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2017年2月

2017年2月27日 (月)

やわらかく行きたいね

年とともに自分がどんどん萎縮していくように感じて、そのことについて悩んでいた時期があったのだけど、最近ちょっと変わってきた。なんていうのかな、よくもわるくもこだわりがなくなってきたというか。昔だったら自分をきちんと主張したり、自分ってこんな人間!みたいに表現できることがいいことだと思っていたし、そういうことが上手にできる人ってすごいと思ってた。だけど今は、そんなに力まなくたってもうょっと緩くてもいいんじゃないかな という位置にきた気がする。たぶんその当時は生きることに今よりも自信がなかったのかも知れないし、だからといって今が自信があるわけじゃないけれど、肩の力を抜いた先に見えてきたものがあるってことなのかも知れない。どんどんこだわりを捨てていって、心やわらかに生きていこう というのが最近の思うところ。

週末はフラメンコレッスンにて、師匠に自分の弱い部分をズバリと言い当てられハッとした。自分でも分かっていることなので良い意味でぐさっときて、あらたに「がんばるぞー」の気持ちが底のほうから湧いてきた。というか、自分の中にもまだこういう気持ちがあること、こっちに驚いた。
私の場合、どちらかというとお尻をペンペンされないと頑張れないタイプなので、ほんとうにこういうのってありがたいって思ってしまう。さすがにこの歳にもなるとぺんぺんしてくれる人なんてなかなかいないしね。こういう正面からのやりとりっていいなあって思う。この熱が冷めないうちに、イメージトレーニングしなくっちゃ。
などと思っていたんだけど、その直後からまためんどうな事務作業の現実に引き戻されてなんだかなぁという感じ。しばらくはもんもんとした日が続くことでしょう…(涙)
今唯一の息抜きがこの日記に向かうこと。
そろそろ店の支度。午前中に手羽先で出汁をとっておいたので今夜は鶏飯でも作ろうかな。料理しながらイメトレもしなきゃね…。あぁ頭ん中、忙し忙し。

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2017年2月24日 (金)

風強い1日。

事務的作業、今日だけは休みにする。(逃避?!)といっても、月末の銀行まわりなどがあって結局やっぱり数字から離れられない今日。仕方ない、全部自分ひとりでやらなきゃいけないものね。
お昼に鍋焼きうどんなどを作ったりして気分だけでも懐を温めてやる。外は風強し。
ここのところの自分の悩みについて考えてみる。自分のことだからだいたいのことは分かっているのだけど、こういうことはとりあえず整理しておいたほうが心の健康には良いってもの。まぁ、あえて整理しなくてもいいときもあるけど。
ひとつは息子たちのこと。ここのところ、こちらからの電話にはほとんど出ない彼ら。忙しいということもあるだろうし、年頃ということもあるだろうし、なんらかの理由はあるのだろう。連絡がないということは元気でやっているということなのかもしれないし。あまりしつこくこちらから連絡するのもよくないかもしれないな。分かってはいてもなかなか見切りがつけられないもの。そこに自分の気持ちが縛られないように毎日前をむくのはけっこうな力がいる。
そしてもうひとつは今後についてのこと。(かなりざっくりですが)このままでいいのかなとか、もっと別の方法はあるのかなとか。
息子たちのことは、もう祈るしかないというか信じるしかないというか…。2番目のやつは、別にどんなふうになろうとも死ぬわけじゃないからそんなに悩んでどうする?みたいな思いもあるけど実際問題、とりあえずの生活を送っていくためには、人間として誰しも頑張らなきゃいけないことだもの。
そんなこんなで自分の悩みだから自分でなんとかしなくては…というのは分かってるけど。そしていつものことながら、こういうふうに自分がぱんぱんなときって自分の中の弱くなっている部分が自分でもわかるから、もうどうにでもなれ〜と諦めじゃなくて強くなろうとする自分が顔を出したりするのだよね。いつもなら自分が崩れちゃいけないって神経質にバランスとっていたりするんだけど、こういうときはちょっとだけ気持ちが大きくなるというか。泣いたり傷ついたり失敗したりしたあとに降りてくる気持ちと一緒のような。
母親失格なことは分かってる。でもこんな自分でも生きていかなきゃいけないというのは、人類の掟だし自分の両親への想いがあるからね…死んだ父も天国で見てるだろうし。

そろそろ仕事の準備にかかろう。午前中に美味しい豚肉の塊を買ってきたので細かく包丁で叩いてハンバーグを仕込んだのだ。何を作っていても「これ、息子たちに食べさせてあげたいな」って思っちゃうのは、私の中ではあの子たちはまだ小さい子供のまま、ってことかな。

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2017年2月23日 (木)

