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2012年7月

2012年7月31日 (火)

今に乗る

王子と話していたこと。
「気持ちが、時間の流れについていかない」って言ったら、「もっと気楽に考えればいいじゃん」とのアドバイスをもらう。
「それができたら苦労しない」 とか思ったけど、きっと世の中の仕組みはそうなっているのかも知れなくて、そうしないと今日も明日も頑張るだなんてできないのかも、とも思った。生きてくのってむずかしいと、こういうとき思う。

今っていう現実を噛みしめながらも、今に乗らない数分前の自分がいつもいて、
そのギャップがしこりみたいになって自分の中にいつまでも残ってたりするんだよね。現実って残酷。



今日のパクパク、賑やか&子供パワー炸裂だった。
おっとりマイペースな子もいれば、気持ちが前へ前へと出っ張ってる子もいて。そうなるとどうしても出っ張る子が周りの空気を引っ張っていく感じになるので(大人の世界も子供の世界もそういうものだと思う)、全体が押され気味になる。
そういう子供たちの流れを感じながらも、「今」にある大事なことを見落とさないようにメロディ先生としてできることをやった。

ちょうど、男の子パワー全開の年頃の子たちばかりだったので、それに負けてたまるかとばかりに彼らと向き合った。我ながら大人気ないとは思うのだけど、こういうことも必要だ。
なぜなら、この子たちの不器用な自己主張を感じるたびに、「大人は試されてる」って思うんだよね。その部分と正面から向き合うことは、とっても大事なことのような気がする。
いつだって子供たちは何かを訴えていて、それを思うと、大人の事情で素通りするなんてとてもできないもの。正直疲れるけど、これがメロディ先生のやり方だ、貫こうと思う。


子供たちが帰ちゃったあとは、いつも気持ちがぽかんとしてしまって、それこそ、今というところに自分が追いつかなくて大変。子供たちがいろんなことを感じているであろうということを、自分も同じようになぞっていたりするので、それらを消化するのにはどうしても時間がかかる。
こんなとき、流れ作業みたく、次から次へと気持ちの処理もスムーズにできたらどんなに楽だろう、などと思ったりもするけれど、どうやら自分には無理のよう。噛みしめたり、感じ続けてみたり、めんどくさいんだけど、そういうふうにしかできないみたい、、、。ほんと、不器用な自分に疲れちゃう。


蝉の声が夏休み感を盛り上げてる。
明日からもう8月なんだな。

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2012年7月30日 (月)

アメ村ふらり。

青い空と真っ白い雲。夏休みの絵日記の中にいるみたい。
王子が「せっかくのいい天気だから大阪にでも行ってみるか」と朝から意気込んでいたけど、いい天気と大阪がなぜ結びつくのかは謎である、、、。

大阪といえばいつものようにIKEAコース。お昼をまわっていたので、イケアカフェでお茶したり名物のミートボールや、サーモンを食べてとりあえず腹ごしらえしたり。平日ということもあって、カフェも店内もガラガラだった。「こんなすいてるIKEA初めてだね~」と言い合いながら、カートを押しながら歩く道も今日はすいす~い。人ごみがないだけで、こんなにも疲れないなんて。

その帰りにミナミに最近できたという北欧から来た100円ショップ"タイガー”に立ち寄ることに。
しかしそれが思っていた以上の人気っぷりで、入場規制がかかっている店の前には長蛇の列、、、、しかも整理券を持っていないと、その列にも並べないとのことだ。
さらに、その整理券を配る場所というのがまったく別のところにあって、その場所にもすでにすごい列ができてるし、、。
列を見て、ふたり同時に「こりゃダメだね」と顔を合わせる。炎天下、これじゃどうにかなってしまう。大阪の人は頑張るな~と思いつつも、単に自分たちの諦めが早いだけ なのかも知れないけど。人ごみ苦手&行列嫌いな私たちには絶対無理だと思いました、、、、。

しかしながら、その後、入れなかった店の前を指をくわえながら恨めしそうに通り、ガラス越しに中をのぞいてみたけれど、なんと100均とは思えないようなオシャレな店内の作りであった。北欧というだけあって商品の色使いの豊富さに驚いたし、デザインも可愛いし、長蛇の列の理由がわかる気がした。
名古屋進出を待ち望むことにしよう。


それにしても、アメ村はオシャレな若者たちがいっぱいいた。そんなヤングな子たちに混ざって、「俺たち浮いてる?!」などと確認し合いながら、古着屋さんで物色したりカフェでお茶したりするのも楽しかった。でもやっぱり四十路男女には、さすがにちょっときびしいものがありました、、、、雰囲気的に。
でも王子が洋服屋のお兄ちゃんに「よっ!社長さん!」と呼び込みされていたのは、さすが大阪という感じでよかった。「社長さん」って呼び込みするのは、夜の街のお姉ちゃんたちだけかと思ってたもん。


アメ村の美味しいたこ焼きを食べてその味に大満足し、帰路をめざすことに。
高速道路、渋滞にはまりながらもなんとか戻ってくる。

ここ2、3日、バタバタしていてちゃんとしたゴハンをほとんど食べていなかったので、久しぶりに手作り感満載の野菜たっぷりの晩ごはんを作った。
ゴハンを作ると、日常が足元に戻ってくる気がする。
そしてゴハンを食べるということは、日常を噛みしめるとと一緒だということも。
たまに外食やコンビニ飯が続くとカラダのどこかがおかしくなってしまうのは、そういうことだったのね。

日々を積み重ねることの本当の意味は、毎日のゴハンの中にあると思う。

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2012年7月29日 (日)

お祭り2日目

女の子パワーに圧倒されっぱなしの今日のパクパク。
なんでも遊びに代えてしまう彼女たちの天才っぷりに感心させられながら、笑いのたえない3時間であった。

並べられた食材を見て、ぱっと料理が浮かぶところとか、この食材はこうやって食べると美味しいよ、などと教えてくれたりするところは、日頃のママをいかに見ているかということ。女の子ってほんとによくママを観察しているんだな~。

おしゃべりに夢中になりながらも、ちゃんとやるべきことはやっているところとか、飽きちゃうと作業が途中であってもふら~っと居なくなっちゃったりする要領のよさとか、好きな男の子の話になるときゅうに恥ずかしがったりするところとか、、、、さすが女の子という感じ。

ここに来るとみんな、それぞれに自分の自由を見つけて、(子供たちは得意!)それを好きに表現してるような感じ。見ていて、とてもすがすがしいんだよね。
歌いだす子もいれば、踊りだす子もいるし、絵を描きはじめる子もいて。みんながそれぞれ自由になってる姿。
それって自分が自分でいられる居心地のいい場所を見つけているということだから、こちらはそれを遠くで見守るしかないんだよね。ひとりひとりの自己表現、大事にしたいな。

もちろん料理することがメインなのだけど、それだけではない大事ななにかが、この空間にはたくさん落ちてる気がする。パクパク重ねるたびに、尚のことそう思うようになった。

人への思いやりとか、誰かと協力し合うこととか、料理すること以前に大事なことを、子供たちは小さなココロで見つけたり、感じたり、考えたりしてる。すごいことだと思う。
そんな子供たちの素直さに、毎回感動しまくっている自分なので、ココロがいくつあっても足りないくらい。感動と発見が今日もいっぱいだった。



午後から町の祭りのお手伝い。
串カツと、ポテトを揚げまくり、汗まみれ油まみれになって頑張った。熱風を浴びながらなので王子とふたりで「痩せちゃうね」とか言いながらビールをがんがんに飲んで、「これじゃ意味ないよね」と言い合うのも楽しかった。

そのうちタクミもやってきて手伝ってくれた。王子とふたり、なんちゃって親子ではあるが、その絵はとても幸せそうだった。王子が町内のおっちゃんたちに「息子さんですか?」とタクミのことを聞かれていたときに、「息子です!」と答えていたのには感動した。

そして、こういうときになると俄然、商売人の血が騒ぐ自分は、「がんがんに売りまくるわよ!」とばかりに、ポテトをこぼれそうなくらい山盛りにして(内緒で)あっという間に売りさばいてしまった。こういうことができるのも、お祭りならでは。みんなが笑顔になればそれでいい、っていうのがお祭りのいいところだと思う。


夜は片付け&簡単な反省会。
会議室に集まったものの、みんなクタクタで、一同しーんと静まり返っていたのはおかしかった。


帰ってきて、「疲れたけど、なんだか面白かったね」と王子と言い合った。
祭りは見るものではなくて、参加するものだというのをしみじみと感じた2日間。
この町が、また少し好きになった。


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2012年7月28日 (土)

町のお祭り1日目

町内のお祭り。蚊にさされまくりながら神社の提灯を付けたり長老たちと和んだりして祭りの雰囲気を満喫する。準備するのにこの人手は必要ないだろうと思ったりもするのだけど、(とくに女衆のできることは限られているので)作業しながら町のお姉さまたちとおしゃべりするこの感じも、祭りならではの風景のひとつ。
祭りは世代を超えて、町の人たちがひとつになるイベントだ。
王子もTシャツの背中に大きな汗のシミを作りながら力仕事を頑張っていた。


夜は盆踊り大会で、近所の子供たちと一緒に輪の中に混じって踊った。浴衣姿の子供たち、可愛かったな~。小学生の男の子たちが輪の中心で腰を振り振りさせながら踊っている姿も微笑ましかった。この町の将来は明るいかも。

この子たちに、この祭りの雰囲気をじゅうぶんに見せてあげること、それが受け継ぐこととか、伝統とか、そういうものにつながるのだと思う。
昼間、長老たちが力仕事しているときにそう思った。その姿というのが、長老が次の世代の人たちに技術を教えている、という絵そのものだったので、あらためて祭りの意味というのを知った気がした。そしてそういう男衆の汗くささみたいなものも、祭りの大事な要素なり。



今日は出ずっぱりだったので、ごはんを作る時間もなく、洗濯物も干しっぱなし。明日早起きしてやろう。


夜、ベランダに設置したビニールプール(子供用)で王子が行水してた。あまりにも面白い映像なので、写メしてプログに貼りたいところだけれど、放送禁止になりそうなのでやめておきます、、、、。
明日は午後から炎天下だ。さっさと寝ようっと。

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2012年7月27日 (金)

