2019年11月27日 (水)

心の復活と小さな目標。

 この歳にもなると、心の復活も早くなるものなのだな。
おとといの日、けっこう自分なりに落ち込んだと思っていたのだけど、次の日にはケロっとしていてびっくりした。昔はズルズル引きずって、心にしこり作っていつまでもメソメソいじけてたっけ。
歳をとるとそもそもそういうエネルギーが無くなるのか、果てまた今まで味わったいろんな経験が心の筋肉になった成果なのか…
まぁどっちでもいいけど立ち直りが早くなったことは心身ともに楽でいい。
いつまでもクヨクヨしていたって始まらない!という言葉の意味が、この歳になってようやくすんなり受け取れるようになったかも。
弱っていた頃は、誰かが掛けてくれる「頑張って!」の言葉がただ自分へのプレッシャーにしか聞こえなかった。そんなのこの自分が一番分かっているんだから…って、口にはできない言葉を腹の中で噛みしめたものだ。

今はなんだろな、それってシンプルに愛なんだと思える。だからその言葉を掛けてくれた相手の愛の言葉をこちらは素直にキャッチすればいいこと。ただそれだけ。
ありがとうと素直にお返しすればいいのだ。

 そういうことがどんどんシンプル化されていく昨今。
いろんな部分が退化していく反面、進化?!していっている面もきっとあるんだろうな。(そう信じたい)

 
 そういえば先週、フラメンコの発表会に向けての初のギター合わせがあったのだけど、自分なりにはいつもと同じ気持ちで踊っていたつもりが、師匠が「もっとしっかり呼吸して!」と私に言ってきたのですね。
その瞬間、「呼吸か〜」と深く考え込んでしまいまして。
帰ってきて録音した音源を聴いてみたら、師匠の言っていた呼吸の意味に考えさせられたんですね。
表面的な浅い呼吸しかしていないので、とにかく足の音が忙しないんです。落ち着きがないというか…。

と同時に、これってフラメンコだけの話じゃなくて、普段の生活においても私の呼吸って浅いと気付きました。
ゆっくりじっくり考えたり味わったりってことを、たぶんほとんどしてない。
表面をざっと擦って、ハイ終了!みたいな感じ。
あー、これって私にいちばん足りない要素だと思いました。

 逆に言うと、深くとかじっくりとか…そういうニュアンスを避けようとする自分もいるのです。
そこには時間を止めてしまうようなイメージもあるし、前に進めなくなるイメージもあるし、怖いイメージだってある。

 でももう私もいい歳。
いままで怖がっていた何かを手放してみるのもいいかも知れない、ってちょっと思いました。
もちろんこれって意識しないと、いつものうわっつらをなぞるだけの自分になってしまう。
 意識したら何か変わるかな。

 そう思いながら生活するのって、ちょっとおもしろいかも知れないな。




 

| | コメント (0)

2019年11月25日 (月)

むずかしい…

気づけば11月も後半戦。前回の日記から1か月以上も経ってしまった。
世の中はテレビよりもユーチューブという流れになっているみたいで、機械に疎いこんな私でさえもその流れにのりつつある今日このごろ。
キャンプ動画やら音楽関係やら、はたまたブログと称する動画もある。
もう最近は文章じゃなくて映像なんだなぁ〜ほぅ〜 という感じである。
そしてまた皆さんとにかく上手に撮っているではありませんか。中にはプロレベルの映像もある。すごいなぁとおばさんは感心するばかり。
そんなこんなでみなさんがアップしていらしゃる映像に見とれていたら、いまさら文章ってどうなんだ?!みたいな気持ちもあったりなかったりしつつ、1か月が経過。

 でもまぁ、文章は文章のいいところもあると思うのだけど。微妙な文末に含まれる気持ちとか温度とか。そういうのって文章だからこそ表現できると思う。

 それでもって今日どうして筆をとったかといえば、相手からもらう強い言葉やその言葉の奥の感情に、自分はものすごく反応しやすい…ということ。
思えば子どもの頃、親からきつく叱られたりしたことはほとんどなかったと思う。親が年だったということもあるだろうけど、共働きで忙しくしている両親は子どもにかまう時間なんてほとんどなかったのだ。なので怒られたり厳しくされたりということに慣れていないのかも知れない。

