなくて、今でもときどき「冷たい…」みたいに言われてしまうことがあって、でも彼女といるとそんなことぜ〜んぜん考えなくていいよーみたいに同じ空間にいられることがすごく楽。もちろんちひろちゃんもカラッとしているほうだけど、いろいろ話を聴いていると、彼女がいろんな人に誠意を持って接していることだったり、人と人を繋げていく天才だったり…。これって思いやりがないとできないことだ。つくづく尊敬する。
まぁ昔からそういうところあったけど、こうしておばさんになってみてあらためて彼女の素敵な側面をたくさん感じる。高校生のときにはただなんとなーく空気みたいに一緒にいただけだったけど。おばさんになるっていい。
でもまぁ空気みたいに一緒にいられるのっていちばんいいことなのかもな。
持つべきものは友!ってひさしぶりに思っちゃった。

 それでもってそのあと実家に帰った。
84の母はその日は仕事が休みだというのでそれもちょうどよかった。(84になってもまだ仕事していることがまず信じられんのだけど)
こちらがいいよって言ったのに、母は自転車に乗って駅まで迎えに来てくれた。
見るたびにシワシワになって小さくなっていく母。それでも母は母という位置を今でもキープしている。娘より上に必ずいる。
孫が来るときとは違ってごはんもおかずもとっても質素。お米炊くのめんどうだからおにぎり(スーパーの)でいいよね、とか言う母。
刻んだ大根の上に納豆をのせたやつは、私が子どもの頃に嫌なくらい食べさせられたおやつだ。これも何十年ぶりかに食べた。それとブリの照り焼きとヒジキの煮たの。味噌汁はめんどくさいから作らないよだって。
どれもこれも地味なおかずだけど、こういう気をつかわない食卓がなんだかしみじみよかった。母らしい。

 そして茶箪笥の上には、父が退職して初めて母とふたりでタイ旅行に行ったときの写真が飾ってあった。この日記にも何度も書いたけれど、両親は本当に仲が悪くて子どもの頃からずっとそのことで悩まされていたのだけど、こうして父はいなくなって母ひとりになっても写真がまだここにあるということがなんだかとても不思議なことのように思えた。
母の中にはちゃんと父の存在があるということを、この年になって感じられるようになった。子どもの私には知り得なかった父と母のこと。
お仏壇の中の父は、子どもの頃によく見た父の顔。この笑顔が今でも母の中にしっかりあるということを確信した旅だった。

 自分の中の何かがゆっくりだけど循環し始めた気がした。
名古屋に来て20年経つけど、やっぱり自分が育った場所だったり昔の友人だったり、かけがえのない宝物なんだな。

 

 

 

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2019年11月27日 (水)

心の復活と小さな目標。

 この歳にもなると、心の復活も早くなるものなのだな。
おとといの日、けっこう自分なりに落ち込んだと思っていたのだけど、次の日にはケロっとしていてびっくりした。昔はズルズル引きずって、心にしこり作っていつまでもメソメソいじけてたっけ。
歳をとるとそもそもそういうエネルギーが無くなるのか、果てまた今まで味わったいろんな経験が心の筋肉になった成果なのか…
まぁどっちでもいいけど立ち直りが早くなったことは心身ともに楽でいい。
いつまでもクヨクヨしていたって始まらない!という言葉の意味が、この歳になってようやくすんなり受け取れるようになったかも。
弱っていた頃は、誰かが掛けてくれる「頑張って!」の言葉がただ自分へのプレッシャーにしか聞こえなかった。そんなのこの自分が一番分かっているんだから…って、口にはできない言葉を腹の中で噛みしめたものだ。

今はなんだろな、それってシンプルに愛なんだと思える。だからその言葉を掛けてくれた相手の愛の言葉をこちらは素直にキャッチすればいいこと。ただそれだけ。
ありがとうと素直にお返しすればいいのだ。

 そういうことがどんどんシンプル化されていく昨今。
いろんな部分が退化していく反面、進化?!していっている面もきっとあるんだろうな。(そう信じたい)

 
 そういえば先週、フラメンコの発表会に向けての初のギター合わせがあったのだけど、自分なりにはいつもと同じ気持ちで踊っていたつもりが、師匠が「もっとしっかり呼吸して!」と私に言ってきたのですね。
その瞬間、「呼吸か〜」と深く考え込んでしまいまして。
帰ってきて録音した音源を聴いてみたら、師匠の言っていた呼吸の意味に考えさせられたんですね。
表面的な浅い呼吸しかしていないので、とにかく足の音が忙しないんです。落ち着きがないというか…。

