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2016年2月

2016年2月29日 (月)

完ぺきは無理

 完ぺきにやるとか最後まであきらめない、とかっていうのが昔から得意ではなくて、もういい歳なんだからそのへんはしっかりしないといけないよなぁと、周りの人から指摘されてその都度反省するのだけど、やっぱりできない自分がいてモヤモヤ・・・。
完ぺきにしてしまったらそれですべてが終わっちゃう気がする。最後まであきらめずに頑張る自信もない。人生は、いつどうなるかなんて分からないから、常に余白と余力を残しておきたい。大事なのは、その時その瞬間に柔軟に対応できるカラダと精神だと思う。
などと思っている自分なので、いろんな意味でちっとも成長しない。
だからたくさんの人に迷惑をかけてしまうし、誤解されることも嫌われちゃうことも多い。これはこれで仕方ない。
嫌われないように自分を偽ることのほうが、自分にとっては罪なような気がしてならない。

 この間、心理仲間たちと久しぶりにTEGをやって(心の自我状態を見るための心理テストのようなもの)、「あぁやっぱりこうなっちゃうよね」みたいな部分を感じたので、もちろんそのテストがすべてではないけれど、自分の心の要素って、幼い頃に出来上がったんだろうなぁというのをつくづく感じた。
普段は気づかないけれど、心にはいろんな想いと歴史が刻まれている。心ってすごいな、人間ってすごいな、とか思ってしまった。いろんなことにもまれながらもなんとか生きようとしていたこどもの頃の自分を抱きしめてやりたくなったし、愛おしく思えたりもした。
たまにやるといいみたい、TEG。
知らぬまにこの歳まで来たと思ったら大まちがいで。自分という人間に関わってくれた多くの人たちとの心の交流がその背景にはあるということに、思わず感謝したくなった。
それらすべてが、私たち人間の心の要素になっていると思ったら。
などと、久しぶりに原点に返った気分。

 昨日はお休みだったけれど、一週間分の疲れがたまりにたまっていたので、一日じゅうぼうっとしたまま終わってしまった。
最近この、どこにも行かない何もしない、というのが一番の贅沢 というのをしみじみ感じる。中年ですねぇ。






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2016年2月25日 (木)

月末

 月末。いろいろ払いものしたりして、懐もハートもスカスカ。こういうとき、モノや人や何かに頼りたくなるのだけど、結局のところこの自分を満たしてあげられるのは自分しかいないんだよね という着地点は知っているので、つべこべ言わずにしっかりやれということなんだろう。
自分はどちらかというと弱っちい人間の部類に入ると思うのだけど、こういう気持の積み重ねだけはあるので、ある部分は男みたいにたくましく育っているのだと思う。

 ちょうど1か月分の疲れもたまってくる頃。気持ちも投げやりっぽくなりがち。「もうどうにでもなってしまえ」という気持ちを抑えることなく本気で外に出してみると、案外、素の自分が戻ってくるので、正直な自分だけは大事にしていきたい。

 頑張った自分にと、お昼においしいかき揚げ定食を食べに行くも、油が重すぎてがっつり胃もたれに。自分の体調がすぐれないせいもあるのだろうけど、こんなに油っぽかったかしら、という感想。天ぷらの下に敷いてあった紙が、びしょびしょだったし。
久しぶりに行ったので、自分の味覚が変わったせいもあるのだろう。もう最近は淡いとか優しいとか、そういう路線になってきてる。歳のせいもあるのだろう。かといって、ヘルシーとはちょっと違うような。カップラーメンだって食べるし、がっつり肉だって食べる。まぁ全体的に、薄味系ということだろう。

 めずらしく昼寝なんかしてアイロンかけして今から仕事。
ここ2,3日はまっているたこ焼き。今日も作ろうかなぁ、、、
などと言っているのはつまり、お店が暇だということ。
たこ焼きなんか焼き始めちゃったら、他の作業ができなくなっちゃうからね。それでも自分が楽しめるのだから、こういう気持ちの余白を持っててよかったって思う。








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2016年2月23日 (火)