そんな私なので、今回の件ではかなり落ち込んでいるわけで。

まぁ誰でも相手から否定的なことを言われたら心はくじけるだろうし、もしかしたら人によってはそこに反発していくかも知れない。
自分の場合は、もう体が動けなくなるくらい怖さでいっぱいになってしまう。過呼吸にもなる。たぶんものすごく弱いんだと思う。


ダメ人生で来ている自分みたいなのは、人から批判されて当然。
わかっていても、それを正面から言われたり書かれたりするのはけっこうキツイ。

 そんなの放っておけばいい という話ではないと思うし、相手の感情がどこに向いているのか気になるし。

今は怖くてしかたないのだけれど、ダメ人生はどうにもならないので小さく生きていくしかないのだろうな。人目のつかないところで、ひっそり生きていく人生も考えたけれどそれはそれで苦しい。中にはアンタこんな日記なんか書いてる場合じゃないと言ってくる人もいる。じゃぁどうしたらいいんだろう。自分でも答えがわからない。
むずかしい…。

 今この複雑な気持ちをどうにもできなくて、筆をとりました。
そう思うと文章で表すという手段は必要なことなのでしょうね。自分の気持ちと向き合うためにも。




 

| | コメント (0)

2019年10月17日 (木)

秋のおクスリに。

 うだるように暑かった夏もいつのまにか終わっていて、気づけば10月も半ば過ぎている。
日記を書こうにもいっこうに筆がすすまずここまできてしまった。日常の気持ちの瞬間を切り取る作業もいつもならできたのに、だらだらと適当に流してしまっていた。文字や文章にして気持ちをアウトプットすることって気持ちを整理するためにすごく大事なことだと思うのだけど、それってやっぱり余裕がないとできないことなんだなと思った。

 ずっと滞っていた日記をなぜ書こうかと思ったかというと、やっぱり秋という季節は意味もなく切なくなったり心が揺れ動いたりしてすごく不安定になる時期だと思うのだ。どうしてこうなっちゃうのか自分なりにいろいろ考えてもみたのだけれど、やっぱりこれというのが分からない。
自分なりに思うのは、ひとつ気候のせいもあるかもと。
暑いとか寒いとか極端なやつがなくて、秋ってとにかく気持ちがいい季節なのだ。気持ちいいことは良いことのはずなのに、私みたいな人間はこの気持ちがいいことに不安を持つ、なぜだか。こんなんでいいのかなって、無意識に不安定な場所を探していたりする。ほんとに自分でも訳がわからない。
あ〜気持ちがいいなぁ〜って、素直に喜べたらどんなによかろう、楽かろう と思わずにはいられない。

 それでもって、この不安定な自分をどうしたらよいのかと最近始めたのがキャンプだ。
今まさに第2次キャンプブームの到来でキャンプ人口が急増していると聞いている。流行りに乗るのは苦手なこの私も、恥ずかしながらしっかりとこのレールに乗っかってしまっているではないか。今や月2回のペースでキャンプに行くほど。
  なんでしょね、薪を割るとか火起こしして焚き火をするとかって非日常的なことなのだけど、この単純な作業にものすごく充実感をおぼえるんです。こんなこと思ってもみなかった。
自然というものと一体化できる歓びみたいなものがあるのかな…。深く辿れば人類の祖先たちの血がこの私の体のなかに記憶されているからなのか…。
まぁ訳もなく血がさわぐのです、キャンプって。
そして日常の気持ちの揺らぎを、ちょっとだけ整えてくれるのもこのキャンプ。

  昨日帰ってきたばかりなのに、もう次のキャンプのことを考えている私。
この歳になって楽しいことなんて見つからないと思っていたから、天からのプレゼントみたいに思っている。流行りに乗るなんてかっこ悪いと思っていたけれど、おばさんはまんまと引っかかってしまいましたよ。






 

| | コメント (0)

2019年9月 5日 (木)