と同時に、これってフラメンコだけの話じゃなくて、普段の生活においても私の呼吸って浅いと気付きました。
ゆっくりじっくり考えたり味わったりってことを、たぶんほとんどしてない。
表面をざっと擦って、ハイ終了!みたいな感じ。
あー、これって私にいちばん足りない要素だと思いました。

 逆に言うと、深くとかじっくりとか…そういうニュアンスを避けようとする自分もいるのです。
そこには時間を止めてしまうようなイメージもあるし、前に進めなくなるイメージもあるし、怖いイメージだってある。

 でももう私もいい歳。
いままで怖がっていた何かを手放してみるのもいいかも知れない、ってちょっと思いました。
もちろんこれって意識しないと、いつものうわっつらをなぞるだけの自分になってしまう。
 意識したら何か変わるかな。

 そう思いながら生活するのって、ちょっとおもしろいかも知れないな。




 

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2019年11月25日 (月)

むずかしい…

気づけば11月も後半戦。前回の日記から1か月以上も経ってしまった。
世の中はテレビよりもユーチューブという流れになっているみたいで、機械に疎いこんな私でさえもその流れにのりつつある今日このごろ。
キャンプ動画やら音楽関係やら、はたまたブログと称する動画もある。
もう最近は文章じゃなくて映像なんだなぁ〜ほぅ〜 という感じである。
そしてまた皆さんとにかく上手に撮っているではありませんか。中にはプロレベルの映像もある。すごいなぁとおばさんは感心するばかり。
そんなこんなでみなさんがアップしていらしゃる映像に見とれていたら、いまさら文章ってどうなんだ?!みたいな気持ちもあったりなかったりしつつ、1か月が経過。

 でもまぁ、文章は文章のいいところもあると思うのだけど。微妙な文末に含まれる気持ちとか温度とか。そういうのって文章だからこそ表現できると思う。

 それでもって今日どうして筆をとったかといえば、相手からもらう強い言葉やその言葉の奥の感情に、自分はものすごく反応しやすい…ということ。
思えば子どもの頃、親からきつく叱られたりしたことはほとんどなかったと思う。親が年だったということもあるだろうけど、共働きで忙しくしている両親は子どもにかまう時間なんてほとんどなかったのだ。なので怒られたり厳しくされたりということに慣れていないのかも知れない。

そんな私なので、今回の件ではかなり落ち込んでいるわけで。

まぁ誰でも相手から否定的なことを言われたら心はくじけるだろうし、もしかしたら人によってはそこに反発していくかも知れない。
自分の場合は、もう体が動けなくなるくらい怖さでいっぱいになってしまう。過呼吸にもなる。たぶんものすごく弱いんだと思う。


ダメ人生で来ている自分みたいなのは、人から批判されて当然。
わかっていても、それを正面から言われたり書かれたりするのはけっこうキツイ。

 そんなの放っておけばいい という話ではないと思うし、相手の感情がどこに向いているのか気になるし。

今は怖くてしかたないのだけれど、ダメ人生はどうにもならないので小さく生きていくしかないのだろうな。人目のつかないところで、ひっそり生きていく人生も考えたけれどそれはそれで苦しい。中にはアンタこんな日記なんか書いてる場合じゃないと言ってくる人もいる。じゃぁどうしたらいいんだろう。自分でも答えがわからない。
むずかしい…。

 今この複雑な気持ちをどうにもできなくて、筆をとりました。
そう思うと文章で表すという手段は必要なことなのでしょうね。自分の気持ちと向き合うためにも。




 

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2019年10月17日 (木)

秋のおクスリに。

 うだるように暑かった夏もいつのまにか終わっていて、気づけば10月も半ば過ぎている。
日記を書こうにもいっこうに筆がすすまずここまできてしまった。日常の気持ちの瞬間を切り取る作業もいつもならできたのに、だらだらと適当に流してしまっていた。文字や文章にして気持ちをアウトプットすることって気持ちを整理するためにすごく大事なことだと思うのだけど、それってやっぱり余裕がないとできないことなんだなと思った。

