« 2011年8月 | トップページ | 2011年10月 »

2011年9月

2011年9月30日 (金)

くだらないことにブチ切れる

お昼にお友達のカップルがランチしにきてくれる。可愛い子が来るといつもデレデレな王子、、、わかりやすすぎ。

そんな彼女を見てからなのかどうか、二人が帰ったあとに、王子が言った一言にブチ切れ。

「じゅんも、もうちょっと女の子らしく気をつかってくれるといいのに」

とかなんとか言うもんだからさ。しかも「じゅんも」の「も」ってなんだよ。だから言ってやった。

 「おばさんのどこが悪いの?人生いろいろあれば、シワも増えるし、腹はたるむし、頭だってハゲるのさー。」

これはもう完全に恥ずかしい開き直り。分かっていても言っちゃうとこが自分の嫌なところ。

たぶんね、ヤングな子と比較されちゃった感じがしたからね、ムカっときちゃった。しかも、私だって実際に気にしてるからね、そういうこと。身体は確実に年齢に逆らえなくなってきてるし。だから、面と向かってそんなこと言われたら腹立つわー。まったく男ってそういう女の微妙なとこ、分かってないよなー。いくつになっても若い子のケツ追っかけるものなのよ、男って。ばーか。

・・・・・・・

・・・・・・・・・・・

王子は夕方からまた仕事に行った。入れ替わりでタクミがやってくる。あー、ひとりにならなくてよかった。

王子まだ仕事。早く帰ってきますよーに。好物のポテトサラダ山盛り作る。

とりあえずタクミにだけご飯。

男の人は大変だよな。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年9月29日 (木)

「今」を感じる。

野菜を買いに行ったり、仕込みをしたりしてゆるゆると過ごす。

窓から入ってくる柔らかい風の、あまりにの心地よさに、この「今」にしかできないことをやろう!と心に決める。たとえば、ワインとバケットと本を持って、一日じゅう公園の芝生の上で読書しながらまったり過ごすとか、そういうこと。お金には代えられない楽しみのことだ。

きっと、そういうことが人生における醍醐味なのだと思う。今日感じている風は、自分の一生の中で「今」にしかないものだから、そう思うと気持ちのどこかが、うずうずしてきて、じっとしていられなくなる。

・・・・・・・・・・

夜は王子とベトナム料理屋に行く。毎度ながら、美しくセンスある盛り付けに感銘を受ける。馴染みのないフレッシュなハーブの味と香りに気持ちのどこかがくすぐられ、小さな感動の連続。野菜がふんだんに使われているから、女子的には嬉しいのだが、王子にはちょっと物足りないよう。

ワインをボトルで入れてたお陰で、料理が運ばれてくる間の時間をなんとなく楽しいおしゃべりでしのぐことができる。だって、あまりにも時間がかかりすぎなんですものー。

周りのテーブルも、見ると、皆さんほとんどの方々が、ボトルワインを入れていた。こりゃ、店の作戦だな。 ただ、お酒のせいもあり、なんとなく全体が和みな雰囲気。 目の前に座っていたいかにも会社帰りの男女のお集まり組は、料理が全然来ないことをいいことに、ワインをじゃんじゃん頼み、気づけば、先ほどまでおとなしかった独身女が上司に説教しているでは!「今どきの男は~・・・」節が始まっていた。その光景が面白すぎて笑い転げそうだった。だって、生ドラマ(コント?!)が見れるんだもの。しかもただでだよ。

最後に注文したベトナムコーヒーを、さっさとすすって、店をあとにした。フランス料理のフルコースなみに時間がかかったのと、後半の味付けがかなり塩辛かったこと以外は、丸。なんだろな~、、、ただ「美味しい」だけのお店って、なんとなく物足りない感じがする、、ここ最近。

・・・・・・・・・・・・・

寄り道せず帰ってくる。なんとも健康的な私たち。

駅からの帰り道も、やっぱり風が心地よかった。

この風は、人生で2度と感じることのできない「今」だけのもの。そう思いながら、日々を、、、今を、大事に紡いでいこうと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年9月28日 (水)

いい夜だった

お昼に、パタパタと予約をいただいたけれど何件もお断りしてしまう。今日来るお客さんのぶんしか、食材用意してないのだー。しかもお客さんが見えてから、火を入れ始めたりするものもあるから(アツアツの状態で出したーい)、自分でできる範囲には限りがあるのですぅ。

そんな不器用な感じにしかできない私の状態を知ってかどうか、王子はときどき「もっと食材たくさん仕入れておけばいいんだよ。冷蔵庫もう一個買ってあげるから~」と言ってくれるけど、「この冷蔵庫の範囲の仕事しかしないからこれでいいのだよ~」と返事する。

無理して手を広げると、自分の本当にやりたいことがどんどん薄れていってしまう。そういう感覚は昔どこかで味わったことがあるし、そうした結果、常連客がどんどん遠のいてしまうパターンも嫌ほど見てきたし。

人間、お金が優先してしまうと何かがずれてくる。だからといって、仕事っていうのは「人のために」とか、「誰かのために」するわけではなくて、(とくに自分のような極悪人はそんなこと思わないよ)、あくまでも「自分のため」にするのだ。自分の情熱を燃やすためにだ。 お客さんの顔見て、ひと皿ひと皿作りたい、という気持ちはやっぱり譲れないのです。

なので、許してね。そしてこれからも懲りずに電話してくださいね。買い物行ってるときと、昼寝しているとき以外は、ちゃんと出ますから。

・・・・・・・・

夜は久々に会うお客さまが、ゲストを連れて来てくれる。「ブログ見てるから久々って感じがしないね」と言われ、なんだか嬉しくなるも、ちょっとハズカシーって感じ。だってかなり言いたい放題だよ、この日記。ちなみに王子はこの日記見たことない、っていうか見ないで欲しいと心より願っている。

・・・・・・・・・・

それにしても、すごくいい夜だった。音楽の話で盛り上がり、フルート奏者だというゲストさん(お名前うかがうチャンスのがしちゃった)の、とてもアマチュアとは思えないほどの本格的なお話を聞くことが出来たり、なんだか得した気分。

なんだろーな。自分なんかより、ずっと先輩な方達なんだけど、どこかで通ずるものがあって、話を聞いていても「わかる、わかるその感覚!」みたいな。生意気ながらも、本当にそう思いました。

きっとそれって、言葉の向こう側にあるものなのかも。言葉だけで生きてない人間ばかりの集まり、、、っていうのかな。 感覚とか感情とか、そういうのをすごーく大事に生きてる人ばかり。好きだな~、この感じ。 王子も私もビールをご馳走になり、かなりご満悦。

・・・・・・・・・・・・・

夜風が心地いいので、後片付けしたら王子と散歩に行こう。人から支えられて生きてるということを実感。

昼間、幼稚園帰りに「メロちゃーん」と声掛けてくれた私の大事な小さなお友達。みんなみんな優しい人たちばかりで、泣きそうな夜。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2011年9月27日 (火)

味覚の経験

久しぶりに庭の草むしり。蚊にさされまくりながら、ひとり我慢大会だと思ってひたすらやる。草ぼーぼーっていうのは、やっぱりなんだか日々のココロが荒んでしまう。所詮、B型人間のやる草むしりだから完璧にはできてないが、それなりに「やった感」を得てちょっと気持ちが落ち着く。 ちなみに、私がこの家に初めて来たとき、この庭はジャングルだったんだよ!

・・・・・・・・・・・

そういえば、ここのところ「お子様ランチ」のオーダーをちょくちょくいただくようになった。量は大人のよりも少なめだし、味付けも辛味のものは省いたりしているけれど、基本、大人用と同じように作っている。ローズマリー、タイム、セージ・・・などのハーブ類や、みょうがとかシソとか、渋めな薬味なんかも普通に入れている。

そういうのを、小さな子供たちがパクパク食べているのを見ると、嬉しくてたまんないのだ。だって、たまに大人でも、そういう香り系なものを苦手な人って、結構いたりするからね。

味覚の経験ってやっぱり大事だな~って、そういうとき思う。嫌いなものを無理してまで食べる必要なんてないけれど、経験っていうのはその人の世界を広げてくれるものだと思うから、少しでも多いほうがいいような気がするし、「食わず嫌い」ってあるけど、あれって自分で自分の幅を狭めちゃってるようで気の毒だよな。

・・・・・・・・・・・

自分の場合は、子供のときから人一倍の食いしん坊&好奇心の塊だったから、とにかくいろんなものを食べてきたと思う。父ちゃんの酒のつまみも幼い頃から食べていたし、若い頃はグルメ雑誌なんか読みあさって、都内の美味しいお店なんか食べ歩きもした。付き合ってた男性はなぜかグルメな人ばかりで、いろいろ食べに連れていってもらったりもした。(たぶん、このとき培われたものはデカイと思う)飲食の仕事もしまくった。お客の残したお皿の上のソースをなめては味の組み立てを考えたりもした。

まぁ、とにかく食べることに関して誰よりも貪欲だったからできたことだと思うのだけど。初めて出会う味というのは、今でもきゅんとするし、そのときココロの幅も少しだけ広がる感じがする。ドキドキとか、ワクワクとか、そういうフレッシュな粒が自分の中でプチプチはじける感触だ。そしてなぜだかすごーく得した気分になる。

たぶんね、このドキドキ、ワクワクが大事なんだと思う。食べることって、生きてくことだし、だとしたら、そういう瞬間をたくさん積んだほうが、少ないよりはいいような気がする。

・・・・・・

お子様ランチの仕込みをしながら思うこと。。。

・・・・・・

ただ、作る側の人間としては、なかなかむずかしいところもあって。自分の中では良しとするものでも、誰かに食べてもらうのには、もうちょっと親しみのある味にしたほうがいいかなぁ、、とか。まぁ、それもすべて経験しかなくて。自分の中身を広げることしかなくて。

・・・・・

味覚って面白い。経験って大事だー。

あー、しかし、蚊にさされまくったところ、かゆすぎるー。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年9月26日 (月)

作るワクワク

お昼に予約いただいた大皿料理の準備で朝からワクワク。このワクワクは、作る人間にしか分からないだろーな。食べる側のワクワクとはちょっと種類が違うのだ。

きっとこのワクワクが自分になかったら、大量生産型ロボット料理製造機みたいに自分はなっちゃうのだろーな。毎回、味がぴったり正確に決まり、みょうにきれいに形が整っていたりする料理だ。

自分の呼吸の中から生まれるものって、本当はそうはいかなくて、そのときの気分だったり感覚だったりで、味も微妙に揺れるし形も正確じゃなくて。だいたい作りたいものも毎回違うもの。

自分はそんな、ちょっとばかり不細工で、いかにも人間っぽい料理を作りたいと思ってる。そしてその人のココロや人生を少しでもこのゴハンで温めてあげることができたら、と思ってる。だからそのためには、自分の中のワクワクの火をいつも灯していたいと思うし、その火を育てていきたいと思ってる。いつも思うことだが、料理を作る以前にそこが一番大事なことのような気がする。