父とヤカン。

 麦茶を沸かしているヤカンの口が壊れてしまった。この夏、一番活躍した台所役者である。お湯が沸くとピーピー鳴って教えてくれるあのヤカン。私にとって特別思い入れのある品なのだ。
 前の夫と別れて初めて借りた小さなアパートでお金がなくて小さなフライパン一個で暮らしていた頃、このヤカンが実家から送られてきた。それまではお茶を飲むためのお湯もこのフライパンで沸かしていたのだけど急須にどうしてもうまく注げない。こぼす量のほうが多いくらい。ヤカンひとつでこんなにもストレスが減るなんてと、嬉しくなって実家に電話したほど。そして驚いたのは、私からリクエストしたわけでもないのにこのヤカンが送られてきたということ。
親と子というのは、遠く離れていてもどこか通じているものがあるのだろうか。テレパシーってやつだろうか。
そんなことをぼんやり考えながら、さてお湯でも沸かそうとヤカンのフタを開けたらさらに驚くべきことが。
なんとヤカンの中に、その頃季節だった丸々と太った栗がびっしり詰まっていた。
まだ父が元気に生きていた頃の話。

 
 その頃の父の口癖といえば「じゅんちゃんのことが心配で心配でまだ死ねないよぉ」だった。まぁ本当に親には迷惑かけっぱなしの私だったから父がそう言うのも無理はない。
父は母以上に母っぽいところがあって、元気な頃は炊事洗濯アイロンがけ 全部父がやっていた。

何十年もサラリーマンとして働きづめだった父は定年退職後、なにかぽかんと気持ちに穴が空いてしまったようでいつもテレビの前でゴロゴロ過ごすようになってきた。そのうち少しづつ痴呆も強くなってきて、そのことを母に注意されたり怒られたりしてそんな姿の父を見るのはほんとにつらかった。私が早くから実家を出たいと思ったのはそのこともひとつある。
それでも毎月一度、近所のスーパーで買った野菜やら日用品をダンボールいっぱいに詰めて送ってくれた父だった。
頭はボケながらも、今日はどこどこのスーパーの卵が安いとか洗剤が安いとか、そういう情報を新聞折り込みのチラシで毎日チェックするのも父のひとつの趣味だったようだ。そしてそんな父のことを隣で母が「男のくせにそんなことばかりして…」となじるのもお決まりだった。
 
このヤカンが私のところにやってきて10年になる。そうか10年前はまだ父は元気だったんだ。遠い昔のことのようにも思えるし、つい最近のことのようにも思える。
壊れた口を直してまだまだこれからも使っていこう。
栗の季節になると思い出す。
さあコーヒーでも淹れよう。



 

 

| | コメント (0)

2019年8月26日 (月)

表現するってすばらしいな。

子どもの頃の苦い経験から、今でも身体的な問題点を人から指摘されるとなんともいえない気持ちになる。心にちくりと針を刺されたような一瞬の痛みのような刺激が私の体をかけめぐる。
言ってきた相手を睨むわけでもなく、ムッとなるわけでもなく、こんな自分が悪いんだダメなんだと自分をぼっこぼこにしたくなる。そして心は一気に縮こまって、殻の中に逃げ込もうとする。
昨日たまたまそういう経験をして、子どもの頃に味わったのと一緒だと懐かしくも心は痛がゆかった。
この年になっても、こどもの国から抜け出せてない自分がいるんだな、たぶん。
 でもまぁそういうことを客観的に見ることができるようになった今は、あの頃よりも余裕ができたということだろう。
子どもの頃の心の経験って刻まれちゃうんだ。いくつになっても厄介につきまとうしね。

 おとといくらいから、朝晩がとても過ごしやすくなってきた。風のにおいが全然ちがう。とんぼがクルクル飛んでいるし、夏休みの宿題の追い込みに忙しいのか近所の子どもたちの姿もあまり見ない。もう秋だ。
今年こそプールに行くぞと決めていた自分なのに、まだ水着さえも買っていない。来年に持ち越しかな。
過ごしやすくなったとはいえ、心はぐぐっと秋のしんみりモードに切り替わる。これも厄介といえば厄介…。

