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2012年9月

2012年9月30日 (日)

台風接近

 天気予報どおりに北名古屋にも台風接近。しだいに強くなる雨、ごうごう唸る風。遊びに来ていたタクミを早めに帰宅させる。
 奴が無事に家に着いたのを確認して、ほっとひと安心。でも外は真っ暗だし、テレビも映らなくなっちゃうし、いつもと違う日曜日の感じがとても不安に思えてきて心細くなった。
そんな中、王子は一日じゅう頭痛と目の奥の痛みをうったえていた。自然の変化に過敏に反応しちまう情けなほど天然素材な我ら、、、。


 録画しておいた“くさまやよい”さんのドキュメンタリーを観た。あの水玉の女王といわれている芸術家だ。
彼女の作品に彼女が宿っている感じがなんともいえず、涙があふれてきた。

とにかくこの世が生きにくく、子供の頃から苦しみを抱えていた彼女の唯一命を繋いでいた場所が絵を描くことであったということ。いつも死が隣にある感覚とか、死にたくなっちゃう気持ちがいつもそこにあることとか、、、それは単純に生きることから逃れるとか命を放棄するとかいう意味とは違うということも。自分が幼少時代からずっと抱えていた想いと重なるところがあってなんだかとても他人ごととは思えなかった。
しかし彼女はその苦しみの中から光を見い出したのであった。それが絵を描くということだったのだ。きっと彼女にとっては天国のような場所だったに違いないだろうし、その場所があったからこそ83歳という今まで生きてこられたのだろう。

 そこにひとりの人間の人生があることとか、命があるということとか、そしてその命の輝きに、人は感動するのだと思った。
 生きていくのってほんとにむずかしいといつも思うけど、彼女の生き様に勇気をもらった気がした。


 夜は野菜いっぱいのスパイシーなカレーを作って食べ、そのあと今を埋めることがうまくできなくて、思わず日本酒をガンガン飲んで陽気にさわいだ。
バランスとるのって本当にむずかしい、、、。









 

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2012年9月29日 (土)

スペースが・・・

 仕込みの合間に、錦にあるチャンピオンカレーを食べに行ったり、来週の町のお祭りで足りないものなどを買い足しに行ったりする。久々に食べたチャンピオンカレー、自分の体調もあるけれど、かなりヘビーであった。小麦粉のたっぷり入った昔ながらのカレーって、最近重たく感じるんだよね。考えてみれば、米の上に粉。炭水化物のダブルパンチだ。 若い頃はへっちゃらだったけど、歳をとるたびに哀しいくらいに体は正直になるものである。
そんな中、タクミは大きなカツがのったカレーをペロリとたいらげていた。若さだわ。


 料理の仕込みも、自分の中の「食べさせてあげたい欲」が増すたびに、道具や調味料や材料がどんどん増えていって、スペースが足りないという状況。最近買ったハムなどを切るスライサーは、置く場所考えないで買ったので使うたびに隣の部屋の棚から持ってきて、ヨイショと台の上に乗せて使っている。もちろん、台に置きっぱなしだと次の作業ができないので使い終わったらまたもとの位置に運んでいく、、、というのの繰り返し。(決して軽いものではない)すごく効率悪いのだけど、ハムは切り立てがやっぱり美味しいのでそうするのが一番なのである。
さらに料理しながら大量のボールやら調理器具がシンクに散乱するので、作りながらも洗い物も同時に片付けていく。洗い物は気持ちの整理につながる。

キッチンの中は、まさにひとり運動会状態。こんなこと、外からは絶対に分からないんだろうな~とか思いながら作るのもまた楽しいんだよね。

せま~いスペースで最大限のことをする、、、、これが目標。
料理って、体を使うというよりも、頭を使うことのほうが多いと感じるのはこういうこと。頭とハートが死んだら料理は作れない。本当にそうだと思う。


 夜は王子と一緒に町の役員さんをやっているハマちゃんが来てくれて、ゴハン食べながら祭りの打ち合わせ。どうしても硬くなりがちなこういう仕事。でも、よくぞこのハマちゃんが今年の役員さんになってくださいました!といくらい柔らか頭の持ち主さん。王子の中にある「人を喜ばせたい!」とか「せっかくやるんだったら楽しくやりたい!」的な考え方と全く同じ人。もう、こういう人がいてくれるということだけで心強いし、役員になった甲斐があるってもの。祭りがどうなろうともういいのだ。(投げやりではなく)
ココロの経験こそが財産なのだ。こういう人に出会えたのも、自分たちが正直な気持ちで貫いてきたからこそ。
来週が楽しみ。

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2012年9月28日 (金)

みんな友達。メロディヨガ部瞑想会

 ほぼまる一日、台所にいる日。
午前中はアロマのイベント。といっても、自分はゴハンを作るだけだけど。
台所にいながらも、みなさんの温かい雰囲気を感じ、お得感満載。ちょうどその時間、窓からは柔らかな風が流れてきたり、ぽかぽかした日が差してきたりして、みなさんがまるでひとつのオレンジ色の絵の中にいるみたいに見えた。その絵の中に、自分のゴハンが添えられたということ、かなり嬉しい。
決してゴハンが主役になるのではなく、人とか物語とかの流れの中にすうっとさりげなくとけ込めるようなゴハンでありたいと思う。主役とかストーリーを支える位置に。がんばろう。
初めてお会いする人もいたけど、結局ゴハンでつながっちゃうんだよな、とか思った。ありがたき仕事です。

  夜はメロディ♪ヨガ部の瞑想会。
バリバリと料理を作りまくる。でもさすがに作りっぱなしなので、どうしても味が強くなりがちに。王子に何度も確認してもらいながら味を決めていく。
こんなとき思うのは、一日中、厨房にいるようなコックさんってすごいな~って。結局、自分のニュートラルを知っているからこそなせる技なのだろうな。そういう意味では自分はまだまだ修行が足りないのう。

その肝心の瞑想会では、収穫いっぱい。
目に見えない世界のほうが、実はずっとずっと深いということだったり、そこではありえないような物語が繰り広げられていることだったり、もうついていくしかないじゃん!って感じ。おもしろすぎる。
そしてたぶん、このおもしろすぎる発見をし続けるのが日々を生きていくということなのかもしれないな。
まさに、自分という人間は「得体の知れないかたまり」だということ。そして、こやつをとことん知ろうとすることがまさに人生だし、永遠の旅なのだ。というのが、今日のざっくりとした感想。
体の各所に意識をひとつづつ向けていったときに、体が「ここは真っ黒です」「ここはカチカチです」「ここはきらきらしてます」「ここは何かを抱えております」とか言っているみたいなのも、おもしろかった。
ガイドをしてくれたりえちゃんが、まるでお母さんみたいに全部の空気とか空間を温かく包容してくれていて、そこに愛を感じて泣きそうに。
初めてお会いする人もいたりしたけど、一度でもこんな空気をみんなで分かち合っちゃったら、誰でもみんなすぐにお友達になっちゃうよな、とか思った。瞑想よいです!
王子も「瞑想会、めっちゃ楽しい!」って言ってた。なんだか楽しい夜だった。またやりたーい。

さて。明日もたぶん一日台所デー。
まずは、気持ちの切り替えと、スカスカになった冷蔵庫を新たに埋めていく作業からとりかかるべし。
瞑想して気持ちが整理されているせいか、すぐ次のことにとりかかれそうだよ。流れてるってこういうこと?!

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2012年9月27日 (木)

肌寒いね~

 朝起きるとまだ暗い。冬時間も近づいているんだなあ。秋の深まりとともに鳥のさえずりも虫の音も変化してきてる。風の中には乾いた草の香りが溶けていて、田んぼのあぜ道では彼岸花が周りの風景に艶やかな色を添えている。
そういうことを敏感に感じられるのもこの季節ならでは。ひとつひとつ見落とさないようにしよう。

朝いちばんでフラメンコへ。
なんと生徒二人という超濃厚レッスンであった。濃厚なので、もちろん師匠の愛のスパルタ度もいつも以上で、ひぃひぃ言いながら頑張ってついていった。この歳でこんなに汗流して真剣になれるものがあるってしあわせ。青春ってこういうことかも。(いまさら)

 今日は基本の体の使い方を徹底的に学んだのだが、今までこんなものかなぁと思いながら踊っていたことが実は全然違っていたということが判明しショックを受ける。いい意味でのショックは、刺激になる。この刺激こそが学ぶということなのだわ!とか思いながらも、来週にはケロリと忘れているというのがいつものパターンなので、自分の中にしっかり落としこんでいく作業が必要。
それにしても、フラメンコって奥が深すぎて、「これだ!」っていうのにたどりつくのには、ものすごく時間がかかるだろうな。経験の積み重ねのみなのだろうけど。

 師匠が「今でも、まだまだだっていつも思いながら踊ってるのよ。」と言っていて、目指す人とそうでない人の違いはここにあると思った。そんな中、常に手さぐり中な自分にとっては、とりあえず中間地点でもなんでもいいから、ちらりと何かが見えてきたり分かってきたりする瞬間みたいなものが欲しいわけで、師匠に「ぴっかーんとなる瞬間ってあるんですか?」って聞いたら、「あるわよ!」と。
どうやらそのぴっかーんにたどりつくと、踊りながらとにかく気持ちがいいんだそう。興味津津。行ってみたいな~早くその場所へ。
まだたどりついていないけど、なんかその感覚ってすごく分かる、って思った。音楽やっていたときにそういうのって味わったことがある。
たぶん、今の自分は、その場所を探しているんだと思った。だからぎこちないし、あやふやだし、納得感がなくてもどかしいのよね、、、、今。
謎が解けた感あり。ある意味気持ちいい。(踊れてないけど)


 夜は王子に「この仕事手伝ってくれたら、ワイン飲んでもいいぞ」と言われ、バリバリと張り切る。目の前のにんじんが酒ともなると、俄然がんばれちゃう私って、、、。

 なんとなく充実感のある今日いちにちだった。体を動かしたり頭を使ったりってすごく大事なんだな。若いころは分らなかったけど。 
いろんなものが循環し始めるのをこの体が感じてる。