・・・・・・

そして今日もお客さんからたくさんの温かな気持ちをもらって、しかも来てくれた子供たちからも元気をもらって、自分の居場所を確認するのだった。子供たちが「メロちゃーん」って言いながら走ってきてくれたとき、涙がでそうなくらい嬉しかった。生きててよかった、って素直に思う気持ちは、こういうときなんだなと思った。

そして作り終えて、お客さんも帰られて、今日も楽しかった~、という気持ちが自分の真ん中に残る。もっぱら私の場合は、お客さんに楽しませてもらってる、という感じなのだ。こんな気まぐれ者に付き合ってくださるなんて、ほんとにありがたい。。。 だから頑張ろうって気持ちも自然に湧いてくる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

それにしても夕方にもなると、きゅうに空気がひんやりしてくるようになった。日の落ちるのも早くなったし、なんだか秋は日に日に深まってる。夕暮れどきの淋しい気持ちも、こういう時期はよりいっそう濃く感じられる。ただ唯一、そこから自分を救ってくれるのが、ゴハンを作ることだということを、こういうときあらためて実感する。

・・・・・・・

仕込んだカレーが、あとちょっと。王子の晩ご飯はカレーライスにしよう。素揚げした野菜と一緒に揚げた卵をのっけて。

だから明日はスパイスデー。新たに仕込むぞよ。明日は、一日体じゅうがスパイシーだ。店の前を通ると、カレー臭ぷんぷんだよー。

さて何カレーにしようかな。これ考えるのも、ひとつの楽しみだったりするのだ~。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年9月25日 (日)

静かな日曜日

いつもよりも早めに帰ってきた王子は、そのまま部屋で仕事となる。自分は台所で仕込みをしたり、集中力が鈍ってくると本を読んだりして過ごす。お互いに別々のことをしていても、ひとつ屋根の下にいるというだけで、どうしてこんなにも落ち着くのだろう。自分のお父ちゃんやお母ちゃんが家にいてくれるみたいな、子供の頃に憧れたこの感じだ。

・・・・・・・・・・・

夜になって、ようやく、ひと区切りついた王子の仕事を山下家に納めに行く。ここに来ると、ほんとにいつも気持ちがほんわか温かくなる。家族の温もりがそこかしこに感じられる。さりげなく棚の上に置いてある観葉植物の葉っぱがピカピカしていることとか、お庭がきれいに整ってる感じとか、家族人数ぶんの自転車がドアの前にきちんと整列してる感じとか。

ちょうど伺ったときに、上のお嬢さんが元気よく「ただいまー」って帰ってくる声が玄関に響いたりして、なんだかそういうのっていいなぁ~としみじみする。その家族特有の温度とか匂いとか、、、そういうのっていいなぁ~って。

・・・・・・・・

帰りの車の中で王子とひょんなところから、「嫌いな人」の話題となった。どうしてそんな話になったかといえば、さきほどの山下家が、どうやら前に住むお家の人と犬猿の仲だという話をちょろっと聞いたからだ。いろいろ事情はあるだろうけど、やっぱりどの世界にも「嫌いな人間」っているよなー、などと思いながら、ぼんやり話を聞いていた。

そんな流れで、車中は「嫌いな奴」というのがテーマになり、勝手にふたりで盛り上がる。

今まで何度、王子に、私の嫌い話を聞いてもらっただろうか。

そして面白いことに、その「嫌い」は、のちに「大好き」に変わっているという事実も。そんなとき彼はなんとも不思議そうな表情で私の話を聞いている。あまりにも極端だからだろうか。

自分の場合、「その人のことが気になる・・・」それが、「嫌い」っていう言葉のむこうにある気持ちみたいなのだ、どうやら。なんだかんだ言ったって、結構自分って平和主義なのかも知れないなー。なんちって。

・・・・・・・・・・・・・

そんな話をしながら家に戻ってきて、ふたりして腹減ったーと言い合いながら、晩ごはんのしたくをする。すぐにできるものといえば、やっぱり鍋かな、ということになる。

かつおのおだしに、さっと湯通しした豚バラ肉を入れて、生姜のすりおろしをたっぷり入れただけのシンプルな塩鍋を作る。ピーラーで皮ごとむいた大根と豆苗を、そこにさっと浸して食べる。肉ちょっとで野菜山盛りのヘルシーなやつ。

王子から、「シンプルで旨い!」と、お褒めの言葉をいただいて嬉しくなる。ほとんど手を加えていないような鍋なのだが、ベースのスープを丁寧にとることと、組み合わせる食材の相性とか、最後まで飽きずに楽しめるようにいろんな薬味を用意することとか、ちょっとした自分なりのポイントがあるのだー。うしし。この冬は店のメニューでも出そうかしら。

・・・・

超~腹いっぱい。今夜はビデオ三昧。たぶんすぐに寝ちゃうと思うけど。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2011年9月24日 (土)

ごめんだらけ。

夕方ピンポンが鳴って外に出てみると誰もいない。誰かのいたずらかなーと思い、鍵を閉めて部屋に戻るも、しばらくしてまたピンポン。いったい誰だー!とばかりの勢いでドアを開けたら、柱のうしろに隠れていたその正体は、なんとタクミだった。昨日帰ったばかりの奴が、またひょっこりあわられたのには驚いた。しかも予告なしだったし。

・・・・・・・・・・・

実は昨日、私が精神的にかなりやられていたときに、タクミもその場にいたのだった。母として普通にいつものように振舞ってたつもりだったけど、どうやら奴はそれを見抜いていたようなのだ。午前中は、なんとか踏ん張れたけど、もう自分でもやばい感じだったので、「ごめんな」とだけ言って、奴を駅まで送っていったのだった。

そして今日だもの!びっくりだし、本当はちょっと嬉しかったりで、胸の中で小さな元気が育っていくのを感じた。

子供っていうのは、なんにも言わなくとも、親の中にある気持ちを感じてる。言葉や表情の向こう側をちゃんと見てる。親が悲しい不安な気持ちを抱いていれば、子供は辛くなってしまう。

それは離れていてもそうで。私が大泣きした次の日の朝は、6時のモーニングコールに1度目で出る。いつもなら、何度電話したって起きないくせに、そういう日はなぜだかどうしてだかそうなのだ。

今日も来て早々、「今夜帰るから」と言う。あと数時間しかないじゃないか。なんでわざわざ来るのか、、、、。たぶんそれは、なんとなくだけど自分には分かった。分かったと同時に、息子に心配かけてしまったことに、親として反省した。

・・・・・・・・・

子供は全部、感じてる。やっぱり子供から学ぶことは多い。「ごめんな、タクミ」って心ん中でいっぱい謝った。

・・・・・・・・・

タクミが来てくれて、ようやく自分が少しずつ戻ってきて、仕込みにも集中できるようになった。今夜はパーティー予約いただいてる。がんばるべし。

・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

あー、ここのところほんとに毎日が大変だった。何をしたわけでもないけれど、一日を終わらせるそのことだけで、いっぱいいっぱいだった。感じることもたくさんありすぎて、自分がパンクしそうだった。そして母として、そういう自分しか息子たちに見せてあげられないことを情けなくも思ったり、だけどどうにもならなかったりで、そう思うととても複雑な気持ちになる。

だけど、日々へのエネルギーとか、その瞬間瞬間のエネルギーみたいなものは、自分でいうのもなんだけど、はんぱじゃないと思う。そこだけは、彼らも感じてくれてると思う、、、感じてくれたら嬉しいが。

本当にこんな不器用な母ちゃんでごめん、だよな。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年9月23日 (金)

複雑だー

夕べはよい酒だった。なんだか久しぶりにでっかい声で笑ったし、よく喋った。こうやって外側に気持ちを向けると、自分の中にある、くだらない気持ちみたいなものは自然に薄まっていくものなんだな。そのくだらなさが、よりいっそう強調されるようで、なんだかバカバカしくも思えてきた。

・・・・・・・・

友達にも言われたことなのだが、「じゅんちゃんはよっぽどのことがない限り、悩みとか人には話さないよねー」と。

たしかにそうなのだ。たいていのことは、自分でそれなりに咀嚼して納得できたり、放っておけばどうにかなるものだと思ってるから。そしてそういう自分の中に埋まってる力を信じている自分がいたりするから、苦しいけど耐えられるのだ。

だけど数ヶ月に1度くらい、ものすごーく落ち込むときがあって、もうそのときは、自分自身と心を別物として捉えることができなくなる。心にすべて呑まれてしまう感じなのだ。パニックにもなるし、自分の存在さえも否定したくなる。自分ひとりの世界がバカみたいにどんどん膨らんでっちゃう感じ。ほんとは、なにかちょっとしたきっかけで、孤独の世界から抜け出すことなんて簡単なことなのに、、、そんなこと分かってるくせに。。。どうでもいい言い訳作って、閉じこもるんだよね、そういうときって。

・・・・・・・・・・

そんな話をしたのか、しなかったのか覚えてないけれど(酔っ払ってたー)、夕べは、なんとなく薄まった感じと、発散した感覚とで、だいぶ軽くなったのだ。

・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そして今日は今日で、朝からすごーーーーくダメな日となった。夕べあんなに軽くなったというのに、またもとに戻ったみたいだった。

めずらしく早起きしてる王子(今日は休みなのに)。どこかに連れていってくれるのかしらー、と思ったらそうではなく、久しぶりに彼の子供たちに会いに行くというのだ。しかも母上も一緒に。

子供たちに会いたいという親なら誰しも思う気持ちは理解できるのだけど、迎えに行けば必ずそこには昔の奥さんがいるわけだし、なんだかすごーく複雑だったのだ。だって私は奥さんがかつて住んでいたこの家で留守番してるわけだもの。奥さんにはお会いしたことないが、奥さんの使っていたものをおさがりみたいにして使ってる自分もいるし、本人の写真だってあるし、、、、。知らないようで、実は知っていたりする。初めてこの家の台所に入ったときに、そういうの生々しいくらいに感じた。とくに台所っていうのは女の人が呼吸する場所だから。

そんなわけで朝からまたバカみたいにビービー泣いてたら、母上に諭されるみたいに一般論言われて、それに対して王子は何も言ってくれないし(男って、こんなもん)、自分がいったい何に反応してるか分からないまま、ひとりパニック。

まるで父ちゃんや母ちゃんが、家を出ていってしまうみたいな感覚で、「行かないでー」って必死に叫んでる子供の自分がいるみたいだった。

そうか。自分にとって王子っていうのは、パートナーというよりも、自分の面倒をみてくれていつも横にいてくれる父親とか母親みたいな位置にいる人だったんだと、そのとき初めて思った。そういえば、今まで本気で好きになった人っていうのは、みんなそんな感じだったな。無意識にそういう人を自分は選んでいたのだな。(そこで納得してどーする)

・・・・・・・・・

うぅぅぅー。やっぱり大人になりきれていない自分が確実にいるよなー。

一日どうやって過ごそう。なんだかここに普通に居ることさえも、罪に感じる。

・・・・・・・・・・・

さっき王子からメールがあって 「お土産買ったよー」だとさ。「よー」ってなんだよ。

この大バカヤローめ!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年9月22日 (木)

