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2017年10月 4日 (水)

十五夜

朝晩はずいぶんと涼しくなってきた。季節の移り変わり目ってやっぱり少しだけセンチになる。
隣の家の改装工事やらでここ数日朝からずっとトントンカンカン賑やかしくやっていてテレビの音も聞こえないくらいなんだけど、でもなぜか今はその音が嫌じゃない。しかも裏手にはガタゴト電車が通っているしでいろんな音が入り混じっている状態なんだけど、これはこれで安心する。何かが進行形で動いていることだったり、そこに人間の温度があることだったり…そういうのが今の私の安心要素になっている。
そんな賑やかなBGMをバックに、NHKでやってるベニシアさんの番組を見ていたら、ただただ泣けてきて、それでもって心の垢が落ちた気さえ。なんだろな、本来の人間の在り方ってこうあるべきなんだろうなという要素がベニシアさんの暮らしの中にぎゅっと詰まっている感じというか。自然と共存している感じとか人間どおしが自然に繋がっていく感じとか。裏も表もなく駆け引きもなく、すべてがありのままであることとか。自分で勝手にストレスを製造しながら自分の枠の中だけで小さく生きている自分がものすごく恥ずかしく思えた。でも、私もこういうふうに生きたいと実はずいぶん昔から思っていた。一番の難関は“自分自身に素直になるということ“だというのも実はわかっているのだけど。むずかしいのう。
貴族の生活を捨ててまでベニシアさんが大切にしたいと思った生き方には、やっぱり私たちには想像つかないような特別な想いがつまっているんだと思う。縁側でお茶を飲みながらお庭の手入れをしている彼女の姿を見ていると、生きるということを大切にしている人なんだなあというのを同じ人間として感じる。薄っぺらくではなく深いところで。美しい過去だけではなく、いろいろな苦労をたくさんしてきた人なのだろうなということも。
さらに、番組中に流れている音楽がとても素敵なところもこの番組が好きな理由のひとつ。川上ミネさんという方が作った曲で、どれも優しくてやわらかくて包みこんでくれるような、そして昔を思い出したくなるようなそんな曲なのだ。番組に出てくる大原の自然にぴったりなところも。
などと、最近はめっきり自然とか音楽とか風とか植物とかに癒されたい願望が強くなっていている。同時に物欲がどんどんなくなってきているのも。疲れているんだろうか、もうそういう年ごろなのだろうか。
今日は十五夜。どこかでススキを見つけてこよう。自分の息子たちにはしてあげられなかったことを今も後悔しているのだけれど…こどもの頃一度だけ父がお月見的なことをしてくれたことがあった。土手に行ってススキを取りにいって、どこやらでお月見団子を買ってきてススキと一緒にお供えして、お風呂上がりのシッカロールの香りに包まれながら、お月さまをバックにそれと一緒に写真を撮ってもらったこと。ただそれだけなんだけど、何年かたってあの写真を見て「こんなことあったんだな」って振り返ったことがあった。でもそれが思い出っていうものなんだろうなと思ったし、思い出って年月とともに熟成されるものだから、今となれば宝物なのだよね。
今月の11日で、父が亡くなってちょうど一年。だからなのかな、なんだか今夜のお月見は特別な気がしてね。

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