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2012年9月26日 (水)

本音

日々の小さな悩みごとも気づけば、普段の何気ない日常の中に溶けていってる。ただ坦々と日々を紡いでいれば、自然とそうなるものなのだなあ、を実感。
逆に悩みごとが膨らんでいっているときは、自分がどれだけそのことに執着しているかということだからとことん向き合うか、さもなければ一時保留ということにしてとりあえず手放してみるということが大事だと思う。どちらにしても勇気のいることだ。
だからこそいつも流れていたいと思うよ。


 夕べ遅くに帰ってきた王子は、お昼近くまで寝ていた。私がバリバリ店の仕度やら仕込みをしてガチャガチャ音を立てていたって、まったく起きる気配なし。疲れているのね、、、。
1時すぎに家を出ていったけど、その間ほとんど会話なしの私たち。ケンカしているわけでもないのだけれど、なんとなく今彼の空気には触れられないという感じ。
だいたい、王子が見ている世界(仕事のこと)と私が見ている場所(いつもの日常のこと)は、まったく次元が違うので、そこでお互いの言いたいことを言おうとすればぶつかるに決まってる。
たとえば、私の日常の淋しさをここで彼に伝えることはまったくの御門違いであって、そこまで私もバカではないので、何も言わずに黙っているしかないんだよな。
しかも、私は奥さんでもないしすごく微妙な位置にいる人間なので、最終的には自分のことは自分でなんとかする、っていうところに行き着くのよね。内面的な問題も、実生活の面でも。
だけど、意味あって一緒にいるわけだから、何かを分かち合いたいっていう正直な気持ちはあるのよ。考えれば考えるほど、そのへん複雑になるな、、、。
シンプルにいえば、「自分OK」の状態を自分で作ればいいってことなんだけどね、、、。


 夜、王子が近所の居酒屋に誘ってくれた。夕べのお詫び?!
「夕べは仲間連中と女の子のいる店(健全なほう)に行くつもりだったけど、行ってみたらちょうど警察に取り押さえられている最中で、お店やってなかったんだよぉ」って!
サツが調べに入る店って、、、、いったい、、、?!
まあ、男のロマンは邪魔したくないのでどうぞご自由にって感じですけど。家で、あんなに淋しい思いをしていた私の気持ちはどうなるのよ、まったく、、、、。複雑よ。
でも、そういうことを普通に言い合える関係っていうのはある意味、お互いを信頼しているからこそのことだから、いいことなのだろうな。
そのあと、彼がめずらしく仕事の話をしてくれて、コンプレックスが自分の中を掻き立てる原動力になっているという話だったり、そこには若いやつらには絶対に負けたくないという王子の基本姿勢があることだったり
そんな熱い話をいろいろ聴かせてもらって、なんとなくここ2、3日の気持ちの距離が埋まった感あり。会話するって大事。

軽く飲んだだけだったので、私は帰ってきてひとりで飲みなおし。王子は仕事。

男の人ってのめり込めばのめり込むほど遠い世界に行っちゃって、地上にいる自分のことなど目もくれなくなっちゃうのがこわいところだと思う。それを支えるのが妻の仕事であるのはたしかなことだけど(要は相手を信頼する気持ちがあれば距離は関係ないということ)、たまには地上にも降りてきて欲しいものだよ、というのが本音だったりするんだよね。



 


 

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2012年9月25日 (火)

愚痴ってみる

午前中、ちょこっと近所に買い物に出たっきり、一歩も外に出ない日。でも家の中にいながらも今日は5つもいいことが。電話をもらったりメールをもらったり、ななちゃんはでっかいカボチャを持ってきてくれたりして、誰かと繋がってる感をしみじみと味わったのだった。
自分がイケイケになているときには気づかないであろう、すごく身近な人たちの何気ない心づかいがこういうときじんわり沁みてくるんだよね。自分のまわりにはほんとにいい人たちがたくさんいる。
ヨレヨレでもいいわっ、わたし。
ヨレヨレなんだけど、正直な自分でいきていくことのほうがたぶん大事だと思うので、そこだけはブレないようにしよう。


などと、いいこともいろいろあったのだが、
今夜も王子はお仕事仲間との飲み会でいないのです、、、。ひとりなのです、、、。
自分の家族を経験してしまうと、あのなんともいえない繋がった感っていうのはどんなに月日が経とうと、自分の体の中に細胞に中にまで染みていて、ふとしたときに浮かび上がってきちゃうんだよね。過去を懐かしく想うのでもなく、淋しさの終着点がそこというわけでもないのだけど。なんか自然にふうっと、、、って感じに。あの温もりが恋しいのかな。

そうなるともう、いてもたってもいられないというふうで、自分の「今」を埋めるのが大変に。
自分で決めた人生だから、誰のせいでもないんだけどね、、、もちろん私をほっぽらかしにして(?!)飲みに行っちゃう王子のせいでもないんだけどさ。そう、全部自分が悪いの、分かってるの。
でも私は人間がちっさいので、仲間と飲むというと途端に電話もメールもいっさいしなくなっちゃうそんな王子に腹を立てたりするわけよ。飲み会が終わってみんなと別れてからようやく電話って、いったい何様のつもりよ。
そんなちっぽけなことで腹を立てたりする自分がちょっとアホらしく思えてきたので、今日はさっさと眠くなったら寝るつもり。

などと、愚痴っぽい日記を書いてるところに、たった今、王子帰宅。
タバコのニオイぷんぷん。(今日は香水臭がなくてちょっとほっとしている。)
めずらしく手土産付きである。晩ごはんを食べていない私にお弁当を買ってきてくれたのだ。しかしそれを王子の優しさと素直に捉えられない自分がかなしい、、、。裏がありそうじゃん。
かなりひねくれてます、、、あたし。

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2012年9月24日 (月)

自然欲

近所の田んぼの稲穂が黄金色に染まり始めた。秋の虫たちの戯れも、乾いた風も、この季節にしか味わえない贅沢な風物詩。
自分のコンディションって、自分で整えなきゃいけないものだと思っていたけれど、季節の色を肌で感じたとき、自然が人間に与えてくれる力がそこに確実にあることに気づくんだよね。人は、風とか木とか水とかに、いつだって癒されていて、それを身近に感じさせてくれるのが、この秋なのだと。
吹いてくる柔らかな風にも感謝したくなる、そんな季節だったりする。
ついでに、私の中の山欲とか川欲とかの自然欲がマックスになるのもこの時期。どこかへ行きたいよー。


どこかへ行きたいよーとかのんきに言ってる人もいれば、王子はスーツに身を固めて今週は電車通勤。昼はサラリーマンランチを食べ、夜になれば酒場を求め繁華街に繰り出していくという、私の一番嫌いなパターンが続く一週間になりそうだ。「これも仕事なんだ」と言い張りながら体のコンディションを崩すというのもいつものこと。男の人って大変だ~。

 夜、帰ってきた王子がめずらしく「ワインでも飲もうか」と言うので付き合うことに。普段お酒に誘うのは私のほうなので、これは何かあったのだなとなんとなく感じたけど。

夜風が優しかった。
あぁ、自然の中へ行きたいー。(また言ってる)

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2012年9月23日 (日)

日曜日

今週はタクミから連絡がないのできっと忙しいんだろうな~とか思っていたら、お昼に突然やってきた。
王子の仕事で使う部品を買いに、3人で大須へ。久しぶりの大須、相変わらず活気に満ちて、人情味にあふれ、人もいっぱい。名古屋に住んでいたころは月2回は献血しにここへ来たものだ。なんだかちょっと懐かしい、、、血の思い出。(笑)

鶏の丸焼きをワイルドにかぶりついたり、餃子を食べたり、韓国屋台でトッポッキをつまんだりしながら、缶ビール片手にぶらぶら歩いた。新しいお店と下町っぽい匂いが入り混じった湿っぽいここの風景が好き。

歩いているうちにどんどん空が晴れてきて、公園で日向ぼっこしたりブランコをこいだりしたのも楽しかった。こういう何気ない小さなことのほうが、あとあとまで残ったりするもの。えさを求めて足元に寄ってくる鳩とか、ブランコの下にできた大きな水たまりとか、、、そういうの。


帰りにドンキに寄って、王子とタクミのドンキ欲を満たす。私はなぜかここに長時間いると具合が悪くなるというのがあるので、必要なものだけさくっと買って出てきた。
夕方の日の落ちるのが早くて、「なんだか秋って淋しいね~」と言ったらその意味が分かったみたいに、タクミが隣でだまってうなずいてた。

夜はドンキで買ってきたトマト缶でトマトソースを仕込み、大きなピザとナポリタン風のパスタを作って食べた。

食べ終えてゴロンとなるタクミを無理やり起こし、帰り支度を手伝う。この時間が一番つらいところだが、奴の明日を思うとそうせざるを得ないんだよな。奴が昔、「ここに住んでもいい?」ってぼそっと言ったことがあって、ものすごく胸が痛かったのを覚えてる。いろんなものをぐっとこらえて、そのとき何かを伝えたと思うんだけど、、、。早く大人になっておくれ というのが母として思うところ。大人は勝手だよな。
上のふたりの息子とはほとんど会えていないのだけれど、タクミを見ているとその向こうにお兄ちゃんたちの姿が見えるようで、奴が3人分の気持ちを毎回ここに届けに来てくれているようにも思う。長男、次男にもきっと会える日が来ると思っているし、そういう時は必ずやってくるということも、なんとなく最近分かるようになってきた。


 タクミが帰って、王子は仕事部屋へ。自分はテレビの前でうとうととしながらこの日記を書いています。
昨日、王子を怒らせてしまったので、それっぽい話題にはいっさい触れなかったけれど、やっぱりなんか気になっちゃうのよね。隣にいるからこそ、分かち合いたいって思うこともある。
でもまあ、今はだまって静かに様子を見るとしよう。自分は自分の頑張ることをしよう。