お銚子な夜

母上がやって来る。いつものごとく予告なしで。

久々に会うも、相変わらずのわがまま放題なお姫様っぷりは変わってない。もちろんこれが、彼女の本心ではないことも、もう承知済みなので、どんなにきつーい言葉を投げられてもなんとも思わなくなった。彼女の言葉の向こう側にある世界というのは、本当はあたたかくて愛にあふれていることも、私にはなんとなく分かるのだ。

・・・・・・・・・

マザコン王子は(男の人はみんなそうでしょう)、その間でハラハラしながらご機嫌とり。もちろん母上のだ。

そんなとき、母と息子の切っても切れない深い絆みたいなものを感じて、なんだかそれを少し羨ましくも思う。この歳になってもやっぱりお母さんの前ではいつまでも小さな子供みたいな王子と、息子への濃い~愛情を不器用に遠まわしに伝えようとする母上の間には、入ろうとしても入れない壁みたいなものさえ感じた。女手ひとりで王子を育てあげたんだもの。その愛情というのは計り知れない。そういうのを目の当たりにすると、自分は息子たちにこれだけの愛情を注いであげられただろうかと、いろいろと考えさせられる。母上はやっぱりすごい人だ。

・・・・・・・・

今夜は久々に親友のまあちゃんと飲みの約束。かつて私が、何度か迷惑をかけたことのある近所の居酒屋でだ。

母上に、あそこに行って来ると言ったら、「あんた恥ずかしくないのー?あたしはもう、あそこには行けないわよ」と言っていた。なんてったってその場所は、過去に母上と壮絶なバトルを繰り広げて、私が大声で「バカヤロー!」と叫びまくり暴れまくった思い出?!の場所なのだ。もうあれからだいぶ経っているし、店員さんとも特別仲がいいというわけじゃないから、私の中では、まあいいか、という感じ。出かけに「どーせ私の悪口吐きに行くんでしょー」と、また母上節を炸裂させていた。

・・・・・

さてー。飲むよ、今夜は(も?!)。

まあちゃんが来るまでひとりでお銚子やってます。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年9月21日 (水)

台風のあと

ここ2日間、自分の中のものとひたすら闘った。湧いてくるものには逆らえないという自分の昔からのクセ。はたして、これがいいことなのか、どうなのか。

ただたんに、めんどくせー奴ということなんだけど。それに黙って付き合ってくれた王子には本当に感謝しなければなんない。あー、こんな私で申し訳ないと、、、。けど、こんなふうにしかできなくて、これからもご迷惑かけまくります、、、とは言わなかったけど、今そんな気持ちでいる。

・・・・・・

じゃ、なぜここでこの闘いを締めくくるのだ?といえば、これもまた単純に、疲れたからだ。

ひとりで大声で泣き喚いて、大暴れして、(ほとんど覚えていないのだけど)自分で自分を痛めつけたとみえて、左半身アザだらけ。しまいには、過呼吸状態となった。最悪だ。

もうここまでくると異常としかいえない。。。やってることはおそらく小さな子供と一緒なのかも知れないし。いや、もっとたちが悪い。

こんなに暴れれば、さすがに疲れる。もうへろへろになった。

で、感情はどこ行った?といえば、まだこれがちゃんと自分の中に残っていて、何かが解決したわけではないけれど、姿かたちを変えて今もまだ存在してたりする。まるで、カチカチの強情な石のかたまりが、その輪郭を緩めてゴムボールになったような感覚。まぁ結局、石もゴムボールも自分で作り出したものだから、そこに寄り添うしかないのだけど。魔法のように、一瞬にして消すことなんてできっこない。インチキ占い師じゃあるまいし。

・・・・・・・・・・・

真面目に生きていこうと思えば、やっぱりそこにはいろんな感情が生まれる。そもそも「真面目に」なんて考えなくても生きていけるものかも知れないけど。

自分の場合は、すぐに挫けるし、転ぶし、だから負けそうになることが多い。それはもしかしたら癖のようなもので、自分の中でパターン化されているものなのかも知れなくて。

だけど、それでもいい。不器用でもなんでも。それが自分だもの。自分が今まで歩いた道で創り上げられた私の体とココロだもの。めんどくせーと思いながらも付き合っていくしかないのだ。

・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・

ごはんも全然きちんと作ってなくて、だけど腹は規則正しく時間を告げてくれるわけで。

その間も私の体の細胞ちゃんたちは、ちゃんと元気でいてくれたのだ。なんだか愛おしい。

なんか作ろう。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年9月20日 (火)

台風の夜

名古屋市内は水びたし・・・みたいなニュースを見てあわてて息子たちに電話した。なんとか3人とも無事に家にいるみたいだったし、父親もいるみたいだからなんとなく安心する。

こちら北名古屋市は、いくつか避難勧告は発令されるも、自分のいるところは今のところなんとかまだ大丈夫なようで、とりあえず家でじっとしている。王子が無事に帰ってこられるかも心配だし、なんとなく今朝もひとことも言葉を交わさすことなく出て行ったっきりだから、複雑な気持ちで今こうして待ってる。自分の声も分からなくなっちゃうくらい、もう何十時間も何も誰ともしゃべっていない。気持ちが不安定な上にこういう天候だと、心細さも倍増だ。

・・・・・・・・・・・

そんな中、さきほど京都にいる王子の母上から電話があって、何十時間ぶりの声を出した。変なかすれ声で自分の声じゃないみたいだった。

母上からかかってくるのは、地震とか台風のときか、そして時々、街で耳にした音楽を口ずさみながら「この曲なんだっけ?」と私に聞いてくるときだ。

なんとなく母上の声を聞いて安心する自分。そして台風のこととは別に、夕べからひとりで悩んでいた自分の気持ちを、おそらく同じような温度で今感じてくれるのは母上しかいないと、ふと彼女のことが思い浮かんだときだったのだ。

もちろん電話で悩んでいた内容のことは話していないし、話したところでズバっとクールな一言が飛んでくるに決まってるのだ。そしてそういうのが彼女の愛情表現だということも私は知っている。返ってくる言葉もなんとなく想像できて、だけど分かっちゃいるけど~・・・できない・・・だからそこを聴いてもらいたいんだよーみたいなそういう自分のめんどくさい部分の話というのは、彼女にできない。というか、しても仕方ないという感じ。その手の話は彼女にとってはありんこレベルだから。(ミジンコかも)

・・・・・・・

何かとくべつ気持ちを打ち明けたというわけでもなかったけれど、なんだか母上のひとことひとことが温かかったのはたしかで、偶然かかってきた電話なのに、今のフラフラな自分の気持ちを支えてくれたみたいな気がしてじんときた。

そして母上としゃべるたびに思うことは、王子のお母さんという関係の中で付き合っているというよりも、人生の先輩でもあるひとりの女性として自分は接しているような気もするし、喋ってるような気もする。たぶん母上のほうもそうだと思う。

母上というよりも友達に近い感じ。だから出会えたことが不思議でしかたないし、母上という女性と会うために王子と出会ったんじゃないの?と思うことさえある。なんだかすごーくおかしな感覚。

・・・・・・・・

・・・・・・・・

そして受話器を置けばまたひとりの時間。

だけど母上とこうして話すことができたり、、、台風を心配してくれてメールしてきてくれた友達がいたりとか、、、実家の父ちゃんからのとめどなくリピートする話を聞かされたり、、、いつも電話に出ない次男がお菓子をボリボリさせながら電話口に出てきてくれたり、、、、。神さまっていうのはいつもこうして素敵な仕掛けをしてくれるものなんだなと、なんだかそういうのを感じるとマジで泣けてくる。

・・・・・・

だけど相変わらず、「ほんとにこの家に居てもいいんだろうか・・・本当は迷惑ではないのだろうか・・・」の不安な気持ちは消えず。

ほかに行くあてを探してみるも、そんなところなどどこにもなくて、結局ここに居るしかないという現実を受けいれようとする自分がたまらなく嫌だったり。人生、先のことなんか何も考えないで今まで行き当たりばったり、そのときの感情のままにここまで来てしまったバカな自分への罰なのだ、これは。ほんとうだったら、今すぐにでも飛び出したいけれど、そんな勇気もないし、お金もない。悲しー。やっぱりバカだ。

・・・・・・・・・・

真っ暗な夜に激しく打ちつける雨音。

今日はご飯を食べるのを忘れていたので、お腹の虫がずっとなってた。どんなに自分の気持ちが抜け殻みたくなっていたとしても、私の体はちゃんと生きていてくれるんだと教えられたような気がして、なんだかまた泣けてきた。

ごはんを作ろう。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2011年9月19日 (月)

コントロール不能

離婚して子供の親権を自分がとれなかった場合、おそらくそれは罪人となるということなのだと思う。そしてそれは一生死ぬまで背負っていく罪だといえると思う。

・・・・・・・・

そんなふうに思う自分である。

そうならざるを得なかった理由は人それぞれだろうけど、間違いなくそれは罪なのだ。

・・・・・・・

だけど自分は生きていかなきゃならない。前を向いて生きていくことが、離れた子供たちへの責任のような気もするから。だからそこに理由を見つけようとする。

決して軽くなることのない罪の重さと一緒に、だけどなんとしてでもそこから生きていく道を探そうと必死にもがいたりする。

・・・・

たしかにそれは苦しいものだったりするけれど・・・・・・

ただ、その苦しみには意味があると、最近そう思えるようになってきた。

なぜなら、そこから導き出された道というのは、以前よりも濃厚に生きる道のような気もする。無意識にそんなふうに生きようとしている自分がいたりするのだ。そう思うと、その罪が教えてくれることも実はたくさんあって、ただ痛いばかりではなかったりもする。

・・・・・・・・・・・・・・・

・・

だけど時に灰みたいになってしまうこともあるのだ。人は脆くて果敢なくて。積み上げた積み木が一気に崩れて落ちてしまうときもある。ぼろぼろだし、めちゃくちゃだ。

・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

気持ちの整理ができない日。

自分の中の感情だけが大きく出っ張ってる。決して一般論で片付けられるものじゃない。

・・・・・

今の自分が一体、何に反応していて、何に痛みを感じているのか。冷静になればきっと見えてくるものだと思うけど。転んだばかりで、ひざこぞうはパンパンに腫れ上がってる、、、今はまだそんな感じなのだ。膿を出してあげるまでに、まだ少し時間がかかる。

・・・・・・

王子はいつだって神さまみたいで、そこが彼の素晴らしいところなんだけど、、、。時々そういう神さま的なところがちょっぴり痛いと感じるときがある。

自分が大声でバカヤロー!って叫んだら、一緒になって隣でバカヤローと言って欲しいときだってあるのだ。自分みたいな感受性の塊みたいな人間には、秩序とかルールとか、そもそも通じないのだ。

久しぶりにこの感じを味わうなー。

自分の感情のコントロールがまったくできない日。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年9月18日 (日)

私って怖い?!