お母さんがいっぱい

昨日の自分が覚めなくて、ココロと体はバラバラのまま。
いつもと違う日常を過ごしたあとは必ずこうなるから疲れちゃう。
仲間と分かち合ったよろこびとか、師匠の優しさとか、どっしり支えてくれる王子の佇まいとか、、、いろんなことを、今になってもまだ噛みしめて味わってたりする。ここに、とにかく時間がかる自分は、我ながらめんどくさく出来てると思う。


なかなか次のことができないし、どーしよー とか思っていたけれど、今日もパクパクで朝から子供たちの中にいたら、あっという間に今が降りてきた。子供のパワーおそるべし。

女の子たちのパクパクは、いつもどこかに安定感がある。小さいお母さんがたくさんいる感じで、もはやメロディ先生はそのお母さんたちの子供?!みたいな位置になるのもおもしろい。
しっかり者で世話好きでおしゃまで、、それが女の子の特徴。だからここに来たら存分にお母さんになれるように仕掛けをしてあげるのが私の役目なのかな、とも思った。

いただきますのときに、メロディ先生のお皿にだけトマトがなくて、そうしたら隣の女の子がそっと自分のぶんを分けてくれたり、そういうひとつひとつの動作の中にお母さんがいるのを感じて胸きゅんだった。
後片付けのときに、三角コーナーのゴミを、さっと袋にまとめてくれたり、シンクをピッカピカに磨いてくれたのにも驚かされた。「すごいね!」って褒めたら、「ママはいつもこうしてるんだよ!」って教えてくれた。子供は、 とくに女の子というのは、ママとの距離がすごく近いんだなって思った。彼女たちにとっては、ママが常にお手本なんだなって。

子供たちを見ていると、いろんなものが原点に返るので、ある意味、楽。シンプルだし、まっすぐだし、裏も表もないし。大人が、いかにめんどくさい世界に生きているかってことが、すごく分かったりする。


夜は王子のお仕事仲間の方たちが来てくださっての宴会。料理を作りまくる。

いつも思うが、この人たちのこの感じ、すごくいい。仕事を通してのつながりだけど、人と人としてのつながりを大事にしている人たち。なんか温度がある感じ。
王子の周りには、そういう人たちがたくさんいて幸せだと思った。料理を作り終えて自分も輪の中に入れてもらったけれど、とても居心地がよかった。

もはや、そういう人間どうしの付き合いしかもうできなくなってるから、うわべだけ とか とりあえず とか、そういう付き合いの人は自然に自分から離れていくんだよね。

結局残っていくものは、ココロでつながってる人たちだけ。それでいいと思う。
疲れることはしたくないもの。


芋焼酎をたくさん飲んだので、ひさびさにいい感じで酔っ払ってる。


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2012年7月26日 (木)

祭りで踊る

暑くて焦げちゃいそう。そんな中、今日は刈谷のお祭りに参加することになってるのだ。フラメンコ仲間4人でステージに立ちます!


お昼すぎにみんなで集合し練習する。みんなで振りつけを確認し合ったり、直前になっても危うい感じの自分は師匠をハラハラさせまくりながらも、放課後の部活みたいでなんだか楽しかった。

ステージまで、時間があったのでみんなでファミレスで軽くお茶したりしてまったりしたのも良かった。普段見ることのできない仲間の素顔を見ることができて、よりいっそう結束も固くなった。
看護師であったり、学校の教師であったり、みんなそれぞれの日常があって、たまたまこうしてフラメンコというものを通して集うことができている。なんか、ものすごいことのような気がする。
そんな、みんなのフラメンコ以外の顔を知ると、その人との距離もぐっと近づくような気がするし。
普段、付き合い悪い自分なので、こういう時間がとても貴重に思えたし、必要だなと思った。でも、いろんなことを感じすぎてしまう自分としては、距離が近づいたぶん、切なさもひとしお。その人の人間っぽさとか、その人の人生がそこにあることとか、そのことだけで胸がいっぱいになってしまう。

師匠が、「本番前は肉よ!」とか言いながら、私がコーヒーをすする横で、ナイフとフォークでがっつりステーキを食べていたのは最高の絵だった。フラメンコやってる人って、いろんな意味で肉食系だと思う。そうでなければ、あの情熱的な踊りはできないわ!
そしてそんな師匠のおちゃめな部分が見ることができたのもお得感満載。


本番はあっという間だった。

王子が仕事帰りにカメラを首から下げて、まるで娘のお遊戯会を見に来てくれるお父さんみたいな出で立ちであらわれたのも最高だった。
暑い中、ずうっと娘(?!)の出番を待っていてくれて、屋台のフランクフルトを3本も食べて胸焼けになりながらも見ていてくれたのは嬉しかった。

肝心の踊りはどうなっていたか分からないけれど、思い切り楽しめた!というのが感想。
普段は、目立つの嫌い&人前が苦手 という自分の奥の奥のほうに眠る ま逆の私がひょっこり顔を出した瞬間だった。2年前は、周りの空気に流されたままなんとなく終わってしまったような気がするけれど、今日は「ここに自分がいる」というのを踊りながら確認できた感じ。ここにいる自分を精一杯楽しむことができたので、もうそれでじゅうぶんだと思った。

そしてやっぱり最終的には、人前で踊ることができてナンボの世界だと思った。
踊りだけに限らずいえることだと思うけど、人と喜びを分かち合うということに、すべての意味が含まれているのだと思う。
自己満もいいけれど、世界が小さいのはもったいないことだなって。
これからもナンチャッテダンサー、ナンチャッテ人生を地道に歩いてゆくわ。


帰りに、王子と焼き鳥屋で2、3本軽くつまみながらお疲れ様会。
本番がどうであったかという話よりも、「今日はフラメンコ仲間と半日以上一緒に過ごしたから、今とっても切ない気持ちでいるよ~」という内容の話を延々と聴いてもらった。

いろんな意味でよい思い出になったし、今までよりもっとみんなが好きになったし、やっぱり踊るのって好き!って再確認した日でもあった。

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2012年7月25日 (水)

女の子のパワー♪

その日のパクパクが終わってそのあと、自分の中のものを消化するのにしばらく時間がかかる。
大人の仮面をまとった自分がそれを剥いで素の自分になっているみたいな感覚。
そして自分という人間も、いつの間にか「大人」になろうと頑張っていたのだと気づく瞬間でもある。いろんな意味で原点に返るのよね。

そういうことに気づかせてくれるのが子供たちの存在。
彼らと接すると、大人の自分がまとったいろんなものが1枚1枚はがれていくみたいで、普段の自分とのギャップに、もはや体は化学反応起こしてる、、、そんな感じ。

子供のパワーってすごい。


今日は女の子4人組が来てくれた。
女の子が来るといつも思うことなのだけど、一緒にいる空気の中に安心感とか安定感とか、なにかどっしりとした線を感じるということ。
それを感じると、自分の中がふぅっと緩んで温かくなる。
たぶんこれって母性ってやつなんだよね。女の子の中には、生まれたときからそういうものが備わってるみたいだ。

料理しながら「いつか私もお母さんになるんだぁ」なんて言ってる子たち見てると、思わず胸がきゅんとなる。女の子の憧れは、いつだってお母さんなんだよね。どうかこのココロのまま大人になっておくれ、、、と願わずにはいられない。

小学生くらいの女の子にとって料理をするということは、お母さんになるための練習みたいなものなのだ。
その瞬間に立ち合うことのできる自分のこの位置、なんてありがたいことなのだろう。がんばろうっと。


子供たちが目をキラキラさせながら、学校のことやお友達のことを話してくれるのもすごく微笑ましい。子供たちの中には、たくさんの宝物が埋まっているってことなんだろうな。それを表に出すお手伝いをするのが、大人の役目なのかもと思う。

子供たちより、ちょっとばかり早く生まれて、ちょっとばかり長く生きているっていうのが、つまりは大人なのだ。大人だからといって、強そうにしてみたり、いばってみたり、、、っていうのは違うんだよな。いろいろ気づかされることが多いなぁ。



節電だ~と、エアコンなしで頑張ってみるも、汗がどんどんふきだしてきて冷たいものをがんがんに食べたり飲んだりしていたらかえって体には逆効果だったよう。お腹を壊しました、、、。
なので夜は、ゴーヤとかオクラとかモロヘイヤとか豚肉とか、、、夏の体に良さそうなものをたくさん食べた。

食べたもので、自分のこの体は出来ている、、、、とか思うと、食べものの力を借りることはすごく重要なことなのだ。まさに生きる力を養うことと通ずる。

そういう「食べる」ということの大切さの原点みたいなものも、子供たちに伝わるといいなと思う。

この夏は、メロディ先生とともに過ごす感じ。

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2012年7月24日 (火)

暑い~

気持ちをまっすぐにするのは比較的簡単だけど、体は嘘つかない(とくにこの歳になると)ので、そのときの自分の答えを正直に出してくれてたりする。
朝からキャベツを細~く刻んだりして、体の芯をまっすぐに整えてみる。料理ってこういうとき便利に使える。


お昼には、初めてのお客さま。素敵なご夫人たちが来てくださった。
毎度のことながら、人生の先輩である人たちに自分の料理食べてもらうというのは緊張する。有名料理店のシェフに食べてもらうよりもドッキドキだ。
舌に刻んだ歴史というのはその人の人生そのものなのだ。そう思うと、自分より長く生きているというそのことだけで、敬意を払いたくなる。身がひきしまる思い。

食べ終えて、ご夫人たちの表情が緩んでいたのを見てすこしほっとした。「食」はココロをほぐしてくれるものだということを、この仕事しているとすごく身近に感じる。誰かと食を共にするということは、言葉を交わすよりも、その人との距離がぐっと近くなる方法だということも。人と人を結ぶのには、「食」の力もあるってことよね。


それにしても今日も猛暑。冷房の効いた部屋からなかなか出られず、仕事のとき以外はほとんど引きこもり生活。日陰の子です。


いつも来てくれる宅配便のお姉さん、この暑い時期はさぞかし大変だろうな。
一回一回重たい荷物をおろし、玄関先まで運び、留守だったらまた担いで車に戻り、、、。今日荷物を持ってきてくれたときに、そんなことをふとお姉さんに話してみたら、「そうなんですよ~、大変なんです~」と、よくぞ言ってくださいました!みたいに、大きくうなずきながら言っていた。
この世に楽な仕事なんてないのだな。

そして前々から思っていたのだが、このお姉さんとしゃべると、なにかしら自分の気持ちがウェルカムになるのを感じている。たぶんお姉さんも同じように感じてると思うのだけど。