明日からまた1週間始まるんだな。

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2012年9月22日 (土)

熱く生きる人たち

 久しぶりに開けたDSの友達コレクションの中で、なんと王子と私が結婚していた。う、うれしいっ。
でもなぜかゲームの中の私が言っていたのは、「やっぱり男が好きなのよ~」であった。あらゆる意味で当たっているが、ビミョウなところではある、、、。


 ここ最近、王子の様子がいつもと違うので聞いてみると、あることで悩んでいるとのこと。私もなんとなく想像ついていたことだったので「やっぱり」ってなったけど。
そこでつい、そのことについて自分が思っていることを、一般論とかではなく、あくまでも自分の目線で感じていることありのままに言ってみたら、王子が突然怒り出したのだった。

つまり、彼は私が思っていた以上に精一杯考えたり悩んでいたりしたわけで、そこを私が余計なお世話的に突いてしまったということ。彼から言わせてみれば「そんなこと分かってるよ!」ということなんだよね。
「そんなつもりなかった」って謝ったけど、彼の気持ちというかプライドを傷つけてしまったことを反省した。もうそのことについて、何も言わないし聞かない!って決めたけど、お互い距離が近い存在というのは、つい言ってしまうことってあるんだよな。近いがために、まるで自分のことのように感じてしまうから。親子の関係にも似てるなぁと思った。
黙って見守る 結局これしかできないってことだよね、、、。


夕方りえちゃんがふらりと寄ってくれて、来週の瞑想会の打ち合わせ。
といいつつも、なんだかんだおしゃべりすると止まらなくなっちゃう我ら。ヨガの話、精神世界の話、お互いの大好きな話題で盛り上がる。
バカ正直にしか生きられない我らの不器用さを共有できるって最高。そして不器用ながらも、そこを模索しながら生きていこうとするエネルギーっていうのが実は人生でとっても大事なことで、そのことを知っている自分たちってなんて幸せなんだろうと思ったことだよ。あらゆる意味でおめでたい我らではある。
そしてやっぱり、彼女のヨガに自分が出会えたというのには、なにかものすごく意味があるような気がしてならないし、まさかあの都会っ子(昔のイメージ)のりえちゃんと、こんな近くで何かを一緒にできるなんて思ってもいなかったし。
何かが開けていくときの、あのスムーズな流れみたいなものを、彼女といるとすごく感じるのよね、、、不思議。


 夜テレビを観ていたら、上原ひろみさんが出ていて彼女が彼女の世界にずっぽりとはまっているすばらしい演奏を見た。
彼女を見ていると、リアルタイムで生きる人間の生々しさを感じる。人生で同じ瞬間なんて2度となくて、それを知っているからこそ今の自分を精一杯表現する というのを実践している人だ。自分もライブ感満載で生きたいものだと強く思ったことだよ。

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2012年9月21日 (金)

秋だね~

 朝のひんやりする風は、もうすっかり秋の匂い。夏は勢いの季節、秋は浸る季節。だからおのずと自分の内側と向き合う時間も多くなる。風とか光とか夕暮れとか、、、秋のかけらがそうさせてくれるんだよね。

お昼に王子の仕事仲間の男の子たちが来店。
野菜たっぷりのカレーを作ってご飯も大盛りにしたんだけど、あっという間に完食。
男の人が、もりもり食べてくれるのって、見ていて本当に気持ちがいいし、こちらまで幸せな気持ちになる。
王子が子供みたいにご飯をかっこむのなんか見てると、なんて可愛いんだろ~とかってつい思っちゃう。決して上からではなくて、母性ってやつがそうさせているのでしょう。
 そのあと、仕事の試験があるとのことで王子を含め男子3人を栄まで車で送って行く。受験生の母の気持ち?!


 何か特別に忙しかったわけではないけれど、ここのところ気持ちがざわざわしていて体は正直にそれを受けとめていたらしくて、帰ってきて泥のように眠る。
気づけば外は真っ暗で、きゅうにもの悲しい気持ちに襲われしばし動けず。いつもそうだけど、ここからスイッチオンにするまでに時間がかかるんだよな。

今夜は王子は飲み会。夜のひとりはいまだに慣れないので、家じゅうの電気をつけまくったりして、まったくエコじゃない暮らしをする。
お腹がすいたので、おにぎりとか作って食べるんだけど、ひとりおにぎりほど、寂しくて空しい気持ちにさせるものってないと思う。嘘だと思うのならぜひやってみてください。

 11時過ぎに電話があり、もう駅から歩いているとのことだったので、自分も歩いて迎えに行く。くたびれたワイシャツで頬を赤く染めた陽気な酔っ払いさんに、コンビニでアイスを買ってもらう。秋の夜の幸せ。

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2012年9月20日 (木)

本気って大事だと思う

 フラメンコへ。仲間や師匠に会いたいという気持ちだけで行く。踊りはちっとも進歩しないが、会いたい人たちがいるっていうのはとても素敵な理由だと思うんだけど(私だけ?!)。やっぱり、人は人の温もりのあるところに行きたくなるものだよ。

今日も師匠の本気のレッスンをびしばしと受ける。こういう習い事って、たいてい生徒全員に向けて指導していくものだと思うのだけど、この師匠の場合は違う。ひとりひとりを丁寧に見てくれている。これってフラメンコを教わっていながら、ひとりの人間として自分を見てくれているっていう感覚なのよね。愛を感じる~。

リズムを正確に足で刻むレッスンでは、「思うように足が動かない」と思っていたから動かないのであって、「リズムは足で打つものではなくて、体で刻むものなんだ」と突然ぴっかーんとひらめいた瞬間、体の力が抜けて足がスムーズに動くようになった。
コツは、体ごと自分ごと、リズムに乗っかってしまうというその思いきりのよさだったのだ。

 午後は美容院へ。
2か月か3カ月にいっぺんしか行かない場所なんだけど、新人だった若い女の子がみるみるうちに垢ぬけていって、かんろくが増していって、晴れ晴れとした気持になった。たまたま今日はその子が髪を洗ってくれたのだけど、技術うんぬんというよりも彼女の温かい人柄が伝わってきて感動した。そういうのってちゃぁんと伝わるんだなぁ。何をするにも一番大事な部分だよな。とても心地よい時間だった。
と言いつつも、やってもらっている最中、ほとんど爆睡していた私。カックンってなってしまう頭を何度もお姉さんに立て直してもらったことだよ。
そういうこともいちいち気にならなくなるこの中年世代、ある意味とっても楽です。


 夜はいろいろあって、考えることもいっぱいあって、凹みそうにもなったけど、最終的に思ったのは、「自分を正直にありのままに生きていれば、かならず味方になってくれる人たちはいる」ということ。
そういう人たちからもらえるものの偉大さって、なによりもの自分の支えになるんだよね。心強い。
そしてやっぱりなんでもそうだと思うけど、ココロで生きていないとだめなのだということ。
ある理由があってココロを閉ざして生きている人というのは、相手を受けいれようとする器がないのだ。相手を受けいれられないから当然自分の正直な気持ちをも受けいれることができない。要するに空回りしてるのだ。
気の毒なんだけど、これって仕方ない。こういう場合に大事なのは、「そういう人も世の中にはいる」という事実だけを受けいれるということだろう。こわいのは、そこに自分の個人的な感情を押し付けて相手を憎んだり恨んだりしてしまうこと。

こういうとき思わず人間関係ってむずかしいね、、、とか思っちゃう。ほんとはすごーくシンプルなものなのに。わざわざむずかしくしちゃうのが好きな人もいるんだな。ここ最近、驚くことばかりだ。

遅くに、まるちゃんが来てくれて、彼女の話を聴きつつも、自分の心理オタクぶりをも聴いてもらい、共有できるものがあるっていいな~を実感。
人生いろいろあって、そのときどきに考えることもいっぱいあるけれど、一番大事なことは、自分をどこまで大切にできるかということ。人生は、自分という人間の仕組みをとことん知り尽す旅のようなものだな~と、まるちゃんと話をしていて感じたこと。こういうことを自分よりもずいぶんと若い子と語り合えるだなんて幸せだぁ。

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2012年9月19日 (水)

なぜかメロデー

 今日も変な天気だった。雨がやむのを見はからって買い物に出たり、保健所に手続きをしに行ったりする。
毎年、春と秋に保健所から飲食店向けに届く書類。これを見ると、「あぁ、自分もお店やってるんだった」って初心に返る気持ちとともに、身が引き締まる想い。
手続きにかかるお金を払ったあとにおじさんが領収書を書いてくれるんだけど、こちらが「宛名はメロディーでお願いします」って言ってるのにもかかわらず、なぜかいつも「メロデー」になっているところがおちゃめ。今までのデータによると60代以降はなぜかこうなるんだよね。


 夜は車屋のワカちゃん夫妻が来てくれる。
いつも熱いワカちゃん、今日もやっぱりエネルギッシュであった。
ものの考え方とか生き方がまっすぐで、絶対にそれが揺らがないというところが彼のかっこいいところ。バカがつくくらい正直で、でもその正直過ぎるところが要領の悪さだったりして彼の生きずらいところなのかも、、、とか思った。
何が大事なのか、何が真実か、ほんとはみんな分かっているのに、ほとんどの人間が泣き寝入りしていて、そこに彼はきっと苛立ちとかもどかしさを感じているんだろうな。

奥さんは、そんなワカちゃんの一番の理解者であり、彼以上にエネルギッシュなたくましい方であった。かっこいい~。

最近、こういう熱い人たちってなかなかいないよな。敷かれたレールを行く人じゃなくて、自分たちの手でどんどん切り開いていく人たちなんだろうな、、、ふたりは。
そういう人の話って、芯が通ってて意味があって、すごく説得力がある。
いい話を聴いて、こちらまで得した気分。王子がワカちゃんを尊敬する意味がわかった。

