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2016年9月

2016年9月30日 (金)

風のいろ

 金曜日はなんだか朝から忙しない。仕入れに行き明日のニコ弁の仕込みをしてお店の仕込みをして、そのあとお昼ごはんをかっ込んだらフラメンコのレッスンへ。いつもは見ることのない時計との戦いだ。などと調子こいていたら、うっかりレッスン時間を間違えてしまい大遅刻。気づいたときはもうレッスン開始時刻だった。もうここまでくると焦るとかなんとかってなくなっちゃうのですよね。もう開き直りに近い感じ。そして短い時間だったけれど無事にレッスンを受けてリフレッシュして帰ってきました。
レッスンを受けながら最近思うのは、技術を身に着けるのは基本中の基本だけど、やっぱりノリみたいなもの(呼吸感とか雰囲気とか)が根底にないとフラメンコって踊れないんだろうな、ってこと。
それって、師匠から学べるものもあるだろうけど、自分からつかんでいかないとたぶん自分のものにならないんだと思う。
たとえば私が料理を仕事にしているけれど、とくに誰から教わったわけでもないし、調理師の資格があるわけでもないし、ただ好き!っていうのが根底にあるから今もこうして仕事として続いている。これってものすごくシンプルな仕組み。
初めて目の前でフラメンコを観たとき、鳥肌がたった、血が騒いだ。自分の中にある何かがあのときギターの音と共鳴していた。
そこがフラメンコとの出会いだったし、単純に自分も踊ってみたいと素直に思った。
あのときの感動を今ふと思い出すと、なんだか年を重ねるたびにどんどん複雑になっていっている自分や型にはまっている自分気づくのだよね。複雑化することも型にはめることも間違ってはいないと思うけれど、あのときのワクワクを忘れちゃいけないと、あらためて初心に帰ろうと思った。

 昨日と今日、一日しかたっていないのに、別の季節みたいだ。朝の空気なんてまったく違うものになっていた。慌ただしく過ごしていると、自然界の話題なんか二の次になりそうだけど、やっぱりそれって違うよね。日々変わる風の色もにおいも感触も、私にとっては一番大事な話題。そっちから学ぶことのほうが実は多いんじゃないかなと、最近思うのです。中年はいいものです。(?)




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2016年9月27日 (火)

ペースダウン

 この地に来てもうすぐ2年になる。夜型中心の生活にもだいぶ慣れてきた。なので、午前中はほぼ死んでいる、みたいなのが普通になってきたというのがちょっとこわい。
そんな中でも、毎朝頭の中に「今日は何を作ろうかな~」というワクワクがちゃんと浮かんでくるというのが、唯一今の自分の体と精神の支えになっていると思う。
これが浮かばなくなっちゃったら、仕事がただの作業みたいになってしまうだろう。そんなの絶対に嫌だ。毎日がリニューアルでいたい、新鮮でいたい。そう思うのだ。
そして料理の中で、そういう自分を表現していけたらどんなにいいだろう。

 そういえば最近リアルに感じていることある。なにかに急かされているような気がしてならないのだ。
レジで小銭を出そうともたもたしていると、後ろの視線が気になって仕方ない。誰に何を言われたわけではないけれど、どこかで「早くしろー、もたもたしてんじゃねぇ」って声が聞こえてきそうな。考えすぎかもしれないけれど、確実に痛い視線は感じている。 
 週に一度名古屋駅に行くのだけれど、とにかく駅の構内はスピード感はんぱない。電車の時刻もあるだろうけど、みんながみんな走っている。まるでのんびりしているのがいけないみたいに思えてきちゃう。
とにかくみんな時計を気にして急いでいる、いろんな意味で急いでいる。

 こどもの頃、母から口癖のように言われたのが「早くしなさい」だった。とにかく私はのんびり屋さんだった。しゃべるテンポも人よりもゆっくりだったし、行動するもの人一倍遅かった。
でも大人になるにつれて、周りに合わせるようになった。なんとなく、ひとり取り残されていくのが嫌だったから。
でもここ最近、そんなに走ってどうなるの?と冷静に思ったりするのだ。もっと“時間”は、味わっていいものじゃないかなと。
走った先には何があるの?走ったら何かいいことあるの?誰かと競争しているわけじゃないし。だったらのんびりしたって悪くはないよなって。
今まで急いでいたがために、いろいろ見落としてきたものたちもあるだろう。ここらでペースダウンしてもう一度ゆっくり見直していきたいな、
などと思ったりする44歳の秋空。
でもいちお、仕事の時間は気にする。もうそろそろ行かなくちゃ。


