« 2019年3月 | トップページ | 2019年5月 »

2019年4月

2019年4月22日 (月)

子どもってすごいな。

  いつものお客さんがめずらしくお孫さんを連れていらっしゃった。
おじいちゃんもおばあちゃんも孫を前にすると目尻が下がりっぱなし。そしてときどき孫の名前を自分の息子とか娘の名前と間違えちゃったりして。それって自分の息子や娘を子育てしていた頃にタイムスリップしているのかなぁ。
そういうのってほんとうに微笑ましい。

 夕べテレビで街の子どもたちにボクシングを教えるというおじさんが出ていて、そのおじさんが言ってた。「子どもは未来をになう大事な大事な宝物だ」と。その通りだと思った。
 数年前、街の子どもたちと一緒にお料理をする企画をやっていたときに自分もそう思った。 子どもの心ってキラキラしている。そしてスポンジみたいにたくさんのことを次から次へと吸収してゆく。発想力は無限大。だから子どもたちと一緒にいると元気をもらえる。夢みたいな話だって彼らと一緒だと現実になっちゃいそうな気になる。
またいつかそんなことをやりたいなぁと、昨日のボクシングおじさんを見ていたらそんな気持ちになりました。

 今日は朝から20度越えのポカポカ日和。空気がほわっと柔らかいので、窓を開けてこの日記を書いています。
お昼にはお客さんからいただいた(相方さんのお誕生日祝いにいただきました)極上サーロインステーキを焼いて大事に食べました。付け合わせにじゃがいもを焼いてクレソンのサラダも一緒に添えて。いいお肉って焼いたあとの匂いまで美味しいのですね。今まだお部屋の中はステーキです。しばらくは楽しめそう。


| | コメント (0)

2019年4月20日 (土)

とりあえず動く。

 筋肉は裏切らない…とは、私のフラメンコの師匠の口ぐせである。その言葉に翻弄されて最近筋肉というものに興味を持ち始めたってわけ。
とはいえ、しんどいことが苦手な私。師匠なんか見ていると、しんどいことによろこびを感じているのだよね、彼女って。アスリートの方たちってたぶんみんなそうなんだろうなぁ。しんどいことの先にある世界を彼らは知っているんだ。だから頑張れるんだろうな。
などと人ごとみたいに言っている私は、到底そういう世界には達しなさそうなので、テレビ見ながらゆる〜く腹筋したりして体幹を鍛えておるわけです。何もしないよりマシ、程度のことをね。
 その程度のことでも、やっぱりカラダを動かすといろんなものが循環し始めるようです、どうやら。
自分の場合、ほぼほぼ引きこもりみたいな生活なので気持ちも凝り固まってしまうわけ。落ち込だり沈んだりしているときなんか、どんどん深みにはまっていくというか。
でもね、ちょっと動いてみると何かが巡り始めるんですよね。気持ちも軽くなるんです。自分に自信が湧いてくることだってあります。
なので私のように引きこもりの好きな方、ぜひ筋トレしてみてくださいな。…てなことを言いたくてここに書いたわけじゃないのだけどね。

 今日は朝からなんとなく気持ちがモヤっとしていたので、その整理も兼ねて日記を書くことにしました。
モヤっの原因はよく分からないのだけどね。
だからとにかく動いてみました。そしてちょっとだけ軽くなりました。
お外はいい天気です。

さてそろそろ仕事に行かなくては。

そーいえば引っ越してきたお隣さんのカップル。決して悪い子たちじゃないと思うけど、こちらから挨拶しても知らんふり。
「最近の若い子たちって…」って思わず言いたくてなっちゃうけど、また挨拶してみよう。(おばさんコワイ)


| | コメント (0)

2019年4月18日 (木)

コツコツと…。

 ちょっと動いただけでも汗がじっとり出てくる。この春はおもしろいくらいに機嫌のいい空とそうでない空が入れ替わり立ち替わりだったので、まだタンスの中には冬ものがしっかりと入っている。このあたりで切り替えても大丈夫かなぁ。。。