今夜はちょっと興奮気味。いろいろお勉強になったわ。

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2012年9月18日 (火)

お外の空気を吸いに

 ひとりじゃどこにも行けない&何もできない私のことをなんでも知っているまゆちゃんが、デートに誘ってくれた。
雨は降ったりやんだり、鉛色の空ではあったが、ココロはなぜか晴れやかであった。いつも忙しい彼女とこうしてスケジュールが合うのもなかなかないことだったし、ここ最近、気をつかうことの多かった日常だったので、自分が楽チンでいられる空気が必要だった。

 彼女が下調べしておいてくれた郡上のオーガニックカフェで昼食をとる。オーガニックを徹底しているという奥さんの心のこもった手料理に心と体がよろこんだ。オーガニックのごはんって、「体に沁みる」っていう表現がぴったりだと思う。淡いんだけど、ぼやけてなくて、素材の味がちゃんと主張している。
「これを食べるようになって、体だけではなくて、自分自身がどんどん改善されていった」というオーナーさんのリアルな話には感動した。
 それにしても、周りは山と田んぼと畑しかなくて、夜なんてたぶん街灯もなくて真っ暗になっちゃうような場所にあるお店なんだけど、私の憧れている絵そのものだったので夢がちょっとだけ近く具体的になった気がした。私もいつか必ず自然の中でメロディ食堂開くんだぁ~。

 そのあと、日本一有名だという食品サンプルの工房で天ぷらを作るという体験をする。これもまたまゆちゃんがいろいろ事前に手配して申し込んでくれていた。いたれりつくせりである。
ふたりして、衣たっぷりのメタボな海老天を作り上げ大満足。奥の工房では本物と見分けがつかないくらいのステーキとかラーメンととかが展示してあって、まさに「これ見ながら白メシ2杯はいけそう!」というくらいの精巧な作り。さすが日本一だ。


 まゆちゃんの頼もしい運転のもと、おしゃべりしながら帰ってくる。楽しい時間の短さをしみじみと感じる。
夕方のなんとなく淋しくなる時間帯と相俟って、名残惜しさもひとしお。
雨にぬれた山々とか、それをうっすらと霧のように包む雲とか、自然いっぱいのところでカフェを営むご夫妻の笑顔とか、おそらく私たちと同年代であろう食品サンプルで働く親しみあるお姉さんとか、なんにもできない自分を外の環境に連れ出してくれたまゆちゃんとか、、、
一日のかけらがいっぱいで気持ちもいっぱい。
たまにこうして外の空気を吸うことって大事なんだな。


 夕方、王子が家にいて、昨日の「遠まわしパターンの人」に会って話をしたとの報告を聞く。
こちらが歩み寄ろうとしたら、逆に向こうは反対方向を見てに遠ざかってしまったという。いろんな人がいるなあ。
いつもだったら、そこで怒りまくるに違いない自分であるが、今日はとても冷静だった。山とか雲とか空とか見てきたあとというのは、なぜかそういう気持ちになるんだよな。
人と人とは仲良くなるために存在すると思うんだけど、それを自ら拒否してしまう淋しい人もいるんだなぁ。そういう人こそ、たまにこうして自然の中に身を投じてみたほうがいいと思ったことだよ。
 

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2012年9月17日 (月)

なにやらめんどうだなぁ

 まるで日本じゃないみたい、、、というようなスコールが突然降ってきたりして、一日中ハラハラしながら過ごす。うっかり窓を開けたまま買い物に出たら、案の定、部屋はびちょびちょに、、、。経験したことのないこの秋の感じに戸惑う毎日です。


 今日は、考えさせられるある出来事があり、少しだけ気持ちが揺れた。
悩むようなことでもないし、辛いことでもないので、さらっとした気持ちでここに書くことはできる。

 本来ならば、直接こちらに言ってもいいような内容のことを、あえて、別の人をかえして遠回しに伝えてくる というパターンってどうなんだろう、ということ。
これが喜ばしい内容のことならまだしも、そうでない場合、あまり心地いいものではないのはたしか。
おそらく、直接言えない理由はあるだろうし、そこになんらかの意図はあるとは思うのだけれど、あえてややこしくしてしまっているような気がしてならないのだ。
そのことを直接自分に伝えてくれた人の感情もそこにひとつの情報として乗っかってしまうと思うし。なんだかどんどん真実が見えなくなってくる感じ、、、。うぅ、、、こういうのってめんどくさい。

なので、事実が分からない&相手がどんな気持ちを持って遠回しパターンにしているのか、、、 というのが謎で、正直今、気持ちはもやもやとしている。
とりあえず何も起きてはいないので、もやもやのままにしておくけれど。

そもそもそういうコミュニケーションのパターンに慣れていないからちょっとびっくりしてしまったのだ。
でも確実にいえるのは、その方が遠回しにしてまでも何かこちらに伝えたい気持ちがあるということである。

 近いうちに直接聞いてみよう。静かな気持ちで歩み寄ったら、きっと何か打ち解けるはずだ。そこが見えないから、今はただ、もどかしいだけだもの。

そういう意味で、人間関係ってすごくむずかしい、、、とか思っちゃう。
パクパクに来てくれた初対面の子供たちが、ほんのちょっと一緒に遊んだだけで仲良くなっちゃうあの感じ、本当は大人も同じだと思うんだけどな。
揺れる自分が、流されないようにしようっと。


夕方、変な時間にお腹がすいたので、王子とタクミと3人で天津楼のらーめんとチャーハンを食べに行く。
ものすごく美味しいっていう味じゃないんだけど、昔懐かしの中華食堂っていうここの雰囲気が好き。ラードで炒めたチャーハンにグリンピースが乗ってる感じとか、、、。
カウンターのすみっこで、大将がまかないを食べている風景も、なんか好き。


帰りにタクミを駅まで送っていき、なんとなく王子も私も静かになってしまう。

子供からもらえるものの大きさに、普段大人は気づかず見過ごしてしまうことが多いのだなぁと、しみじみと思ったことだよ。






 

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2012年9月16日 (日)

笑えるビンボー

朝寝坊して、朝ごはんの仕度もなにもせずとりあえずコーヒーを淹れる。
なんにも予定がなくて、ただこうして休日の朝にコーヒー飲みながだらっとするのって、最高の贅沢のような気がする。

とりあえず家電量販店などに行き、さんざんi Phonを物色したり、ゲームで遊んだり、3Dテレビを観まくったり、店員さんにつかまったりしていたら、なんと3時間も経っていた。ここはアミューズメントパーク?!ってくらいに楽しんでいた我ら。でも、楽しむだけ楽しんでなんにも買わないという嫌な客のパターンをしっかりと踏んでいた。

なにしろ王子も私も休日だというのに使えるお金がほとんどなくて、どこにも行けないというのが正直なところなのだ。そんなお互いのお財布事情をなんとなく分かっているので、今日は地味に過ごすぞ~とどこかで決めていたというのはあった。

 若い頃は、お金がないと気持ちまで貧しくなったものだったが、歳を重ねるたびにココロの豊かさを身につけていく。なので、多少貧乏であっても、気持ちを支えてくれる何かがあるのでみすぼらしくなることはない。その「何か」を見つける工夫をすることが、生きていく知恵に繋がるのだろうな。
かなりサバイバルにここまで来たので、そういうのにはわりと慣れてはいるけど、、、。「明日食べるものがない」「まず子供たちに何か食べさせなくては」「一ヶ月もやし料理」とか、、、、、こんなのばっかりだった。でも本人は結構これを楽しんでやっている というのがサバイバルに生きるポイントだと思う。


 帰りに前から気になっていた我らが北名古屋の名所?!コッツ山公園へ行く。
コッツ山という大きなお山のある公園を想像していたら、石を積み上げたような人工のかわいいお山だった。お山の周りにはチョロチョロとお水が流れていたり、ちょっとしたアスレチックのような遊具もあって小さな公園にしては、いろいろと工夫がされていた。
王子がロープにぶら下がって向こう岸に渡るターザンみたいな遊具でひとり楽しんでいたのだが、上のワイヤーがものすごおくしなっていたので見ていてはらはらした。年齢制限と体重制限はどこにも書いていなかったので大丈夫なんだろうけど、、、。
「日焼けがこわーい」とか言いながらも久しぶりに太陽の下を満喫。北名古屋も、まだまだ知らないところがいっぱいあるなあ。


 夜は「あるものでなんとかする!」の料理を作る。料理の醍醐味っていうのは、ここにあると思うんだよね。あるもので工夫をするってところから世界が広がるこの感じ、すごく楽しい。トンポーローを作ったり、王子がほんのちょっとのひき肉でマーボー豆腐を作ってくれたりして中華の食卓が出来上がった。
「美味しいね」と言い合える瞬間は、何を食べるかとかではなく、人生のどんなときにおいても必要な幸せアイテムだと思う。

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2012年9月15日 (土)

男の人って

 朝一番で王子が町の防災講習会に参加。満面の笑みで帰ってくる王子に「なんだか楽しそうだね」と言うと、「消防車が来たんだよ!ホースを持ったんだよ!」と興奮していた。
そうだった!!!王子の子供の頃からの憧れだったのだ、消防士!と思いがけないところで小さく叶った夢にふたりして大喜び。子供みたいにはしゃぐ王子が可愛かったことだよ。

 ランチの仕事を終え、プチドライブ。
王子の大好きなトイザラスに行き、ミニカー欲を満たす。さらに鳴り物好きな彼は、私の知らぬ間にデカイ機関銃を購入してた。もちろんものすごい派手な音がするやつ。
帰ってからも何度も「いいだろ~」と言いながら楽しそうに機関銃をこちらに向けてくるので死んだふりでもしてやろうかと思ったけれど、さすがに仕事中でそんな余裕ありませんでしたよ。
たぶん王子だけじゃないと思うんだけど、男の人にはこういう「いつまでも子供の自分を大事にする部分」って持ってると思う。それにくらべてお人形ごっこする大人の女ってあまり見たことないよな。男の人っていうのは、やっぱり永遠に少年なのだ。


