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2016年11月

2016年11月28日 (月)

ぐぐっと近づいてみる

 昨日は休日で、ほぼ一日寝て過ごした。月曜日から土曜日まで、なんだかんだいっても体も気持ちも張りつめているから、それが休みの日に一気に緩んでしまうみたい。体は石みたいに重たく感じるし、なぁ~んにもやる気なんか起こらなかった。ゴハンを食べるのも必死、という感じ。ここまでくるとヤバいんじゃ、、、と最近思うことさえある。
でも、こういうサイクルができてきているのはありがたいこと。目の前にやるべきことがあるって幸せなことだと思う。私から今の仕事をとったら何も残らないと思う。お客さんが来てくれる、笑顔がある、もうそれだけでじゅうぶん。だから素直に頑張るだけ。

 そんな昨日は、ようやく夕方近くになってお腹がすく、というダメダメな感じだった。雨の中、居酒屋さんに行くもノンアルコールでお豆腐とかおでんとか、やさしいものをさくっと食べて帰ってきた。夜、撮りためていたビデオなどを見ていたらうとうとしてきたので、またすぐ寝る、という始末。地味な休日の過ごし方。
そして今朝は早めに目が覚めたので、最近の悩みについて考えてみた。悩みの素にぐぐっと近づいてみると、何かが動き始める、というのが分かった。そうか、この ぐぐっと近づいてみる ということから逃げようとする気持ちが、さらに悩みを大きくさせるんだ というあまりにも単純な仕組みを今さらながらに気づいてしまった。怖がらず近づいていけばいいんだ、そうしたら何かが変化していくんだ。そういうことか。自分のことって分かっているようで、実は分かってないことも多い。

などと朝からちょっと気持ちが軽くなって得した気分だった。

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2016年11月26日 (土)

悩みはなくならない

 悩みって終わることがないなー、をしみじみと実感する今日このごろ。そして悩みに大きさはないというのも。
ひとりの人間が一生懸命何かについて悩み続けることは、健全なことのように思う。
今まさに、そのさなかにいる。ひとつ何かが解決すると、また次の波がやってきて、、、。そう思うと、前に抱えていた悩みっていうのは実は解決したんじゃなくて、あとからきた波にのみ込まれちゃったんじゃないかな、、、と思ったりもする。おもしろいなあ。

 ふと思うのだ。
悩みがすべてきれいに解決しちゃったら、どうなるんだろうって。
たぶんそれって、退屈だろうな。おもしろくないんじゃないかな。
やっぱり自分は悩むようにできてると思う。悩むからこそ見える世界があるのも知ってる。悩むことでプラスのエネルギーが製造されるっていうのもいつものこと。

でもね、そんなこと言ったってやっぱり苦しいんだよね。
 久しぶりに、心っていう臓器が風邪ひいたみたいに今なってる、、、。しんどいな~と感じながらも、この分かりやすい臓器の仕組みをおもしくも思ったり。そんな自分を楽しんでいます、、、。

 今日は遅めの昼ごはんに中華を食べた。普段は中華なんて食べられないのだけど、今日はめずらしく体のコンディションがよかったので。
初めて入るお店。昭和感あふれる歴史あるお店だった。隣の席の老夫婦が、ひとこともしゃべらずにおかずを分け合いながら食べているのを見たら、もうそれだけで幸せな気持ちになった。
とくべつ美味しいってお店じゃなかったけど、とてもいい雰囲気で行って良かったと思える店だった。

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2016年11月24日 (木)

気持ち揺れる

 昨日は父の四十九日の法要の日だった。前日の夜まで仕事があったから前ノリできず始発で実家へと向かった。
 着いてすぐお墓へ直行。儀式をすませ親族との会食。親族といってももうみんな80近かったりするので、私がこどもの頃に見たおじさんやおばさんの姿とはとうてい違う。でも印象は変わらなかった。おしゃべりすれば、こどもの頃に自然に返っている自分がいるから不思議。
だけど、やっぱりどこかに違和感があった。
私みたいな人生はいくら親戚とはいえ認められない って空気がどこかにあって。どこかによそよそしさを感じるというか。もしかしたら、私が勝手にそう思っているのかも知れないけれど、、、むずかしいね。
そうか。私みたいな人生は、親にとってみたらすごく恥なことなんだ、いけないことなんだ、、、そう思わずにはいられなかった。こうなることは分かっていたんだけど、自分の父親の法要なだもの。欠席するなんてできないしね。
誰も何も言わないけれど、やっぱり恥なんだな、私の人生、、、っていうのを実感して帰ってきた。

一瞬だけど新幹線での帰り道、もうこのままどこかへ行ってしまいたくなった。ダメな自分、情けない自分、、、これからどうやって生きていけばいいんだろうってね。
こんなこと思うなんて、こどもじみてるって言われてもしかたないけど。でもそう思ってしまうからしかたない。

ただね、ここで終わっちゃうのは、以前までの私。
今はちょっとだけ違う。
自分の居場所は自分でつくらなきゃいけないってこと。居場所がないといって落ち込むのはちょっと前までのことだから。

天国の父は、どんな状況でも娘がしっかりと生きていくことをのぞんでいるに決まってるもの。

気持ち揺れる休日明け。今夜もがんばろ。

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2016年11月15日 (火)

