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2017年10月11日 (水)

天国の父にいいわけ。

父が亡くなってちょうど一年経った。正直、実感があまりないのだ。実家に帰れば居間の奥から父の「順ちゃんお帰り〜」の声が聴こえてくるようだし、二階の父の部屋にはみっちりとタバコの匂いが染みついているし、喫茶店に行くのが好きだった父なので今ここにいないのはまた近所の茶店にでも行っているのだとも思うし。ほんとうにお仏壇に父の写真が飾ってあることが不思議でたまらないし、逆に現実に気づかされる瞬間でもあって。人が死ぬということはこういうことなんだろうというのを父の死を経験して思ったことでもある。
ここ最近、夢の中に父がよく登場する。父と一緒に母やまだ小さかった息子たちも一緒に。3人の息子たちが赤ん坊のときから実家には世話になっていたし、息子たちが小さなときから私は仕事を抱えていたので保育園の送り迎えもよくお願いしていた。名古屋に引っ越してきてからは夏休みなど長い休みのときは必ずといっていいほど新幹線にのって千葉のじぃじとばぁばのところにやってきては夏の思い出の1ページを作ってもらったものだった。
うちの父と母が仲が悪いことは昔から有名だけれど、息子たちももちろんそのことを分かっていてじぃじとばぁばの喧嘩が始まると「あー、またやってるやってる」みたいにからかったりしていた。もうそれがあの家のひとつの風景だったからじぃじとばぁばの不仲さなんて、彼らにとってはどうでもよかったみたいだ。あぁやっていい大人が本気で言い合いしていることが逆に彼らには面白く見えたようだ。それが千葉のじぃじとばぁばのお家なんだと。
そういうひとつひとつの場面を今、夢で見る。まだ小さかった息子たちの表情や、今よりもずいぶん若々しかった父や母の表情も鮮明に。息子たちはもう大人になっているし、父はいないし、母はひとりになってしまったし、そんな現実を思うと時の流れはすばらしいものをもたらすけれど、その流れに逆らいたくもなるし、戻りたいと思ったりもする。
でも、そんなことできるわけないのだから、しっかり深く味わわなきゃいけないんだろうな、今を。ほんとうにむずかしい。生きていくってことはつまりこういうことなのでしょうね。
父が死ぬ直前まで「順ちゃんの未来が心配でなかなか死ねないんだよ」と言っていた。死ぬまで父を安心させてあげられなかったし、きっと今天国でも心配していると思う。そのことを後悔しているかといえば、実は違っていて、お父さんっ子だった私なので、しっかりちゃんとしてしまったら父を安心させてしまうことになって父の存在がどんどん遠くに行っちゃう気がしたのだ。
そう言い訳するね、父さん。天国で聴いていますように。



木曽三川公園のコスモスです。天国みたいです。

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