 夕方は秋祭りの打ち合わせで皆さんが集合。王子が司会者に名乗り出て、和やかな雰囲気の中、話し合いが進む。
私はキッチンで仕事をしていたのであまり詳しくは分からないけれど、祭りって何が大変かといえば、昔からのやり方を受け継ぎながらも今の町の雰囲気に合わせてやっていくということだろうと思った。
とくにこの町は、地元の人と、新しい住民が同じ割合くらいでいるので、祭りに関してもさまざまな意見が飛び交うのはあたりまえ。それをまとめるのがまた、今年初めて役員をやるという人たちなので、正直右も左も分からない&手探りでやるしかないという感じ。
そんな中、この手探りっぽいやり方をあまりよくないと思われる住民の方たちもいるだろうし、、、、なんだかそのへんが思っていたよりも大変そうだ。
王子はてっきり、ちゃっちゃと決まったりまとまったりするかと思っていたようなのでちょっと予定外だったみたい。
でもこういう感じも、祭りの裏方ならではの雰囲気。役員さんたちが集まるたびに「町のためにやろう」っていう思いが高まってきているのには感動した。


 夜は、久しぶりにたくさんのお客さんが来てくださって、ありがたく頑張る。料理作りまくり皿洗いまくり(食洗機が欲しい)で、肉体労働の感じを味わう。やっぱりこの空間に、人がいるという風景が私は大好きなんだよね。自分のゴハンを食べてくれる人がいる、 もうそのことだけで胸がいっぱい。「頑張っちゃうよ!」ってなる。

王子もたくさんカクテルを作ったり、お皿を洗うのを手伝ってくれたりした。この二人三脚な感じも好きなんだ。

今日は朝からずうっと作りっぱなしだったので、あまり食欲はなかったが、でも腹は減っているはずなので王子お得意の「汁なしインスタントらーめんカルボナーラ風」を作ってもらう。ものすごく塩気が強かったので(王子も疲れていたのでしょう)、お皿の脇に白メシを添える。
炭水化物オンパレードの晩ごはんでカロリーを補給。

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2012年9月14日 (金)

飲みすぎです

 ものすごおい雨が突然降ってきたりして仕入れに行くタイミングをのがす。雨音を聞きながらおとなしく過ごすのもわるくない。
昨日のセラピーの効果なのか、今日はとても落ち着いている自分がいる。

 人はみな自分が存在する理由が欲しいんだと思う。平々凡々と生きているようでも、それを支えてくれているものが何なのかを。
自分の場合は、たまたま深い理由が欲しかったわけだけれど、たとえば家族のために生きることだったり、何かを達成するために生きている人もいるというのも大事な理由だ。そういう目的とか、目標がなければ、人は生きていくのに疲れちゃう。
せっかく授かった自分の人生だもの、全うしたいものだな。
とはいえ、自分のような凡人は、何かものすごい特別なことができるわけでもなく、ただ坦々と日々を紡いでいくことくらいしかできないんだよね。でもそれでいいんだと思える自分が今はいる。「坦々と紡ぐ」の意味が今はすごくよく分かるから。

夕方、雨がやんだので買い物に出かけた。
湿った秋の匂いは、なんだかとても懐かしかった。田んぼの畦道に白サギがいて、その周りをトンボがくるくると舞っている。のどかだなあ。
買い物を終えるともう外は真っ暗で、きゅうにものさみしくなる。こういう瞬間に自分が過去に紡いできたものがふうっとよみがえってきたりして、いろんな感情につぶされて苦しくなるのがいつものパターンなんだけど、今日は大丈夫だった。


今夜はなぜだかとても飲みたい気分で泡盛をたくさんあおってしまった。
もうすでにヘベレケである。でもとても陽気な酒だったので後悔なし。
明日どうなっているかだなんて知~らな~い。(間違いなく二日酔いです)

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2012年9月13日 (木)

使命感って

フラメンコの日だけれど、気持ちがざわついていてそれどころじゃないという感じ。でも師匠と仲間たちに会いたいという一心で行く。(こんなんだからちっとも上達しないのだけど、、、。でもいいのだ)

今日も師匠の愛のスパルタレッスンをみっちりと受け、なまっていた体が少しずつフラメンコ仕様になっていくのを感じる。フラメンコ独特の体の角度とか形とか動かし方とかがあって、それを常に意識していないと、ただのお遊戯になってしまうというのを実感。すべては基礎なんだよな~。
あらゆる意味で芯のない私は、師匠が手取り足取りでこの自分の体の形を修正してくれて、それを見ていた仲間たちが 「じゅんちゃん、まるで操り人形状態だよ」と言ってクスクス笑っていたのがおかしかった。師匠も 「そうなのよ、この子人形みたいに軽くてふにゃふにゃなのよ」と言っていて、さすが自分のことを(内面的な部分も含めて)よく知ってくださっている人の言葉だなぁとみょうに納得。(納得してどうする)
そうやって、生徒ひとりひとりの身になって全身全霊で教えてくれる師匠のその姿勢にはいつも深い愛を感じる。愛とともに、師匠がまるで何かの使命感にかき立てられてそれをしているようにも見えるのだ。何かを命がけでやっている人特有のエネルギーがそこに満ちているんだよね。
そういう人からもらえるものっていうのは大きい。


 帰りにランチをして、マダムたちから今どきの学校事情やら父兄事情を聞いて驚き、「昔は○○だったのにね~」から始まる会話でみんなで盛り上がった。
それにしても「周りからどう思われようと、私は流されないわ」というような、マダムたちの基本姿勢、かっこよすぎ。流される人の多さが、今のかなしい学校事情を創りあげてしまったという話、なるほどだと思った。


 午後から、ずっと気になっていたセラピーを受けに行く。
ココロの仕事をしていて思うことだが、今ここにある感情にとことん向き合っていくと、ほとんどの場合が幼少時の経験した想いにたどり着くというのはたしかなこと。
しかしながら、ほんとうに苦しいとか、重たい感情とかに向き合っていくと、正直生きていくにも辛くなっちゃったり、生きていく意味が知りたくなっちゃったりとか、そこを考えるようになってくるんだよね。ここに命がある意味とか、自分の存在の意味とか、、、そういう部分。

もともと自分の中から浮かび上がってくるもの(潜在意識)に寄り添っていく習慣はあったので、そういうものにはとても興味があった。自分が生きていく力みたいなものも、今とても必要だと思ったし、、、。何かを欲していたんだと思う。

 その中で、私はあるふたりの前世と呼ばれる人に出会うことができたのだけど、それがまた涙なみだの物語で、確実に今の自分へメッセージを送ってくれていることがわかって、これまた感動であった。
殺されてしまった家族を守るために勇敢に戦った青年、そして短い一生だったけれど両親の愛情をたっぷりと受けて幸せに死んでいった5歳の男の子。
そこには、命を全うすることの意味とか、家族がその命を守る場所であることとか、餓死しちゃったその5歳の男の子は、「食べるということで人は救われる」と、今の私に言ってくれたりした。
自分がここまでこれたのは、自分ひとりで歩いてきたのではなくて魂に刷り込まれた何かが確実にあって、そこには多くの前世の物語があったということなのだ。
しかも、それが占いとかの力とかではなくって、自分の潜在意識から自分で引っぱってきたものであるというのがまたすごいところだと思う。
この感覚、ハワイ島で星を見たときの感覚にすごく似てる。自分たちが普段見ている世界なんて、実はとても薄っぺらくてちっぽけだということ。本当はもっともっとこの命が誕生するまでに果てしない物語があったこと、そしてそれを今の私が引き継いでいるという事実。広大だな~。

セッションが終わってとても不思議な感覚が降りてきた。何かに包まれているような守られているような、今まで自分の中でバラバラだった何かが統合されたような、そんな新鮮な感覚だ。
今日のセラピーを誘導してくれた和江さん!歳が自分と同じと聞いてびっくり。だってすごく大人なんだもの。もうすっかり頼りきって寄りかかって、ゆるゆるにさらけ出すことができたわ!壮絶な人生を歩んでこられた彼女だからこそできる仕事だと思った。何かものすごく使命感のようなものがあるとおっしゃっていて、命がけで生きている人のエネルギーにまたしても感動してしまった。

夜、王子に今日のことをいろいろ聞いてもらう。
王子もとても興味のある世界だと言っていた。そして自分たちが、出会うべくして出会ったということをあらためてしみじみと噛みしめ合った。
だって王子と出会うのは、現生が初めてじゃなくて実は前世で何度も出会っているんだもん。

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2012年9月12日 (水)

コミュニケーションって

 そもそもコミュニケーションっていうのは、自分の気持ちを相手の懐に、そしてその相手がキャッチできるように送るものではないだろうか。だから当然のこと、そこには愛がある。そのとき人は、言葉ではなく言葉の向こうにある愛を受け取るのだと思う。それがコミュニケーションだ。

 しかし、愛のない無機質な言葉を、あたかも当然のように投げてくる人も実はいたりする。
今日、ある出来事があった。100%こちらが悪いのも分かっている、もちろんすぐに謝った。でも、そのやりとりの中で、なぜかものすごく淋しい気持ちになったのはたしか。

相手はこちらの顔を見るといきなり「おたく、常識がなさすぎる」と、ぼそっと言った。
うん、たしかに常識はなかったし、自分の否も認める。
でも、こんな私に腹が立ったのであれば、まずあなたのその生の気持ちを投げてきてほしいのだ、普通に怒ってほしいのだ。いきなり冷たい言葉投げてきて、こっちは馬鹿にされた気分満々ですごくショックだったのだよ!
しかもそれがまったく知らない人ではないというのがまた悲しいところ。