朝から抜け殻みたいになってる王子。ご飯も食べずに仕事に行ってしまう。残った私とタクミは、なんだかぼうっとしてしまって何をしても気持ちはそこにない感じだった。元気は伝染するけれど、どんよりも同じように伝染するものなのだ。なんだか嫌な一日の始まり。

・・・・・・・

DVD観たり、音楽聴いたり、本読んだり、とにかくだらだらと過ごす。だらだらの中に何か意味を求めようとするも、そんなものはなく、ただただ目で画面を追ったり文字を追ったり、流れてくるものに身をゆだねるだけだった。

さすがに夕方になって腹減った~とふたりして言い合って、晩ごはんのしたくにとりかかった。王子の好物のポテトサラダを作ろうということになって、タクミがせっせとじゃがいもを剥いていた。

一緒に料理をする感じは、昔と全然変わっていなくてふたりで台所に立てば自然に馴染みのあるあの空間ができあがる。ただ、あの頃と違うのは、隣のタクミの身長が倍くらいになったことくらい。ふたりしてカントリーロードを口ずさみながら作った。この空間だけが唯一、今日という日の憩いの場所だった。 

・・・・・・・・・

そうこうしていたら、王子が帰ってきた。元気の充電はまったくされていなくて、よりいっそうしぼんじゃった感じだ。いつもきっちりまっすぐにとめている車も、今日はかなり雑な感じに斜めになっていた。久しぶりに、こりゃ重症かも。

・・・・・

今夜は山盛りポテトサラダとアジフライと風来坊のマネっこした手羽先、ワカメのお味噌汁、ご飯、きゅうりとセロリのぬか漬け。 なんだか静かなご飯だったなー。

・・・・・・・・

こういうとき一番気をつかうのは、子供なのだ。とくにタクミはビミョウな位置にいる人間なので、なおのこと。 プロレスごっこで布団の上で暴れまくっている奴だけど、それとは裏腹にああ見えてもかなり繊細な部分もある。兎にも角にも、明日は早めに奴を送って行ったほうがいいのかも知れないなー。タクミにとってもそのほうがいいかも。

・・・・・・・・・

ご飯を食べ終えた王子は、自分の部屋に閉じこもり、出てくる気配なしー。男の人っていうのは、こういうとき何も言ってくれないんだもの。それが男っていうもんだ!とは本人よく言ってるけど、周りは訳わかんなくて心配するものなのだー。何かひとつでもいいから、そのご機嫌斜めな理由のヒントをおくれよ、と言いたい。

こっちは、ただただ見守るしかなくて、待つしかなくて。

・・・・・・・・・・・・

ただね、女という生きものには、そういう感情にたいして制限時間というものがあるのだな。見守るのにも、待つのにも、限界がありまするよ。

制限時間超えるとね・・・どうなるかというとね・・・

 も~、知らなーーーーい。ふんっ。

って。

女ってね、怖いの。(-_-X)

・・・・・・・

・・・・・・・

「あーした元気にな~~~ぁれっ」(お祈り)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年9月17日 (土)

ちゃぶ台の日。

お昼にお客さんからの電話。ありがたいことに満席になってしまった。(満席といっても知れてるけど)

「はい!お待ちしております」と受話器を置くも、まったく準備していなかったので心の中では「どーしよー」とハラハラしまくる。あせりまくる。

ひとりでやっているとこういう気持ちを全部自分で背負わなくてはならないので、ときどきその重みにくじけそうになったりする弱っちー私。誰か助けてー!と言っても誰もいないし。こういうとき、アルバイトの子でもひとりいたら、助けてーを半分こできこできるので便利なのだが、その子にお給料を払えるだけの余裕なんてないので、やっぱりひとりでなんとかするしかないのだ。

・・・・・・・・・ 

食べものの仕事をしていて思うことは、この仕事は人の体や気持ちに、直接触れるものだということ。しかも、うちみたいにこぢんまりやっているところだと、その距離はとても近い。大きなレストランだと、従業員やほかのお客さんもいっぱいいるし、賑やかだし、だからそういう距離感みたいなものはなんとなくぼやけてくるけれど、うちは違う。「こんにちは」って言う距離と同じところに料理がある。自分がいる。 こうなると自分にとっては真剣勝負。自分の味覚もそうだけど、気持ちがまずズレていたらできないので、そこだけはいつも意識して調整してる。こういうときココロの仕事をしていてよかったと思う。

・・・・・・・・・

そして「あーどーしよー助けてー」は、お客さんが来るとおさまるから不思議。そして本当にどーしよーになると、お客さんのほうから助けてもらったりするから、そういうのは自分がダメ子でよかったと思う瞬間。

なんとか料理全部出せたー。

自分はとろいし、ひとつのことをやるのにもいちいち立ち止まることが多いから、とにかく時間がかかる。だけど、いろいろ経験したら、少しはスピードアップしたりするのだろーか。

子供の頃、友達の間で「じゅんちゃんしゃべり」とかいうのが流行って、「あーのーねぇぇぇぇ~~~~」みたいに、超ウルトラスローリーに何でも話すのを真似されてた。やはりこれは生まれつき備わったトロさなのだ。

・・・・・・・・・

 夜はちゃぶ台だった。

この日ばかりは「あーどーしよー」という気はつかわなくていいので、なんとなく気持ちは楽。料理だけはいつもどおりマジメに作るけど。おもしろいもので、こういう「楽チン感」がどこかにあると、アイディアとかひらめきが自然に降りてくるものなのだ。「ちゃんとやらなきゃ」みたいな義務感に囲まれていたら、そういうものってなかなか生まれてこない。まぁ、そのバランスがむずかしいんだけど。

・・・・・・

今夜は王子も私も加わって5人でちゃぶ台を囲んだ。902

相変わらず太陽みたいななみちゃんは、みんなをぽかぽかに包んでくれた。彼女の手にかかると、悲しいことも辛いことも淋しいことも、なぜかみんな楽しいことになっちゃうから不思議。久しぶりに一緒に飲めて楽しかった。

クマちゃんは、うちの冷蔵庫の中身を全部知ってるのでは・・・というくらい、ここに足繁く通ってくれている。きっと私の料理の味の雰囲気とか全部知ってるんだろーなー。ある意味こわーい、けどありがたーい。 食べることが大好きな彼なのになぜかとってもスリム。どうやら、食べた分、ちゃんと運動もしているそうだ。こういうところが、彼が若いのにしっかりしてるという所以なのだ。

初めて参加した水谷君はお父さんみたいな人だった。思わず彼に言っちゃったもん。私よりずっと若いのに、肝が据わってる感じ。どんな感情でぶつかっていっても受け止めてくれそうな人。今夜は車で来たからお酒は飲めなかったけど、みんなと同じテンションで付き合ってくれるという優しい彼だ。

・・・・・・・・・

いい夜だった。後片付けは明日やろ。

写真:なみちゃんからもらった本と手作りのブックカバー。なんか自分で言うのもなんだけど、この色の感じとかレースの感じとかが私っぽい。ちなみに中の本は「食堂かたつむり」。じゅんちゃんのお店に似てる、って。まったくニクイな~。 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年9月16日 (金)

ボーリング大会

ランチにお友達カップルが食べに来てくれて、そのあと、そこに私たちも加わり4人でボーリング大会となる。そんな中、運動オンチな自分だけは、全然乗る気無し。。。だけど、友達みんなでワイワイするのは嫌いじゃないので、なんだかわからないけど着いて行く。

・・・・・・・・

平日昼間のボーリング場はガラガラ。そこそこの活気がちょうどいい。

友達はマイボールとマイシューズを持参するほどの本格派。だから私たちを誘ったのだなー。このへなちょこふたり組をー。

・・・・・・・

最初は「もーやだー」なんてブーたれてた自分も、いざ投げてみるとなかなかこれが楽しくて!だけど楽しいだけで、まったく点は入らない。 あまりの私のヘンテコフォームに、王子と友達ふたりして、いろいろと投げ方を伝授してくれるも、まったく体がいうことをきかなくて。しまいには、両手で股の下からまっすぐ投げろ!ということになり、このかなり恥ずかしいフォームで試してみたら、初めてストライクが出る。ものごとは何でも、むずかしく複雑に考えるよりも、単純明快が一番!ということだ。

それにしても、ボールと一緒に転がりまくったのでお尻と右腕が痛い。単なる運動不足だけど。 王子のほうはというと、こんな私よりちょっとはマシという感じ。そういうレベル。

・・・・・・・・・・・・・

いっぽう友達カップルのほうは、これがまたイチャツキ度がハンパじゃなくて、ここは外国ですか?と疑ってしまうほど。誘ってもらった私たちの目のやり場にすごーく困った。

あまりにもお二人だけの世界がそこに出来上がっていたので、王子と顔見合わせて、「私たち、居る意味あるのかな?」なんて言い合って面白かった。 彼女が投げるたびに、彼氏に抱きつく様子も可愛かった。 もっぱら私たちといえば、超ミニスカートからシュっと伸びた彼女の生足に釘付けだった。いったいオイラたちは何しに来たのでしょー。

・・・・・・・・・

ボーリングの点数は、オイラたちへなちょこ組は、アツアツ組の半分。まぁ、こんなものでしょう。 久しぶりにいいものを見させてもらったような(何を?)、幸せのおすそ分けをちょうだいしたような、、、なんだか気持ちはポカポカだった。

帰り道、小雨がぱらついてきて、灰色の空がむこうから迫ってきているのが見えて心細くなる。空の色と空気の感じに気持ちが揺らぐ自分はやっぱりへなちょこ。

家の前まで送ってもらって、なんとなく「ばいばーい」が途切れるのが淋しくて、いつまでも手を振ってた。「また遊ぼうね」って子供みたいに約束した。

・・・・・・・・・・

・・・・・・・・

さて。日常に戻るとしよう。だけどなかなかスルっと戻れないのが私のダメなところ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年9月15日 (木)

鶏モツ大会

王子のいる日は、ちょっと遠くまで買い物に行く。近所のスーパーではなかなかお目にかかれない品々が並ぶ、市場みたいなスーパーだ。

朝一番に行ったりすると、多くの商売人がひしめいていて、いろんなところからは店の人の威勢の掛け声が飛んでくる。大きな魚も丸のまま氷の上に横たわってる。色とりどりのピチピチな野菜たち。お肉も豪快な大きさでカットされている。

ここに来ると、その勢いにのまれて、思わず予定外のものもたくさん買ってしまうのだ。今日も、冷蔵庫に入りきらないほどの食材を購入。帰ったらまず下ごしらえだー。

・・・・・・・・・

王子が勝手に?!鶏モツを買い物かごに入れていた。モツといえば、レバーとかハツとか砂肝とか、そしてキンカンとよばれる玉子の部分。これはもう「モツ煮作ってくれ」ということ以外ないでしょー。

・・・・・・・・

鶏モツ煮というと、今ではすっかり有名になった甲府のB級グルメの代表。以前、なにかのイベントのときに屋台の下(愛知県です)でこれを食べて、それ以来、ずっとお気に入り。愛知のあたりのモツ煮というと、豚とか牛を使うし、汁もたっぷりだ。(この汁ごとオンザライスするの好きだなー)だけど、甲府のそれは、汁がほとんどなくて、蒲焼のタレみたいにモツと絡まって照りがかかってる。だから名古屋のとは全然違う。