 ずっと滞っていた日記をなぜ書こうかと思ったかというと、やっぱり秋という季節は意味もなく切なくなったり心が揺れ動いたりしてすごく不安定になる時期だと思うのだ。どうしてこうなっちゃうのか自分なりにいろいろ考えてもみたのだけれど、やっぱりこれというのが分からない。
自分なりに思うのは、ひとつ気候のせいもあるかもと。
暑いとか寒いとか極端なやつがなくて、秋ってとにかく気持ちがいい季節なのだ。気持ちいいことは良いことのはずなのに、私みたいな人間はこの気持ちがいいことに不安を持つ、なぜだか。こんなんでいいのかなって、無意識に不安定な場所を探していたりする。ほんとに自分でも訳がわからない。
あ〜気持ちがいいなぁ〜って、素直に喜べたらどんなによかろう、楽かろう と思わずにはいられない。

 それでもって、この不安定な自分をどうしたらよいのかと最近始めたのがキャンプだ。
今まさに第2次キャンプブームの到来でキャンプ人口が急増していると聞いている。流行りに乗るのは苦手なこの私も、恥ずかしながらしっかりとこのレールに乗っかってしまっているではないか。今や月2回のペースでキャンプに行くほど。
  なんでしょね、薪を割るとか火起こしして焚き火をするとかって非日常的なことなのだけど、この単純な作業にものすごく充実感をおぼえるんです。こんなこと思ってもみなかった。
自然というものと一体化できる歓びみたいなものがあるのかな…。深く辿れば人類の祖先たちの血がこの私の体のなかに記憶されているからなのか…。
まぁ訳もなく血がさわぐのです、キャンプって。
そして日常の気持ちの揺らぎを、ちょっとだけ整えてくれるのもこのキャンプ。

  昨日帰ってきたばかりなのに、もう次のキャンプのことを考えている私。
この歳になって楽しいことなんて見つからないと思っていたから、天からのプレゼントみたいに思っている。流行りに乗るなんてかっこ悪いと思っていたけれど、おばさんはまんまと引っかかってしまいましたよ。






 

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2019年9月 5日 (木)

父とヤカン。

 麦茶を沸かしているヤカンの口が壊れてしまった。この夏、一番活躍した台所役者である。お湯が沸くとピーピー鳴って教えてくれるあのヤカン。私にとって特別思い入れのある品なのだ。
 前の夫と別れて初めて借りた小さなアパートでお金がなくて小さなフライパン一個で暮らしていた頃、このヤカンが実家から送られてきた。それまではお茶を飲むためのお湯もこのフライパンで沸かしていたのだけど急須にどうしてもうまく注げない。こぼす量のほうが多いくらい。ヤカンひとつでこんなにもストレスが減るなんてと、嬉しくなって実家に電話したほど。そして驚いたのは、私からリクエストしたわけでもないのにこのヤカンが送られてきたということ。
親と子というのは、遠く離れていてもどこか通じているものがあるのだろうか。テレパシーってやつだろうか。
そんなことをぼんやり考えながら、さてお湯でも沸かそうとヤカンのフタを開けたらさらに驚くべきことが。
なんとヤカンの中に、その頃季節だった丸々と太った栗がびっしり詰まっていた。
まだ父が元気に生きていた頃の話。

 
 その頃の父の口癖といえば「じゅんちゃんのことが心配で心配でまだ死ねないよぉ」だった。まぁ本当に親には迷惑かけっぱなしの私だったから父がそう言うのも無理はない。
父は母以上に母っぽいところがあって、元気な頃は炊事洗濯アイロンがけ 全部父がやっていた。

何十年もサラリーマンとして働きづめだった父は定年退職後、なにかぽかんと気持ちに穴が空いてしまったようでいつもテレビの前でゴロゴロ過ごすようになってきた。そのうち少しづつ痴呆も強くなってきて、そのことを母に注意されたり怒られたりしてそんな姿の父を見るのはほんとにつらかった。私が早くから実家を出たいと思ったのはそのこともひとつある。
それでも毎月一度、近所のスーパーで買った野菜やら日用品をダンボールいっぱいに詰めて送ってくれた父だった。
頭はボケながらも、今日はどこどこのスーパーの卵が安いとか洗剤が安いとか、そういう情報を新聞折り込みのチラシで毎日チェックするのも父のひとつの趣味だったようだ。そしてそんな父のことを隣で母が「男のくせにそんなことばかりして…」となじるのもお決まりだった。
 
このヤカンが私のところにやってきて10年になる。そうか10年前はまだ父は元気だったんだ。遠い昔のことのようにも思えるし、つい最近のことのようにも思える。
壊れた口を直してまだまだこれからも使っていこう。
栗の季節になると思い出す。
さあコーヒーでも淹れよう。



 

 

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