 ところで。
どんなに近しい人であっても、自分の内面事情を話すのは苦手な私。ううむ…近しい人ほどそのへんの話ってしずらいかも。
でもさすがにここ最近堪えていたので、相方さんに話してみたわけです。
「ここのことろ年々、自己否定感が強くなってきてどうしていいのか分からないんだよね…身動きできないというか」と。
すると相方さん
「人から褒められたら嬉しくないの?」と聴いてきた。
私「そりゃすごく嬉しけど…。それ以前にまず自分て人間を否定してしまっているから、なんだか自分じゃない人のことを褒められているような感覚になるんだぁ」

 そんな会話をしつつ、誰かに話すことによって自分を客観的に見ることができたのでこれはこれでよかったのかと。
自己肯定感が完全に欠落してしまっている今…
自分という人間を常にボッコボコにしている私…
まずこの自分をしっかりと受け容れるところから始めなきゃと思ってます。逃げちゃいけないですね…。

そしてとにもかくにも、いろんなことすべてが怖くて怖くてたまらないので、小さくてもいいから今の位置から一歩踏み出すのが目標。
でもね、どうやったら一歩出せるんでしょうね…。そもそも一歩って何だろ。
今の状態でいるのは、やっぱり嫌なのだよね。しんどいし…。
よぅし!と、気合いを入れたところでどうにかなるものではないのだけど、今日の空みたいに晴れやかに軽やかにいきたいもの!

 休み明けの今日は朝いちばんでおべんとの仕事をしたり、そのあと仕入れに行って仕込みをしていつもの1日を過ごしました。すき間が無けりゃ気持ちもなんとなくキープできるものです。せっせと手を動かすこと、カラダを動かして働くこと、そういうことって気休めかもしれないけれど、心の処方箋にはなると思う。

さて。そろそろ仕事に行かなきゃ。

| | コメント (0)

2019年4月15日 (月)

春は揺れる

昨日とはうって変わっていい天気。朝から洗濯したりスムージー作って飲んだり、そのあと筋トレもちょっとやったりなんかしてなんちゃって健康女子(健康オバハンか)。そもそも健康という言葉からは一番かけ離れた生活をしているので、できる範囲でカラダを気づかおう〜程度のことしかできない。深夜に帰宅してなんか食べてそのまま寝ちゃうみたいな生活だし。
でもここ最近思うのは、この気づかい程度のことがけっこう楽しい。添加物まみれの変なものは食べたいと思わないし 人工甘味料が入っている飲み物も飲まなくなるし、ちょっとだけカラダを動かすと気持ちも上がる。ゆる〜い心がけでできることを続けていこう。こんなゆる〜い感じだって、それなりにカラダが応えてくれているのが分かるから。この調子で病み病みな気持ちもなんとなく前向きになれるといいのだけど。

 春というのは良くも悪くもいろいろに気持ちが揺れ動く季節だ。子どもの頃から今にいたっても、この時期はとにかくツライ。けれど何がツライのか?と言われてもそこがうまく答えられない。答えはひとつかも知れないしいくつかあるかも知れないし…。でもそれを一言で表すのはとてもむずかしい。
 自分の場合、更年期のせいもあってかとにかく泣いてばかりいる。いい歳したオバハンが情けなや〜と自分でも思うのだけど、気持ちが何かに反応して涙が出てくる。どうやら私の場合は、自分の中にあるツライとか苦しいとか悲しいとかっていう感情に勝手にリンクしてしまうようなのだ。
だから常に何かに集中していないと、ふとした気持ちのすき間にそういうイタズラが入り込んでくる。自分ひとりでいるときならまだしも、そこに自分以外の誰かがいるときには何事が起きた?状態になるので、花粉症のせいになんかしてごまかしたり。(花粉症じゃないけど)
ほんとーに気持ちのコントロールがむずかしい時期なのです…。

 などとマイナスなことばかり言っているけれど、いいこともあります。
アパートの裏の街路樹の花水木が今とてもきれい。毎年思うのだけど、花水木の花って蝶々のよう。
黄色とかうすピンクとかの蝶がひらひらと舞いながら枝にとまっているかのよう。
モクレンが終わって桜が終わって次にこの花水木。この中では一番地味なお花かも知れないけど、可憐で健気なこの感じが好きなのです。