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2016年9月20日 (火)

いろいろ

 町のお祭りがあったり、父の容態が急に悪くなったり、その間に仕事やいつもの日常をこなさなくてはならなくて、心がいくつあっても足りないという感じだった。やっぱり一番気にかけていたのは父のことだった。足を骨折したあとに肺炎をこじらせるという事態が起きて、一時は店を休んで新幹線に飛び乗ろうかと思ったほど。

でもなんとか今は落ち着いているということなので、またしばらくは様子を見ている感じだ。
そんなこんなで心は落ち着かないのだけれど、やっぱり行きつくのは今の自分をしっかりやる、というところ。これしかできない。今をいい加減に生きてしまったら、それこそ親不孝なことだろう。自営という仕事も、あるところでは自由がきくけれど、お客さんの予約がすでに入っていたりすると簡単に穴をあけるわけにはいかなかったりするので、そういう意味では責任重大な仕事だなと今回あらためて思った。
 
 日曜日の日は、有名なジャズシンガーのKさんが来店してくださった。舞台の上の彼女よりも、実際はずっと細身な方だった。そして誰とでも気さくに話してくださるサービス旺盛なところなどは、やはりエンターティナーだなぁと尊敬してしまった。昔から聴いていたCDの中の彼女が、今目の前にいるだなんて夢みたいだったけれど、夢と現実の境が分からないくらい彼女の存在がとても近くに感じられたことは、やはり彼女の偉大さだと思った。
いつも思うけど、すごい人って、そのすごさを出さないからすごいんだなあということだ。
 まぁ、そんな貴重な時間があったのだけど、実はその間も父のことで頭がいっぱいだったので、正直これが精一杯な感じだった。
でも素敵な人だったことは間違いない。だって、幹事をしてくれたうちのお客さんなんて、「これって夢じゃないよねー」って何度も確認してたもんね。そういう場に自分がいられたことは、なんともありがたいことだった。
Kさんが私に「ママー、焼きそばたべたい!」と言って、たまたま冷蔵庫に焼きそばが二玉あったので作って差し上げたら、投げキッスもらったことは一生忘れないもんね。

 さて。今週も始まった。週の初めはなかなかエンジンがかからないのがつらいところ。でもキッチンに入ってしまえばいつもの感覚を取り戻すんじゃないかな。
台風で外は真っ暗。

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2016年9月12日 (月)

休日酒場

 めずらしく夕べは、“休日にうちの店のお客さんと普通に呑む”というのをやった。いつものカウンター越しでのおしゃべりではなくて、同じテーブルを囲み人間っぽく(?!)呑めたのがなによりよかった。やっぱり仕事のときは気を張っていなきゃいけないので緩くはなれないですからね。とはいえ、プライベートといっても、やっぱりどこかでちゃんとしていようとする自分がいて「自分もおとなになったな~」(今さら遅すぎ)というのを確認できたのはよかった。だっていくら呑んでも酔っ払わないんだものね。数年前の私だったら信じられないわっ。
 年齢も職業も違うメンツが酒を通して、ただゆるゆるとなにかを共有できる感じというのは、酒飲みの醍醐味だと思う。いろいろあってこの地にやってきて、こうして温かい人たちに支えられてここまでこれたことは、本当に奇跡みたいなことだけど、何かそこに意味があるのだとしたらこれからも頑張っていこうって素直に思えた夕べの酒だった。
最近、感謝って言葉に違和感をおぼえるときがある。わざわざ感謝って言葉を使わなくとも、人間の心の中にはあらかじめ備わっているものなんじゃないかなあと思うのだよね。それを自分がどういうかたちで表現するかってところのほうがポイントのような気がする。私の場合、そのへんはとても不器用というか、うまく表現できなくてもどかしく思うときのほうが多いのだけど、その気持ちだけは熱い。だから結局「ありがとう」という言葉に変換することになるのだけど、これだけじゃ足りない!っていつも思うのだよね。うぅー、どうしたらいいんだ。

 さて今週もはじまる。表現していこう。

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2016年9月11日 (日)