いろんな自分

友達がランチに誘ってくれて久々の女子トーク会。
自分から誘う とかってなかなかできないから、こういうのたまらなく嬉しいんだよね。
常日頃、受け身で慣れている自分なので、こういうことをサクサクっとスマートにできちゃう女子ってかっこいいなっていつも思う。
さらに、良くも悪くも気を遣わなくていい彼女なので、こちらとしても楽チンだし。(ここは大事なポイント)
楽チン過ぎていろいろ喋りすぎてしまった。それだけいろいろ溜まってたんだな、俺。
彼女と別れて家に戻ってきた今、自分の中でいろいろ出来事が起きていて、この気持ちを書きとめておこうと思って、ペンをとりました。

こんなダメダメな自分でも、それなりに頑張ってた、ということ。
どちらかというと、自分が褒められることより自分以外の周りの人間が褒められることのほうがだんぜん嬉しいし、自分なんかどうでもよくて、周りが幸せだったらそれでいいと思うたちだから。
だけど、知らず知らずのうちに本当の気持ちというのを粗末に扱っていたみたいだ。奥のほうにいた小さな私が、自分の存在に気づいてとSOS出してたんだよね。なんで気づいてあげられなかったんだろう。
そんな中、今日は久しぶりにずっと無視してたもうひとりの私出会うことができました。
小さな私を今の私がハグしてやってます、今。
特別な感情が湧いてくるとかではなくて、ただただ目の前に繰り広げられている風景をぼんやりと眺めいるだけなんだけどね。
とても不思議な感覚。

自分の中にいるいろんな自分に、たまにこうして出会ってあげるのってすごく大事ね。



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2016年2月19日 (金)

ぽかぽか

風の中に春がいて、そういうのを細胞たちがちゃんと覚えてるこの感覚こそ、この世の最上級のよろこびだと思う。生きててよかったと思う瞬間。

うきうきしながらチャリンコで仕入れに行って、その帰りにお花屋さんの店先で一目惚れしたクリスマスローズの鉢を買って、、、。こういう日はいつもとはちょっと違うことをしたくなる。
毎日いろんなことがあって落ち込むこともたくさんあるけれど、こんな気持ちのいい空気の中にいたら、せんぶが帳消しになっちゃいそうだ。
我ながら単純人間でよかった。

ひとつの感情にしがみついていたときには見えなかった世界が、今ちょっとずつ目の前に開けていってる。
この感じ、大事に味わっていこう。

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2016年2月18日 (木)

嫌われポイント

 私が男の人から嫌われる理由のひとつに、“なんでも思ったことをそのまま言う”というのがある。良いこともあれば、相手にとって都合の悪いことだってあるだろう。せめてオブラートにでも包んで、、、というのも不器用な自分はできないのだ。
気持ちを許している相手だからこそなんでも言える と勝手に思っていたのだけど、どうやらそれは相手を傷つけていることだってある、というのをこの歳になってようやく気づいたもんだから、もう手遅れってことなんだけど。
気を許し合える仲だからこそ、そのへんはデリケートに対応しなきゃいけないことらしいけど、、、。ほんとむずかしい。
 とはいえ、なんでもかんでも好き勝手に言っているわけではなく、自分なりのルールに則って言っている、という気持ちもあるのはたしか。(言い訳?!)
 じゃぁ、そのルールって何だろうと、自分なりに考えてみたのだけれど、どうやらそれは普段は表に出てくることのない自分の中の“男”の部分が優位になるときのようだ。つまりそうなると男同士の闘いみたいになっちゃうということ。
自分が男の立場だったら「それはありえないだろう」とか「それはカッコ悪いだろう」とか、女の立場で言うのではなくて男になっている自分がズバズバ言うものだから、相手はたまったもんじゃないと思うし、腹を立てるのも無理ないと思う。(ほとんどの場合がお金に関すること)

 そういう自分を反省しつつ、ここ最近は相手に湧いてくるそういう気持ちを自分なりに押し殺したり、無理に良いほうに解釈したりしていわゆる“いい人(女)”になる努力をしてみた次第である。そんな穏やかで平穏っぽい毎日に、相手は満足しているようだった。
一方、自分といえば本心とのギャップにストレスがたまりまくり、、、。
外側をどうきれいに装ったって、本当の気持ちととことん向き合って勝負しなきゃダメだと思うんだけどね。
やっぱりどう考えたって納得のいかないことはいかないじゃん。
 