 

| | コメント (0)

2019年4月10日 (水)

気持ちの奥にしまったもの

  睡眠時間4時間のリズムがすでに出来上がってしまっているので、夕べ23時に布団に入ったら夜中の3時にしっかり目が覚めてしまう。
のそのそとテレビの前に布団を引きずってきて深夜のショッピング番組を見ながらウトウトしていたら、小さな2号君(次男)が寝ぼけてお腹に乗ってくる(夢を見た)。
3人兄弟の真ん中っていうのはちょっと変わりものが多い なんて聞いたことがあるけれど、たぶんほんとだ。変りものというのは変なイメージじゃなくって、個性的でマイペースで世渡り上手のこと。2号もそんな子だった。
小さい頃は人なつっこくて保育園の先生たちからも可愛がってもらえた。優しくて人当たりがよくて、友達も多かったと思う。
病気がちだった彼は保育園の前に近所の大きな病院に通っていて、診察のあとにはきまって病院の1階にある食堂でソーダー水を飲むのが定番だった。「今日は何色にする?」とこっちが聞くと「緑〜」とか「黄色〜」とかって答えてくれて、そのやりとりも楽しかった。
あの時間は2号と私だけの秘密の時間だったんだぁ。懐かしい。

 そんな2号君のぬくもりを夢と現実の境目みたいなところでほんわかと味わっていたら、なんだかポロポロ泣けてきてしまった。だって20年以上も前のことだよ。でもその感覚をしっかり覚えているということが、なんだかとても切なく思えてきて。

 ずいぶん昔にこの日記にもいろいろ書いてはきたけれど、10年前に私という人間の身勝手な都合で大事な子どもたちと離れて暮らすという選択をした。たくさんの人たちからお叱りを受けることもあったし、友達も離れていったり、今でも自分の身内にはなかなか会えないでいる。
そんなことは当然だ。すべて自分が悪いのだから。
ただこの10年いろいろ考えて、このまま自分という存在を責め続けて萎縮していったらどうなってしまうんだろうと。今でも息子たちのことを思うと息ができないくらい苦しくなる。
そんな中でどうやって私は生きていけばいいんだろうと。

 先日、電話で1号君と2号君の声を聴いた。ふたりの声はほんとうに似ていてどっちがどちらだか分からないくらいだったけど、声の間のとりかたとか話す癖だけは、小さい頃と変わっていなくてなんだかほっとした。ふたりともすっかり大人になっていて(22と21だもんね、あたりまえか)母ちゃんの私のほうが子どもじみているようにも思えた。子はいつのまにか親を追い越していくんだな。
でもそういうのをこれからも遠くから見守っていけたらと思う。ウザイと言われても困ったときには手をさしのべてあげたい。
そしてなにより、息子たちがお酒の飲める歳になったことがとても嬉しい母ちゃんです。

 これからは、気持ちの奥にしまって見ないようにしてきたことを少しづつ引っ張り出せたらいいと思う。

 

| | コメント (0)

2019年4月 4日 (木)

