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2015年12月11日 (金)

おじいちゃんとおばあちゃん

 昨日は母方の祖父母のお墓参りに茨城のほうへ遠征に行ってきた。というのも、以前からずっと気になっていた自分の祖父母の存在というものについて知りたかったというのもあるし、最近ある人から言われた「お墓参りに行くといいよ」というひと言で、「もうこれは行くしかない!」となって、その流れにそのままのってみた。

 おじいちゃんおばあちゃんの話の前に、私の中に常にある“淋しさ”とか“孤独感”について少し書いてみようと思う。この話が今回の流れと直接繋がるかどうかは分からないけれど。
 私の両親というのは、娘の私が言うのもなんだが、良くも悪くも独特な人たちだと思う。幼い頃から両親のケンカを目の前にして育った私には、安心できる居場所というのがなかった。ケンカの仲裁に入るのは私だったし、4歳のときに初めてそんな両親に向かって、「いい加減にして!」とずっと堪えてきた気持ちをぶつけたことは今でもはっきりと覚えている。それ以来私は、両親という存在を大事なかけがえのない存在と意識しつつも、気持ちのどこかで軽蔑していた。「大人になんかなりたくない」と思い始めたのはその頃からだったと思う。
そんな両親でも離婚という選択をしなかったのは、私たち(弟)子供のためだったと思う。たしかにそこは感謝しているけれど、私としてはとても複雑な気持ちもあった。
 もし、この人たちが離婚という選択をしたとして。私が母方についたとしたら、気持ちのどこかで父を憎しみながら大きくなったのかもしれない。もし父方についたら、ずっと母を憎みながら成長したであろう。
でも結果として私は、どちらの味方にもならなかった。というか、あるときは、母の味方をし、あるときは父の味方になる、みたいな、ある意味要領のいい仲裁役になっていたと思う。でもそれで家族が仲良くなれるのだったらなんでもしようと思った。子供ながらに自分が接着剤の役目になろうといろいろ頑張っていた。
 ひとつ下に弟がいるけれど、彼も早くから家を出ていった人間なので、今でもほとんど関わりがない。姉である私が推測するに、きっと彼も居場所を求めて人生を放浪するのだろうと、なんとなく予測がつく。ただ私とは正反対のエリート路線の彼なので、そのへんは私より上手にやっていくんだろうなと、なんとなく頼もしくも思えて安心はするけれど。
 兎にも角にも、いいとか悪いとかではなく、私はたまたまこのような環境の中で育ったので、幼い頃から「家族って?」「親子って?」「兄弟って?」というのが、よく分からなかった。成長するにつれて、その疑問符が底知れぬ淋しさと孤独感に変わっていったのは確かだった。さらに、その気持ちを誰に打ち明けたらいいのか、いつも悩んでいた。私の味方って誰?と。

そんな中で、祖父母の存在というものには、今までの人生の中でほとんど触れてこなかった部分で、気にはなっていたものの、最初から味わったことのないものにはなかなか関心が持てない、というのが正直なところだと思う。
恥ずかしながら、祖父母を知らないでここまできた私の人生だ。赤ん坊の頃に一度会ったとか、もしくは私が生まれる前に亡くなっていたとか、その程度しか知らない。もちろん顔も名前も分からない。両親からも聞いたこともなかったし。

 今回このような流れにいたって、初めて知った祖父母の存在。おじいちゃんおばあちゃんがいるから、父や母がいるわけだし、そして私という人間がここにいるという現実。この感覚が私にとってはとても新鮮だった。
父方の祖父母に関しては写真を手に入れることがてきた。写真の中のおじいちゃんおばあちゃんは「初めまして」とは思えないくらい近くに感じたのも、すごく不思議な感じだった。

 今回の一件で、私の中にある淋しさと孤独感が、少しだけ薄らいだ感覚があったのは確かだ。何かに見守られている感を確認できたのは、すごく大きかった。

 子供の頃からずっと苦しくて「もうヤバイ」と何度も思った。いつもぎりぎりのところを生きてる感じだったけど、それでも“生きる”のほうを選択してここまで来れたのは、見守っていてくれたじいちゃんとばあちゃんのおかげかもしれない。

 見えない力に私は支えられてたんだなと思うと、私という人間はひとりで勝手に生きているというのではなくて、繋がってきた命を受け継いで今ここにいるということなのだろう。そう思うと、なんとなく力強さとか頼もしさや責任感みたいなものを感じる。
そして自分の父や母にも、お父さんやお母さんがいたことを思うと、父も母も子供だったんだと、ちょっと愛らしく思えたり、そういうことを冷静な立場から見えたり考えたりもできる。なんかおもしろい。
人間ってみんな凸凹していて不器用でいいのだ。だけどそこにはいつだって愛がある。そしてその愛は繋がって受け継がれているってことを今回初めて知った。
 そして、私のこの人生のシナリオを作ってくれたご先祖さまや、ここまで育ててくれた父ちゃん母ちゃんに感謝したいと思った。全部が“〇(まる)”になるって、こういうことか。

 それにしても実家に帰るたびに、ものすごく長い旅路を終えてきたような、そんな感覚になるのはなぜかな。まだ43年しか生きていないのに。

 お墓にいるおじいちゃんおばあちゃんと、写真の中のおじいちゃんおばあちゃんに、ありがとうとこの歳になって初めて言えて、胸のつかえが少し取れた気がした。

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