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2021年11月

2021年11月17日 (水)

今日の日記。

朝、痛くて目が開かない。こりゃまずいと思いきや、無理矢理コンタクトレンズを押し込んで午前中は店の仕込み。耐えられなくなって帰ってきて慌ててコンタクトを外しゴロンと横になった。痛いので目はつむったまま。もちろんこういうときには寝るしかない。
炎症を起こしているせいか夜になったら熱っぽくなってきた。相方さんは今日も出張でいないのでゴハンは作らなくてもいい。このまま寝ているしかないんだと思えば思うほど、痛いときのひとりは心細くなるもの。
ウトウトし始める頃にたいがい金縛りみたいなものにかかるのでテレビも電気もつけっぱなしで寝る。痛みがあると余計な考えごとする余裕がないので、ただただ泥みたいに眠った。お酒も一滴も飲んでいないにもかかわらず、いくらでも眠れる。こんなの久しぶり。身体の奥のほうにまだまだ眠気がたまっているような気がする。2時間おきくらいに目が覚めるのだけど、ゆっくり呼吸を繰り返しているうちに次の眠気がやってくる。こんな感じ。

 おかげで今朝は気持ちよく目が覚めた。まだ目は痛い。
風呂にお湯をためてゆっくり温まる。洗濯機を回して身支度して駅前の眼科に歩いて行った。普段寝る直前にしかメガネはかけないので、メガネで外を歩くのも初めてかも。コンタクトで慣れているのでメガネだと見え方が全然違う。あくまでもメガネはコンタクトを外したときだけのために作ったものなので日常的に使うのはむずかしいのだ。ワタシの場合、あまりにも近視が強いのでなんとか見える程度の度数でしかない。
なのでフラフラよれよれしながらなんとか病院までたどり着いたという感じ。ふわふわと夢ん中を歩いているみたいだった。
 親切だけどちょっと素っ気ない先生だった。患者さんいっぱいいるところだからしょうがないんだろうなぁと思いつつ、目薬を処方してもらって帰ってきた。普段滅多なことでは病院に行かないワタシだが、やっぱり行って先生という人に診てもらうだけでなんとなく良くなった気がするのだから、病院ってきっとそういうところなのだろうな。

 お昼は食パンの上に自家製のトマト麹とアボカドとチーズをのっけて焼いたもの を食べる。
昨日は痛くてほとんど食べられなかったから、いつもよりも美味しく感じた。
冷蔵庫にあったパプリカと人参とりんごでジュースを作って飲んだ。身体に沁みていく感じがリアルに分かった。
もう1日ゆっくり休もう。

ここ最近、自分がいろいろ弱ってきてその度に自分自身に素直になっていく というのをしみじみ感じる…。そう思うと歳を重ねるということにも意味があるんだなぁと思うわけです。


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2021年11月15日 (月)

今日の日記。

 "花の道”のあるコキアが真っ赤に染まった。もう次の季節にバトンタッチなのね。
昨日マメにストレッチしたお陰で今日は膝の調子がだいぶいい。ちょっと気をぬくとすぐダメな歩き方に戻ってしまうので、常に意識していなければ。

 そんなこんなで膝がいい感じなので、自転車でいつもよりも遠出した。そろそろ次男に美味しいものでも送ってあげようと思って。舌が肥えている奴はヘンなものはあまり口にしないので、ちょっと洒落てて美味しいものでもと。それといつもの母ちゃんの手作り惣菜と。
 ここのところ、ひとりで出かけるということもしていないから正直心細くてたまらない。いい歳したおばさんがキョロキョロしながら店内を回って、目的のものだけさっとカゴに入れ、ドキドキしながらお会計して、そしてダッシュで帰ってくる というふう。本来ならせっかく大きなショッピングセンターまで来たのだからウィンドウショッピングでもなんでもしてブラブラすればいいものを、なんだかおっかなくてさっさと帰ってきてしまった。あーー、ワタシもついにここまできてしまった。ひとりでは何もできないというか、情けないというか。もう完全に引きこもラーである。