1号君。

めずらしく今日は1号君(長男)のことを書こうと思う。
 1号はとにかくしっかり者。何事に対してもどーんと構えているタイプだ。

幼い頃に肺炎をこじらせたことがあってしばらく入院したことがあった。その歳の子だとおそらく泣いてしまうような痛い検査のときも、彼はじーっと椅子に座ったまま痛いというそぶりひとつせず耐えていた。むしろ耐えているという様子さえも感じさせないくらいだったほど。その姿に看護師さんも驚いていたし何より母親である私が一番びっくりした。この子は強い子になるなと直感したものだった。
 そういうところがあるので、彼は普段からもあまり感情を表に出すほうではなかった。男の子というのはそもそもそういうものなのだろうけれど、彼のはちょっと違うふうに思った。兄弟の誰よりも感情というものをはるか奥のほうで感じとっている。ときに母親の私でさえも彼がなにを考えているのかわからないときもあった。でもしっかり彼は感じていた。誰よりも繊細に、温かい気持ちで。
小学校1年生のときに担任の先生との関係で彼なりにどうしても納得のいかないことがあり、その気持ちを学校の自分の机いっぱいに絵にして吐き出していたことがあった。たしか大きな竜がうねりながらこちらを向いているような絵だった。小さな頃から絵を書くのが好きだった彼の絵はその歳の子にしては芸術的すぎるくらいのレベルだったと思う。
その日、先生から呼ばれて「息子さんが授業中に机に絵をかくのでお母さんのほうから注意してください」とのお叱りをいただいた。帰ってからさっそくそのことを彼に話し、それと同時にどうしてそんな絵を描いたのかを聞いてみたら、つまりはそういうことだったのだ。1年生ながらに知っている言葉を一生懸命さがしながら話してくれたように思う。でもそこには彼の悔しさみたいなものが滲んでいたのがわかった。
なるほどと。さきほどの先生からの言葉でなんとなくわかってしまった。
とりあえず授業中に絵を描くことは注意した。でもその絵のうまさは褒めてあげた。そしてそのあと彼の気持ちをゆっくり聴いてあげたらそれ以来いっさい机には描かなくなった。
 
 たぶん22になった今でもそういう部分は変わらないのだろうな。
1歳くらいのとき、私が台所でお鍋の準備をしていてえのきを切っていたら、小さな1号君が隣にきてくるくると耳そうじをする仕草を始めたことがあったっけ。
なるほどね〜。えのきが耳掃除の綿棒に見えたのね。
思わず可愛らしくて抱っこしてしまった。

そんな思い出が今でも母ちゃんの中に宝物としてきらきら光っているよ。




 

| | コメント (0)

2019年4月 1日 (月)

目標はコミュニケーション。そして新元号。

 久しぶりに日記を開いたら画面の入力の仕方が新しく変わっているでは…。慣れるまで時間かかりそう。
なので ぎこちなくこの日記を綴っております。

 昨日はお客さんたちと一緒に楽しくお花見をして酔っ払いのへろへろで夕方からはお店の営業をし、なんとかコースの料理も作り上げて無事帰宅できたことがよかった。お花見中、私は調子が悪くてほとんど動けなくて 、でも相方さんやまわりのみんながテキパキと動いてくれた。そしてそういうのを見ていたらありがたい気持ちで胸がいっぱいに。
自分のまわりにはこんなにもたくさんのいい人たちがいるんだって。
 正直いって昔から人づきあいは苦手なほうだし人が怖い。誰かと繋がりたいと思っていてもやり方がわからないから、ただモジモジしているしかないし。友達がたくさんいる人を羨ましく思うし、気軽に悩みを相談できるような友達もいない。数年前まではできた気がするけれど、今はまったく。いつしか自分を閉ざす癖をつけてしまった。自分で自分の扉をぴっちり閉めきっているわけだから、相手もノックしてくるわけがないのだよね。わかってはいるのだけど、なかなか一歩が出ない。

 今はお店という形をとりながら、なんとかコミュニケーションするのが精一杯。だから昨日みたいな集まりがあると感動というかなんというか、心にたくさんのいい刺激をもらうのだ。うまい言葉が見つからないけれど、とにかく心に波が起きる。その海の中にまだずっぽりと浸かっている。
そういうのに全然慣れていないから、少しだけ鍛えられた感もある。心にも筋肉が必要ってことか。

今日は朝いちばんで仕入れに行ったきりでそのあとはなにも手につかず…いまだぽわんとした感覚に包まれている。
早くいつもの感じに戻りたいけれど、もうちょっと味わっていたいような気も。

新元号が令和と決まった。その瞬間は思っていた以上に感慨深いものだったし日本人であることを誇りに思う瞬間でもあった。素晴らしい元号だ。テレビの前で思わずうるっときてしまう自分がいた。

  

 

| | コメント (0)

« 2019年3月 | トップページ | 2019年5月 »