かつて車がエンストしたときに、たまたま前を通りかかった彼女が仕事の途中であるにも関わらず車から降りてきて助けてくれたり、自分が落ち込んでたりしてダメダメなときなんかは、そうっと何も言わずに荷物だけ玄関先に置いていってくれたり、、、。

彼女とは、前に住んでいたところからの付き合いなのだけど、自分がここに引っ越してくるときに、たまたま彼女の配送エリアもこちらに移動になったこととか。不思議な縁を感じる。
いつもどこかでお互いを気に掛けているという感じで、自分にとっては姉みたいな存在。


そんなお姉さんが、今日何を届けてくれたかというと、、、、
なんと箱を開けると、子供用のビニールプールが入っていた。
そういえば昨日王子が帰ってくるなり、「つい魔が差して買ってしまったものがあるんだ」と言っていたのは、たぶんこれのことだ。

夜、帰ってきた王子に 「これ、誰が使うの?」と聞くと、
「俺の」だそう。王子のこういうところ、最近ようやく理解できるようになってきたわ。

そのうち「一緒に遊ぼう」と誘われたらどうしようとか、 ビニールプールで水着になる???とか、 へんな不安がよぎりました。

なんとか2階のベランダに置けるぎりぎりサイズなんだけど、、、「これ膨らますの大変だろうね、、、」と言うと、電動の空気入れもちゃっかり購入していた。おもしろすぎだ。

この夏のプール代、浮くこと間違いなし。夏の楽しみのひとつになればいいが、、、。




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2012年7月23日 (月)

夏休み始まった

PAKUPAKUキッズ夏、いよいよ今日から始まった。
この夏、子供たちと何を創りあげることができるか、夕べから体じゅうの細胞たちがはしゃいでいて面白かった。

いつも思うことだけど、子供たちのココロって、すぐ手に触れられるところにあるってこと。大人のとは違うんだよね。
そもそも大人のココロって、高くて分厚い壁の向こうにあったりして、もはや見えないし触ることもできなくなってる状態にあったりする。
だから子供は素直だし、いろんなことに敏感だ。思ったり感じたりしたことはすぐ表に出る。そして傷つきやすいし壊れやすいのも特徴。

そんな中、もし、こちらが壁を作ってしまったら、想いは届かないし、彼らの想いを受けとることもできなくなってしまう。
そしてそれを大人が、いい人ぶって頭でっかちになってやったとしたも、子供はすぐにそれを見抜いてしまうんだよね。子供たちと向き合うということは、自分がニュートラルであること、これしかないと思う。学ぶことが多いな。


今日は6人の子供たちが来てくれた。
初めて参加してくれる子もいたけど、あっという間に打ち解けてしまうのも子供の才能。

年上の子が下の子を面倒を見る って仕組みが自然に出来上がっていることとか、ケンカが始まるとそれを上手になだめてくれたり、「いただきます」をでっかい声で言えることだったり、
子供たちから学んだこと、山盛りあった。

そしてたぶんここに来るとみんな、普段のやさしいお母さんの前とは違う顔を見せてくれてると思うんだよね。その子自身が地に足つけてしっかりと両足で立ってる姿。
(この日記を読んでくださっているお母さまたちに、「子供たちみんな立派に頑張ってます~!」と、この場を借りてお伝えしておこうっと。)

子供たちは、お家での顔もあれば、学校での顔もあるし、友達どうしの顔もあって。その仲間の一員であることしか普段は認められていないと思うんだよね。それは大人も一緒だな。
だからこそ、「わたしはわたしでいいんだ~」 って思えるひとつの経験を植え付けてあげることってすごく大事だと思う。
子供たちひとりひとりが主役になれること、ここが大事。その裏方に自分は徹しようと思う。

何度か参加してる子たちの成長っぷりを見ることができるのも楽しみだし、PAKUPAKUやってよかった~と思う瞬間だな。
今日もまっすぐな子供たちの想いを受けとめて、まっすぐになった自分。



夕方、泊まりに来てたタクミを駅まで送っていく。
母親であることの喜びと同時に、辛いこともいっぱいある というのをしみじみ感じる。

息子たちも、そしてこのわたしも、それぞれに自分の日常を元気に頑張るしかないんだよね、、、
お互いに伝わるものは、これしかないんだよな。

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2012年7月22日 (日)

日曜日の雨降り

昨日今日と少しバタついたので、自分を埋めるため、午後から美味しい中華を食べに行く。
食べものを扱うこの仕事、集中が続くと、気づけば自分が空っぽになってたりする。そんなときに一番手っ取り早い充電の方法が、美味しいものを食べるということ。
食べものが気持ちを埋めてくれる というのは本当だ。そして自分もそういうゴハンを作っていきたいものだ。

お腹がすいているばずだったけど、久しぶりに飲んだ紹興酒の、すっかり虜に、、、。食べるよりも呑み中心みたいになった。ひと仕事終えて呑む酒の旨さといったら、、、。世のお父さんの気持ちだわ。

今日も王子とタクミは一日じゅうプロレスごっこをしていた。
ふたりを見ていて面白いのは、精神年齢が近いのもあるだろうけど同じレベルで戦うというところ。お互いに手加減なしで勝負なのだ。
ドタンバタンと、部屋はプロレスリングさながらの熱気。
普段あまり見ることのできない王子の男の子の部分を見させてもらっている気分。男って戦う生きものなのね、、、と思わずにはいられない。
タクミはタクミで小さい頃からいつも「なにかがあまっている」と感じる子だったので、それを思い切り発散しているようにも見える。
タクミみたいな感受性のかたまりみたいな子は、体の中にあまっている感情をうまく外に出してあげる方法を知っておく必要があるのだ。奴はそのへん上手くやっていると思う。
それにしたって王子がいてくれてよかったとしみじみ思う。そんな王子も、戦っているときはみょうに楽しそうにしている。嫌いじゃないのよね、、、。
不思議なふたり。


明日から夏休みのパクパクが始まる。子供たちに配るプリントを印刷したり色鉛筆削ったりして準備する。
子供たちに伝えたいものというのはいつもこの自分の体の中にあって、でもあえてそれを表には出さない という自分の位置から、さて子供たちは何を感じるであろう というのがお楽しみどころ。
そして、たくさんの子供たちの感性に触れたときに自分が何を感じるのか、、、ここも。
どうなるかな。

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2012年7月21日 (土)

団欒って。

雨の土曜日。王子と一緒に仕入れに出かける。
雨のせいか、いつもより人も少なくて買い物もしやすい。

お値打ちなものがあると、ここぞとばかりにまとめ買いしようとする王子と、お値打ちであろうとなんであろうと今必要なぶんしか買わない自分と、いつも揉めるところ。結局、そんなにたくさん買ったところで冷蔵庫に入りきらないよ、という理由で適量におさまった。ふ~。
台所事情は、女の人のほうが詳しいのだ。


帰ってきて仕込み。
この季節のつらいところは、仕込みもそれほどたくさんできないというところ。
なにしろ、モノが傷みやすいこの時期というのはほどほどにしかできない。基本お客さんが来て、1からよーいどんで作る感じになる。
しかも、食材自体も買いだめできないので夏はかなりこまめに仕入れに出ることになる。でも不思議と、これを面倒だと思ったことはなくて。スーパーに行くのも大好きだし、いろんな食材に出会えると思うと楽しくてしかたないし。このことを料理が大嫌いで苦手だった母ちゃんに教えてあげたいくらいだ。


夜、タクミがふらりとやってきて、3人で晩ごはん。
毎年フジの27時間テレビを楽しみにしているタクミがテレビを占領したら、王子が機嫌をそこね、ぷいっと自分の部屋に行ってしまった。
こういう場合、私の場所というのがポイントになるわけで、、、。いろいろ考えたけど、テレビを観るとか観ないとかは別にしても、とりあえずここにいるのがいいのかなと。

子供の頃、ゴハンが終わると家族みんながバラバラに、さっさと自分の部屋に行ってしまうことがなんとなく淋しく感じたんだよね。
みんなでだら~っとテレビ観たり、一見無駄だと思われるようなことなんだけど、私にとっては昔から憧れの絵だった。

そしてやっぱり、王子のことが気になるので、そのあとワインを開けて王子を呼び寄せることに。こういうときの酒って便利。タクミなんて率先して王子のグラスにワイン注いでたし。
3人でテレビを観ながらお菓子を食べたり、おしゃべりしたり、プロレス技を掛け合ったり、クッションを投げ合ったり、、、そんなバカみたいな時間が楽しかった。
私にとっては、大事な時間だ。


2人の間にいるといつも思うんだよね。
子供がふたりいるって。(笑)

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2012年7月20日 (金)

雨ふり

昨日までの天気とはうってかわって今日は一日雨。

雨音の中で昼寝しまくる。しぼり出すみたいに次から次へと眠気が浮かび上がってくるこの感じ。こういうときは完全に自分が緩んでいる証拠なので、そんな自分をいたわりつつその眠気に寄り添うことに。これが一番。


今日はたしか終業式なんじゃないのかな。通知表を持った午前中帰りの子供たちのキャッキャの声が聞こえるかと思ったら、雨音がみんな呑み込んでた。でもそのむこうに、明日から夏休みだ~とはしゃぐ子供たちの陽気な笑顔があると思うと、なんだかそれも微笑ましかった。今ごろ息子たちも同じ気持ちでいるのかな。

大人には夏休みなんてないけれど、毎年この時期になると気持ちだけは夏休みモードになる。
ラジオ体操の音とか蝉の声とか祭りとか、、、もうそれだけで小学生気分。
夏ってそもそもそういうものなんだろうな。大人が、子供たちを見ながら昔を振り返ったり懐かしんだり、、、 そういう季節なのかも。


夜、テレビを観ていたら、とある女優さんが出ていてその人の人生が「母とかぶって仕方ない、、、」と王子が言い、観たくないとスイッチを切っていた。彼の表情が一瞬こわばったのを見逃さなかった。
もうそれだけで、なんとなく王子の気持ちが分かってしまって辛かった。

王子にとっての母親の存在の大きさとか、その母親の人生を大人になった王子が見たときにすごく不憫に感じることだったり、手を差し伸べてあげたくてもできない状況にあることだったり。
分かっているけれど、私には何もしてあげられない。だから見ていてとっても辛い。

王子の大事なお母さんなのだから、お互いが幸せになれる環境を願いたいものだな、と私はいつもちょっと離れた位置からそんなふたりを見ているのだけど、やっぱり何もできないというのが現状。