だけど実はこれ、子供の頃から食べてた。父ちゃんが山梨の人だから、よく作って食卓に上ってたのを覚えてる。日曜日ともなると、台所から砂糖と醤油を炊いてる甘辛~い匂いがしてたもの。

だから今さらこんなもの(言い方悪くてごめんなさい)が、全国で有名になっちゃうなんてー!と私にとってはちょっと驚きだし、今さら?、な感じ。だけどご当地グルメっていうのは、もともと町おこしとか復興とかそういうものが目的だから、それを「食」っていう一番身近なところで確立させていこうっていう考えはとても素晴らしいことだと思う。しかもそれは「食」そのものの意味のような気もするし。

・・・・・・

私にとっては子供の頃に食べた父ちゃんの味でもあるモツ煮を今日もせっせと作ったのだけど、今まで作った中で一番よくできたー!(と思う)

買ってきた鶏モツは、そこいらへんで売ってるものよりも、ぷりんぷりんしていてツヤツヤしてた。モツ系はやっぱり鮮度が命だと思う。すぐ臭みが出ちゃうからね。

それを適当な大きさに切って血のところをさっと洗ってあげて。そしたら、もうすぐに鍋に放り込んで、砂糖と醤油をぶっこんでグツグツ~って煮ただけ。 そしてこの「放り込んで」とか、「ぶっこんだ」というこの勢いがうまくいった理由だと思うのだ。

・・・・・・・

今まで何度か作ったけど、臭みを抜くために最初に酒と生姜で軽く炊いてみたり、落し蓋したり、照りを出すために最後に水あめを加えたり、いろいろやってみたんだけど、なんだか見た目も味も中途半端だった。

今日はとにかく勢いで作った感じなのだ。たまたまそのとき別の料理と平行して作業していたので、鍋の様子もマメに見なかったし、ほっぽらかしだったし、それがよかったのかも。

そして、そういう感覚が自分の中に自然にわいてきたことにもびっくりだった。自分は甲府で生まれ育った人間じゃないけれど、あちらのお母ちゃんたちが昔から作っていた感覚みたいなものが、ほんの少し分かったような気がした。

だって、そもそも鶏のモツなんて、今だからこそ、食感がいいとか、ヘルシーだとかって、もてはやされているけど、昔は捨てちゃうような部分だったんじゃないかなー。それをせっせとお母ちゃんたちが濃い~味付けで炊いて立派なおかずにしちゃうんだもの。郷土料理っていうのは、そもそもそういうものなのかも知れないなー。昔の人の知恵とか、その土地の風土とか生活とか、そして何よりも、食べ物を大事にする精神とか、そういう想いが全部込められて生まれたものなんだろーなーきっと。

・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・

そう思うと、「食」って深いなーと思う。

だからオモシローイ!

そして意外なところで、私は子供の頃に食べた父ちゃんの味と遭遇したりするわけだから、「食」は人生を紡いでいくもの、と言えるものかもしれないな。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年9月14日 (水)

みつあみの思い出

千葉にいる父ちゃんから野菜が届く。引き締まった極太のきゅうりと、紫の濃いつやつやピッカピカの茄子と、いろんな形をした表情豊かなじゃがいもたちがたくさん入ってた。

そんな野菜たちが種類ごとに、地元の、私も子供の頃に行ったことのあるスーパーの袋なんかに入っていたり、じゃがいもが一個ずつ新聞紙にくるんである父ちゃんのマメな感じが伝わってきたり、そういうのに思わず胸がきゅんとなった。箱の中には、野菜と一緒に、実家の匂いも詰まっていた。しばらく帰ってないなー。親不孝な娘。

・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・

あの家を出たいと思い始めたのは、たしか高校生くらいのときだと思う。

小さい頃から両親が忙しくて、家族がそろう日なんていうのはほとんどなかったと思う。たまになにかのきっかけで全員が集まったとしても、両親はケンカばかり、ひとつ下の弟は、そういう揉め事にはまったく無関心で。私はいつも自分の居場所みたいなのを必死に探していたような気がする。どこか温かい場所を。

だから友達が家族で出かけたとか、夕暮れときに家々の窓に明かりがともるのを見たりすると、すごくそれがうらやましくてしかたなかった。家に帰ると誰かが待っていてくれる、っていうシチュエーションにすごーくあこがれた。

あの頃は家族がみんなバラバラで違う方向をむいていた。小さい頃は、子供なりに家族がつながるようにいろんな作戦を考えた自分だったけど(家族で交換日記をやろう作戦などというのを考えた)、高校生くらいにもなると、今すぐにでも、ここから離れて遠くに行きたいと思うようになった。温かい場所を求めてだ。

・・・・・・・・・・

大人になっても、実家に対してどこかまだ煮えきれないものがあって、子供の頃に感じたあのなんともいえない空気に再び触れなきゃならないと思うと、なんとなく足は遠のいた。自分の中で子供の頃から抱いていた想いというのは、まったく解決していなかったのだ。

そんな自分だったが、子供を産み、親となったとき初めて気づいたことがある。

・・・・・・・・・・

あんなにバラバラだった両親だけど、私は間違いなく、愛情をいっぱいもらって育てられたということ。

父も母も、親という役割とともに、いつも「自分」という人間を大事にする人だった。だからすれ違うのはあたりまえだし、考え方も違う。そういうところの遺伝子は、確実の今の私にも受け継がれたものだと思う。

そしてそういうケンカ事を、子供の私の前でも遠慮なくやっていたことも、今ではそのことに感謝さえしてる。ありのままの姿というのは、子供を安心させるものだと思う。もし、あのとき両親が子供の前だからといって、変につくろっていたりしたら、子供の私は不安を抱いたに違いない。

そういうことは、自分が親になってみないと分からなかったし、そしてこれが、私を育ててくれた両親の形、家族の形だということを噛みしめた。家族の形なんて、みんな違うし、違っていてあたりまえなのだ。

・・・・・・・・・

そんな父ちゃんも、母ちゃんも、このようなダメ娘が結婚し、出産し、離婚し、そしていろいろあっても、どんなときでも味方になってくれている。親っていうのは、この世が滅びようとも、たとえ死んだとしても、自分だけの味方なのだ。それが親というものなのだ。

親孝行なんてなにひとつとしてしてあげられない自分は、とにかく毎日を元気に生き抜くことしかなくて、弟みたいに立派な人間にもなれないけど、父ちゃんと母ちゃんが、いろいろあったけど今もずっと私の親でいてくれることにありがとうと言いたい。

これからも、ずっとケンカしながら、長生きしてほしいな。

・・・・・・・・

・・・・・・・・・

父ちゃんの野菜の箱と一緒に、子供の頃母ちゃんにみつあみしてもらうことが何よりもの楽しみだったことをふと思い出したりして、自分にかけてもらった愛情の重みを胸に感じた。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年9月13日 (火)

「おでんのはしご」の巻

晩ごはんをしっかり食べたのにもかかわらず、仕事に煮詰まっていた王子が「おでん買いに行こう」というのでついて行く。向かうのは、のれんのかかった所ではなく、コンビニっていうところが身近なちょっとした息抜きっぽくてよい。

いつもみたいに車でびゅーっと行くかと思いきや、歩いて行こうと言う。 普段どんなに近いところにも車で出かけちゃう自分としては、なんとなくおっくうに感じる。でもまぁ、秋の夜の空気を感じながら行くのもわるくないか、と久しぶりに地面の上をまじめに歩くことにした。 右にいる王子は歩きながらずぅっと呪文みたいなのをとなえていた。パソコンから離れても、頭の中でお仕事しているのだ。

・・・・・・・・・・・

まだ9月だ。おでんって感じでもないけれど、コンビニの扉が開くときに、ふわっと香るおだしの匂いについつい食いしん坊魂はくすぐられてしまう。めずらしいおでんの具をいくつか詰めて、だしもたっぷり入れて、お味噌ももらって(名古屋だねー)、ビールも買って、また夜道をてくてく歩いて戻ってきた。謎の呪文を隣で聞きながら。

・・・・・・・

「コンビニも侮れないねー」なんて言いながらふたりでペロリと食べてしまい、(晩ごはん食べたのに)「もっと食べたいね」、「また買いに行こう」、となり、今度はさきほどとは違う店(のれんはない)を目指すことに。ふたりとも食いしん坊根性炸裂だ。

・・・・・・・・・

かなり遠くまで歩いた。心地よい夜風も、いつの間にかなまぬるく感じる。額にじっとり汗をかく。「なんか体にいいことしてるよねー」なんて言い合うも、合間におでん食ってビール飲んでるんだから、これが体にいいわけないよなー。

2件目のコンビニのおでんは、なんだかやけに色白で鍋の中を覗き込んでいたら、恰幅のいい姉ちゃんが(この女性なら深夜バイトでも大丈夫だわーと思わずうなずける人)

「まだ入れたばかりで味しみてないんですよー」 と言う。

「えぇぇえ~!」と私たち。おでんを食べたいという気持ちよりも、こんな遠くまで歩いてきたのにぃ・・・の脱力感。

だけど、ここで諦めないのが私たち。食べ物以外のことではさっさと諦めるくせに、ここはやっぱり食いしん坊根性ってやつ。(コンビニおでんごときでこんなに燃えるだなんてー。) また次の店(のれんはない)をめざす。

またしても、てくてく歩いた。気づけば呪文は消えていた。もうそれどころではないのだ。

・・・・・・・・・・・・・

10分ほど歩いたところの店のおでんは、いい感じのしみ具合だった。だしが澄んでいてこれは期待できそーな感じのやつ。ビールも買って家路を急いだ。信号はすでに点滅に変わり田舎の夜の感じを色濃くしている。大きないちじくの木の横を歩くとふわっと熟した香りがしてきた。 深い緑をたたえた稲穂は、さ~っと音をたてて夜風になびいていた。波の音みたいだった。

・・・・・・・・・・

家に着き、おでんじゃなくて、まずはビールを喉を鳴らしながらぐびっと飲んだ。すごぉぉく美味しく感じた。

肝心のおでんはというと、、、化学調味料がビシビシきいていて、異様に喉が渇いた。最後にしてこういう結末を迎えるとは思ってもいなかったけど、なんだか気持ちはとっても満たされていた。だったら最初の店でやめときゃよかったんじゃ、とはこれっぽちも思わなかった。

・・・・・・・・・

「コンビニおでんをはしごするなんて、またひとついい思い出ができちゃったー」と、相変わらず、自分がおばぁさんになったときにきっと振り返るであろうという設定で言う。いつもそう。

謎の呪文を聞きながら田んぼの道を歩いて、いちじくの香りをかいで、点滅信号の下を走って渡り、、、、。そう一瞬一瞬がみんな思い出になることを願いながら。

・・・・・・・・・・・

そうやって食べたおでんは、今まで食べたどこのおでん屋のよりも、美味しく感じられた。

予定外のことをすると、たいがい楽しいことになるという、この世の法則だな。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年9月12日 (月)