 さて、この気持ちをどう消化していくかが今の課題。
愛情があればお金なんて・・・ などというのはまったくの嘘、
といういうのをしみじみ実感しつつある43歳。

 だから嫌われちゃうんだね、、、。




 

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2016年2月14日 (日)

雨あがり

 ここ名古屋にも、春一番が吹いたとか吹かないとか、、、。
 朝の、なんともいえないこの気だるい空気に、あの懐かしいハワイ島のヒロの町を重ねた私。この気持ちはすぐにでも日記に降ろさなくてはとペンを走らせました。(実際にはペンじゃないけど)
 日系人が多く住む町。雨が多くて空も町も鉛色のイメージ。でもどこか懐かしくて心惹かれるのは、そこかしこに日本の匂いがちりばめられているからだと思う。
大きなガジュマルの木はお父さんみたいで、いつも見守ってくれてるみたいだった。
あぁ、また行きたいなぁ。
 あのときは(というか、いつもだけど)、本当にお金がなくて、それでもハワイ島に行くことを決めた。観光とかじゃなくて、命の洗濯のために、あの場所が必要だった。
ありのままの自然のエネルギーというのは怖いくらいに強烈で、それがストレートに沁みてくると、思わずそこから逃げたくなるんだけど、そこでぐいっとお腹の下に力を入れて受けとめようとふんばる。そうすると、ありのまんまの自分が突き出される。もうそれは丸裸にされたみたいな感覚。
自然というあの広大なエネルギーを目の前にすると、どんな人間も素直になるのだろうな。いい経験をしたし、またあの経験をしたくなってきたぞ。
やっぱりこの狭い日常の中にいただけでは、意識していなくともいろいろ歪んでくると思うしほんとの自分が分からなくなっちゃうと思う。
たまに調整しなくちゃな。

 そんな相変わらずの日常の中で、相方さんともてきとうな関係を保ちつつ、なんとかやっている感じです。
今のようになって、ようやく過去の自分を客観的に見られるようになったのはたしか。
相方さんを男性として立てようと、一歩下がるのが自分の役目だと思ってやっていたことが、それがいつしか相手のプレシャーになっていたこととか。
“前に立つべき人間がこんなんじゃダメじゃん”的に、相手に言っていた私は、つまり自分のほうが前にしゃしゃり出ていたわけで。
思い起こせば恥ずかしいかぎりであり、これじゃ嫌われて当然だったよなと、今になって反省してたり。嫌な女でした、私。
 自分の淋しさを相手が埋めてくれるものだと信じてすがりついていたことも、今思えば愚かなことであった。
 結局は、自分でなんとかするしかないわけであって、夫婦(俺たちは夫婦になれなかったが)であっても、お互いが自立していないと、その関係はうまくいかないものなのだ。寄りかかれる安心感は必要だけど、実際に寄りかかりすぎてもダメだということなんだろうな。
自分の芯をしっかりと固めることが何よりも大事だということを、ひしひしと感じてます。

 自分の中にある淋しさを温める作業は大事。温めている自分を愛おしく思うことも大事。
だからといって立ち止っていては、苦しみを温存させちゃうことになる。
その中で、どうやって生きていくかを探りながら、ちょっとづつでも前に進んでいかなきゃいけないから、人間って本当に大変だな、ってつくづく思う。




 

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2016年2月 2日 (火)

心の癖

 以前、心理オタクの友人たちと、依存と執着の違いについて話し合ったことがある。
どちらも、その人にとっての心のよりどころのような、支えのような、そんなイメージがあると。
そして私たちが最終的に出した答えが、本人が依存や執着に気付いていてそれを自覚してそれなりに健全に過ごしているのであれば、さほど問題ないことだよね、ということだった。
もちろん心が健全でなければ、なにか対策を考えるべきだと思うけれど、そうでなければ、その人が生きていくうえで必要なものなのだから、無理に取り除かなくても、と。
そしてそのときのメンバーのほとんどが、大なり小なりなにかしら依存しているとのことだった。依存することによって、私たちは心のバランスを計っているものだと。
 もちろん、自分にもいくつか見当たるものがある。
私にとって、依存とは心を支えてくれている杖のようなもので、執着とは心の弱さを隠すためのフタなのだ。
それらを自覚しながらこの歳まできたけれど、ここ最近、心の窮屈さを感じてきたのだ。自分の心のワンパターン化が退屈に思えてきて仕方なかった。