ハッピーになることって、そんなにむずかしいことじゃないと思うのだけど。そもそもむずかしく考えるからハッピーはつかめないのだと思う。幸せはいつだって足元にあるのに。などと、ふたりを見ているといつもそう思うし、言いたくもなるのだけど、家族の仕組みってとっても複雑だし、他人には分からない問題がいっぱい潜んでる。こういう家族神話みたいなものが、いろんなものの邪魔になったり、支配してしまうときってある。めんどくさいよ。


そんなこんなで、すごく気まずい雰囲気になったけど、晩ごはんのあとにふたりでアイスを食べながらなんとなくいつもの雰囲気に戻っていった。よかった、よかった。


最近思うのだけど、人は、家族や友人やいろんな人たちとつながっていなくては生きていけないものだけど、それ以前に大事なことは「まず自分という人間をを温めてあげること」なのだと。
自分が温かくなって初めて、人とのつながりを求めるものだと思う。
人の幸せ願うくらいだったら、まず自分がつかまなくては、、ってことだ。

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2012年7月19日 (木)

木曜日は緩む~

フラメンコのレッスンへ。ただでさえ暑いのに、ちょっと動くだけでもう汗まみれ。
すっぴんになるわ、髪の毛びちょびちょで風呂上りみたいになるわ、自分の足元にだけなぜか池ができるわ(汗です)、 でも踊っているときはそんなこと気にしてる余裕なんかなくてとにかく必死。この歳になって、打ち込めるものがあるっていい。

今日も人数が少なくてごまかしがきかない、、、。などと言ってるからなかなか上手くならないのだ。
最初、自分も含め2人しかいなくて、そうなると踊っていてもなんとなく気持ちがのらなくて振り付けをなぞるだけのお遊戯状態。
でもそのうち、ひとりふたりと人数が集まって踊りの中に加わると、その場の空気が動き始めるのが分かる。踊る楽しみってたぶんそこなのだろうな。その空気と一緒に自分の呼吸も波打つ感じが。

師匠の目はふたつしかないのに、よくもまあ全員の踊りを把握しているものだと、みのりちゃんの陰でコソコソ踊っていた自分が実は一番目立っていたということが実証されたひとつの例であった。

それにしても踊りを楽しむ、というところまでいくのには、まだまだ修行が足りないと感じた。この間の師匠のライブを見てそう思った。道のり長いな~、などとぼやいていたら師匠が「私もいつもまだまだと思いながらやっているのよ」と言っていた。上には上がいるんだな。
でもきっと、そういう師匠だからこそ自分はついていこうと思うのだろうな。その師匠自身のフラメンコにかける情熱が伝わってくるから。
情熱って常に燃やし続けていないとだめってことなのね。


汗まみれで帰ってきてシャワーを浴びたら、一気に体の力が抜けてふにゃふにゃになる。
木曜日というと気持ちのネジが緩むのも恒例になってきた。
仕事から離れてまったく違う空間に身を置いてみる、ただそれだけで自分にとっては違う星に行った気分なので、そこからなかなか戻って来られないというのが現状。
午後はもう、頭は起きてるのに身体が動かないという寝たきり状態。


暗くなってきてようやく重い腰を上げキッチンに。晩ごはんのしたく。

でも不思議なことに、手を動かしているうちにいつもの感じをあっという間にとり戻した。
も、もはやこの身体、台所仕様になっている、、、。


夜は久々になみちゃんからメールをもらって彼女の元気を確認。そしたらそのあと、しばらく会っていない友人から立て続けにメールが来た。みんな元気そうでなによりだった。
「あの人どうしてるかな~」という想いというのは、時空を越えて相手に届いているのだろうし、そう想った瞬間、相手も同じことを想っている ということなのだろうな。
想うという目に見えない行為の中にすべてが詰まっているということなのだ。



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2012年7月18日 (水)

暑い~

失敗続きだったケーキ、やっと納得のいくものができた。結局、朝1番で焼いたのも失敗し、お客さんが来る手前でなんとか出来たというふう。我ながらサバイバル~。

すごく焦るのだけど、こういうとき最後のぎりぎりの線がいつも自分を繋いでくれている気がする。すごく細い線なのだけど、「大丈夫」って繋いでくれてる線。今までの自分の経験から紡ぎだされた一本の糸なんだろうな。
その線を信じてるから、失敗するのを怖いと感じたことはないのだと思う。

そしてやっぱり今日も思ったけれど、スランプと感じるときって、物事の結果に満足していないのではなくて、自分自身に満足してないときなのだということ。
物事を見つめるよりも、自分と向き合ってみたほうが、そこからなにか答えが見い出せる。こっちのほうが近道。そんなふうに思った。


 王子にすすめられていた銀河鉄道999の劇場版、ようやく観終わった。
子供の頃はなんとなく観てただけだったけど、今観るとすごくテーマが深いことに驚いた。これは大人のアニメだ。

機械の体を手に入れようとしていた鉄郎が、旅を続けているうちにやはり生身の人間のままでいることを決心するところとか、、、。心とか命がテーマになっている物語だということを、子供の私はたぶん気づいていなかっただろうな。
バックに流れる音楽も美しかった。もちろんエンディングのゴダイゴも子供の頃に初めて聞いた「なんか外国っぽいカッコイイ曲」そのものだった。
王子の初恋相手がメーテルだったというのも、なんか分かる気がした~。

なんだかタイムスリップしたような気分だったし、アニメって普段ほとんど観ないのだけど、自分の身を一瞬にして異空間に置けるのもアニメの力だと思った。はまりそう。


 今夜も暑い。王子と扇風機を奪い合いながらテレビを見たりして過ごす。

夜のしめった風、網戸に引っかかるカナブン、風鈴の音、うちわ。夏の風物詩はいっぱい。ついでにパンツいっちょうでごろんと横になる王子も。
子供の頃見た風景そのまんまで、なんか好きだな。



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2012年7月17日 (火)

失敗は成功のもとなのか

お昼に来てくれたお客さんが「もうしばらく来られなくなるわ」と口々に言っていた。いよいよ今週末から夏休みに突入するので、そんな彼女たちの気持ちが分かりすぎるくらい伝わってきたけど、お店は普通にやっているわけで。そんなこと言わないでいつ来てくださってもかまわないですから~という感じ。(店主のさけび)
いよいよ世の母たちの夏休み戦争が始まるのだわ。分かるわぁ~。

昼過ぎにななちゃんが来てくれた。鰹節と鰹節削り器持参で。
鰹節削るのなんて、子供のとき以来だったけどやってみると思い出すものだわ。
削り器にひっかかるときのあのシュッシュッという爽快な感触、ちゃんと体が覚えてた。
いい大人がふたりして、まるで子供がおもちゃに夢中になるみたいに無心になって削りまくった、、、しかもランチ時のカウンターの上で。
おもしろい絵だったと思う。
ななちゃんいつも楽しい出来事をありがとう。


午後は買い物に行き、戻ってきて仕込み。
小さな店なんだけどやることいっぱい。ひとりで全部やるということは、こういうことなんだと最近しみじみその責任の重みみたいなものを感じる。でも、ひとりほど気楽なものはないのでどっちもどっちだと思う。そしてひとりだからこそ、「いつも自分という人間と戦っている」 という意識がなければたぶんやっていけないと思う。甘い道に逸れるのは簡単なこと。
気を引き締めていこう。

気を引き締めていこう、とか言ってるそばから、さっきまで普通に焼けていたケーキが、まったくうまく焼けないという状況に、、、、。
材料の配合、生地の具合、焼き方、、、、いつも通りやったつもりだけどうまくいかない。
そのあと、同じこと3回やったけど、どれも満足いかない結果に。スランプだ。

こういう時期ってあるんだよな。それを越えなければ見えないものってある。
自分がステップアップしようとするとき、たいがいこの壁にぶち当たる。
「も~やだ~~」って投げ出すことは簡単だし、思わずそうしたくなるんだけど、こんなときこそ気持ちを静かに持って、その出来事と自分との間に微妙な距離を置くことが大事だ。

そして失敗するときって、たいがいその作業をやりながらも、「たぶんこれ失敗する」っていうのを感じながらやってたりする。そして作業を終えて「やっぱり失敗したよね」ってなる。
でも、2回目も3回目もなぜだかその感覚はなかった。なので、もしかしたらそれなりに出来ているのかも知れなくて。
自分の満足度のレベルが上がったということかな。

でもまあよく分からないけど、失敗は失敗だ。静かな気持ちで次にのぞもう。ここはフットワーク軽く、次から次へと動作を止めないでいくのがポイントだ。


夜、お米がないことに気が付いてあわてて遅くまでやっているスーパーに向かった。
夜のスーパーマーケットって、また昼間とは違った色があっておもしろい。
会社帰りのスーツ姿の人とか、風呂上りか?!って思わせるようなせっけんの匂いぷんぷんの人もいたりして。
そこですごーく安くなっていたお刺身買って、お味噌汁とごはんとインゲンのゴマ和えで、今夜は簡単ゴハン。


ふぅ、それにしても、失敗続きからまだ抜けられない、、、。(気持ちが)
こういうときは、懲りずに失敗し続けてやる~って気持ちを静かに持ってのぞむのが成功への近道のような気がする。一発成功を目指すより、回数こなしたほうが成功したときの濃さと厚みが違う。

悶々としてるところから早く抜け出さねば。


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2012年7月16日 (月)

だらだら過ごす休日

海の日ながらの晴天。空が開かれてる。今日は休日だし、海辺に繰り出す人たちも多くいることだろうな、などと思いながらも
タクミとふたりでテレビの前でゴロゴロしながら過ごした。王子は出勤。

「ねぇ、テレビのリモコンとってー」「あいよー」のやりとりも寝転がったまんま。ゴハンも、お腹がすいたらなんか食べるという超適当っぷり。
窓の外は青い空が広がっているというのに、なんとも不健康な我らであるが、これもまた楽しかった。奴と一緒にいる時間のすべてが宝物だから、何をするかとかどこに行こうかとか、そんなことはどうでもよかった。夕方になればまたそれぞれの生活に戻っていくと思うと、今この瞬間が愛おしくてしかたない。ココロはいつも精一杯だ。


あまりにも退屈してきたので近所に買い物に出ることに。
休日の昼間のスーパーってすごく静か。みんなどこか行っちゃったんだな。
レジのお姉さんも退屈そう。
そんな中、普段買わないジュースやお菓子を買いまくる。タクミがいるときはなんでもかんでも特別仕様になる。それも楽しい。

