« 心の復活と小さな目標。 | トップページ | ラーメンもとめてお出かけ。 »

2020年2月 6日 (木)

友人との再会そして実家に帰るの巻。

 まったく筆が進まず久しぶりの更新。
ここのところ、今の自分をキープしていくことは果たしてどうなんだろう、などと思ったりして。
とはいっても仕事は好きだし、自分のお店もあるわけだし。
こんなことを思うのは贅沢なことなんだろうか。
ただ、自分の中に生まれた”違和感”のようなものがある以上、そいつともちょっと向き合ってやらなきゃとも思う。

 火曜日に、突然思い付いて高校のときの友達ちひろちゃんに会いに新幹線に飛び乗った。
5年ぶりくらいだろうか、、いやもっとかな。それでも会えばあの時の空気に自然に戻る。おばさんになったって気分は高校生だ。(無理あるか)
昭和感漂う駅前のしぶ〜い居酒屋でひっかけて懐かしの友の話で盛り上がって、その勢いではしご酒もしっかりこなしてサクッと別れた。とてもいい時間だった。
 高校のときの帰り道はいつも一緒だったちひろちゃん。ふたりで駅の階段を駆け上がりホームを突っ走った。たま〜に途中下車して美味しいケーキなんか食べたりもして。
そんなときいつもちひろちゃんは私の左側のちょっと前を歩いてた。そんなことを47歳になって思い出したのもよかった。
私は昔から女の人とはカラッとした付き合いしかできなくて、今でもときどき「冷たい…」みたいに言われてしまうことがあって、でも彼女といるとそんなことぜ〜んぜん考えなくていいよーみたいに同じ空間にいられることがすごく楽。もちろんちひろちゃんもカラッとしているほうだけど、いろいろ話を聴いていると、彼女がいろんな人に誠意を持って接していることだったり、人と人を繋げていく天才だったり…。これって思いやりがないとできないことだ。つくづく尊敬する。
まぁ昔からそういうところあったけど、こうしておばさんになってみてあらためて彼女の素敵な側面をたくさん感じる。高校生のときにはただなんとなーく空気みたいに一緒にいただけだったけど。おばさんになるっていい。
でもまぁ空気みたいに一緒にいられるのっていちばんいいことなのかもな。
持つべきものは友!ってひさしぶりに思っちゃった。

 それでもってそのあと実家に帰った。
84の母はその日は仕事が休みだというのでそれもちょうどよかった。(84になってもまだ仕事していることがまず信じられんのだけど)
こちらがいいよって言ったのに、母は自転車に乗って駅まで迎えに来てくれた。
見るたびにシワシワになって小さくなっていく母。それでも母は母という位置を今でもキープしている。娘より上に必ずいる。
孫が来るときとは違ってごはんもおかずもとっても質素。お米炊くのめんどうだからおにぎり(スーパーの)でいいよね、とか言う母。
刻んだ大根の上に納豆をのせたやつは、私が子どもの頃に嫌なくらい食べさせられたおやつだ。これも何十年ぶりかに食べた。それとブリの照り焼きとヒジキの煮たの。味噌汁はめんどくさいから作らないよだって。
どれもこれも地味なおかずだけど、こういう気をつかわない食卓がなんだかしみじみよかった。母らしい。

 そして茶箪笥の上には、父が退職して初めて母とふたりでタイ旅行に行ったときの写真が飾ってあった。この日記にも何度も書いたけれど、両親は本当に仲が悪くて子どもの頃からずっとそのことで悩まされていたのだけど、こうして父はいなくなって母ひとりになっても写真がまだここにあるということがなんだかとても不思議なことのように思えた。
母の中にはちゃんと父の存在があるということを、この年になって感じられるようになった。子どもの私には知り得なかった父と母のこと。
お仏壇の中の父は、子どもの頃によく見た父の顔。この笑顔が今でも母の中にしっかりあるということを確信した旅だった。

 自分の中の何かがゆっくりだけど循環し始めた気がした。
名古屋に来て20年経つけど、やっぱり自分が育った場所だったり昔の友人だったり、かけがえのない宝物なんだな。

 

 

 

|

« 心の復活と小さな目標。 | トップページ | ラーメンもとめてお出かけ。 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 心の復活と小さな目標。 | トップページ | ラーメンもとめてお出かけ。 »