日曜日

 終わりがけに、近所のスナックのママが来てくれていろいろおしゃべりできたのがよかった。お店でのママの顔とは違った、母の部分だったり、お客さんには話さないであろう夜の店ならではの裏話とか、そういうのってなかなか聞けないし私もいっさい言わないので、なにかを共有できた感ありだった。ママという風格の裏にある少女のような可愛いところが、ママの魅力なんだと思った。
そして帰り際に、「お互いカラダ大事にしなきゃね」と顔を見合わせで言い合ったのがおもしろかった。結局やっぱりこの仕事は自分管理なんですよね、、、。

 今日は日曜日だけれど、夕べのお酒がなかなかに残っていたので、半日以上横になって撮りだめていたビデオをみながらダラダラと過ごした。損したような気もするけど仕方ない。休日で身体調整しないと、明日からがまたつらくなる。
さて、私の休日は今からかしら。。。

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2016年9月 9日 (金)

勇気って

 昨日のつづきだけど、、、私の周りにいるすごい人たちの話。
すごい人というのは、自分にものすごく謙虚で、だからこそ次のステージを目指すときに人一倍努力したり苦しんだりしている人なんだろうなあと、
先ほど私のフラメンコの師匠を見て思ったのでした。(実は今レッスンから帰ってきたところ)
私の場合、自信がないというのを理由にダメな自分を創りあげてたんだ。勇気を出すのもこわいし、そういう部分にエネルギーは使いたくないとかって思っていた自分が、すごく恥ずかしく思えた。
よーく考えたら、自分がどんなふうに生きようと、他人には関係ないんだよね。他人を傷つけたり世の中に迷惑をかけないのであれば、生き方って自由なんだよね。そう思ったら、私なにびびってんだ?!って思ってしまった。どんどん狭くなっていた自分、枠を作っていた自分に今日は気づかされた、、、。
時間はかかると思うけれど、少しづつ勇気を出して本来の私を取り戻していこうと思った。

 今日のレッスンは、自分の殻をなかなか破れなかったのがもどかしかった。この扉の向こうには、きっと楽しい世界が広がっているんだろうな~、という手前の部分までは行けた気がするんだけど、やっぱりそこは勇気をふりしぼるしかないと思った。本当の自分が見えてしまうのはちょっと恥ずかしかったり、こわかったりもするんだけど、きっとここを超えたらいろんな意味で力が抜けて楽になれるのだと思った。そして空気と一体化できるんだ、きっと。

勇気って、孤独と向き合って自分自身とたたかって、そこから生まれるパワーなんだろう。

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2016年9月 8日 (木)

マイブーム 

 最近の傾向。身近な人たちが、表面的にも内面的にも魂レベルでも(?!)、どんどんグレードアップしていっている!というのを感じる昨今。
それを感じている私はというと、「私もがんばらなくちゃ」となればいいのだけれど、結構なんだか落ち込んじゃったりするから、自分ってつくづくめんどくさいと思う。
 なんだろな、一方ではぐんぐんレベルアップしていく人間もいて、もう一方ではいつまでもたっても停滞中な私みたいな人間もいるんだものね。同じ人間として、こうも違うなんてね。
そういう人たちの刺激が、今はちょっと痛く感じる。正直な気持ちです。
そんなに頑張れないし、そんなに前向きになんてなれない。意地を張っているわけでもなく、今を生きるのに精一杯なだけ。毎日その繰り返し。
今の私はこんな感じだと思う。

 午前中、事務的な手続きで近所の役所に行ってきた。職員さんたちはほんとうみなさん優しくて、意外なところで癒されてしまった。何気ない声かけ、何気ない笑顔、作ってなくて自然に湧いてくるやつ、ひさびさだ。雨の中、ニコニコになって帰ってきた。
 そしてここ2週間くらい、毎日作り続けている餃子シリーズ(もう何弾になるかしら)を、今日も作った。今日はキャベツをいっぱい入れた浜松餃子バージョン。実はキャベツの餃子は、私の原点の味なのだ。母がいつも作るのはこれだった。母の味には届かないのは分かっていても、舌の記憶をたどれば当時の映像と一緒になってあの頃がよみがえってくるんだから、味覚っておもしろい。
そしてそれをうちに来てくれたお客さんが食べてくれて。想い出のおすそ分け?!。
そう思うと、やっぱり心を込めて作ろうってなる。だって私の人生が料理にのるわけだから。自分を表現する手段が、私にとっては料理なのかな。
今日は役所の職員さんたちに癒されて、やさしい感じに仕上がってるといいけど。