お会計のときに、ふとカゴを見るとメンズものの汗ふきシートなるものが入っていた。タクミが黙って入れたのだな。
もうそういうことを気にする年頃になったんだなぁと思うと胸きゅん。
でも、いつも一緒にいるお母さんだったら、こういうことももっと身近に気づいてあげられるはずだし、まめに洗濯だってしてあげられるのに、、、とか思うと、ちょっとばかり気持ちは痛い。
奴の今の家族といえば、男ばかり4人。それだけいたら男臭ってやつもそうとうなものであろう。思わず、帰りにドラックストアでいい香りのするボディスプレーを大量買いして、タクミに持たせてしまったよ。 年頃の男どもが、女の子たちに嫌われては大変だ。(母心)


そんなこんなでだらだら過ごした休日もあっという間。

王子もタクミがいるのでいつもより早めに帰ってきてくれて、3人で晩ごはんの食卓を囲んだ。
今夜はステーキ丼ぶり。ふたりの豪快な食べっぷり、見ていて気持ちがいい。そういえば昔から、付き合う人とか好きになる人って、みんなこんなだった。ゴハンを美味しそうに食べる人って、無条件で幸せな気持ちになれる。


今日思ったこと。
自分の身勝手な生き方のせいで、息子たちに不憫な思いばかりさせてしまったと、そのことばかり考えて胸は痛かったけれど、
王子と楽しそうにじゃれてるタクミと見ていたら、奴にはお父さんがふたりいる ってことなのだと、ふと思ったりした。これって悲しいことではなくて、ある意味幸せなことなのかもって。

ダメ母として、一生背負っていく罪の重みはたぶん軽くなるこはないけれど、息子たちの目線で見たときに楽しいことや幸せなことって、いくらでも作ってあげることができるんじゃないかなって思った。
ちょっとだけ目の前が明るくなった気がする。

この夏、しばらく会っていない長男や次男にも会えるといいな。





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2012年7月15日 (日)

あっという間の日曜日

師匠の踊りを観に行く。
久しぶりに触れる生ギターの音、生歌、バイレの魂・・・、鳥肌が立った。私の好きなのはまさにこれ!というフラメンコの世界がぎゅうっと詰まってた。

それにしても、師匠をはじめ出演者のみなさんの踊りのレベルの高さには驚いた。

へなちょこダンサーの自分が言うのもなんだが、見ていて「この方は、まだ年数的に浅いだろうなぁ」というような人たちであっても、ちゃんとフラメンコしてる!っていうのが伝わってくる踊りになっていたのには感動した。
振り付けをなぞっているのではなくて、「フラメンコの楽しさを知っているよ」というのがあの人たちのベースにはあって、それが観ている人に伝わるということろがすごいと思う。スペインの土くささが漂っている、、、みたいな。いいものを観た!って感じ。

そしてもちろん我らが師匠の踊りも最高~!
どの動きひとつとっても、カンペキとしかいいようがないくらい。そしてスペインの匂いとともに、いつもレッスンのときに私たちに見せてくれる師匠の人柄が踊りの中にいっぱい詰まっていたことにもすごく親近感を持てた。でもやっぱりその姿というのは、フラメンコに生きる人!という感じでかっこよかったなぁ。

こんなスペシャルな人に普段この自分が教わっているんだと思うと、なんだかとっても不思議な気もするんだけど、あらためてすごいことなのだと確信した。
これからも、そんな師匠の中のものを少しでも多く盗んでやるぞと小さく決心したわ。

やっぱりフラメンコって最高~。
場の空気をどれだけ自分のものにして、それを操ることができるか、、、ここがポイントのような気がしたけど、これって、フラメンコにかぎらずいえることだな、と思った。



帰りにタクミと待ち合わせて王子と3人でパルで軽く呑んだ。といっても、未成年のタクミだけはオレンジジュースだったけど。
ライブのあとの、まだ余韻が残ってる、っていうところで呑む酒ってほんとに旨い。冷えたスプマンテをきゅっとのどごしで呑むのむこの感覚、最高~。
そんな酔っ払いふたりの話をタクミがたんたんと聴いててくれてた。なんだか楽しい絵だった。

帰りは、男ふたりでじゃれ合っているのを眺めながらという感じがまた幸せだった。
しかし、いくらなんでも、すいてる車内でプロレスごっこするのはやめて、、、つり革でけんすい大会するのはおよしなさい、、、などと何度も思ったけど、あまりにもその絵がほのぼのしていたので注意できなかった。(車掌さんごめんなさい)
ほんとの親子じゃないけど、親子みたいな、、、、でも親友どうしみたいにも見える不思議なふたり。私とタクミの間にあるものとは全くちがった関係がそこにはあって、それがタクミには心地いいみたいだ。王子もそう思ってくれてると嬉しいんだけどな。

あっという間の一日だったし、場面場面が愛おしいものばかりだったので、今日という日の終わりはなんだかとっても切ない。


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2012年7月14日 (土)

草むしり

夏休みモードって感じで、お店はひま。しかし、ひまだからといって遊んでばかりもおれず、こういう時期だからこそコツコツなにかを温める時期でもあったりする。仕入れ、仕込みも欠かせない。とにかく動きを止めてはいけないのよね、、、お店屋さんて。
そして、仕事があるとかないとかに関係なく、お店屋さんて24時間仕事をわきに抱えてる気分でいるのもそう。それくらい自分と仕事との距離が近いのだと思う。
これもすべて、好きだからできること。

自家発電機みたいに、まず自分でエネルギーをためて自分で電機を起さなきゃならないというのも、この仕事してていつも思うこと。
なので、今はとりあえずエネルギーをためる時期なのかもとも思う。地味な時期なのだけど、ここをコツコツやるかやらないかでは、そのあとの自分の飛躍が全然違ってくる。大事に過ごそう。


ずうっと気になってた庭の草むしり、ようやく実行できた。気づいたら3時間も経っていた。おそるべき集中力。

普段、料理すること以外、ほとんど集中なんてできない自分だけど、土に触ると足元に返る感覚があるんだよね、不思議。人間の、人類の、原点みたいなものがそこにあるからなのだろうな。土いじりすると、時間を忘れて止まらなくなっちゃうのは、そういうことなのかも。
しかし全身蚊に刺されまくりで、そのあと大変なことになりました、、、。


夜。これから王子は仕事だそうだ。となると、あたりまえだけど、ひとり。
この不安の感じというのは、とにかくじっとしていられなくて、何も集中できなくて、ソワソワして、心臓バクバクするわ、、、、こんな感じ。最近ますますエスカレートしてきた感あり。
自分の居場所、ちゃんと確保してあげられていない証拠。


今の自分のこと、
もっと好きになってあげなくちゃいけないのかな。

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2012年7月13日 (金)

向き合うこと

王子に嫌われませんよーに、、、とか言ってたけど、やっぱり嫌われていたということが判明。私が思うがままになんでも言ってしまうことに腹を立てて、彼なりに傷ついていたそうだ。がーん。
今度はそんな王子の言い分を聞くことになり、でも聞いてるうちに「そっちこそ言いたい放題じゃん」と何度も思ったけど言わなかった。どっちもどっちだ。くくく。
我ながら幼稚な俺たち。
俺たちの場合、ケンカしながらお互いを知っていくというふう、、いつも。

そして今日も思った。自分を埋められるのは、この自分しかいないのだな、ということ。
王子に寄りかかりすぎているのも分かってるし、もしかしたらそれって彼にとっては重すぎるのかも知れなくて、でもやっぱり怖いから彼にすがってしまうダメな自分。
その怖い24時間をどうやって埋めようか、それしか考えていないんだよね、いつも。
王子がいることとお店すること、このふたつがなかったらたぶん、自分はどうにかなってたと思う。毎日を生き抜くってほんとに大変とか思っちゃう。

そんな自分の弱さを王子に押し付けていたみたいで、そのことを今回も反省した。
自分の中にある怖さとまず向き合わなければ。そしたら埋められるかも。

強くなろうとは思わないけど(無理だから)、この弱さをもっと深く知ることは大事だと思った。


雨上がりの夕方の街を王子とドライブした。しーんとなった車内には、昨日までとは違う柔らかい空気が漂ってた。だから しーんでも全然よかった。言葉が邪魔になるときもある。


人間というのは、なにかの力によって生かされているものではなくて、誰しも「生きる」という決断のもとに、怠けることなく自らをちゃんと生き抜いているというのをしみじみと感じた。人間ってすごいな、そしてすごくけなげ。












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2012年7月12日 (木)

ひとりが好き?!

夕べ王子とケンカして、気まずい朝。会話もないまま、ふたりで囲んだ朝の食卓は冷えたご飯を食べてるみたいでとても味気なかった。

ケンカするといつも思うけど、結局お互いの自己主張だけになると、こうなってしまうんだよね。自己主張の先に、相手を思いやる気持ちがなければ、ただ衝突するだけ。
自分たちの場合、ふたりの中の何かがズレ始めたときにいつもこうなるので、軌道修正の時期ともいえるだろうな。自分、見つめなおそう。


すっきりしない気持ちのままフラメンコへ。もう踊るしかないって感じ!

なんと生徒3人という超濃厚レッスン。そのぶん、粗が見えまくりのごまかしきかない で体じゅうが緊張しまくり。
でも、そのおかげで、ずうっと謎だと思っていた部分の意味が解けたり、自分では正解のつもりで踊っていた振り付けが実はデタラメであることが判明したり、得なことが山盛りだった。

そして今日あらためて気づいたことだけど。
フラメンコって、拍と拍の間の表現っていうのがとても重要で。

今までその間をどう表現しようということばかり考えていた自分であったが、実は『拍で締める』という作業にあまり意識がいっていなかったということに。きっちりと刻むということをしていなかった。
だから全体がぼんやりしてしまったり、輪郭が見えなかったり、そういう踊りになってしまうんだなと。

なにごとも、めりはりって大事なんだな。めりはりがあって初めて、そのものの本質に迫ることができると思うし、そこに秩序が生まれるのもそういうことだ。

フラメンコって、ほんと深い。だからやめられないっていうのもある。心理屋の自分が思うところでは、フラメンコって痛いくらい孤独と向き合う踊りだとしみじみ思う。


踊りはちっとも上達しないけど、なんとなく謎が解けたりしてすがすがしい気持ちでいたら、師匠が「どお?だいぶ覚えてきたかしら?」と、私の顔をのぞきこみながら聞いてきたので「はい!カンペキです!」と元気よく答えたら
「その元気が怪しい~。」と言われてしまった。師匠いわく、多少深刻そうなときのほうが、自分の場合真面目に考えている証拠だそうだ。逆に元気なときのほうが、師匠にとっては心配なんだって。
ぜ、全部見抜かれてる、、、、。(大汗)

しかしながら今日のレッスン、大雨警報の中、遅刻しながらも行った甲斐あった。
レッスンで学んだことも大事だけど、こうして師匠や仲間の顔が見られたり何気ないおしゃべりしたり、そういうことが今の自分にはとても必要なことだと思ったから。


夜は、カエルコール無しの王子が、いったい何時に帰ってくるかも分からなくて、心配&オイラ完全に嫌われた?! でなんとなく落ち着かない。
でも思い切ってメールして聞いてみたら、まだ仕事だという。いつもだったら、とっくに連絡の一本もあっていいはずなんだけど。(やっぱり嫌われた?!)

