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2020年11月14日 (土)

小さなお花の思い出。

 最近、買い物ついでに小さな花束を買う。それもほとんど無意識に買っている感じが自分でも不思議。

昔仕事していたレストランで毎日テーブルの上の小さな花を生けるのが私の仕事だった。小さなコップにかわいらしく生けるのだ。
買ってきたお花ばかりでなく、ときには野で摘んできたシロツメクサや野いちごなんかも生けてみたりした。野の花は買ってきたそれとは違って、素朴なのだけど生命力があった。私はどちらかというとこっちのほうが好きだった。
お花だけだとなんとなく味気なくて、当時お店の壁に這っていたアイビーの葉っぱなんかも一緒にコップに挿したりした。
 このお花が、お客さんを和ませてくれますよーにと若い頃の私はそんな風に、よろこんでくださるお客さんの顔を想像しながら毎日この仕事を楽しんでいた。
そう思うと、花って自分のためにというよりも誰かのためにあるものなかなぁ。


子どもの頃、この季節になると我が家のトイレには金木犀が生けてあった。
トイレというと微妙な場所ではあるけれど、あの甘い香りは今でも子どもの頃の思い出としてしっかりとインプットされている。

 こういってはなんだけど母はそもそも花など生けるような人ではない。と子どもの頃の私は勝手にそう思っていた。
毎日働きに出ていたから、家のことをやる余裕がないというか、とにかく忙しい人なのだ。座っている姿を見たことがなかった。
そんな母がたまに花なんか生けるものだから、母ちゃんどうしちゃったんだろ〜と子どもながらに不思議に思った。



でも
自分が大人になって、そういう母の気持ちがなんとな〜く分かって。
母の優しさ、家族への想いがこの金木犀だったのかな と。窓辺にひと枝の金木犀 というだたそれだけ絵が、今でも私の記憶の中にあるって、なんだかすごい。
もしかしたら母のことだから、ただなんとなーく飾ってみただけよーと言うかも知れないけれど
私にとってはこれも大切な思い出なのだ。

 今でもときどき花を飾りたくなるのは、当時の母と同じ気持ちになっているのかなぁ。
しかも飾るのは、決まってトイレなところも。



 

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