夕暮れぽかぽか

今日はヒマだー、とばかりに寝っ転がっていたら、まぁちゃんと、彼女の友達が遊びにきてくれた。ふっかふかのチーズケーキと一緒に。

彼女に会うのすごぉぉぉく久しぶり。だけど久々な感じがまったくしないのはなぜかな。

・・・・・・・・・・・・・・・

まぁちゃんは、私の日記にも何度も登場してるカウンセラー友達のひとりで、同じ時期に机を並べた仲間のひとりでもある。あれから何年経ったんだろうー。

・・・・・・・・・・・・・・

相変わらず、自分にとって彼女は空気みたいな存在で、(いい意味でだよー)あたりまえのように周りに漂っていて、とくべつ意識しないんだけど、無いと死んじゃう、、みたいな。「死んじゃう」は大げさかも知れないけどー。親とか兄弟とか、、そういうのに近いような気もする。「友達」というくくりには収まりきれない友達だ。

・・・・・・・・・・

かつて私たちが通っていた学院の授業というのは、とても深くて濃いものだった。今の時代、カウンセラーのための学校というのは数多く存在するも、おそらくここまでのところはないと思う。(学院のまわしものではないけど。日本カウンセラー学院の宣伝しちゃう)

なぜそう思うのかというと、当時学んだことというのは、ただ知識を詰め込むだけのものじゃなかったから。とにかくあの頃の私は、自分の心と向き合った。そしていつも心をグチャグチャに掻き混ぜられた。そういう経験っていうのは普段の日常では、したくてもできないもの。

その経験があったからこそ、今でもそれが習慣みたいになっていて、自分の体の感覚を知るのと同じように、心のコンディションをまず感じてみるという作業を勝手にしている自分がいて。クセみたいなもの。

まぁちゃんとはそこでよくワークをした。カウンセラー役とクライアント役と代わる代わるやった。ものすごい回数やったと思う。回数を重ねるたびに、お互いのココロの奥に眠っていた感情に気づいたり、それを共有したりしもした。

おそらくこのことが、自分にとって彼女が特別と言っていることにつながってるんだと思う。とっくみ合いのケンカをしたあとに生まれるあの感情に似てるような気もする。実際にはしたことないけど。 お互いあのとき心でぶつかったんだと思う。言葉の向こう側の世界を互いに見たような、一緒にその温度を感じたような。

・・・・

そんな私たち。だからと言って世間一般にいう「仲がいい」という関係でもなさそーな気もするし、しばらく会わなくったって、なんかどこかでつながってるような、お互いそこは安心しきってるような、不思議な関係かなー。だからやっぱり空気みたい。

そして、そういう特別な友達がいるというのは、人生においてとっても素敵なことだと思う。もうそれだけで自分は生きてていいんだと思える。

・・・・・

もっとおしゃべりしたかったけど、夕方になってしまった。

・・・・・・・・

夕暮れ時のすごぉぉく切ない気持ちの真ん中が、ちょっとだけぽかぽかしてきた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年9月11日 (日)

夕暮れお月さん

ふくらみ始めた稲穂。ほんのり色をつけながら夕方の風に流れてた。見上げれば白いまんまるのお月さん。

・・・・・・・・

街がオレンジ色に染まる頃、自分の中の何かが反応して切なくなる時間帯。それが昔見たことのある風景なのか、そこで何かを感じとった過去の記憶のかけらなのか、、わからないけれど。いつも胸の奥がきゅんとなる。

人間はそもそも悲しみや淋しさと一緒に生きてくものなんだなとそんなとき思う。本当は、そういうのって乗り越えることなんかできなくて、ココロのシミみたいになってたりする。だから無理に強くなんてならなくていいと思うし、弱っちーでも、ちゃんと生きていければそれでいいと思ったりもする。

・・・・・・・・・

今日は一日、夏が戻ってきたみたいだった。けれど行き交う人たちは、もうなんとなく秋色の服を着てる。私はまだ真夏のかっこう。季節から置いてきぼりだ。

・・・・・

パンを買いに行ったら、いかにも若葉マークな若いお兄ちゃんが、隣のベテランお姉さまの教育を受けながら、私の買ったパンをおぼつかない手つきで一個一個、袋に入れてくれた。レジの前は長蛇の列。ベテランお姉さんは、そんな状況を把握していながらも、じっくりと彼のペースに寄り添っている。

なんだかすごーくじんときた。いかにもな男の子っぽい不器用な手つきと、お客に愛想をふりまく余裕もないくらい一生懸命な表情。そしてそれを見守るベテランお姉さんのたたずまい。その雰囲気がとてもキラキラとしていた。だから誰一人として、文句を言うお客もいなかったし、そういう雰囲気っていうのは、伝わってくるものなんだな。なんだかとてもいいものを見させてもらったような、そんな気持ちになった。

・・・・・・・・・・

夜は王子がしょうが焼きが食べたいというので、豚肩ロースの美味しそうなやつを買う。あとは、あるものでうまくやろう。日曜日というのは、もっぱら冷蔵庫の掃除もかねての料理が食卓に並ぶ。ゆうべ海老をポイルしたときの茹で汁をとっておいたのでお昼にそれでパスタを作ったけど、海老なしでもじゅうぶん美味しかった。残りものには福だらけだ。888

この間買った桃のスパークリングワイン&桃がある。今夜は苺シャンパンならぬ、桃シャンパンにしていただこう。家でもじゅうぶんリッチな気分になれる、こういうことをするのは大好きだし、こういうことが明日の元気につながったりするから大事なことだと思う。

・・・・・・・・・・・

写真:残りものにも福だらけパスタ

   海老の茹で汁を白ワインと一緒に煮詰めてバターちょっと、生クリームちょっとを加えて茹でたパスタと絡めた。上にルッコラのせる。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年9月10日 (土)

料理からその人が見える

小腹がすいたとタクミがホットケーキを焼いていた。

彼の家は男だらけだし、父親も忙しい人なので、「腹が減ったら自分で作る」というのがあたりまえなのだ。私があの家にいたときからそうだった。息子たちが小さかった頃、台所の片隅にはいつもお風呂で使うイスが置いてあったもの。・・・・・・・・

料理をしている姿から、その人が見えてくるような気がする。むちむちした子供っぽいタクミの手は、とてもやさしい感じに見えた。プロレスごっこしてる彼からは想像もつかないくらい丁寧でしかも繊細な感じ。

・・・・・・・・・

夏の料理教室でも思ったことだが、男の子というのは、女の子よりも繊細な部分を持っているということ。すごーく大切なものを扱うように、ひとつひとつの工程を大事にしてたりする。

一方、女の子というのは、意外にもどっしりと構えてたりするのものだ。工程を大事にするというよりも全体を見ている感じ。これも、台所というのが、そもそも女にとってそういう場所であると言うことなのかも知れないなー。小さな女の子たちを見ていても、そういうのを感じるのだから、生まれながらに備わった女という生きものの役割みたいなものなんだろうか。そういうのって不思議だし、おもしろいと思う。

・・・・・・・

ホットケーキをひっくり返す手つきだとか、フライパンに薄く油を敷く丁寧な感じとか、私なんかよりもずっと上手なタクミ。はじっこをかじってみたら、フワフワで旨かった!バターとたっぷりのメープルシロップをかけて、ありんこになって食べてたタクミ。またしても、彼の成長ぶりを垣間見てきゅんとなった。

・・・・・・

ちなみに私の料理がいつも「工作してるみたい」というのは、もちろん食べるものを作っているわけだけど、作ることを本人がとにかく楽しんでいるので「モノ」を作る感覚なのだ。見た目、味つけ、全体のバランスとか、同時にいろんなことを考えてそれを組み立てる作業。だから工作。

そういえば初めて王子にご飯を作ったときに、それを見ていた王子が

「まるでサザエさんだね」 ってクスクス笑いながら言ってたけど、どーいうことなのかはよく分からない。

・・・・・・・・・・・・

・・・・

今夜はパーティー料理のご予約。大皿料理を作るのはすごく楽しい。やっぱり料理ってちょっとづつ作るよりも、ドーンって作ったほうが美味しくできるような気がする。お肉だって薄いの一枚焼くより、塊で火を通していったほうがだんぜんジューシーだもの。女性が多いって言ってたから、「ちょっとづついろいろ」がいいかもー。

さてー。仕込みの続きを。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年9月 9日 (金)

くだらなーいと分かっててもケンカ

朝いちばんで、ちょっと遠くまで食材を仕入れに行く。

以前は、まとめて余分めに仕入れておいたりしたけれど、最近は、予約いただいて、その都度仕入れにいく感じ。

こういうことって自分みたいなヒマな人間じゃないとできないだろーなー、なんて思いながらも、こっちのほうがだんぜん気合が入る。食材の鮮度ももちろんのこと、なんてったって「作りたい!」と思うものは毎日違う。自分が「感じること」だって日々違うのだ。いつも食材も気持ちもフレッシュで作りたい!って思う。

一時期は、冷蔵庫をもっと大きなものにしようかと考えたこともあったけど、自分ができる仕事の量なんて知れてるし。なので、この冷蔵庫分の仕事ができたらそれでいい。今はそう思ってる。

・・・・・・

いろいろ買って、ダッシュで戻ってきて、なんとかランチの時間に間に合う。お客さんが見える時間までに、このまたまり肉に火が通るか、ハラハラどきどきしながら準備する。

・・・・・・・・・・・

午後は王子に付き合ってホームセンターに行くも、いつものように彼のハートをくすぐるものたちに出会い、まんまとはまってしまう。彼にとってホームセンターとはアミューズメントパークみたいなもの。わくわくがいっぱい詰まっている場所。私にはよくわからなーい。

・・・・・・・・・・

帰りにつまらないことでケンカとなる。つまらないことだけど、自分のどこかが反応して想いをぶつけてしまう。すごぉぉぉくクダラナイとは分かっていても、ここに生まれる気持ちには嘘つけない。

なんだか車の中の空気が一気に淀んで窓を開けて深呼吸するも、お互い黙り込んだまま。あー、ひどいこと言っちゃったなーと後悔したってもう遅いし、「ごめん」を言うタイミングでもないような気もするし、、、頭ん中で必死に次の展開を考えてたりする自分がいる。

・・・・・・・・・

夜。王子は真っ暗な部屋でひとりゲーム。私はお店。一生懸命きっかけ作って王子に話しかけるも、温度のない返事しかかえってこない。あーぁ。

晩ごはん、いろいろ作ったけど、どれもこれも味のないものを食べてるみたいだった。

・・・・・・・・・・・・

たかがケンカだけど、足もとの温もりをまず大事にしなきゃ仕事なんてできないよなーって反省したり、後悔したり、あらためて思ったりもした。

明日の朝、ごめんなさいをしよう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年9月 8日 (木)

もっと食べタ~イ♪

保健所が主催の市の衛生講習会に参加した。

絶対に遅刻してはいけないというときに遅刻するのが自分のダメなところ。けど今日はなんとか間に合った。( ̄▽ ̄)約束時間手前におとずれるあの恐怖にも似た緊張感。無意識にそこから逃げようとする自分の行動パターン。最近ようやく少しずつ大人のルールに乗れるようになってきた。