 昨日は知り合いのお嬢さんが出演するというミュージカルを観に行った。
役者さんたちのものすごい熱演ぶりに何度も涙しそうになりながら、この人たちのくもりのないまっすぐな表現に何度も心を打たれた。かっこいいなぁ、すごいなぁって。
私はもちろん演劇はできないけれど、自分にも何かまっすぐに表現できるものってないかなと、そういうものを探してみたくなった。
それができたら今よりもっと自分らしく生きられそうな気がする。身軽になれそうな気もする。
 
 さてそろそろ仕事だ。

| | コメント (0)

2019年8月22日 (木)

すべてが思い出になる。

 久しぶりに長男と三男に会った。ふたりとも縦にも横にも厚みにもたくましく成長していた。
そしてなにより、自分の道を自分で決めて歩いていこうとする姿勢に母ちゃんは胸を打たれた。
そうだよね、もう成人してるんだものね。母ちゃんの中ではずっと小さい頃のまんまの君たちでいるのだよね。時計を進めなきゃと思いつつも、やっぱりかわいいと思ってしまう。すっかりオッさん化してる君たちを見ていても、やっぱりかわいいものはかわいいんだもの。
Img_1236
長男がお昼にチャーハンを作ってくれました。中に入っているチャーシューも手作りだそう。上に乗せた味玉もそのチャーシューの汁に漬けておいたものなんだって。味付けもちょうどいい。こんなに愛情がこもったチャーハン食べたの初めてだよ。このチャーハンに長男のすべてが込められていることも。
母ちゃんはひとくち食べて涙が100粒くらい出そうになりました。

そして小さい頃からずっと長男と三男は犬猿の仲できて、このふたりが一緒にいるってどうなるんだろうと思っていたら、お互いなにを喋るでもなく同じ空間にただただいる、、、それだけなのにあまりにもその空間にふたりが馴染んでいることに母ちゃんはびっくりしました。いつの間にふたりとも大人になってるじゃん!長男の作る料理を三男が普通にパクパク食べているのも、なんかいい絵だな。

                                            Img_1235
夕方ものすごい雨がざーっと降ってきて雨が弱まったのをねらって長男と晩ご飯の材料を買いに出掛けました。
見上げれば空に虹がかかっていました。息子と歩いて買い物に行くなんてあの子が小さい頃以来だもの。そしてこの虹のことも思い出になるのだろうね。
重たい荷物も持ってくれるし、もうすっかりいろんなことを息子たちに抜かされてしまった気分。
何を抜かされたのか具体的には表現できないけれど、もう私より一歩も二歩も先を歩いているんだと思う、息子たちは。
そのことを一瞬さびしく思ったりもするけれど、やっぱりこれはいいことなのだ。素敵なことなのだ。頼もしい君たちにこれからも陰ながら母ちゃんはエールを送っていこう。
そしてまたいつかこうしてごはんを囲める日がくるといいな。
 次男はただいま就活まっただ中で今回は会えなくて残念だった。母ちゃんは応援するのみだ。

| | コメント (0)

2019年8月18日 (日)

花火大会へ。

  昨日はお店をお休みにして岐阜の花火大会に行ってきた。
この仕事にとって大事な週末をお休みすることに抵抗はあったのだけど、相方さんの「たまには自分たちも楽しまなきゃダメだよ」の一言で思い切りがついた。

そう言われてみれば心から楽しむということを最近していなかったかも。楽しんでいるつもりでいても、いつだって気持ちはどこか違うほうをむいていた。楽しむことに集中できないというか、何かが邪魔しているというか。
そんなことしているうちに、素直な心からの喜怒哀楽ってものができなくなってしまった。
私は今、楽しんでいるの?嬉しいの?怒っているの?それとも哀しんでいるの?……
ぜんぜんシンプルじゃなくて、いつだってモヤがかかっている感じで。心と自分が分断されてしまったみたいな。