想い

 父が亡くなってから1か月経ったけれど、まだどこかに父の存在があるような気がしてならないのはなぜだろう。一度目の結婚で名古屋に来てからは、実家に帰ることもあまりなかった、、、だから今でも実家に帰れば父が待っているような気がする。状況的にはあの頃となにも変わらないんだもの、、、。「順ちゃん、頑張りなさい」が口癖の父に、ひねくれ娘の私は「そんな当たり前のこといちいち言わなくたって分かってる!」と、半ば反抗期気味に返すのがお決まりだったことも。もうできないんだ。
 部屋に飾った父の写真には、まだしっかりと温度がある、、、。死って、ほんとうに不思議なことなんだ。悲しいっていうのは、のこされた人間が後付けした想いなんだな。
 そんな父の死を経て、自分の中に起こった変化をここに書き留めておこうと思う。

 なんでもかんでもせっかちな母に対して、父はゆったりと構える人だったと思う。そんなふたりの間で育った私はどちらかというとのんびり派だったように思う。それでも、母から言われた「早くしなさい」という言葉は今でも私の中にしっかりと残っていて、のんびりしていると人に迷惑がかかる、というのが母からの教えだったように思う。だから必死で母のスピードに追い付こうと頑張った。一方父のスピード感というのはまったく違っていて、それが原因でケンカになることもしばしばあった。
今、ひとりになった母は、ますますスピード感あふれる人になっていた。(笑)今までは父がいたからなんとなくほどよく保たれていたものが、母ひとりになったとたん加速したみたいに。まぁ、これが母の元気の素になっているのは間違いないことだけど、今あらためて父の独特のペースというか呼吸感というか、、、そういうものに触れなきゃいけいけないような気がしてならない。
 ずっと、早くしなくちゃ、いそがなくちゃ、のんびりしてられない、、、、ってやってきたことが悪いことではないけれど、もしかしたら大事な瞬間を見落としてはこなかっただろうかと。もっと、ちゃんと足もとにある“今”を感じるべきだったんじゃないだろうかと。感じてもよかったんじゃないかって。
写真の中の父を見るたびに、なにかのメッセージのように思えてきてならない。

 この間ラジオでユーミンが言ってた。人は死んで肉体はなくなっても、想いはのこすことができると。だからユーミンもそうなりたいと。
そういうことか、、、。

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2016年11月 5日 (土)

こころイロイロ

 今週は3度も映画館に行ってしまった。心のセンサーの調整には手っ取り早い方法。(今、病んでる?!)どんな映画でもそうなんだけど、小さなこどもの健気な表情とか感情に触れるシーンがあったりすると、毎回泣けてきちゃう。もうほとんど号泣に近い感じ。映画を観てすっきりするどころか、かえって自分の身をえぐられたみたいに苦しくなってしまった。
でも、そういう気持ちの波が心の肥やしになるっていうのはこどもの頃から経験してきたので、時間があれば率先して栄養補給に励みたいと思う。映画を観たりとか素晴らしい音楽に触れるとかって、かたちには残らないものだけど心にちゃぁんと保存されて、必ずいいものに変換されるって思う。だから大事にしたいし、綺麗なお洋服やバックや宝石よりも、私にとっては1番の宝ものだ。(そもそも服もバックも宝石も買えないけどさ)

 普段はあまり携帯電話を見ないほうなのだけど、昨日たまたま電車の中の時間つぶしにとメール整理をしていたら、父とのやりとりが残っていて、なんともいえない気持ちになった。だって父はもういないだもの。でもなんとなくその文章にはまだ父のぬくもりが残っている気がした。悲しいとか寂しいとかじゃなくて、なんだかすごく不思議な気持ちになった。そしてそのあといつもカバンに入れて持ち歩いている父からの手紙を読み返してみようと思ったけど、こっちのうほうはなんとなく怖くてできなかった。
その手紙をもらったのは7年ほど前のことだと思う。カウンセラーの仕事が初めて入ってそのことを父に電話で話したら、そのあと父から手紙がきた。「カウンセラー初仕事、よかったね。父さんは涙が出るくらい嬉しかったです」というような内容だったと思う。娘の私が離婚して間もないときだったし、父もいろいろ心配していたんだと思う。普段手紙なんて絶対書かないような父なのに、そのときはめずらしく長文の手紙だった。
当時、父と電話で話すと同じことを何回も繰り返すので(老化現象です)、私はどこかでそれをうっとうしく思っていた。まるで10代の反抗期をいまだに引きずってる、みたいなやりとりしかできなかったと思う。今思うと、もっと父に優しく接してあげればよかったと後悔しているし、何回でも同じ話を聴いてあげればよかったとも思う。あぁ、なんて悪いことしちゃったんだろうと。

 父が死んでから、天国っていう場所は本当にあるように思えてきた。今まではなんとなく空想の場所みたいに思っていて、そのことを信じるように自分を仕向けてきた気がする。でも今は違う。本当にあるって感じるのだ。
だから言おうと思う。天国の父さんごめんね。父さんからの手紙を今もお守りにしているよって。届くか届かないか分からない声だけど、娘の私は今そんな気持ちでいます。

 やっぱり私はお父さんっ子だったんだな。
と、なぜか父の話になってしまった今日の日記。

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