数時間後、いつもより静かに帰ってきた王子と静かな晩ごはん。
食べ終えたらいつもみたいにそそくさと自分の部屋へ行ってしまった王子、、、。さびしいのう。

なんだかんだいったってこの自分、どうしてだかいつもひとりになってしまう、というか、ひとりを創るのが得意なだけだ、たぶん。
子供のときからそう。

こんなとき、若いころだったら酒を浴びて紛らわしたものだけど、今はしない。この気持ちと地味に向き合うことにしている。

そしてこうなったらもう、「どうか王子に嫌われませんよーに」と神さまにお祈りするしかないわ。


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2012年7月11日 (水)

いじめ問題

自分が自分に対して正面向くことができないとき、“今”という場所から逃げてることに気づく。
逃げることは卑怯だけれど、逃げなければそのときの自分を保てないときだってある。
自分みたいな弱い人間はとくに、過去にしがみついてみたり、未来に寄り添ってみたりして、自分を守ろうとする。それは過去や未来が味方になってくれることもあるからだ。

でもふとしたときに気づくんだよね。これって、自分じゃないって。たいていそういう時って、足が地についてなくて宙ぶらりんになってたりするんだ。自分に確信が持てなくなるのがそういうとき。


そんな、過去、現在、未来を行ったり来たりして過ごした一日。

こういうときは、なるべく自分に無理をかけないで、あるがままに過ごすのが一番。
無理するぶんだけ、どんどんブレていくから。
時間に、空間に、風に、光に、身を委ねるしかないのだ。そこから何かが見えてくるから、じっとそのときを待つしかないんだよな。
なので、いつもより時間が経つのがゆっくりに感じた。

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



普段社会的な問題について自分の意見を書くことはしないけど、子供時代にいろいろ問題のあったひとりの人間として、、、子を持つ親として、、、ココロに寄り添う人間として、、、思うことがあるのでここに書こうと思う。

大津市のいじめ自殺問題、とうとう来るところまで来てしまったという感じ。今まで地に眠っていた日本社会全体の膿が表面化してしまったというひとつの例。向き合わなければ。

学校関係者、教育委員会の会見を見たけど、あいつらの自分たち守ることしか考えてないというようなチープなコメントに愕然とする。
子供たちを守るのがやつらの使命なんじゃないのかな。

いじめを目撃していながらも、その状況がおかしいということを、なぜ誰ひとりとして指摘する者はいなかったのだろうか。もはやそういう仕組みがすでに出来上がっているということなのか、、、。だとしたらここが一番問題。

しかしながら子供たちばかりを責めるわけにはいかない。そこには彼らが育った家庭というものがあるから。子供の責任はすべて親にあると、自分は思う。

なにかがずれ始めたときに、すべてがおかしく回り始める。

大人が子供を守る社会、今これが一番必要なことだと思うし、
すでに出来上がってしまっているこの仕組みを一気に変えることはできないけれど、身近な解決策はあるはずだ。
そうしないと、子供たちがあぶない。子供たちを救うのは大人の使命だ。




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2012年7月10日 (火)

不健康だな

ふとした時間の隙間に、ものすごく絶望的な気持ちが降りてきて、支配されて、今を見失いそうになる。
この瞬間、自分の存在意味を一生懸命探そうとしている。

行き場がなくて、先が見えなくて、ものすごい境地に立たされる。生きることがこんなに辛いことだというのを、この場所に来るといつも思う。

実はこのときすでに自分にとって楽な選択肢は見えていたりする。自分を解放してあげる方法はこれしかないと。

だがしかし、そんな自分を冷静に見ているもうひとりの自分がいつもいて。そこで葛藤する。

そして結局選ぶのはいつも、「生きる」という選択肢。

たぶんここが自分という人間の強さだと思う。そもそもそういう経験を重ねながら人は生きていくものなのだとこの歳になって思えてきた。

生きていくってことは、孤独な作業なのだな。


そんな気持ちを抱えながらも、なんとか一日過ごす。


夜はM氏とのまったり会。
久しぶりに会ったM氏が、かなりスリムになられていたので聞いてみると、炭水化物抜きの食事を1ヶ月続けてみたらみるみるうちに痩せてきたという話だった。
この方法、最新の糖尿病医療としても今注目されているみたいで、肉、魚はどれだけ食べてもよくて、アルコール(ビール以外)もOKだという。
ものすごい量の資料を持ってきてくださって、そしてそれをひとつひとつ丁寧に説明してくださった。
そういう細やかさというか、面倒見のよさというか、さすがM氏である。


しかしながら、この健康法、私や王子には困難すぎる、とか思った、、。
ごはん、パスタ、うどん、パン抜きの生活なんて、考えられな~い。違う病気になりそーだ。

またしてもM氏を尊敬。やる!と決めたら即やる!というこのスピード感が大事なのだろうな。
昔から思ってることだけど、なにごともフットワークの重い人というのは、いまいち信用できないというのがある。ほんとにそうだと思う。


大事な話をたくさん聞いたにも関わらず、深夜におにぎりとドーナツをむさぼり食う自分、
不健康のかたまりである。




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2012年7月 9日 (月)

いい人いっぱい

気持ちは遠い星に行ったまんま。空っぽな自分だけがここにいて、下を向いたら涙がこぼれてきそう。そんな鬱の一日。

今日見えたもの。
両親の子供時代。

自分の両親というのは、自分と同級生の親御さんより、ひとまわり以上年が上だったりする。子供の頃はそのことがなんとなく恥ずかしくて、授業参観の日はいつも憂鬱だった。

そんな両親から、子供の頃よく聞かされたのが戦時中の話だった。
食べるものがとても粗末だったことや、東京から疎開してきた子供たちの話や、サイレンとともに防空壕に入る話とか。
今思うと、そういう話のほとんどは、両親が子供の頃に体験したことばかりだったのだ。

ふとそれを思ったら、自分が同い年の子たちと比べていつも「自分だけなんか違う、、、」と感じていたのも当然だと思った。そういうことを経験した親に育てられたわけだから。

父も母も、とにかく生きることに必死、という子供時代を生き抜いてきた人たちだった。子供にとって耐え難いというような映像もたくさん目にしてきたかも知れないし、それは平和な時代に生まれた自分には想像もつかない世界だったと思う。

それを思ったときに、忙しく働く両親にほっぽらかしにされて育ったとばかり思っていた自分をすごく恥じた。それには意味があったのだと。
そして両親が子供の頃も、おそらく私と同じ想いを抱えていたのではないだろうかと。それこそ、そのことを「淋しい」などと思う余裕などなかったはずだ。とにかく生き抜かなくてはという状況下で子供ながらに必死だったろうし、そういう両親(私の祖父や祖母)を見て育ってきたのだから。


何かが解決したわけではないけれど、今まで思いもしなかったことが自分の中に降りてきた感覚があった。
それもこれも、昨日、一昨日のワークのおかげなんだろうな。
家族ってその人を創る要素がいっぱい詰まっている場所なのだな。

あれからいろんなものが見えてきたり、降りてきたりして、今日は一日重かった。でも、そこに寄り添っていくしかないのよね。自分を見つめる作業って苦しい。


 お昼に、がっちゃんが来てくれた。彼女は私が昔住んでいたところの地元の友達だ。自分が子供たちを置いて出ていったとき、その当時の友達のほとんどが自分から遠ざかっていった。でもがっちゃんは、違った。今でもつながってる。 出来事ではなく、私という人間をいつも見ていてくれてた彼女。1年半ぶりくらいに会ったんだけど、すごく久しぶりという感じではなくて、会えばあのときの空気にふっと馴染む、という感じ。よけいな気をつかわなくていいし、楽な自分でいられるというのがいい。この歳になると、もうそういう友達だけいればいい、とか思っちゃう。

そのあとまゆちゃんもふらっと寄ってくれて、やっぱり会えばいつもの感じに。
彼女ともやっぱりゆるゆるながらも刺激し合うという心地いい関係だし、何をしても言っても許してくれそうなので、言いたい放題言えるところがいい。何をしゃべったか覚えてないけど、なんだか楽しかったな。


 今日の自分、もしかしたらどこかでSOSサイン出してたのかもな。
なんだかいろんな人に助けられた気がした。


夕方王子と、町のお仕事しながら近所を歩いた。夕日がとてもきれいだったけど鬱な自分は言葉を発することもできなくて。でも黙ってそこに寄り添ってくれた王子。その温もりだけでもうじゅうぶんだと思った。
いい人はいっぱいいるんだな。

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2012年7月 8日 (日)

心理学ワークショップ2日目。

家族コンステレーションワーク2日目。

昨日の興奮覚めらやぬまま、会場へ。
自分の体の中で起きている出来事が、痛みをもって自分に何かを訴えかけている。
目の前で繰り広げられる誰かのワークを観るたびに、自分の中のものが呻き声を上げてるのがわかる。いまにも口から、その得体の知れない生きものが飛び出してきそうな、そんな勢い。
今までの人生で味わったことのないものすごい体験をしている感あり。


そんな中、今日は自らのワークをやろうとクライエントになることを決意。
でも実はすごくこわかったのだ。
自分の抱えているものの正体を知ることは、生きていくために必要な条件かも知れないけれど、自分の場合、知ることは同時に失うことでもある、というのをなんとなく子供のころから身に付けてきた。

でも結果、やってよかった、というのが正直な感想。もちろんその中で、失うという出来事も経験したけど。

そもそも自分にとっての痛みとは、カタチを変えながらも温存していくものだった。それはたしかに痛みを伴うのだけれど、それは幼い頃に味わった温もりといえるものでもあった。

