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2016年10月18日 (火)

 10月11日の夕方、父は息を引き取った。前日、父の様子を見に行ったとき「もうそろそろかな」みたいに思ったけれど気持ちのどこかでは「まだ生きていて欲しい、死なないで」と現実を受け入れたくない自分がいて、その日は名古屋に戻ってきた。
でもやっぱり現実はそうはいかなかった。次の日の夕方母から「父さん、5時23分に息を引き取ったよ」と、その電話はもうすでに過去形になっていた。
その電話のときからずっと、お葬式を終えた今も、私は現実の世界と自分で勝手に創り上げた虚構の現実の間を行ったり来たりしながらふわふわと生きてる気がする。

 こどもの頃から、自分の親だけは死なないとどこかで信じてた。でもやっぱり死んじゃうんだ。
夏ごろからだんだんとやせ細っていった父。食べることが人一倍好きだった父が、だんだんと食べられなくなっていったのもこの頃だった。転んで骨折して歩けなくなっていって、肺炎になって入院した。お腹に管をつけているから動いてはいけないからと、手も足もベットにつながれていた父。そんな中でも、私が見舞いに行くと「じゅんちゃん、コーヒーでも飲みに行こうか」と誘ってくれた。それはこんな体になってまでも、父親であることを貫こうとするかっこいい父の姿だった。歩くこともおぼつかない父がそんなことできるはずもないのに。
 そのあとも何度か倒れて、ますます細くなっていった父はどんどん昔の面影から遠のいていって、もう半分あちらの世界に行っているみたいに見えた。

 棺の中の父は、たしかに父ではあったけれど、もうそこには父の気配はなかった。今まで親類や知人の死を何度か見てきたけれど、この感覚をリアルに味わったのは初めてだった。棺の中にいたのはただの抜け殻だ。だからそのあと焼かれたって、なにも悲しくはなかった。涙も出なかった。
私だけが知っている父の気配とか温度。言葉ではうまく表現できないのだけれど。
父は死んで消えて無くなったんじゃなくて、どこかに行っちゃったんだ。たぶんそう。きっとそう。

 人は死んでこの世からいなくなっちゃって、それはとても悲しいことだとこどもの頃からずっと思っていたけれど、どうやら違うみたいだ。
宗教とかスピリチュアルとかそういう世界のことではなくって、人は死んだあとに必ず何かを残すということを、初めて知った。
 母いわく、父の死はまるでろうそくの灯が消えていくように静かなものだったそうだ。それはそれは神秘的な絵だったと。

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