 帰ってきてそんな自分を振り返りつつ、相方さんにいつか言われた「◯◯は誰とも噛み合わないね」(◯◯はワタシ)という言葉を思い出して落ち込む。言われたときはものすごくムカついたのだけど、まぁ、こういう部分は子どもの頃からなんとなく自分でも分かっていた。そういうのって今さらきゅうに変えることはできないし。結局ひとりになってしまうんだーというところに落ち着いて、なんだかなぁとなる。
いいのか悪いのか分からないけど、最終的には自分が居心地のいいほうを選ぶんだろう。

 
  さて。今日もそろそろ仕事に向かう時間。
料理しているときだけが"ワタシ”を感じる時間。
お客さんとお話するとまた「お前は空気読んでない」みたいなこと言われそうなので静かにしていよう。でも料理は一生懸命。







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2021年11月12日 (金)

今日の日記。

 今年も咲いた!
近所の小学校の裏庭に、鮮やかなピンク色したヒガンバナみたいな花。ダイアモンドリリーっていうらしい。
最初に見つけたときは驚いた。だって花の形はヒガンバナのくせに咲く時期が違うし色も見たことないし、なにしろ花と同時に葉っぱも繁っている。ヒガンバナが咲くときには葉は出てこないから。
数日前から前を通りかかって、あと2、3日中に咲くなと予想して見に行ったらどんぴしゃだった。さっそくパチリとやって相方さんに送ったんだけど、何の返答もなし。まったくこれだからなー。
まぁワタクシひとりの数日間のお楽しみとしましょ。

 そんなこんなでルンルンでいたところに現実の重みがずしーんとやってきて我にかえる。
真剣に悩まなきゃいけないのだけど、悩み過ぎるのもどうだろう。そしてこういうときに原点に立ち戻る大事さに気づかされる。
今という場所から逃げてはいけないし、怖いけど今を感じるしかない、見つめるしかない。きっとそこから何かが見えてくるんだろう。そう信じたい。
そしてワタシの奥にある"楽しくないとやってられない"があるかぎり、明るい答えが導き出されることだろう。

最近、今後のことで相方さんとケンカの毎日。こちらがワーっとなって、相手も負けじとワーっと返してきて、お互い言いたいことをぶつけ合うだけのやりとり。よくもまぁ自分の中にこんな元気が残っているかと思うくらい、いい歳してこういうときだけはどこかからエネルギーが湧いてくるから不思議。そして結局お互いが平行線のまま終わるというのがお決まりの流れ。
そろそろ穏やかにいきたいものだとどこかで思ってはいるのだけど、堪忍袋はそう簡単には操れない。嫌われて捨てられてもいい、くらいに思ってないとやってられない。そのときはそのときで考えればいいや。

 っとまぁそんな具合で毎日を送っている。
何が正しいのか何が心地いいのか何が幸せなのか、、、そんなこと分からない。
"自分"をしっかり生きるしかないのだ。


 この間観た映画"リスペクト"なかなかよかった。
アレサフランクリンの激動の人生そのものがソウルだったし、"もっと自分らしく生きる"という強いメッセージに心打たれた。

 

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2021年11月 5日 (金)

今日の日記。

 近所の公園のイチョウの木が黄金色に染まってる。陽に当たってキラキラしてる。これも今限定。
この間の休みには、高山のほうへ紅葉狩りい行ってきた。標高の高いところは今が一番いい!という感じに仕上がっていた。そもそも葉っぱは"咲く"という表現はしないけれど、この季節だけは"咲く"といってもいいのではないだろうか。橙色のもみじがまぶしくておとぎ話の世界に迷い込んだみたいだった。この景色を味わうことができてよかった。
もう物欲とかそういうのまったくないから、こういう心で感じたものが何よりもの財産。人が死ぬときに持っていけるものって、こういうものだけな気がする。