 そこで、大事にしていた執着心を最近ひとつ捨ててみた。
などと、なんともあっけなく書いたけれど、実はものすご~く勇気がいったし、とにかく怖かったし、自分が壊れちゃうんじゃないかと思ったくらい。
でも。捨ててみたら、意外にもそこにこだわらない自分がいてびっくりした。なにより、今までとは違う世界が目の前に広がったのは感動ものだった。
そうか、こういう世界もあったんだなと、子供の頃に戻ったみたいな感覚もあった。

 かといって、その後の私がものすごく変身した、という話もまったくないけれど、何かが軽くなったような、少しだけ自由になったような、そんな感覚で今いる。

 勇気と決断って大事なんだな、ということを
またひとつお勉強しました、という最近の出来事をひとつ書いてみました。

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2016年2月 1日 (月)

外食

 さて。何を書こうかな。

 昨日はお休みだったので、まるまる静養日にあてた。休日といえど、最近はなかなか休めないことのほうが多かった。カラダはボロボロだったし、たまには思い切ってお休みするのも大事かと。
そのおかげあって、夜にはだいぶ快復した。食いしん坊欲も戻ってきたところで、以前から気になっていたお蕎麦やさんへ出かけることに。

 このあたりでも有名なお蕎麦やさん。店内の雰囲気やおかみさんの接客にも、長年大事に守り続けてきたその店の歴史を感じた。
もう最近は、今流行のイケイケなお店よりも、長年地元の人たちに愛されてきたような味わいある店のほうに興味がある。年のせいだろうか。

 さっそくメニューを拝見。板わさ始まり、焼き海苔、だし巻きなど、蕎麦屋の定番おつまみもそろってる。これは日本酒をちびちびやりながらゆっくりと堪能し、最後にザルでシメる!と、自分なりの食いしん坊計画にウキウキ感が高まった。期待大である。
 しかしながらいざ注文すると、お酒が来る前にじゃんじゃんおつまみが並んでしまうという始末。まぁ、忙しそうだったから仕方ないよなと思いつつ、なんだかそのうちに店内も満席になって、待ってる人もいるしで、ゆっくりしちゃいけないみたいな雰囲気になってきた。おかみさんや店員さんの「さっさと蕎麦を注文して帰ってくれよ」的な視線を感じたし、(もちろんそんなこと言われたわけではないけれど)、なにより、待っているお客が真横にいるので、落ち着かないったらありゃしない。
そこで“お酒ちびちびシメの蕎麦計画”はあきらめ、“酒もおつまみも蕎麦もごちゃまぜ的計画”に変更。まぁこれでもじゅうぶん楽しめるので、これはこれでいいけれど、どこか急かされているみたいでとにかく落ち着かない。
 しかしながら帰り際におかみさんの、「ゆっくりできなくてごめんなさいね」という一言で、おかみさんの正直な気持ちが全部見えた。

今はネットでなんでも調べられる時代だし、昔ながらのお客さんというよりも、そういう世界から来る人たちのほうが多いのだろう。これはこれでお店的にも売り上げ的にも嬉しいことだと思うが、根底にある大事な何かからそれてきてしまっていないだろうかと。きっと、このお店もそんなびみょうな位置でやっているのだろう。
おかみさんや店員さんの表情もどことなく疲れていたし、なにより、店の入り口に生けてある花が哀しい感じに枯れいて、まるでなにかを物語っているようにも見えた。
 ペエペエながらも自分も店をやっている人間なので、一般のお客さんが気付かないようなところまでいろいろ繊細に感じてしまう。感じながらも、勉強する。もはや職業病。
 お店の方針はそれぞれだから、何がいいが正しいとかはないけれど、蕎麦は美味しかったし愛がこもっていたので、どうかこれからも長く歴史を紡いでいって欲しいと思った。
 また行くかどうかはびみょうなところだけれど、何か機会があれば、、、という感じである。

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