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2017年10月

2017年10月26日 (木)

プレゼントは嬉しい

卵焼き器を買ってもらった、王子に。別に頼んでもいないし、とくべつ貸しがあったわけでもないのだけど。というかそんなこといちいち言ってる私、、、ヤな女だ。というのも、そもそもプレゼント慣れてしていないといのもあると思う。こう言っちゃなんだけど、王子さま(あえてさま付け)はそもそもあまりそういうことをしない人なので、こちらもそれで慣れているわけで。だからなおさらのこと、どう反応していいのかわからなかったんですね。
「箱の中身開けてみて」て言われて開けたとき、思わず黙り込んでしまった私。それを見ていた王子さま、「え?!なんで?!嬉しくないの?」って。
そしてそのあと沈黙がしばらく続く…。というありさま。
心の中で何を思っていたかというと…
⚫︎これ職人さんが使うみたいな本格的なやつじゃ〜ん。どう扱っていいのかわからないじゃ〜ん。
⚫︎そもそもプレゼントがどうして卵焼き器なんだよぉ〜。卵焼き器持ってるし〜。ぜんぜんロマンチックじゃないよな〜。
⚫︎っていうか、ありがとうって素直に言えない自分がいちばんダメなんじゃん。王子怒らせちゃったよ。

たぶん、こんな感じだったと思う。
そしてそのあととって付けたみたいにありがとうっていうのもなんだかなぁと思って、さっそく卵焼き器に火入れしたり実際にだし巻き玉子を作ってみたりして、いかにも的なありがとうを実践的にアピールしたわけです。

あれから毎日だし巻き玉子を焼き続けている私。3日が経った今、だいぶこの卵焼き器ちゃんとも友達になれて気がする。今まで使っていたテフロンのやつとは扱いも全然違ってとってもデリケートなのだけれど、これで焼くとお蕎麦やさんで出てくるようなだし巻きができるのです。最初の「な〜なんだ、卵焼き器か」の印象を覆すかのごとく、今では大のお気に入りの品になっています。
というわけで、プレゼントのお礼はだし巻きの腕を上げることがいちばんてっとり早いということみたいです。もちろん言葉でありがとうも伝えようと思います。

ちなみにどうして卵焼き器なんてプレゼントしてくれたの?と聴いてみたところ、楽○ポイントが貯まったからそのポイントでゲットしたとのことでした。
それ聴いたらありがとうのタイミングも、なんかちょっとびみょうな感じに…。
さて、今日もだし巻きの練習しなくちゃ。

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2017年10月11日 (水)

天国の父にいいわけ。

父が亡くなってちょうど一年経った。正直、実感があまりないのだ。実家に帰れば居間の奥から父の「順ちゃんお帰り〜」の声が聴こえてくるようだし、二階の父の部屋にはみっちりとタバコの匂いが染みついているし、喫茶店に行くのが好きだった父なので今ここにいないのはまた近所の茶店にでも行っているのだとも思うし。ほんとうにお仏壇に父の写真が飾ってあることが不思議でたまらないし、逆に現実に気づかされる瞬間でもあって。人が死ぬということはこういうことなんだろうというのを父の死を経験して思ったことでもある。
ここ最近、夢の中に父がよく登場する。父と一緒に母やまだ小さかった息子たちも一緒に。3人の息子たちが赤ん坊のときから実家には世話になっていたし、息子たちが小さなときから私は仕事を抱えていたので保育園の送り迎えもよくお願いしていた。名古屋に引っ越してきてからは夏休みなど長い休みのときは必ずといっていいほど新幹線にのって千葉のじぃじとばぁばのところにやってきては夏の思い出の1ページを作ってもらったものだった。
うちの父と母が仲が悪いことは昔から有名だけれど、息子たちももちろんそのことを分かっていてじぃじとばぁばの喧嘩が始まると「あー、またやってるやってる」みたいにからかったりしていた。もうそれがあの家のひとつの風景だったからじぃじとばぁばの不仲さなんて、彼らにとってはどうでもよかったみたいだ。あぁやっていい大人が本気で言い合いしていることが逆に彼らには面白く見えたようだ。それが千葉のじぃじとばぁばのお家なんだと。
そういうひとつひとつの場面を今、夢で見る。まだ小さかった息子たちの表情や、今よりもずいぶん若々しかった父や母の表情も鮮明に。息子たちはもう大人になっているし、父はいないし、母はひとりになってしまったし、そんな現実を思うと時の流れはすばらしいものをもたらすけれど、その流れに逆らいたくもなるし、戻りたいと思ったりもする。
でも、そんなことできるわけないのだから、しっかり深く味わわなきゃいけないんだろうな、今を。ほんとうにむずかしい。生きていくってことはつまりこういうことなのでしょうね。
父が死ぬ直前まで「順ちゃんの未来が心配でなかなか死ねないんだよ」と言っていた。死ぬまで父を安心させてあげられなかったし、きっと今天国でも心配していると思う。そのことを後悔しているかといえば、実は違っていて、お父さんっ子だった私なので、しっかりちゃんとしてしまったら父を安心させてしまうことになって父の存在がどんどん遠くに行っちゃう気がしたのだ。
そう言い訳するね、父さん。天国で聴いていますように。