以前にも、何度かそういう出来事があって、やはり最後には今日と同じような感情が残ったんだよね。
その人から、「仲良くやっていきましょう」と言われたこともあったけど、あの言葉には温度がなかった。あくまでも便宜上のことであって、「あぁ、この人ってロボットみたいだな」とそのとき感じた。
自分は、頭も悪いし、常識ないところもいっぱいあるけれど、ハートはある。生きたハートがちゃんとある。
言葉でどんなに冷静さを保とうとしたって、着飾ろうとしたって、心はすべてお見通しなのさ。

不器用でも自分は、その人のココロに言葉を届けたい。上手な言葉が見つからないかも知れないけど、相手がキャッチできるように自分の言葉で届けたい。
だって愛のない人の言葉って、ほんとに痛いんだもの、、、。

さて。これでもうこの話はおしまい。


 今日は昼も夜も、愛にあふれた温かい人たちが来てくれて、たくさん癒された。
愛は分け合いっこするものだというのを実感。自分を温めることを知っている人たちからもらう愛は、こちらも遠慮がないからすごく楽ちんでいいんだよね。

 晩ごはんは、ブリの煮付けとかポテトサラダとか切干大根の煮たのとかをおいしい日本酒を飲みながら食べた。一日の終わりの大事な時間。
自分たちの内側を温める術を知っている我らは、幸せだなあと思ったことだよ。


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2012年9月11日 (火)

どきどきしたぁ

 用事があって役場に行ったら、隣の席のおじいさんの携帯が突然!という感じで鳴ったので驚く。
おじいさん 「はい。死亡届け先ほど提出しました。火葬場への手配はこれからいたします。」
と、かなりリアルな内容を、あまりにも自然な感じで話していたので、人が死ぬということはもしかしたらこの程度のものなのかもと、そういうことを普通に受けいれてるおじいさんに、人類を見た気がした。人が刻む歴史の偉大さに心打たれた瞬間でもあった。

でも、あんな内容を役場じゅうに響き渡るようなでっかい声で話すんだもの、、、。すごくどきどきしてしまった、、、、。


夕方、王子と近所の家電量販店へ。
そろそろパソコンを新調するとのことで、売り場をうろうろしていたら営業マンさんにつかまり、あの「あぁ、ついにつかまってしまった、、、」という気まずい感じになる。
どちらかというと、王子も私もこういう場に遭遇すると「断れない」「ついつい相手の話を全部聴いちゃう」のパターン。そしてそこからすご~く長い時間、営業話に付き合うことになるというのがいつもの流れ。
そもそもこういう営業マンさんのほとんどが話が一方的なのだ(たまに違う人もいますけど)。こちらが相槌入れる間もないし、相手(客)がどう思っているかなんていっさい関係ないって感じでひとりで勝手にしゃべり続ける。売ったり契約とったりするため(それはつまり自分の業績のため)の話しかしない。
なので今日もつかまってしまったときは、(思わず「つかまる」と表現したくなる)あちゃ~とか思った。でも話をしているうちに、「もしかしたら、この人いい人かも」と思い始めた感覚があったのだ。驚き!
それはあくまでも彼の姿勢が、「客のニーズに合わせる」というものだったこと。とにかくこちらの話を聴いてくれるのである。高いものを買わせる、期限内に無理やり契約結ばせちゃう的なありがちなやり方とはまったく違ってすごく心地いいものであった。
なので気持ちよくついつい話込んでしまったのだ。この「つい・・・」が引き出せる人が実はなかなかいなかったりする。
王子 「いろいろ教えてくれてありがとう。でもすぐには買わないよ!」
営業ボーイ 「また遊びに来てください!」
すがすがしいなぁ。

 帰りにスーパーで、「仕事のストレスを俺は食で晴らすのだ!」という王子が、ものすごい勢いで肉やら魚をカゴにばんばん詰めているので、どきどきしてしまった。
まぁ、食っていうところが一番身近だし、健康的だし、晴らすものがあってよかったね、って感じ。美味しいものでも作りましょう。
 しかしながらものすごい量買ったくせに、今晩の食卓は秋刀魚の塩焼き、冷奴、ピーマンのおひたし、ごはん、、、、というなんともシンプルでしみじみとした絵であった。
「もうそんなにたくさんは食べられないんだよね、、、」と言い合う我ら。体の正直さが身に沁みる年頃です。






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2012年9月10日 (月)

ガソリン満タン

 何年も連絡をとっていなかった友人からメールが来た。少々気持ちが沈んでいるときだっただけに、勇気づけてもらった気分。どこかにシナリオでもあるんじゃ、、、と思わせるようなものすごいタイミングであった。おかげで元気100倍に。
 もしかしたらもう会うこともないだろうし、連絡を取り合うこともないだろうなと、どこかで思っていたから、なんだか嬉しかったなあ。
自分の中にあるその人との思い出のかけらが、その人の中にもあると知ったとき、その喜びははかり知れないものである。
出会いって、一瞬で終わるものではなくて、ずっと続いていくものなんだなと思った。会えなくたって繋がっているものだし、人生を支えてくれているものだったりする。

メールもらって、その友人との思い出がふわっとよみがえって胸が温かくなった。
もうそれだけで、なんでも頑張れちゃいそうな気になるんだから、人を元気にさせるものはやっぱり人の温もりしかないんだなと思った。



 仕事で一睡もしていない王子のことが心配で、めったにかけない電話を今日は何度もしてしまった。片道1時間かかる道中、居眠りでもしたら大変だ。
でも、なんとか無事帰宅してくれたのでほっとした。

本人もさすがに疲れがたまっていたせいか帰ってきての第一声が「ビール!」だった。「ただいま」じゃなくて「ビール」ってところが物語ってるよなあ。
ご飯を食べながらお互いの一日の報告会をしたりして、久しぶりにいろいろ味わった感ありだ。こういう時間ってやっぱり大事。今日を明日につなぐために「食べる」「しゃべる」「気持ちを分かち合う」って大事な要素だ。
 ビールのあとに泡盛を飲み、かなり陽気に酔っ払った我ら。ガソリン満タンで明日も頑張れそう。

 

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2012年9月 9日 (日)

雨のち晴れの日曜日

 朝から雨。午後になってようやく晴れ間がのぞいて、庭の草むしりしたり、洗濯物を干したり家のことを主婦っぽくこなす。
王子は仕事の締め切りが迫っているとかで、部屋から一歩も出ず。「もうぎりぎりだ!やばいんだ!」というオーラをばんばんに出しているので近寄ることもできず、、、。家の中にもぴりぴりとした空気感が張り詰めている、、、。
早く終わってくれ~と無責任な自分はそう願うばかりだが、そんなこと絶対言えない~。せめてもの美味しいゴハンを作って王子を励まそ~っと。

 そんな中、タクミとテレビを見たり、買い物に行ったりして日曜日っぽく過ごす。
普段は、気持ちの置き場が見つからなくて凹んでばかりいる自分だが、こうしてお母さんでいるときの自分はなぜだかとても満たされている。
いつも、自分を埋めるための何かを懸命に探しているのだけど、やっぱり答えはこれしかないんだよな。自分はお母さんでいたいのだ。それだけなのだ。
息子の笑顔を見るたびに、生きててよかった~って思うもの。
 甘いものの食べ過ぎで虫歯だらけのタクミに、いけないと思いつつもチョコとかアメとかアイスとかを今日もいっぱい買ってやっちまった、、、バカ母です。



 夕方、町のお仕事でご一緒するご近所さんが来てくれてお祭りの打ち合わせなどをする。昨日までは、なんでもかんでもみんなが楽しければいい!みたいなノリで考えていた王子であったが、やはり「祭り」ともなると、ある程度の「やり方」みたいなものが毎年決まっている ということをその方に教えていただいた。
教えてもらって良かった~という感じ。どこの町もそうだと思うけど(昔住んでいたところはとくにそれを重んじていた)、祭りとなると必ずそれ専門の長老みたいな人がいて、その人たちがいるおかげで代々その町の祭りが守られていたりする。だからまず、その人を通さなくちゃ話し合いも何も始まらないということだ。
よいことを聞けてよかったぁ~。そして町の人たちとこういう話ができたり情報をもらえたりするのも、役をもらった人の特権だ。あぁ~めんどくさいな~と思いがちなこういう仕事であるが、なかなか得することもいっぱいだ。なんでもそうだけど、「やらされてる」と思ったら面白くもなんともないんだよな。「やってみよう」って思った瞬間から楽しいことは勝手に湧いてくる。


夜、タクミが帰って、また静かな我が家に。気持ちもまたふにゃふにゃに戻ってしまった。

淋しさや悲しみに耽ることは、実はとっても簡単で単純なことで、そこからどうやって自分の足で立ち上がるかっていうのが、そもそもの人間の課題なんだろうな。その点、ずっこけてばかりいる自分だが、なんとか頑張ろう。

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2012年9月 8日 (土)

寝てばかり

 寝ると、たいていのことはなんとかなっている というのを実感する日々。
寝るという単純な作業なんだけど、それによって自分がリセットされているのをカラダで感じる。頭もなんとなくすっきりしているし。
「つべこべ言う前に寝てしまえ」、最近の傾向である。 無駄な考え事するより、宙ぶらりんな自分でいるくらいだったら寝たほうがマシ!ってこと。
まぁ、それも時間があればの話だけど。


 町内の秋祭りの打ち合わせでハマちゃんが来る。
「ハマちゃん」と親しげに呼んでいるが、きちんとお話するのは今日が初めて。まずは、お友達になることから、というのが自分たちのやり方だ。

ハマちゃんも王子も私も、初めてのことだし町のこともよく分かっていなくて、どこからどうやって準備をすすめていったらいいのか、まずそこから悩んだ。
結局、自分たちのやり方でいこう!となり、ようやく話が進展。
子供も大人も楽しめることをしよう!が今年の祭りのテーマになった。というよりも、進行役の我らがまず楽まなきゃ!というのが実は本当のとこだったりする。どうなることやら。
こういう機会があって、ハマちゃん夫妻とも仲良くなれるだろうし、町の人たちとも親しくなれるので、ありがたくお役目果たしましょうという気合満々の我らではある。


 終電も近くなったころ、タクミがやってくる。
時間も遅いので駅まで迎えに行ってくると言うと、王子に「甘やかすな」と言われる。
なんとなくその意味も分からなくない。そこに王子のいろんな気持ちが詰まっていること、分かってるから。
結局、王子が運転してくれてふたりで駅まで行くことに。いい人だなあ。
相変わらずテレテレにやにやしながら走ってくるタクミはまだまだ子供、、、。
家に戻ってきて、王子にブレーンバスターをかけられるタクミ、親子じゃないけど親子みたいな親友どうしみたいな、そんな不思議なふたりを見ていたら、平和な気持ちになった。

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2012年9月 7日 (金)

外反母趾が

 密かにチェックしていることだが、タッキー&翼の翼くん、最近ますます男前になってきてるぞ。ヒゲ、オールバック、筋肉、、、私の好きなものを全部持ってる彼。目が離せない~。
 しかし、残念なことに彼のほうが完全に年下である。
自分の場合、自分よりひとつでも年が下の男性というのは恋愛対象外であるからして、そういう目では翼くんを見られないということである。ならば、この私が若返るしかないわ。(無理だけど)
これからも応援してます!