  頭上で大きく花開く色とりどりの光は、その時間だけいろんなものをを忘れさせてくれた。異空間にいたかのよう。
和太鼓の音がお腹の奥のほうにずしっと重みをもって響いてくる感じと花火のそれとはとてもよく似ていると思った。
 そして花火の上がっている間はとにかく圧倒されっぱなし&その世界観にのめり込みっぱなしでずっと無言だった私。本当に感動すると声を出すことも忘れちゃうんだな。
周りにいた浴衣の女子高生たちや若いカップルの子たちははとにかくキャーキャーワーワー言っていて、そういうのもちょっと羨ましいなって思ってしまったけど。

 たしか以前来たのは10年くらい前だったかな。相方さんと知り合ったばかりのとき。なので今回で2度目。
相方さんが毎年のようにここに来ているかのように私にいろいろ言ってくるもんだから、あ〜きっとこの人にとっては毎年恒例のイベントだったんだろうなぁと勘ぐってしまう自分もいたりして、以前の私だったら絶対女心ってやつがむき出しになっていたと思うけど、今となればもうそんなことどーでもいいやって感じ。それこそ彼の過去の思い出のお裾分けをしてもらってる気分だ。

 車だったのでノンアルコールのまま、帰りに美味しいラーメン屋さんでさくっと食べて渋滞に巻き込まれず無事帰宅。
私にはめずらしいノンアルday。おっかない夢をたくさん見て夜中に何度も起きて気持ちを取り直すのだけど、それでもまた怖い夢の続きを見ることに。
どれだけストレス溜まってるんだ…。

 今日は昨日以上の猛暑日。朝からもう洗濯機を2度も回している。ノンアル明けの朝は体がとても軽いしフットワークも軽い。それはそれでいいことなんだけど、あの だるーい、なんにもしたくなーい、細かいことなんか気にしないー みたいな不健康な感じも悪くはないな。あの感じがあるから頑張ろうって思えることもあるし、あのだらしなさがちゃんとしなくちゃ!に繋がったりもする。
むずかしいね。







 

| | コメント (0)

2019年8月12日 (月)

気持ちの整理。

 ここ2、3日、なんだか気持ちが冴えない。毎日をなんとなーく平べったく過ごしてきたところに、突然足元に石ころがごろごろとあらわれて 臆病な私はそこを飛び越えられずにただそこに立ち竦んでいる…みたいな感じだ。
昔の自分だったらなんなく越えられていたと思う。なんならそのスリル感を楽しんでいたことだろう。あーこの感覚、また来ちゃいましたー、ぐらいに思っていただろう。そしてこのスリルをいくつも乗り越えることこそが自分自身を強くするものだ、なんて思っていただろう。

今となってはずいぶん小さくまとまってしまったな私…と思う。弱っちくなったものだ。
 そんな自分を責めようとは思わないけれど、もうちょっとしっかりしなきゃと喝を入れたくはなる。
そしてその方法は自分でもなんとなく分かっているのだけど、勇気がないというか力が出ないというか。そんなこんなで言い訳ばかりでごまかしている気がする。
だからそんな昨今の自分がちょっと嫌いだったりする。
 
 自分を嫌いに思っていると、どうしてもそういうオーラみたいなものが滲み出る。人は寄ってこないだろう。というか、自分で壁を作ってしまっているのかも。ほーんと嫌な私…。

 久々に自分を整理したくて日記を書いてみた。書くことで事が解決する訳ではないけれど、自分の内側との対話ができる。こういうことも最近めっきりやっていなかったから今日はちょうどよかった。大事だな。

 

 しかし今日も暑い熱い…。明後日のメロキャン(昨年に引き続き夏のメロディ合宿。といってもただただみんなで楽しくお酒を呑む会というふう)の準備で朝からドンキに行ったりホームセンターに行ったりスーパーに買い出しに行ったりで買い物メモとにらめっこしながら動きっぱなし。
暑くてまったく食欲がない私に栄養をと、お昼に相方さんがパスタをおごってくれた。久々に誰かの作ってくれるごはんを食べられる幸せよ。最近のおうちのごはんといえば冷汁ばかりだったから、相方さんも何か美味しいものを食べたかったのかもしれないな。
たまには手の込んだものでも作ってあげなきゃと反省した今日の午後でした…。
さて。仕事に向かわなきゃ。

| | コメント (0)