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2016年9月 7日 (水)

距離感

 困っている人に手を差し伸べるのはあたりまえのことなんだけど、差し伸べる前にちょっと立ち止まって考える自分は、昔から「じゅんちゃんって冷たいよね」とか「空気読めないよね」とか言われる理由なんだと思う。ここ最近そのことについて結構真剣に考えたりする。
 相手との距離感って、私にとっては大事なのだ。近すぎるのはちょっと苦手。だからどんなに親しい人でも、やっぱりちょっと距離を置く。以前、整体師の仕事をしている友達が、私の顔を見たとたん、そのことを一瞬にして当てたことがあったっけ。さらに彼女はこんな私のことを精神病だとも言っていた。(まぁ間違ってはいないけどさ)
 私の周りにいる人たちを見ると、本当に相手のことを自分のことのように心配したり気にかけてあげたりするのがあたりまえみたいになっている。昔は、私もこうだった気がする。(たぶんこどもの頃)いつの日からか、こんなふうになってしまった。
もっともっと相手の中に、ふつうに飛び込んでいける自分になりたいなーと、最近ちょっと思ったりするのです・・・。

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2016年9月 2日 (金)

ふらふらめんこ

 フラメンコのレッスンへ。
ここ1年くらいずっと身体作りを中心に意識してきたので、踊りがただの“振り”になっていたことに気づかずににいた。(涙)
師匠にそのことを指摘していただいて、はっと我に返った。そうか、私のやっていたのはフラメンコじゃなくて、ただの振付けだった。フラメンコとはなんぞや、魂とはなんぞや、情熱とはなんぞや、みたいなところからずいぶん離れているところにいた。だから楽しくなかったのね。とほほ。
でも、そういうところが実はいちばん難しいということも分かっている。ことばでは表現できるものではないし、具体的な体の動きとかでもない。芯から湧いてくるものだったり、魂の叫びだったり、きっとそういうものなんだろうな。その人がとことん孤独に向き合った結果、にじみ出てくるものなのだろう。あーーなんてむずかしいのだろう。
私なんてまだまだひよっこだ。ひよっこなりに表現していくしかないのだろうなあ。表現することをとめてしまったら、その先にあるものも見えてはこないものね、、、。

 そしてなんだかいろいろ精神的に落ちている今なので、目の前のあらゆることがこわくてしかたない。こわから、足が前に出ないという感じ。
こういう心境ってなかなか人には言えないので日記にこそっと書いて、自分の気持ちを少し客観的に冷静に見ることにしている。
とりあえず小さくてもいいから楽しいと思えることを探してみようかね。

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2016年9月 1日 (木)

前なんか向けない

 秋のせいなのか、、、ゆうべは久々に泣いた。しかも、なんで泣けてくるのか自分でもよく分からなかった。
たぶん、いろいろたまっていたんだと思う。いい歳して泣くなんておかしいよねっていう、もうひとりの自分がいるんだよね。こいつがいてくれないと、私はどんどんこどもみたいになってしまうので、こいつがうまくバランスをとってくれているんだけど。たまにこどもじみた私がこうやって前にしゃしゃりでてくるんだよね。まぁ、私にとってはふたりとも大事な存在ってこと。

 前にも日記に書いたけれど、ここのところ本当に自分に自信がない。たとえば普通のおとなだったら普通にできることを私はできない、っていうことが多い、というか多すぎる。べつにそれが“私”だからしょうがないじゃん!って言えてたときもあったけれど、私ができないことによって周りに迷惑をかけることがあって(実際にある人から指摘をうけました)、そうなるとめちゃくちゃ落ち込んで、身動きとれなくなっちゃうのですね、、、私の場合。できないことをできるように努力することは決して嫌いじゃないのだけど、その人に迷惑をかけてしまったことに罪を感じてどうしていいものやら分からなくなる、というのがどうやら自分。
そうなるとその“できないこと”のほうばかりに焦点が当たっちゃうので、自分てダメだ~~ってどんどんなっていく。まぁ結局、弱っちいということなんだけど。
上なんか向けないし、前なんか見られなくて下ばかり見てるけど、なんとか小さな光を見つけて、(というか、創り出して)そこを信じて生活していきたい。
それが最近の目標。

秋はいろいろ揺れるね、、、。

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