それをスティーブに見事に見抜かれたとき、なんだかわからない涙が出てきて止まらなかった。知らない自分が見えた瞬間だったし、まさに大きな気づきでもあった。

スティーブが自分に言った「君って、いつも切腹しようとしているね」という言葉、
あまりにもストレートにはまりすぎてハッとなった。

たしかに、いつもどこかに、「自分みたいな罪人は、切腹するしかない」、みたいな思いがあって、(死を覚悟している)いつもぎりぎりのところで命をつなぎとめて生きている、という感触があるからなのだ。人の痛みを知るためには、まずこの自分が痛みを背負わなければならないという考え方だ。
実際に切腹するわけではないけれど、いつもどこかにそういう意識を持っている自分がいるのはたしかなこと。


そんなこんなでいろんな気づきがあり、だけど自分がこの2日間で一番得たものというのは、実はセラピストの愛であった。セラピストとは愛の象徴のような気がした。

その愛とはなにかといえば、セラピスト自身が、どれだけ自分という人間を救うことができたかというところにすべてが集約されていると思った。
たぶんそれが愛の正体なのだと。

愛は肉眼では見えないものかと思ってたけど、ほんとは見えるものだったんだ。


そして最後にスティーブが言った「セラピストとして一番大事なことは、自分自身への探求だ」とおっしゃっていたことが、まったく自分と一緒だったのがすごく嬉しかった。
だってどう考えたってここしかないじゃん、って思う。


2日間、日常を離れて、まるで違う星へ旅した気分。
なかなか戻ってこれなーい。

人間の生の感情が交錯してた場所だったし、エネルギーに満ちていた空間だったし、愛が見えた場所でもあったので、すごく名残惜しい気持ちで今いる。

明日からまたいつものメロちゃんに戻るんだわ。








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2012年7月 7日 (土)

心理の勉強

丸一日、心理学のワークショップに参加。
いつもと違う日常に戸惑いつつ、朝からお腹は痛くなるわ、電車に乗り遅れるわで、会場に着いたときには、すでにヘロヘロになってる自分って。
この軟弱さ、我ながら情けない。

今回のワークショップは、理論を詰め込むやり方ではなくて、実際に体感する というのが目的。ノートの上の勉強が苦手な私にとっては体で覚えるこっちのほうがだんぜん好き。
しかしながら、その体験というのが、ほんとにほんとに深くて、途中何度もゲロはきそうになるほど。人間の奥底に潜むうごめくものの正体に何度も翻弄され、もはや車酔い状態。
すごくしんどかった。だって自分の中にあるものが、波打ってるのが分かるんだもん。リアルな体験~。


そしてそして、このワークショップに、どうしても参加したかった理由というのは、自分のカウンセリングの方向性でもある『家族』という部分に焦点をあてるというそのやり方にすごく興味があったからだ。

講師のスティーブ先生は、オーストラリア心理療法界でもすごい人だと聞いていたけれど、ほんとにすごい人だった。
なにがすごいかというと、ファシリテーター(ワークをすすめていく役の人)としての、クライエントやワークの中に参加している人たちとの関わりかたとか、そのたたずまいとかが、とにかくスペシャルなのだ。その人をその人として認めるという、愛というものの本当のカタチをそこに見たような気がした。

肝心の内容はというと、今まで自分が勉強してきた家族療法の進化形という感じ。
自分の家族(父、母、兄弟、祖父、祖母など)を会場のいる人たちを代役に立てて、その人たちを自分の思うままに配置して、それを眺め見て、湧いてきた感情に寄り添うというやり方。
おもしろいのは、代役の人たちは実際の家族のことなどを知らないにも関わらず、まるで本人のように話し始めたりするところ。
そうするとそのやりとりを、遠くから眺めていたクライエントは、今まで気づかなかった家族の中の問題とか仕組みに気づいたりするというわけ。
それはもう鳥肌もんだった!

スティーブもおっしゃっていたけれど、“家族”っていうのは、個人のパワーよりもすごいエネルギーの“場”であるということ。
親は与える生きもの、子は受けとる生きもの、 このあたりまえの法則がもつれてしまったときに家族に問題が生じることや、祖父、祖母、そのまた先の家族の仕組みが、今もまだ根強く残るものであるということをあたらめて知ると、家族って、良くも悪くも、ひとりの人間のココロの仕組みを創りあげてしまうあるひとつの単位なのだなとしみじみ思った。


朝から夕方までみっちりだったけど、あっという間だった。居眠りしてるひまもない。

我ながら、「ものすごいことを体験をしてる」という感触。体の中で大事件が起きているぞ。
自分のセラピーの中に生かしていける要素もあるだろうなどと考えてる余地もなく、この自分がまずセラピーを受けている感覚に今なってる。

だから苦しいんだ。

明日、もう一日ある。
この自分、一体どうなってしまうのだろう。

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2012年7月 6日 (金)

ありがとうの空間

ランチに来てくださったお客さんが帰られるときに「ほんとにいつもありがとう」と深々とおっしゃっていたのがとても印象的だった。ありがとうございますって言うのは、ほんとはこっちのほうなのに。
胸がいっぱいになった。

自分のありがとうと、人からもらうありがとうの量って、同じなんだなって思った。
だとしたら、自分からありがとうと言える人生でいきたい。ありがとうという言葉でどれだけ癒されたか、どれだけココロが解けたか、どれだけ元気をもらえたか、、、この自分が一番よく知ってる。

太陽みたいなマリちゃんも来てくれて、私がバタバタしていたらいろいろ手伝ってくれた。
そういうのをさりげなくやってくれるマリちゃん、いい人だなあ。まだ1回しか会ったことないのに、ココロが通じ合えたみたいだった。

そしていつも思うことだけど、ステキだなと思う人の周りには、同じようにステキな人たちがたくさんいるということ。温かい人の周りには温かい人たちが集うように。
うまくできてるな~。

今日もありがとうがいっぱいのステキな空間ができあがってた。目に見えないものでもココロで感じることはできるし、たぶんこっちのほうが尊い。
いつの間にか、ざぁざぁの雨もやんで、仕事しながらも温かな午後の光の中で癒されてしまった私。


夜は町の盆踊り練習会に参加。
ねんきの入った浴衣のお姉さまたちの踊りがすごすぎて、最初は尻込みしたが、(出来上がってる空気に圧倒されて、なかなか入りずらい)エイっと気合を入れて、その輪に混ぜてもらう。輪に入ればもう楽ちん。周りのベテランお姉さまたちを一生懸命真似しながら踊った。
お姉さまたちの、すごーく複雑な踊りもこの体にすべて刷り込まれている、というところに感動した。指先や、微妙な手の動きとかに、なんともいえない味わいが出てるのだ。

盆踊りなんて子供のとき以来な私も、ここは負けてはおれん!(勝負してどーする)と、輪の中心に近い部分に自らずんずん入っていって踊りまくった。
それを見ていた後ろのほうでもじもじしてた王子に、「ずいぶん楽しそうに踊ってたね」と、あとから言われたけど、たしかにこの私、思い切り楽しんでおりました。踊りはいいよね。炭坑節とアンパンマン音頭だけはカンペキです!


帰ってきて晩ごはん。久しぶりに、明日から2日間みっちり心理学漬けになるので、冷蔵庫の整理もかねたゴハン。
エリンギとピーマンとひき肉をオイスターソースで炒めたのと、お豆腐の上に千切りした野菜を山のようにのせた奴サラダと、ごはんと味噌汁。おかげで冷蔵庫がすっきり。

今夜は早めに寝ようと思いつつ、金曜の夜はなんとなく夜更かししたくもなるんだよな。
雨音がすごい。

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2012年7月 5日 (木)

フラフラ

いつも午前中のフラメンコが今日は午後からだったので、朝のうちに仕入れと仕込みを済ませる。
同じ木曜日でも時間の使い方がいつもと違うとすごく新鮮な気持ちになるから不思議。見慣れた景色も違う色に見えてきたりしておもしろい。

それにしても昼間の栄は平日だというのに賑やかで、若い子がいっぱいいて、キラキラしていて、活気があった。朝の風景とは全然違うのね~。


今日も仲間についていくのに必死。でも先週あたりからようやく私の中にもエンジンがかかり始めたので、自分のことを見る師匠の目も以前とは全然違うし、それが分かる。本気と本気がぶつかる感じは、言葉には尽くせないくらい熱い気持ちのやりとりなのだと思う。
こんなおちこぼれでも、師匠が気にかけてくれてる!とか思うと、もうそのことだけで嬉しくて、靴ずれが悪化しまくりながらも頑張ってしまった。痛いけど気持ちがいいぞ。

今日のレッスンは、ストレッチを軽めで、とにかく踊ってみる!という感じであった。となると、まず振り付けを覚えなくてはならなくて、忘れるのが得意&自由が好きな私は、師匠が目を離したすきに、オリジナルの踊り(タコおどり)をしている可能性大なので、今日も師匠が目をぎらぎらさせていたのがわかった。
その監視のもとに、いつもよりも緊張してしまった。でもこれくらいがたぶん、自分にとってはちょうどいいのだろう。

踊れるとか踊れないとかは別にして、そうやって、フラメンコに対する自分の気持ちがいつもよりも前に出てくると、楽しい!って気持ちがまっすぐに湧いてくる。なんでもそうだけど、この、なんだかわかんないけどとにかく楽しい!っていう感覚に優るものはないと思う。この気持ち、大事に温めていこう。

そしてなにより、踊ることは自分という人間のひとつの表現方法だと思っているので、これからも地道に学んでいこうと思う。
そのためには自分の場合はまず、表現するためのノウハウを知っておかねばと思っている。まず土台。
その先に自分の味付けをしていけばいい。
道のり長し、、、。でもやりがいはある!