2019年7月10日 (水)

梅雨空に。

休みの日に見る夢にはきまって息子たちが出てくる。まだあどけない頃のあの子たちがはしゃぎまわっているのだけど、そのはしゃぎ方には3人それぞれの性格がすごくよく表れていて、私はそんな息子たちを怒りながらも夢の中のその光景を懐かしんでいる。
夕べの夢の中には匂いもあった。水遊びする池みたいなところでは草むらの青々しい匂いが。公園のお山のところでは湿った土の匂いがした。その匂いがこの夢をいっそうリアルなものにしてくれた。もっともっとこの夢の中にもぐっていたかったな。

なぜだか休みの日の夢にはあの子たちが登場する。私が知っているあの子たちとの思い出を一個一個辿るように。

 そして必ず夜中に目が覚めて、そこからずうっと息子たちのことを考えはじめる。元気でやっているだろうか。それぞれの目標に向かって頑張っているだろうか。彼女はできたのかな、とか。
 もしかしたら自分は嫌われているかも知れなくて…身勝手は承知の上で…それでも母ちゃんはずっとずっと君たちの母ちゃんでいたい。
そんなこんなで頭の中はどんどん冴えていってしまって気がつけば外は薄明るくなっている。

 そうなるともう眠れなくて今朝は一番で仕入れに行った。
先週は暇な日が多かったから、食材も仕込んだものもいろいろ残ってしまっていて、冷蔵庫を開けるたびに気持ちは萎えるのだよね。
だって、食べものって少しでも無駄にはできないし、使い切ってあげないと食べものに申し訳ないって思ってしまう。
昔はそこまで思わなかったかも知れないけれど、この仕事をするようになって本当につくづくそう思うようになった。冷蔵庫の隅っこに忘れられたニンジンのしっぽとかがシナシナになっていたりすると、思わずごめんなさぃ…って言いたくなる。(ニンジンに)
最後まできちんと使い切ってあげようと思う。それが食べものを扱う人間の責任だから。
なので、今残っている食材も無駄にしないように調理してあげなくては。アイディア次第でなんとでもなるし。

 今日は雨は降らないらしい。分厚い雲がどしっと重みを持って空一面を覆っている。こういう天気の日はなんとなく気持ちまで湿っぽく重たくなる。
気持ちを切り替えるためにも久しぶりに日記を書いたのだけどね。


| | コメント (0)

2019年7月 1日 (月)

なんとかしたいという気持ち。

 何年かぶりに会う友人。底ぬけに明るくて誰にでも優しくて、かつて私も彼女からたくさんの元気をもらった。
そんな彼女との再会に何日も前から胸がときめいた。

そしてその日、彼女は相変わらずだった。あぁ、この感じ懐かしいなぁと思うのと同時に、なぜだかどうしてだか私は、あの頃の自分を思い出していた。彼女と会ったばかりのあのときの自分を。

 私の中の時計はあのときから止まったまんまだと思った。
何も変わってないじゃん。何も進化してないじゃん。ともすれば、あの頃よりもいろんな意味で衰退しちゃっていないか…。
だから彼女に再会したとき、ただただすごーい!しかなかった。
相変わらず周りの人たちへの思いやりが強くって面倒見もよくって、とにかく頼もしい。情が厚くて涙もろくて。私が一番感動するのは、彼女が全身全霊でまっすぐに生きている という姿勢。

 もしかしたら、彼女のほうがあの頃となにも変わっていなくて、変わってしまったのはこの私?!

 なるべく人目に触れぬようコソコソ生きてないか…私。
 どんどん閉じこもっていっていないか…私。
 人を怖れていないか…私。
 
なんだかいろいろ考えさせられた。
彼女との再会を嬉しく思う気持ちと、すっかりしょぼくれてしまったこの自分を恥じる気持ちとが心ん中で入り混じっていたのはたしか。

やっぱりなんとかしたいって思ってるんだ。どうにかしたいって思ってるんだ。この情けない自分を。




| | コメント (0)

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

日記・コラム・つぶやき