・・・

この会の進行をしていたのが、以前お店を開くときにいろいろとお世話になったゴトーさんだった。一度、お店にも来てくれて、そんな人が大きな会場の舞台の真ん中で講義をするというのが、なんとなく不思議に感じた。身近に感じていた人が、実は偉い人だったんだ~と気づいて今までの100倍くらい尊敬の眼差しで見ちゃう。

ゴトーさんの講義は、まるで学校の先生が黒板の前で生徒たちのことを思って、分かりやすい授業をしてくれるみたいだった。今までのいろいろな偉い人たちのお話の中ではピカイチだった。この手の講習でありがちな、「セリフ丸読みじゃん」ではなくて、ゴトーさんのココロが入っていた。そういう人の話というのは、どんなむずかしい内容であっても、沁みてくるものだなー。

・・・・・・

夜は王子と瓦町のほうへタイ料理を食べにいく。池田公園の近くのタイ料理屋さんが美味しいと聞いたので、たぶんあのへんかな、という場所を歩いていたらやっぱりあった。そしてまだ早めな時間だったにもかかわらず、夜の危険な匂いはすでにプンプンしてた。外国人多し、オツトメに向かうセクシーねえちゃん多し、ゴージャスな日本人社長ちらほら、生きものと生ゴミと香水の匂いが入り混じるちょっと怖いがおもしろい街。王子と出合ったころ、このへんのラーメン屋によく来た。

そのお店の営業時間というのもPM6時~AM6時という、この街ならでは。外の雰囲気とは違って店内はとても小奇麗にしていて、テーブルに灰皿が置いてあったにもかかわらずまったくタバコのにおいがしなかった。厨房の奥で楽しそうなタイ語が行き交っていた。

これは期待できそー、とばかりにシンハーとともに2、3品注文するも、どれも一皿の量が多くてすぐにお腹がパンパンになってしまった。あまりにも美味しかったので、食いしん坊の私たちとしては、もっと注文したかったのだが、ここは残念ながらあきらめることに。「無理をしない」ということを、最近ようやく私たちは学びました。これも歳のせい。

食べたものは、空芯菜の炒め物、豚ひき肉を辛ーく炒めたやつ、グリーンカレー。(メニューに書いてあったタイ語は忘れました)どれも今まで食べたことのない香りや味付けがされていて感動しまくり。中華料理にも似てるけど、香りはぜんぜん違う。これも、使う調味料が違うからなのか。私が適当に作るタイ料理とはやっぱり違うし、勉強になったなーとまた創作意欲がわいてくる。

それにしても、タイ語をこんな身近で聞いたのは初めてかも、と思った。ぜーんぜんわかんないけど、なんとなく「ぱぴぷぺほ」の音が多いような気がした。帰りにタイの美人女将(タイでは何というのかな)が、すごおぉぉく素敵な笑顔で「ありがとございました」って何度も言ってくれて、そのことで「あー、来てよかったぁ」って私まで優しい気持ちになった。こういうお店だからこそこの場所で繁盛してるのだなと、なんかわかるような気がした。今度はもっといろんな種類を食べたいから、友達集めてこよー。カニのカレーとか羊肉を炒めたやつとか本場のヤムウンセンとかも食べたい!

・・・・・・・・・・・・・・

そのあと栄周辺をぶらぶらして、だけど大きなお店はもうすでに閉店していたので、止む無く帰ることに。いままでだったら、絶対このあとは、はしごしてもう一件立ち飲み系に寄って、そのあとバーに行くパターンなのだけど、ふたりとも苦しいくらい食べたので悔しいけど何も入らなかった。おとなしく帰りました。

・・・・・・・

今夜はここ最近ではめずらしく空気がジメジメしてる。明日は雨かな。

久しぶりにヒールの靴でたくさん歩いたので疲れたな。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年9月 7日 (水)

居場所って。

サウナルームみたいだったあの夏の台所も、いつのまにか涼しい風が抜ける心地いい空間になってた。もう秋だ。王子が「仕事しながら聴くといいよ」と設置してくれたFMラジオも、こんなときは欲しくなくて、ただただ風を感じながら音の無い空間でコツコツ作業する、こっちのほうがいい。すごぉぉぉく集中できるし、手を動かしながらココロはいろんなことを感じるんだもの。

・・・・・・・・・・

そういえば、今朝のNHKの番組で「少女漂流」というようなタイトルで特集するものをやっていた。そこには、今どきの少女たちの中で確立されている闇の社会みたいなものがあることとか、彼女たちは愛情を求めに(それだけではないが)いつの間にかその世界にどんどんのめりこんでいっちゃうこととか、、、そういう内容だった。

そういう現状を目の当たりにして、番組ゲストさんたちのコメントというものがなんとも残念な内容だったことに、腹立たしさを覚えた私は、思わずNHKに電話したろかー!となった。(電話しなかったけど)

それは例えば、「今のこどもたちは甘やかされすぎている」とか「昔はこんなんじゃなかった」とか、そういう親目線の意見ばかりが飛び交っていることとか、あくまでもそれらは個人の主張であって、「こういうのが親だから、こどもはこんな風になっちゃうんだよ」と言ってやりたいくらいだった。

・・・・・・・・・・・・・」

かといって、じゃぁ誰が悪いの?とか、こうなった原因は何? ってなると、親が悪い、社会が悪い、、、いろいろ言う人々はいて、、、だけど

それを追求してどうなるというの。

まず、あの子たちのココロの声を聴いてあげなきゃいけないんじゃないの?そして親御さんのココロをも聴いてあげるべきだと私は思う。要はどっちも淋しいのだ。

・・・・・・・・・・・・・

そして個人的に思うところだけど、よくそういう子供が「親が悪いんだ」とか言ってたりするけど、それは違う、って言ってあげたい。子を愛さない親なんかいないんだから。ただ、少しだけ愛のカタチが不器用になってしまったり、うまく表現できなかったりするだけ。あなたを愛していることには変わりないのだから。

 なんだか朝から熱くなってしまった。

・・・・・・・・・・」

あの子供の頃に感じた(今でも後遺症はあります)、「居場所がない」という気持ち。「親に心配かけちゃいけない」っていつも思ってたあの感じ、「私は悪い子です」ってひとりでトイレに閉じこもって泣いてた自分、、、そんな自分がいるからなのか、苦しんでいる子たちの気持ち、痛いほどよくわかるような気がする。

映像に出てきた少女、めちゃめちゃ心がキレイだった。しゃべってる内容とか雰囲気でそう感じた。

キレイだから傷つきやすいし、壊れやすいのだと思う。それを何も知らない大人が「甘えだ」というのはなんか違うような気がする。

あの少女が社会にもまれながらも無事に毎日を生きて抜いて大人になり、そしていつかお母さんになる日を願いつつ、祈るような気持ちでテレビの前でエールを贈った。

・・・・・・・・・

・・・・・・・・

今夜は庭でワインでも飲もうと帰ってきた王子が言ってくれた。王子のさりげない優しさに感謝。

ここのところ問い合わせの電話で王子の前の奥様がこのお店をやってると思ってかけてこられる人が多々いらっしゃって、なんだかあまりいい感じがしなくて王子に八つ当たりしてたのだ。私も私でそういう電話のときは「ちゃんと下調べしてから電話してきてくださーい」とか、かなり子供っぽく返してしまうのだけどね。

私は私の「居場所」を一生懸命見つけるために、ここでお店をすることに決めたんだもん。そう、人生とは「居場所」探しみたいなもの!

ココロの積み木が崩れないよーに、日々頑張ってる、これでも。

だけど訳わかんない電話で、すぐ、くじけそーになる私って・・・やっぱ弱っちー。

・・・・・・・・・・・

さーて。今夜は飲むぞぉぉぉぉぉぉ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年9月 6日 (火)

涼しいな。

朝起きたら風の匂いがすっかり秋になっててびっくりする。びっくりとともに、なにか夏に大事なものを置いてきちゃった気がしてすごく切なくなる。まだ寝ている王子に、「どうしよう、お腹の中が淋しくて泣いてるんだけどー」(腹が減ってるわけじゃありません)と枕元に言いにいくと、「そりゃぁ大変だ」とひとこと言って、また眠りの続きに入ってた。

・・・・・・・・・

とにかく気持ちが騒いでいるのだ。やかんの水が沸騰するように、気持ちの中がふつふつと沸き立つ感じ。文章に書こうも、言葉足らずでこの感じ、うまく表現できない。

人はこんなとき、恋とかするんだろう。恋とは、ただその人が好きだという気持ちだけじゃなくて、自分を包んでくれる風とか空気がその恋を後押ししてくれるものだと思う。そういうのがすべてひとつになったとき、ロマンスが生まれるのだと。だから今、恋をしなくちゃもったいないよー。(誰に言ってる?!)

・・・・・・・・・・・・・・・

こんな日に何をするか、というのをマジで考えたりする。まず思いついたのは、「踊りたーい」。その次は「ピアノ弾きたーい」。そして次は「何か文章にしたーい」、そして「眠りたーい」である。意外に身近なことばかりだ。

結局やったことといえば「眠りたーい」。とにかく寝た。どうしてこんなにも眠れるのか不思議なくらいに。

・・・・・・・・・・

夜、王子が帰ってきて一緒に庭仕事。台風でいろいろ壊れちゃったところもあったので修理したりする。こういう仕事は私にはできないので、王子みたいにマメに日曜大工をしてくれる男の人には感激してしまう。今夜はピチピチのサンマを焼いてあげよう。

・・・・・

それにしても夜は夜で秋の夜。

うまく気持ちが季節に乗っからない。この風に身を任せるしかないんだけどね。。。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年9月 5日 (月)

王子、欲求不満解消の巻

いつもの時間に帰ってきた王子。なぜか大きなダンボールを抱えて。

スーパーでお買いものしてきたみたい。

中を見ると、にんじん、じゃがいも、豚肉ブロック、トマト、、、、。

「カレー作るんだ!」とばかりにスーツを脱いでランニング、短パンで台所に降りてくる。

「私のお手製の美味しいカレーもあるんだけどな~」とは言わなかったー。

・・・・・・・・・・

それにしても帰ってくるなり台所始めるなんて、あまりにもそのめずらしい光景に「今日はまた、どうして?」って聞いてみたら、「ここのところ仕事詰めだったから欲求不満たまってたんだよー」だって。

そいえば、以前はよく作ってた。だけど最近は、あまりの忙しさに「作ること」自体、考える余裕もなかったみたいだ。ということは、「考える」だけの余裕が出てきたということなのかもー。よかったー。