料理もそうだけど、「これが自分です!」って言えるような何かを、人間ひとつでも持っていると、気持ちのどこかに小さな温かいお部屋ができたような感覚になる。それってまさに自分の居場所なのだ。

そしてめずらしく今日は、レッスンのあとお仲間たちとお茶して帰ってきた。
いつも付き合いの悪い私に、お姉さまたちがケーキをご馳走してくれた。優しくて温かい人たちばかりなので、ついいつも甘えてしまう。みな、子育て(といっても、お子さんは大きいけど)をしながら、主婦をしている普通のマダムたちだけど、自分より歳が上ということだけで、人生の厚みとその佇まいがぜんぜん違う。人ってやっぱり生きてきた年数なんだなと思った。


フラフラで晩ごはんの仕度、超シンドイ、、、。
頑張ってドライカレー、わんたんスープ、お豆腐サラダを作る。
ビールがこんなに旨く感じたのは久しぶり。


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2012年7月 4日 (水)

いい天気。

いい天気。朝からバリバリ仕込みする。
仕込みの手順も1年半経ってようやく少しずつ身についてきた感じ。ぎりぎりになって、「あ、やばい、間に合わない」っていうのも少なくなってきた。
次にやるべきことが見えてくる感じ、手が勝手に動く感じ。頭で考えるのじゃなくて、体が覚えたものにただ寄り添う感じ。

日々の積み重ねの先に見えるてくるものってすごいな。最初の頃は見えなくてもどかしくて、何度もくじけそうになるのだけど、そこに小さな光を見つけた瞬間、あとは信じて進むのみ、ってなる。あきっぽくて、怠けてばかりいるこの自分がここまで来たと思うと、正直びっくりもする。
ここから先が本番。がんばろう。
って気持ちをいつも持ち続けることが大事なのだろうな。


そういえば昨日の夕方、さっそくお店のブログで夏休みのパクパクの申し込みを開始したら、ありがたいことに今日は一日電話が鳴りっぱなしのコールセンター状態。
いつもヒマな店だけに、その対応にあたふたしてしまったよ。大人より、子供うけする店って。
今年はいろいろ考えて、自分の体調やコンディションのことも考慮しながら、日にちを設けたつもり。以前、ちょっと頑張って日にち詰め込めすぎて自分がパンパンになってしまったことも実はあったから。そうするとパンパンのまま子供たちにそれが伝わってしまって反省したこともあったのだ。

何が大事かといえば、子供たちひとりひとりがこの場所で何を感じて何を持って帰ることができるかってこと。この自分が与えるのではなくて、子供たちがそれぞれに見出すものを大切にしてあげるのが自分の役目。
ってことは、
この自分が、いつも真っ白な画用紙状態でいる、ということを心がける。
ロボットじゃないので一日使ったエネルギーをそう簡単にはリセットできないし、(できる人もいるけど)そうなると、なによりも自分の管理というのが一番大事な仕事のような気がする。
子供ってピュアだから、大人の何百倍も感じるアンテナは敏感にできてる。真っ白な自分がそのとき何を感じるか、、、、ここがポイントで、ここが人に伝わる部分だから。

今日はたくさんの電話をいただいて、そんなことをあらためて感じた。身が引き締まる思いだった。
この夏、たくさんの子供たちと一緒に何を創り上げることができるか(料理だけではなく)、今から楽しみ。


夕方、腰痛に苦しむ王子と近所の公園の鉄棒にぶら下がりに行く。
小さな子供たちとそのママたちにまぎれて、なんとも浮いてる私たち。でも恥ずかしいとか言ってる場合じゃないくらい痛かったみたい。私も真似してぶら下がってみた。
鉄棒をぶら下がり健康器に応用する大人ふたり、、夕方の公園に不思議な絵として映っていたに違いない。


明日には良くなっていますように、、、とお祈りしながら食べた今日の晩ごはんは
そーめん、オクラとシソの天ぷら、ニラとミョウガのおひたし。
体が痛すぎて食欲がないと言っていた王子だったが、そーめんは途中で足りなくなって茹で足したし、おつゆも補充するくらいの食べっぷりだった。
食べたい欲だけが元気なことが幸い。

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2012年7月 3日 (火)

流れを感じる

雨の中、ランチには私の大好きな感じの人たちが来てくれる。とある会社の社員さんたちだけど、まるで家族みたいなみなさんであった。
笑顔のたえない温かな雰囲気がもうそこには出来上がっていて、料理を運ぶたびに癒されてしまった。こんな職場があるって知ってたら、自分も一度は就職ってものを経験してたかもしれない。
仕事しながらも居心地のよさを感じた。


ランチを終えて買い物に出ようとしたら、ものすごい雨でどーしよーかなーと悩み踏みとどまっているところにななちゃんから電話。
そのあと、ななちゃんといろいろおしゃべりして、すっかりこの自分をいたわってもらい、ねぎらってもらい、励ましてもらい、元気100倍に。
持つべきものは心の友だなぁ。

ななちゃんが帰るころ、あんなに激しかった雨もすっかりやんでいて、いざ買い物へ。
雨がやんだことも不思議だったし、まるでどこかにシナリオでもあるんじゃないかと思うくらい、今日この日の流れに感動。お客さんの来るタイミングも、雨が降ったりやんだりするタイミングも、ななちゃんが来るタイミングも、王子が帰ってくるタイミングも、すべてが絶妙なのだ。この絶妙な感じが、流れてるってことかな。

しかしながらこの流れ、自分が自分でいるときにしか感じられないものなので、そう思うとこの私も自分という型の中にぴったりおさまっていたということなのだろう。

自分の中のいろんな偏見を捨てて肩の力がふぅっと抜けたとき、その流れが見えてきてそこに乗っかることができる。乗っかってしまえば、あとは身を任せるだけなので楽なのだけど、しかしここがクセもの。どうしても人はここで楽ちんなことに疑問を感じたり、頭でっかちになっちゃったりするんだよね。そうすると流れが見えなくなる。
シンプルになることって、意外にむづかしいのだ。

でも今日は、まるで波乗りしてるみたいな一日だった。シナリオは神さまが作ったものじゃなくて、自分という人間が創り出すものなのだとしみじみと感じた。人生の舵を取るのは、この自分しかいないのだ。


夜はおしゃべりしたくてたまらなくてワインを開ける。最近思うが、自分はただのアル中ではなく、誰かと会話したりその場の雰囲気を楽しむために酒を呑む、というのがどうやら正当な理由らしい。(ほんとだよ)
今夜も無理やり(?!)王子を付き合わせ、やっと手に入った天橋立オイルサーディンを肴にお互いの一日の報告会。この時間のために今日を頑張ると言っても過言じゃない。

さて。明日もがんばるか。

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2012年7月 2日 (月)

ひとまず保留

いろいろあっても月曜日は普通にやってくる。今日からまた1週間が始まると思うと、どんなにぐにゃっとなっていても、体の芯の部分が少しずつそんな自分を立てなおしてくれているのが分かる。だから「よっしゃ頑張るか」って自然になるのだな。

抱えてる想いも、少しずつ日々の中に溶けて薄まってゆく。日常とはありがたいもの。
だけど、自分の中で解決しきれなかったもののことを考えると正直すっきりはしないのだけれど。そのカタチのままとりあえず保留しておこうと思う。保存ではなくて、保留だ。
きっとそのうち、その塊は少しずつカタチを変えてゆくはずなのだ。今までの経験からそう思う。
見守っていくしかないな。


今日は真夏みたいに暑かった。汗をぬぐいながら入ってくるお客さんもちらほら。

今日のランチは、赤ちゃん大集合という感じであった。元気な合唱が響きわたっていて帰りがけにそのママたちが隣の席に座っていたお客さんに「お騒がせして申し訳ありませんでした」と言ったら、「みんなおりこうさんたちだったわよ」と、そのお客さんがにこやかに言っていたのを見て、ココロが温かくなった。
知らないお客さんどうしがこうして仲良くなっていくのを見るのは「この仕事、やってよかった~」の中でも上位のほう。自分の手から離れたところで自然に笑顔が広がっていくのってすごく嬉しい。


夜は、何時に帰ってくるか分からない&連絡なし王子を待つのに、海外ドラマを見まくる。でも、なんだか淋しい気持ちを埋めるのに必死で、内容はほとんど覚えていない。夜のひとりってほんとに嫌い~。

10時すぎにようやく連絡があって、帰ってきたのは11時。「俺、今日がんばったんだぜ」とご機嫌の王子を「すごいね!さすがだね!」と極上に褒めたたえつつ、駅前の居酒屋でビールを2杯おごってもらう。しめしめ。

ここ2,3日の自分の気持ちを整理したくて、いろいろ話そうと決めていたけれど、なにひとつ出てこなかった。たぶん酒がまずくなるような気がしたし、たぶんそれって王子に聴いてもらうことじゃなくて自分の中で時間をかけて静かに向き合う課題だと思ったから。


夜道を手を繋ぎながら歩いた。カエルの合唱に包まれて、湿った風も心地よくて。幸せの絵だった。
いろんなことの答えが、もうここにあるような気がした。

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2012年7月 1日 (日)

重たい

バタンと勢いよくドアを閉める音とともに姫が帰っていった。まるで何かを言い残したみたいにその余韻がいつまでもそこに漂ってた。

自分の中にも解決しない想いがたくさんあって、もっと姫にしてあげられたこともいっぱいあったはずなのに、なにひとつできなかったことを後悔するばかり。
でも、したくでもできなかった、、、というのが正直なところ。

すごく幼稚なこともわかってる。
すごく身勝手な言い訳だということもわかってる。

でもできなかった。
王子の大切な人だけに、彼にも申し訳ない気持ちでいっぱい。

シンプルに言えば、この私さえここに居なければふたりは円満なのだ。それもわかってる。

女ひとりで王子を育てあげた母のはかり知れない愛情の深さ、そしてその愛の仕組みの居心地の良さを知って、そこからなかなか抜け出せないという葛藤を常に抱えてる王子。
この出来上がった愛のカタチはそう簡単には変えられない。もちろん、そこには誰も立ち入ることはできなくて。それくらい固くて尊いものなのだ。

こうなると、たとえば自分が悪者になってしまえば、責める対象が自分に集中するのでたぶんふたりは昔の親子の関係のままうまくやっていけるはずなのだ。
そういう作戦も考えてみたこともあるけど、やっぱりなんか不自然。


今、すごく重たい気持ちでいる。ちっとも解決しなくて、ちっとも前に進んでいない感じ。痛くて苦しくてたまんない。たぶん、姫も王子も同じ気持ちでいると思う。


いろいろ考えることの多い週末であった。
しかし時は確実にそこに流れているから、沈んでばかりもいられない。現実って残酷だな。

私の料理を口にできない姫の気持ち、痛いくらい分かる。姫も葛藤してるのだ。
なので今日は一日キッチン恐怖症の私。我ながら弱っちい。

「食べる」は、愛をも一緒に体の中に受けいれること、
そういうことなんだよね。
ココロの準備ができていなければできないことなのかも知れない。
それをしみじみ感じる。


明日からまた一週間始まる。

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