木曽三川公園のコスモスです。天国みたいです。

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2017年10月 4日 (水)

十五夜

朝晩はずいぶんと涼しくなってきた。季節の移り変わり目ってやっぱり少しだけセンチになる。
隣の家の改装工事やらでここ数日朝からずっとトントンカンカン賑やかしくやっていてテレビの音も聞こえないくらいなんだけど、でもなぜか今はその音が嫌じゃない。しかも裏手にはガタゴト電車が通っているしでいろんな音が入り混じっている状態なんだけど、これはこれで安心する。何かが進行形で動いていることだったり、そこに人間の温度があることだったり…そういうのが今の私の安心要素になっている。
そんな賑やかなBGMをバックに、NHKでやってるベニシアさんの番組を見ていたら、ただただ泣けてきて、それでもって心の垢が落ちた気さえ。なんだろな、本来の人間の在り方ってこうあるべきなんだろうなという要素がベニシアさんの暮らしの中にぎゅっと詰まっている感じというか。自然と共存している感じとか人間どおしが自然に繋がっていく感じとか。裏も表もなく駆け引きもなく、すべてがありのままであることとか。自分で勝手にストレスを製造しながら自分の枠の中だけで小さく生きている自分がものすごく恥ずかしく思えた。でも、私もこういうふうに生きたいと実はずいぶん昔から思っていた。一番の難関は“自分自身に素直になるということ“だというのも実はわかっているのだけど。むずかしいのう。
貴族の生活を捨ててまでベニシアさんが大切にしたいと思った生き方には、やっぱり私たちには想像つかないような特別な想いがつまっているんだと思う。縁側でお茶を飲みながらお庭の手入れをしている彼女の姿を見ていると、生きるということを大切にしている人なんだなあというのを同じ人間として感じる。薄っぺらくではなく深いところで。美しい過去だけではなく、いろいろな苦労をたくさんしてきた人なのだろうなということも。
さらに、番組中に流れている音楽がとても素敵なところもこの番組が好きな理由のひとつ。川上ミネさんという方が作った曲で、どれも優しくてやわらかくて包みこんでくれるような、そして昔を思い出したくなるようなそんな曲なのだ。番組に出てくる大原の自然にぴったりなところも。
などと、最近はめっきり自然とか音楽とか風とか植物とかに癒されたい願望が強くなっていている。同時に物欲がどんどんなくなってきているのも。疲れているんだろうか、もうそういう年ごろなのだろうか。
今日は十五夜。どこかでススキを見つけてこよう。自分の息子たちにはしてあげられなかったことを今も後悔しているのだけれど…こどもの頃一度だけ父がお月見的なことをしてくれたことがあった。土手に行ってススキを取りにいって、どこやらでお月見団子を買ってきてススキと一緒にお供えして、お風呂上がりのシッカロールの香りに包まれながら、お月さまをバックにそれと一緒に写真を撮ってもらったこと。ただそれだけなんだけど、何年かたってあの写真を見て「こんなことあったんだな」って振り返ったことがあった。でもそれが思い出っていうものなんだろうなと思ったし、思い出って年月とともに熟成されるものだから、今となれば宝物なのだよね。
今月の11日で、父が亡くなってちょうど一年。だからなのかな、なんだか今夜のお月見は特別な気がしてね。

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