 
 今日も晴天なり。気温は昨日よりも低め。
午前中はスコービーちゃんの手入れ。
スコービーとは、昭和のその昔流行った紅茶キノコのことである。意識高い系女子たちの間では"コンブチャ"とか呼んでいるあの飲み物である。コンブチャといえど昆布が入っているわけではない。
もう育て始めて2年になる。コンブチャとして出来上がって売っているものもあるけど、なんせ値段が高い。それも育てている理由のひとつではある。
もともと発酵食品的なものを自分で作るのが好きで、その類のものということで株を海外から購入し育てていったらどんどん大きくなって、株分けしたりしながら今に至っているということなのだけど。
はっきりいって見た目はかなりグロい。というか怖い。でもなんだか愛おしい。
なんでしょね。植物でもなんでも"育てる"という行為に、いつのまにかこちら側が癒されているということなのかな。
そこに"生きてる"を感じるわけです。愛情を注げばそれなりに応えてくれるのだよね。
毎朝このスコービーちゃんでスムージーを作って飲むわけなのだけど、なんとなくカラダにいい気がするし、飽きっぽいこのワタシがここまで続けていることも、きっとそれなりの効果があってのことなのだろう。というか、キモいお姿してるこのスコービーちゃんだけど、やっぱりどうして放っておけない、というのが正直なところなのだよね。
責任もってこれからも面倒見ていかなきゃ である。
ということで今朝も株分けしたり新しく仕込んだりして、瓶も増えました。以前、大家さんがなにかの修理で部屋に入ってきたとき、この瓶がずらっと並んでいるのを見てギョッとしていたっけ。誰がどう見たって何かをホルマリン漬けしている実験室のあの雰囲気だもんな。怪しいわ。

 お昼はひとりなので適当に済ます。冷凍してあった食パンに千切りキャベツを山盛り乗せてその上に刻んだハムとチーズも乗せてトースターで焼いたもの。それとあっためた牛乳。

 午前中は店の仕込みをやらないと決めたので、午後は早めな時間から仕込みにかかろう。この、あえて"やらない"っていうことで気持ちをかき立てられるので、時々こういう方法をとるのも大事。タラタラやるのもそれなりにいいけれど、ぎゅっと濃くしてやるやり方も必要。
自分コントロール大事だな。



 

 

 

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2021年11月 1日 (月)

今日の日記。

 緊急事態宣言はあけてはみたけれど、やっぱり以前のような感じは戻ってこない というのを肌で感じる今日このごろ。
とりあえず目の前にあることを精一杯やるしかないと思って動くのだけれど、なんか違う気もする。
そんな違和感を抱えつつ頭の中にクエスチョンマーク並べつつも、とりあえず手を動かす。うーーむ、もどかしい。
こうしたい、ああしたい は浮かんでくるのだけど、まだぼんやりしていて輪郭が見えてこない。
こういう感じ、たしか今までの人生でも何度か味わったことがあるような。
常に気持ちの奥のほうがモゾモゾしている感じ というか。
慌てず、でも見失うことなく、この感じを大事に温めていくしかない。


 
 先日のショパンコンクールで2位になった反田恭平さんの演奏動画を見まくって(聴きまくって)癒されている日々。
こんなにも人を幸せな気持ちにさせてくれる演奏家って今までいただろうか、っていうくらい。
彼が奏でる一音一音に彼の想いと命が宿っていてそれがものすごく繊細でロマンチックで、ときに涙を誘う。
ショパンが生きていたらこんな風に演奏するのではないかなぁ。
自分が感動しまくり過ぎて相方さんにもおすすめしたら震えていた。感動の器が同じくらいでよかった。

 あるときからピアノからすっかり離れてしまったワタシではあるけれど、学生時代にどっぷりと音楽の世界の中で過ごさせてもらったことを今になって両親に感謝したい。反田さんの演奏を聴いて、音楽に対する心はまだ閉じていないんだと思った。心を復活させてもらったみたい。
そして人に感動を与えるということはものすごく尊いことなのだということをあらためて思った次第。

子どもの頃、母が口癖のように言っていた「自分が苦しくなったとき、きっと音楽が救いになるから」の言葉、
歳を重ねるほど身に染みて感じるな。音楽に出会えていてよかった。




 

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