ここ2、3日、寝てばかりいる。次から次へと眠りが降りてきて、夢の中に埋もれている感じなのだ。あまりにもリアルな夢なので、現実と夢の境目がときどき分からなくなったりも。
そしてさんざん夢の中を彷徨って、現実に引き戻されるときのあのなんともいえない切なさといったら、、、立ち直るのに時間がいるんだよな。それがもう、日が落ちる夕方近くとかだと、わけも分からず泣けてきたりして大変。なんだろね~、あの重た~い気持ちって。

それでも最近は、そういう気分のときはちょっとずつ体を動かすことにしている。
足先や関節をさすってあげたりぐるぐる回してみたりして、体の各所に指令を送るみたいに。
子供の頃に昼寝から起きてぐずる私に、父ちゃんや母ちゃんが背中をさすってくれたのを思い出した。父ちゃんや母ちゃんのあったかい手の平の感覚、今でも覚えてたりするもの。なんだかおもしろい。
体に記憶されたものって、消えないんだな。

そんなんで、少しずつ寝起きのだるさも改善されてきてはいる。

改善されたといえば、右足の外反母趾、かなりひどい状態にあったのだが、最近王子が見つけてきてくれた本に「グルグルと足の甲に包帯を巻いて寝る」という方法が載っていて試してみたところ、かなり効果が出てきた。
どうやらあの外反母趾というやつは、足の甲の筋肉が衰えてきてなるものらしい。なのでその筋肉を元の位置に戻してあげると痛みも軽減するとのことだった。
去年まで履いていたお気に入りのパンプスもヒールの靴も、もうみんな履けないって諦めていたから、ちょっと気持ちが明るくなった。だって、今はビーチサンダルしか履けない状態だもん。(泣)


 夜は仕事を頑張る王子を応援したり(ただ邪魔してただけかも)、励ましたりして、自分は静かに過ごす。
ここのところ禁酒していた我らだが、さすがに煮詰まってきた王子が「酒飲みてぇ~」と言うので、美味しいジントニックを作り、呆気なく禁酒令解除。
「やっぱりガソリンは必要だね」と王子がしみじみ言っていたのがおかしかった。

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2012年9月 6日 (木)

人恋しい

フラメンコへ。 要するに私は人が恋しいのだ、だから人がいるところに行くのだ、 を実感。
毎日家にこもる生活なので唯一、外の空気を吸って、友達がいて、しかも没頭できるものがあるというこの日は、自分にとってすごく貴重、宝物みたいな時間。気の知れた仲間だし、どんな自分をも受けいれてくれるそういう場所なので、そのままの自分で行けるっていう気楽さがいい。気楽すぎてちっとも踊りを覚えないという私であるが、これからの人生は行きたいところに行く、会いたい人に会う、、、それでいいんじゃないかな。そもそもそれが自然だ。

 今日もお姉さまたちの安定感のある優しさに包まれ、師匠の熱の入ったレッスンに愛を感じ、もうそれだけで行ってよかったって思えた。

ヨガの中で気づいたことと通ずることだけど、自分はどうやら両足できちんと地面を踏みしめて立っていないということ。体重をちゃんと乗せきれていない、つまりいつもフラフラ状態で立っているということだ。
なので今日は、足の裏をしっかりと意識してのぞんだ。指の先まで意識して踏みしめると靴の音もいつもと全然違う。まあるい音がするのだ。
 
さらに、踊りながら感情が高まってくると意識が上のほうにいってしまう自分に師匠が、「お腹で感じて!」と言ってくれたことが、今日の一番の収穫だった。自分の腹は、今までずっと謎のブラックホールだと思っていたが、ここはもしかしたら想いをためておく場所だったり、なにかを温めておく場所だったり、感じる場所だったり、、、すごおく大事な場所かもしれない。なんとなくイメージできたぞ~!
イメージすることは大事だし、なんでもイメージすることから始まる。
なのでそのあと、そのイメージで踊ってみたところ、師匠に「ムイビエン!」と言ってもらえた。
イメージの力、おそるべし、、、っていうか、それが私のヘナチョコ踊りを見ただけで分かってしまう師匠、、、さすがだなぁ。

レッスンが終わって、いつもみたいにみんなでたわいない話をしたりする時間もなんだかすごく大事に思えた。家に帰ればまたひとりだもの、、、と思うと尚のこと。
でもすっかりココロはチャージできたので、これでまた一週間越えられそう。
自分にとってのフラメンコは、今は踊れるようになることより、実はこっちが優先かも。
人は人に癒されるってほんとだな。


 夜はダラダラとテレビを見て過ごす。
なにか自分が頑張ったときって、このダラダラの時間が充実するんだよな。
頑張っていないときは、なんとなくダラダラが楽しくなかったりする。
ということは、なにごとも思いっきりやってみる というのがすべての基本なのだろう。

ところで今日この自分は、いったい何を頑張ったのだろう???。
 


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2012年9月 5日 (水)

鍵盤とわたし

人から掛けてもらう言葉のひとつひとつが温かい、、、沁みるぜ~。
そこに、人の温もりがあるというだけで、こんなにも人は強くなれるものなのだ。自分が弱っているときにしか感じられないことだな。
内側にしか向いていなかった気持ちも、少しずつ外を見ようとしてる。
視界に入ってくるものを素直に受けいれていこう。怖がらずに、、、ありのままに、、、。


 今日は久しぶりに鍵盤に触れてみた。部屋の片隅にあるホコリかぶったオルガンなんだけど、ちょっとだけピアノみたいな音がする、なんちゃってピアノである。王子がずいぶん前に、「順のココロの平和のために必要だから」と言って買ってくれた。
たしかにそれはまさに“ココロの平和”のために数ヶ月に一度だけ使われるという代物である。
なにかに行き詰まったときの気持ちの捌け口として、音が必要なときがある。
母が、まだ私が小さかった頃に 「いつか大人になったとき、ピアノが弾けてよかったって思うときが必ず来るから」と言っていたその通りになっているというのがすごいところ。
練習が死ぬほどイヤで何度も投げ出して音楽なんて大嫌いになったこともあったけれど、あれから30年以上経って、ようやく母の言っていた意味が分かる自分がいる。音楽やっててよかった~。母ちゃんありがとう。

 指はもう昔みたいには動かないんだけど、ピアノってこういうものだったんだ~とか、そもそも音楽ってこうだったんだ~、、みたいに新たな発見がいっぱいなのだ。昔とは違う視点でピアノに向かう自分がいるんだよね。楽譜の上でしか音楽を知らなかった子供の私に、教えてあげたい、、、。
学生時代は、ひたすら真面目に練習するしか能がなかった私ではあるが、やっぱり音楽って、広い意味で“どんだけ遊べるか”なんだな~って思った。なんでもそうだけど、遊びがなきゃ、ただ硬いだけになってしまう。てきとうな緩さの中に、その人らしさが見えたり、そもそもそれが人を感動させるという部分なんじゃないかな。
音の波を自分の呼吸に乗せるなんて、昔はできなかったし、考えもしなかった。自分もちょっとは大人になったわっ。

それにしても、音楽、料理、、、そのほかにもいろいろやってきたけど何一つ極めていないし、極めようと思ったことなかった。
最近思うんだよね、永遠の素人でいるものいいかなって。
いつでも初心に帰れるというか、いつでも吸収できるというか、、、、。なかなかおいしい位置なんじゃないかしら。
それってただ、深めるより、幅を広げるほうが好きなだけってことかも???
ま、いっか。

 
 夜、上原ひろみさんの新しいCDをガンガンに聴いた。
あれだけ自分の世界に陶酔できるだなんて、うらやましいかぎりだ。
もっともっと自分に酔っていいんだ!となんだか訳も分からず希望が湧いてきた。
そういうのを感じさせる彼女の演奏、生き方、かっこよすぎ~。





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2012年9月 4日 (火)

おにぎり~

 自分のココロの癖のひとつに、自責というのがある。そもそも人や事柄を責めことるより、ずっとずっとこっちのほうが健全な方法だと思うのだけど、、、。そしてなによりこっちのほうが、この自分が楽でいられる。小さい頃から身についた癖なので、無意識にいつもそうしてる。
しかしこれ、気づくと気持ちがものすごおく萎縮してたりして、身動きとれなくなってたりするから大変、、、。

 ここ最近、どうもこっちの傾向がエスカレートしすぎて、ちょっとヤバイ感じなのだ。自責は、いつか自虐になってくから。

ゆっくり深呼吸しよう、今を感じよう、って今日も何度も自分に言い聞かせてみたことだよ。

 でもさ
よれよれのときって、そう簡単には起き上がれないのよ。誰かの手を借りて起きれるものでもないから、自分の力でなんとかしなきゃなんないのよ。わかってるのよ、、、。
時間かかってもいいや。誰もこの私を急がせたりはしないし、もし急がせるものがいたとしたら、それは紛れもなくこの自分なんだから。

