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2017年9月

2017年9月26日 (火)

赤いジュータン

新鮮なサバを買ってきてジャガイモと人参と一緒に淡く炊いたのを、お客さんが「これうまい!」と言ってくださったのがすごく嬉しかった。地味な料理なだけに実はいろいろ工夫した。サバの臭みが出ないようにとか、サバを鍋に投入するタイミングとか。でもそういうのって食べる側にはわからないし、というかわからなくてよいわけで。最終的に口に入れたときの印象ですべてが決まっちゃう。この仕事の怖いところでもある。だからそのお客さんの反応で思わず「やったね!」ってなった。心ん中でガッツポーズしてしまったことだよ。なんか気持ちのキャッチボールができたみたいで、あ〜この仕事やってよかった、って思えた瞬間だった。
まぁ私の作るものはどちらかというと地味系だしそもそも家庭料理だけど、その中で私ワールドを表現するのが自分の役割だと思う。万人受けはねらっていなくて、たったひとりでも私ワールドを感じとってもらえたら、そっちのほうがだんぜん嬉しい。そのために今日も明日も頑張れるってもん。
なんでもそうだけど、地道に頑張った先にご褒美みたいなものってあるんだろうね。ものすごーく地味に行くしかないんだろうね。だったらその地味で長い道のりを少しでも楽しく歩いていきたいものだよね。その工夫が日々の課題なのだろうな。

先日、矢勝川沿いの彼岸花を見に行ってきました。土手の斜面に真っ赤な絨毯が敷き詰められていました。



最近はこういう景色が何よりも癒し&心の栄養に。彼岸花、上からみるとほんとうに花火みたい。



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2017年9月21日 (木)

彼岸花と銀杏

田んぼのあぜ道に彼岸花。街路樹の根元にも、土手のススキにまぎれながらも。みんなどこかで「いっせーのーせ」って申し合わせたみたいにいっせいに咲くにのだ。すごく不思議。
昔、誰かが言ってた。彼岸花って不吉な花だって。でもそんなこと気にしない。この花を見るためにこの季節があるといってもいいくらい、私にとって特別な花。
花が咲く前はものすごく貧相なかっこうでひょろっと土から顔を出すのだよね。なんだかよれよれのマッチ棒みたいな頼りない姿。で、いよいよってときにぱーっと一気に華やかな衣装をお披露目してくれる。上から見ると花火のような、蜘蛛の足みたいにも見える。夏の蓮子の花を見たときと同じような印象を、この花からも受けるのだ。この世の次元を超えたところにある花たちだって。
きっと天国っていう場所にはこういう花たちが咲いているんだろうな。

9月も下旬っていうのにまだまだ暑い。それでも木陰に入るとちゃんと秋がいて。風の匂いも空気の柔らかさも、やっぱり秋なんだよね。
それでもって昨日は思い切って銀杏の下ごしらえをした。日曜日にせーじさんからビニール袋いっぱいいただいたのがそのままにしてあった。せーじさんいわく「ママがよろこぶと思って!」とかなんとか言って得意げだったけど、もうこりゃ罰ゲームだね。袋いっぱいといっても、かなり大きい袋だし、あの独特の臭いとたたかいながら店の軒下でひたすら剥きまくること1時間半。途中で銀杏汁が目に入ったりしてひとりで大騒ぎしながら、なんとか完了。ひとつ宿題を終えた気分。王子なんてものすごく遠いところで「ボクは関係ありませーん」みたいにしてパソコンやってるし。まったく男の人って…って感じだ。
軒下に干したので、数日後には料理に使えそう。でもどうやって食べようかしら。正直、銀杏って茶碗蒸しの底のほうにちょろんと入ってるやつしか知らないぞ。たくさん食べ過ぎたら鼻血とか出ないんだろうか。
そんなこんなで秋の風物詩をいろいろと堪能するのはよいことですね。

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2017年9月 8日 (金)

日記を書こう

ここのところ、肉体的にではなくいつもどこかに疲労感があって、重たいな〜重たいな〜と思っていたら、たぶんこれだ。気持ちをここにはき出していなかったのが原因…たぶん。日記って誰かに読んでもらうためでもなく、自分で振り返ったりするものでもなく、私にとっては“今“の表現なんだ。
だから書こうと思った、今を。
もともと言葉として外に表すのが苦手なので、出さないぶん(出せないぶん)内側にたまっていく。当然、たまっていったものたちは行き場を失う。たとえばこういうとき、目の前にピアノがあって思い切り弾けちゃったりしたら、だいたいチャラになる。これは過去に経験済み。でも今はなかなかそういう環境にいないので一生懸命探す、行き場を失ったこの子たちの解決法を。もっともっと踊りが上手になってそれができるようになればいいのだけれど、そうなるのはまだまだ先な感じがするし。
料理っていうのもかつては解決法のひとつではあったけれど、がっつり仕事になってしまった今、これもなかなかむずかしい。とすると…残ったのは日記なのだ。文章を書くのは得意なほうではないけれど、自分なりのシンプルな言葉を並べるだけでも、その重みはずいぶんと軽くなるものなのだ。
ということを、今さらながらに気づかされて久々にパソコンの前に座っている。正直、時間に振り回されている日常の中では日記を書くなんてまず後回しになる。そんな時間があったら仕込みの時間にあてたり、普段なかなかできない家事の時間にあてるのがまっとうな気もするけど。でもどうやら自分の場合はそれだとダメみたい。自分をいう人間が保てないというか、不安定になるというか。
ただ単純に今の気持ちを誰かに話すことができたらどんなに楽か。自分以外の人間と共有できることの幸せ感とか、そういうのを味わってみたいとも思うのだけど、今はできない気がする。強がってるわけじゃないし、壁を作ってるわけでもない。今はただそういう場所にいるということ。そういう時期なんだと思う。
最近、相方さんによく言われるのは「キミの言うことに返答するのってすごくむずかしいんだ」と。
はいはい、どーせ私は宇宙人ですよ!とは言わないけれど、たぶんそういうことなんだと思う。コミュニケーションがうまくできないというか。そのとき一瞬だけ寂しくなるのだけれど、これが自分だからしょうがない。普段ほとんど喋らない私の言葉を、分からないなりにもひとつひとつ拾ってくれたことにありがとうだ。(でも傷つく言葉はやめてほしいとも思うけど)
そんなこんなで、言葉を外に出すのが不得意な私の唯一の手段として、この場所を使っていこうと思う。この気持ち、誰か分かって〜、というのもあるかもしれないけど。
日記なんてそんなもんでしょ。

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