やっぱり人

キッチンのシンクの下がびちょびちょになっていたので慌てて大家さんを呼ぶ。すぐに駆けつけてくださったのだけど、昼どきということもあってものすご〜く嫌な顔をされるも、ちょうど今俺メシ食ってたところだったんだよ などと文句まで言われちゃう始末。でも、その言い方のなんともいえない感じというか、憎めない感じというか、思わずこちらもきゅんとなっちゃう感じが、この人嫌いじゃないな〜と思えちゃう。
どちらかというと昔はこういう人、苦手だった。その人が話す言葉の内容とか表情を、自分のものさしで計ってそこから導かれた答えだけが正解だと思っていた若かりし自分よ、今思うと青かった。
中年になるってこういうことなのかな。
肝心のシンク下の水漏れというと、この部屋をリフォームしたときの工事ミスが原因のようなのでなんとか直してくれるそうだけど、かなり時間がかかるみたい。それまで思うように料理できないことだったり、シンク下の皿とか鍋とかががせま〜い台所に山積みになっているのがストレス。しばらくは我慢だな。
まぁ今回のことで、大家さんの人情に触れられたことがなによりよかった。築40年くらいの古い物件なんだけど、狭くても窓がしっかりとあってそこから風が抜ける感じとか、常に電車の音が聞こえるところとか、そういうところがお気に入りポイント。さらに大家さんもいい人だし困ったときはスーパーマンみたいに飛んで来てくれるところとか、ここに決めてよかったと思った。やっぱり最終的には人なんだな。

そんな不便な台所でインスタントラーメンを作り、今時期的にやらなきゃいけない事務作業をひたすらこなす、という日々が続いてる。唯一の息抜きにとこの日記を書いています。パソコンの調子がよくなくて、iPadでの投稿。慣れなくて思うように書けないのがちょっとつらい。

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2017年2月 9日 (木)

雨の日と父

ひとりの時間が怖くてしかたないとずっと思っていたけれど、最近少しずつこういう時間にも慣れてきた。たぶん父が亡くなってからだ。
前にも書いたかも知れないけれど、人は死んだらこの世からいなくなって、それはとてつもなく寂しくて悲しいことだと思ってたけれど、でもそうじゃなかった。父が生きていたときよりも、なんだか気持ちの距離は近くなった気がする。それが月日が経てば経つほど、そう強く感じるようになってきたのだから、不思議なものだと思う。
毎朝父の写真の前にお水とお茶を供えて手を合わせるのだけれど、写真の中の父は本当に生きているみたいな温度で微笑み返してくる。今にも写真の中から出てきそうな感じなのだ。
私の中にあるものも、父の死を境に少しずつ変化してきているのを感じる。大切にすべきものや人や想い考え方、今までただただ散らかっていたものたちにひとつのテーマがついたような、そんな感じになってきている。
今思うと、父の晩年は自分が死んでいくということをしっかりと受け入れている感じだったし、だんだん死が近づいている現実から逃げることはしなかった。娘の私にはそう見えた。そういう父を見ているのはちょっとつらかったけれど、それって人としてかっこいいことなのかも知れないと今はそう思える。それを見ることができた自分はよかった。
うちの両親が仲が悪いというのは有名な話だけれど、、、それを子供の頃からずっと見て育った私としては辛い思い出しかないと思っていたけれど、父が死んじゃったらすべてがチャラになっちゃったんだからおもしろいと思う。不思議くらい楽しい思い出しか湧いてこないのだから。

今日は朝から冷たい雨が降っていて仕入れと仕込みを済ませてからは、ずっと部屋に閉じこもったままだ。ふと父の写真を見ていたらこんな日記になってしまった。
雨の日は憂鬱で仕方なかったけれど、なんとなく温かな気持ちでいられるのはこの写真のおかげなのかなあ。

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2017年2月 7日 (火)

最近の出来事

 ヨガ仲間のМくんの結婚が決まった。それを仲間たち全員で祝福して、その光景がなんとも温かくてキラキラしていて天国みたいなのが印象的だった。なんて素敵な人たちなんだろう。そういう中に自分もいられたことが幸せだった。
いつもは控えめな感じのМくんが、彼女との馴れ初めだとかご家族のこととかを話してくれたとき、まるで別人みたいに積極的な感じになっていて、男!って感じになっていたのがびっくりだった。幸せ事は、ここまで人は変身させちゃうんだと、その変貌ぶりに思わずぽかんとなってしまったほど。Мくんのまっすぐさが伝わるスピーチも感動的だった。きっとМくんは素晴らしい親御さんに育てられたのだろうな。Мくんのお嫁さんも素敵なお嬢さんに違いないって思った。
そして、そういう幸せ話にはもっぱら弱い自分なので、いろんなことを感じすぎてお腹も心もいっぱいになってしまって、気分はまるでおばあちゃんに。
お客さんの赤ちゃんを抱っこさせてもらうときとか小さいこどもさんと話すときなんかも、同じ感じ気分になる。ここ最近の私の口癖というと「早くおばあちゃんになりたい」、である。でもきっと神さまは「おばあちゃんになる前にあなたにはまだやるべきことがあるでしょ」と言うのだろうな。まだまだ人生の修行事があると、なんとなく自分でも感じているから。

 夕べはお店もひまで、でもたったひとりのお客さんが閉店までいてくださって助かった。さすがにゼロっていう日はなんとなく落ち込むからね。(ときどきあります)
そしていつもなら話さないであろう深い話ができたのもよかった。お客さんと店の人間の関係ってほどよいのがいいと思う。友達でもなく親戚でもなく、かといってあかの他人ってわけでもなくて、ちょうどいいこの距離感がいい。情がまったくないわけではないけれど、情におぼれてしまうと逆に仕事できなるなる、っていう微妙さも。