 今日、用があって久しぶりに電話で母の声聞いた。ひとことふたこと話しただけなんだけど(母という人はいつも素っ気ない)今まで自分を一生懸命支えていた芯みたいなものが一気に緩んでぐにゃぐにゃになってしまった。すっかり幼児の私になってる、、、とか思った。
なんかそのとき、自分の中にあった何かが分かったし、今の自分、結構ぎりぎりだったんだってことにも気づかされた。
 しかもこういうぎりぎりのときって、人の温もりとかがいつも以上に沁みてくるんだよな。痛いくらいに、、、。
でもそういうのに支えられて、自分の内側はいつもチャージされてるって思うと、やっぱり、ヨレヨレでいたほうが、イケイケでいるときよりも、ずっとずっとココロに敏感でいられるし、なによりも謙虚でいられるから、こっちのほうが自分としては生きやすいかも、とか思った。

ココロのバランスって、ほんとむづかしい、、、。


 夜、弱り気味の自分のことを気づかい、王子が「ラーメンでも行くか」と言ってくれたけど、こういうときってラーメンじゃないのよ、、、王子の気持ちはとてもありがたかったけど。なので、いつもどおり野菜たっぷりのおかずとごはんとみそ汁を作ってふたりでしみじみと食べた。

でもねほんとはね、誰かの握ってくれるおにぎりが無性に食べたかったのだ。今度王子に作ってもらおう。
おにぎりってなんかすごおおく特別な食べものだと思うんだよね。

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2012年9月 3日 (月)

雨あがり

 久しぶりに父と電話で話し、昔味わったイヤ~な感覚がよみがえる。こういうところで反応してしまう自分の幼稚さは、まだ抜け切れていないのだぁ。
父のことは好きだし、幼い頃の父との思い出は全部宝物だし、、、。
しかしある時期に感じた 人の気持ちをキャッチする以前に否定してしまう父の癖といういかやり方みたいなものにものすごく苛立ちを覚えて、だんだんと距離をおくようになった。自分の気持ちを丸ごと無視されたみたいで、あのなんとも言えない淋しさのような悔しさのようなものは、今でもしっかりと私の中にある。

 昔はそういう父の言動にいちいち腹を立てていた私ではあるけれど、今は違う。
それが私の父なのだと客観的に見れるようになった。こういうところは我ながら成長したなと思う。
父のそういうイヤなところを直してもらうとか、自分がもっと素直な娘になることとか、そんなことは実はどうでもよくって、これがうちの家族のカタチなんだと、そう思えるようになったのだ。
子供ながらに自分は求めすぎていたのかも知れないな。

なんだかんだいったって、やっぱり私の大事な父だ。これからも長生きして欲しい。そしてそういうことを面と向かって言えないというのも我が家族の特徴のひとつでもあるし、お互い言葉になんかにしなくったって伝わってるよ、というのもうちの家族のルールだったりする。
こんな家族が大嫌いで家を飛び出した時期もあったけれど、今思うと、これもなかなかいいカタチなのではないかな。

久々に父とバトルして、「あぁ、この感じこの感じ、、、」ってなんだか懐かしくも思えたよ。


今日も雨と雷と太陽と、めまぐるしい空だった。
田んぼの稲穂が膨らんできて次の季節をまだかまだかと待っている感じ。
庭の草むしりしながらカエルを追いかけた。北名古屋市、のどかだ~、、、。


夜は久しぶりにサキちゃんがお友達を連れて来てくれた。
仕事復帰した彼女は、以前よりもはつらつとしていてキラキラになっていた。
彼女の素敵なところがどんどん表に出てきて、すごくいい感じ。

お客さんがときどきこうして、「ここにゴハン食べに来ました」というより、「なんとなく来たくて来ちゃった」みたいにして来てくれるこの感じって、この仕事してて最高にうれしいことのひとつかも。






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2012年9月 2日 (日)

夏の終わり

 雨が降ったりやんだり雷鳴ったりの日曜日。
そんな中、王子は部屋で仕事、タクミは夏の宿題のラストスパート、なのでそんなふたりの邪魔をしないように静かに過ごすことに。
ときどき、サーーッという音とともにものすごい勢いでシャワーみたいに降ってくる雨、ハワイ島のスコールを思い出すなあ。雨の後に静けさだけが残る感じとか、空気の中のほどよい湿り気とか、なんかすごくハワイっぽい。
 夏の熱い太陽の下で遊ぶ近所の子供たちの声も、もうどこかへ行っちゃった、、、秋なんだな。今日、王子が町内の役員会議でもらってきた書類に「秋祭り」とか「やきいも会」って書いてあった、、。もう「カキ氷」じゃないのだ、、、。

 夏休み最終日のタクミは、宿題しながらもなんだかすごくシュンと小さくなっていた。宿題が終わっていない落ち込みではなくて(ここは落ち込んで欲しいところ)、何かが終わる時のあの切ない気持ちが丸い背中ににじんでるように見えた。それを見て、「あぁ、分かる、分かるよ、その気持ち」と子供の頃の自分を思い出したりもした。
子供の頃の夏休みって特別だったもの。絵日記の中のたくさんの思い出が重くて愛しくて、ずっとこれが続くといいな~と思うんだけど、8月31日に、はっと目が覚めて現実に引き戻されるのだ。夢から覚めたときにやってくるあのなんともいえない気持ちだ。
 タクミも、ああ見えても人一倍感じる子なので、そういうのには弱いはず。顔の表情とかにすぐ出るし、、、まったく分かりやすい奴だ。


 夕方、いつもより早めにタクミを駅へ送って行く。
「明日からいよいよ学校だから、今日は早めに帰って明日に備えたほうがいいよ」と、いかにも母親っぽく言ったけど、ほんとはもっと居て欲しかったのだよ。
母親っていうのは、時としてココロに嘘つかなきゃならないときがある、、、辛いけど。でもきっとこれができるのは、母親しかいないんだよな。
タクミの背中も会うたびに大きくなっていく。そんな背中を見送れるのは母としての特権かも。

楽しいことはいつまでも続かないってことを、大人になるまでに何百回も経験してるけど、切ない気持だけはいつもフレッシュだ。

夜はかつ丼などを作ったりして、久々の肉食を堪能。
この間まで、こんなガッツリしたもの食べられなかったのに。体はちゃんと季節に順応しているのだ。人類だなぁ。

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2012年9月 1日 (土)

ヨガ部の日。

 メロディヨガ部の日。お弁当作ったり洗濯したりして、朝のお仕事をひとつずつこなしてゆく。自分にとっては1日のうちで一番忙しく、緊張感に満ちた時間帯である。だから一通りやり終えると、ふぅ~っと一日終わった気分になっちゃうんだよね。

 今日は部員も前回よりだいぶ増えて(嬉しい!)、初めてお目にかかる人もちらほら。だんだん部活っぽくなってゆく。いいね。

 相変わらず、体はカチカチでちっとも思うようなポーズがとれないのだけれど、なぜかそこにストレスを感じることはなく、自分の体と対話するような気持ちでのぞんだ。
前回もそうだったけれど、体と向き合うことってまさに自分自身と向き合うことなので、私にとってはとても深い時間になる。「もっともっと、この自分のことを知りたい」っていう思いしかないので、今は自分の体をとても興味深く観察してる感じ。

そして、自分のこのカッチカチの硬い体の謎が今日ひとつ解けたのであった。
「硬いから柔らかくする」というものではなくて、そもそも硬いというのは、「使っていない」という、単純なことであった。使わない筋肉はどんどん凝り固まっていくものだというのを、ヨガの中で感じた。今までの自分だったら、「まあ、それが自分だから仕方ない」としか思っていなかったけれど、最近は違ってきた。
せっかくこの肉体を持って自分がこの世に生まれてきたのであったら、この身体を(自分を)、もっと知ることだったり、その肉体の可能性を引き出してあげることって、すごく意味のあることのように思えてきた。

ううむ。自分のカラダがどうなっているのか、もっともっと知りたいし、向き合っていきたいな。
 王子も、だいぶそのことについて盛り上がっていた。自分の体の中に秘められていた今まで気づかなかった可能性みたいなものに触れて興奮していたみたい。
腰にたまっていた痛みが、ポキっという音とともに一瞬にして軽くなったという話とか、、、。
ヨガの魔法、おそるべし。

 それにしても、今日はバタバタとしたまま終わってしまい、もっともっと仲間(部員)どおしの交流を深めたかったのだが、あまりできなかったな。
自分もりえちゃんも、おせっかいなくらい、「会えばみんな友達」みたいに思っているところがあるのでそんな我らにとっては今日はちょっともの足りなさを感じた。
まだ始めたばかりだし、少しずつ手探りしながらやっていこう。
でも、その物足りなさみたいなものを実はりえちゃんも感じていたということを後から知って、「あぁ、やっぱりこの人とは感じるアンテナが似てるな」と思って、みょうに安心したことだよ。


夕方、タクミの付き添いで豊橋へ向かう。
奴の好きなプロレス団体の試合があるとかで、なぜか王子と私まで行くことになってしまった。私たちをアッシーにするところなんか、まったくちゃっかりしてる奴だ。
タクミが観戦している間、我らは名物のカレーうどんをはしごしたり、“ノンアルでバーに”というのを初挑戦してみたり、豊橋を満喫。
 その後、タクミと合流し、またもやカレーうどんを制覇し、夜道を3人でアイスを食べながら歩いた。「こういう時間も1個1個思い出になっていくんだろうな」という、知らない土地にきたときに感じる切ない気持ちを味わったりした。
夏はほんとに終わったんだなというのを、夜風で感じた。




 
 

 

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