さて、もうそろそろ仕事の時間。お通し作ったりごはん炊いたり、、、こういう地味な台所仕事をしていると、かつての家族へのつぐないをしているような気に少しだけなる。もちろんそんなことでは到底許されないことは自分でもわかっているけれど、何もしないでいるより気持ちの重みはほんの少しだけ軽くなる。そもそも楽になんかなってはいけない立場なことも分かっているけれど、何もしないでいるよりは。
だから気持ちを込めてゴハン作ろうって、いつもも思う。それしかできないのだけれど。

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2017年2月 2日 (木)

父のマカロニサラダ

 父はマカロニサラダが好きだった。茹でたマカロニに塩もみしたキュウリと玉ねぎ、そしてハムなんかを混ぜてたっぷりのマヨネーズと和える っていういたってシンプルなやつ。それを休日の夕方に父は自分でボールいっぱい作っては毎日の晩酌の供にするのが定番だった。
小さかった私はもっぱらそんな父の隣にちょこんと座って、そのマカロニサラダをつつくのが好きだった。自分の皿に盛り付けてもらうよりも、そっちのほうがずっと美味しく感じた。
 そんなマカロニサラダは、次の日になるとすっかり水分を吸ってしまってパサパサになって、父はさらにそこにマヨネーズを足すのだった。それを母からよく叱られていたのをこどもながらに見ていて、そういうこともぜんぶ含めて父のマカロニサラダは私の思い出の味になっている。
 今もときどきむしょうに食べたくなって、安っぽいマカロニを買ってきて作ってみる。いいマカロニで作るとやっぱりどこか違ってくる。一袋100円くらいで売ってるやつがちょうどいい。
そして父の作る工程そのままを再現してみる。マカロニはちょっと茹ですぎくらいがちょうどいい。
 出来上がったマカロニサラダは、父のよりもちょっときれいに仕上がっている。野菜の切り方とかマヨネーズの量とか、たぶん私のほうがいろいろ考えられて作ってあるからだ。
でもそれがちょっと寂しくも思える。父のあのマヨネーズたっぷりのマカロニサラダはもう二度と食べれないっていう現実を、まだどこかで受けいれきれていない自分がいるからなのかな。
 でも、この目の前のマカロニサラダの中にちゃんと父との思い出があったことを確認できただけで、もしかしたらじゅうぶんなのかもしれないな。食べ物と思い出は切っても切れないもので、私はこのマカロニサラダを食べるたびに父のあの味を思い出せるのだもの。
思い出の中に父はちゃんと生きていることを、このマカロニサラダが教えてくれた。

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2017年2月 1日 (水)

こだわり

 ここ最近の変化。まじめに自炊しているということ。こういう仕事をしているから当たり前のことのように思えるのだけど、実は逆だったりする。仕事ではずっと食材とにらめっこしているので、プライベートくらい離れてみたくもなる。自分以外の誰かが作ってくれるごはんが恋しくなるのだ。
昼間の仕込みがおせば近所のラーメン屋さんかうどん屋さんでちゃちゃっと済ませたり、仕事が深夜になれば、さすがになにも作りたくないので牛丼屋さんに飛び込んで案の定翌朝胃もたれしたり、そういう生活だった。お客さんに出す料理は気合入れて作るけど、自分の食べるものなんてどうでもいいと思った。

でも今はちょっとだけ違う。簡単なものだけどなるべく自分で作ったものを口にするようになった。健康オタクでもなんでもないけれど、自然にそうなった、という感じ。
そうしたら、とても体が軽くなった。痩せたとかではなく、体の中の悪いものが減ったような気がする。そしてなんとなく気持ちも整ってきたような気がする。おもしろいなあ。
いつまで続くかは分からないけれど、しばらく様子をみてみようと思う。
ハワイでほぼ毎日自炊したことも影響しているだろう。滞在中一度だけあちらで有名なビール工場の直営店で、ピザとかタコスとか食べたらそのあとものすごい調子が悪くなったことがあって、自分の体はもうこういう食べ物を受け付けなくなった、ということが分かってちょっと悲しくなったけど。数年前までは油っこいものでもなんでももりもり食べられたのに。
これを老化というのか分からないけれど、そうやって体も変化していくのですね。
繊細な塩の量で料理全体の引き締め方がぜんぜん違ってくることとか、自分の体調しだいで作る料理の味も変わってくることとか、、、、なんだか良くも悪くも最近どんどん敏感になってめんどくさくなってきているように思う。でもきっとこれでいいんだ。
だから見た目がそこそこよくても、食べて愛を感じられないものにはほんとうにがっかりしてしまう。これって美味しいとか美味しくないという基準じゃなくて、愛があるかないかってこと。そういうのってすぐに分かっちゃう。我ながらほんとうにめんどくさくなってきているけど、もうしかたない。こうなっちゃったんだから。
自分の口にするものだもの。めんどくさくもこだわりたいって思う。

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