867_2 カメラを向けたら、こんな表情をしてくれました。

・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・

・・・・・・・・

・・・・・・・・

・・・・・・・・・

・・・・・・・

・・・・・・・

869 ・・・・・・・・・・・。

しかもこんな顔まで!!(゚ロ゚屮)屮

    怖いー。

野菜をむいたり、そういうひとつひとつの工程は、私なんかよりも丁寧。料理してる!っていうカタチになってる。

私のほうといえば、もっぱら「工作してる!」ですから。ヾ(´ε`*)ゝ

・・・・・・・・

・・・・・・

868 こんなふうに、きれいにカットされた野菜たち。

写真には映ってないけど、周りは野菜の皮やら切った破片やらで、すごいことになってるのだ( ̄◆ ̄;)

ま、男の料理はこんなもん。

買ってきた豚肉ブロックは、1㎏近くあって、これをふたりで食べるとなると、、、( ̄○ ̄;)!。

ま、いいでしょー。今夜は肉肉カレー祭り。

切ったお肉は大胆にも厚さ3センチ近くあったので、野菜と一緒に圧力鍋で柔らかくしてました。そのあと、なんにも考えずにドボーンとルーを入れるもんだから、、、しかもその量もハンパじゃなかったから、、、、ものすごおぉぉぉいドロっと感。これじゃかきまぜられないぞーな感じ。

これぞ男の料理だー!みたいなのを見させていただきましたー。

これで出来上がりと思いきや、そのまま一晩寝かせるとのことで、今夜はおあずけ。こういうこだわりも男子ならではだな~。

・・・・・・・・・

王子はこのあと、今夜はもう仕事しない!と断言し、のんびりテレビ見たり、ゲームをしたりするのだそう。

まぁ、ときどきこういう過ごし方をするからこそ、頑張るときにバシっと頑張れちゃうんだと思う。

私が「飲みすぎたー」って言いながら、ときどきヨレヨレになってなんにもしなくなるけど、なぜか次の日、ビシっとスイッチが入るのと同じだと思う。(違うか)

・・・

さて。では今から晩ごはん作りまーす。(?!)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年9月 4日 (日)

雨やまず。あんかけスパ

ものすごい雨と風。外に出られない。洗濯もの、部屋の中でのれん干し。

・・・・・・・・・・・・・

それでも午後になると、だいぶ雨音も静まり、泊まりにきてたタクミが「俺、帰ってやることあるからもう行くよ」などとあまりにも大人びたセリフをサラリと言うのでムカつく。

いつもどおり駅まで送っていき、それぞれの日常へと帰る。淋しさ倍増。

奴が帰ったあとの自分といえば、半ばぽわんとしながら図書館に寄ったりスーパーマーケットでカート押したりしてるうちに、ようやく今に戻ってくる感じ。こういうのにもだいぶ慣れてはきたけど、やっぱりバイバイのあとの切なさはいつだって一緒。

・・・・・・・・・・

いつもよりも遅めな時間に帰ってきた王子は、そのままお仕事仲間を呼んで、今度は家で仕事ということになった。むずかしい精密な機材を並べて、王子とは正反対の今にも折れちゃいそうなくらい細身な技術者さん(お仕事仲間さん)と一緒にミクロの世界を探っていた。

私にはまったくといっていいほど分からない世界だが、それらはまるで、人間の脳ミソの仕組みを解明し、神経どうしをつないだりする精密な作業のようにも見える。絶対、間違えが許されない世界。 この間、「王子のやってることって、機械のお医者さんみたいなこと?」って聴くと、あまりにもそのアバウトなたとえに戸惑いながらも少し間をおいて「うーん、そうだね」と返ってきた。ほんとは全然違うのだな。

特殊な技術を持ってる人ってやっぱりすごい。そういう人たちをどんどん育てていく世の中の仕組みができたら、日本はもっと変わっていくんじゃないのかな。

・・・・・・・

1時間ほどで終わると言ってた仕事だったけれど、気づいたら2時間半も経ってた。晩ごはん食べずにテレビの前で寝てた私。もちろん、王子も何も食べていない。

王子が「終わったよ」と呼びにきてくれて、ラーメンでも食べに行こうとなった。この時間じゃ、やってる店も限られてくるし。そんな中、ラーメン目指していたら、あんかけパスタの看板を発見し、予定変更となる。名古屋に来て12年ほど、あんかけ体験、今日で2度目。

1度目も王子に連れていってもらった。栄のどこかにあった昔からある喫茶店風なお店で、かなりのボリュームがあったのを覚えている。味は覚えてないくらいなので、その程度のものでしょう。

今日入ったお店。メニューの種類がはんぱじゃないくせにあんかけソースの種類はなぜか1種類。(まあ、こんなものなのかな) 王子と私で顔見合わせて「しまった」というように、注文する前から後悔し、だけどお店の人に申し訳ないので一番少なめな量を頼んだ。

そしたらやっぱり少なめで正解だった。スパゲッチーがかなり油っこい。(あんかけスパの麺はたしか茹でた麺を軽く揚げるんだったよな)ココロは満足しないながらも完食し、そそくさと店を出た。「食いしん坊の街名古屋」の名物でもある「あんかけ」がこんなんじゃなーと、ちょっと残念な気持ち。まぁ、昔から名古屋にはこういう食べものがあるよ!というくらいに他県の人たちに教えてあげればいいんじゃないのかね。まぁ、そのお店の従業員さんが、とてもまじめで感じのいいおじさんだったので、なんとなくお腹いっぱいになってよかったね、というふうになって帰ったけど。決して高いものじゃないけど、味が値段に全然見合っていないことが悔しー。王子が「この味、うちだったら300円だよ」とバッサリきってた。

・・・・・・・

なんだかもの足りず、帰りにコンビニでおでんを買う。アイスも買った。

今、ビールをあけて家で2次会。(?!) コンビニのおでんの味に感動するなんて。さっきのは一体なんだったんだろー。

・・・・・・・・・

早めに寝よ。外はぽつりぽつりと温かな雨音。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年9月 3日 (土)

台風の日の思い出

びゅーびゅー風は激しく泣いてるし、外は人気もないしで、一日じゅうビビリながら家の中で過ごす。遊びに来てたタクミはもっぱらユーチューブのプロレス中継に夢中。雨が降ろうと槍が降ろうと仕事に行く王子は今朝も早くから出ていった。お勤めしている人ってやっぱりすごいと思う。気持ちがどんなにナナメになっていたって、きちんと毎日のルールを守れるのだから。世の中とは、そういう人たちでなりたってるんだなと思う。

・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・

台風というと思い出すことがあります。小学校1年生の頃の話です。

当時、歩いて片道40分ほどの小学校に通っておりました。田んぼやら畑やらに囲まれたのどかな風景の中にある田舎の小学校です。森の中を歩いたり、栗林の道を抜けたりしながら歩いた景色は今でもはっきりと私の中に色を持って刻まれています。

しかしながら、ついこの間まで幼稚園に通っていたという子供の足では、その40分の道のりは、決して容易いものではなかったのです。

私はよくその道でおもらしをしました。潔癖症ではないのですが、子供の頃から自分の家以外のおトイレに入るのが苦手で、要するに我慢しちゃう子だったのです。なんとなく自分にとっては「知らないおトイレ」に入ることは勇気がいることだったのです。今になってもそういう部分は残ってますが。

・・・・・・・・・・・

そんな私の学校帰りのスカートのお尻には、いつもまあるいおもらしの跡がありました。知らない上級生がそんな自分を見てクスクスと笑ってるのをよく背中で聴いておりました。だけどランドセルでは隠れないし、もうどうしようもなくてそんな時は小走りでその場から逃げたものです。

家に帰っても、共働きの両親はいないので、もちろんひとりで着替えます。あまりにも頻繁なことだったので、そのうち私自身も慣れてしまって(おもらしに)、笑われてもなにされてもなんとも思わなくなっていました。ただ、毎回濡れたお尻のまま玄関の鍵を開けて、お風呂場で着替えるその風景だけは、子供なりにもそこに淋しさみたいなものを感じていました。

・・・・・

ある台風の日、その日はナントカ警報が出て、授業が午前中で終わりになりました。帰りの道は6年生が先頭になり、列になって歩きました。もちろんその日も私はおもらしっ子でしたが、そのことを周りに気づかれようが、もう何も気になりません。なにしろものすごい雨の中ですから、体の一部が濡れていようが分かりはしないのです。

そして家に着いて、私はいつもどおり鍵を空けてお風呂場に直行したわけです。お尻もいつもどおり濡ていましたが、小さい子供のさす傘なんてほとんど意味はなく全身びしょびしょです。小さい私はお風呂に入ろうと、まだほのかに温もっていたゆうべの残り湯にざぶんと浸かりました。

・・・・・・・・

窓の外から聞こえるザァザァの音、なんとなく灰色なお風呂場、その中で膝を抱えて小さくなって入ったぬるいお風呂の温度。

そんな偶然出来上がったかのようなシチュエーションの中で、子供の私はなぜか涙が止まらなくなってしまったのです。自分でも、どうして泣いているのかも分からずに勝手に涙がぽろぽろ落ちてきたのを今でも覚えています。だから台風の日には、今でもふとあの頃を思い出すのです。決して言葉にならなかったものを、小さいながらに一生懸命抱えていたあのときの私を。

今思えば、きっとあの瞬間、涙と一緒に子供の私は何かたくさんのものを吐き出したのだと思います。今、それを分析しようと思えばできますが、あえてそんなことはしたくないですし、そういうものではないような気もするんです。いろんな想いのかけらが重なって、もう小さい私のココロはいっぱいいっぱいになっていたのでしょう。

そして6歳ながらにもいろんなことを感じていたんだと、なんだかそんな自分を愛おしく思えたりもします。

だからこんな天気の日にはなんともいえない気持ちにもなるし、重たくもなるわけです。

・・・・・・・・・・・・・

ただひとついえるのは、

そんな経験をできたことは、そのあとの私の人生にも大きな影響を与えてくれたということです。今があるのも、あのときのお風呂場で、子供なりにココロをいっぱい使っていろんなことを感じていた自分がいたからだと思うのです。

やっぱりそう思うとすべての経験が今の自分の部品であるということ。いいことも、そうでないこともみんな。

・・・・・・・・・・・・・

そしてもうひとついえることは、

やっぱり自分は当時から少々ズレてた子だったのかも知れません。大人になった今、世の中の波にうまく乗れない自分がいると思うと、どうやらそういうことだったのかと納得せざるを得なくなります・・・。(´△`)Zzzz・・・。o○

こればっかりはどうにもならないよなー。

こんな自分とこれからもうまく付き合っていこうと思いまーす。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年9月 2日 (金)

台風接近か!

ごうごうと風の犇めく音が恐ろしいくらい。稲穂の絨毯は、まるで生きものがその上を這うかのように畝る波を描いていた。

湿った空気の重さだけが何かを予感させる。自然界の呻き。

台風が近づいてる足音なのかな。

・・・・・・・・・・・・・・・・

いつもとは違う夕暮れ時、一日じゅう部屋にこもって仕事してた王子が息抜きにと言って、一緒に買い物に出る。

夕方の空はどこまでも深い色を濁し、すごく不気味だった。

その空に反応したのか、、、空の色に昔を重ねたのか、、、たまたま今日という日のコンディションがよろしくなかったのか、、、いろいろ考えられるところだが

きゅうに不安な気持ちに押しつぶされそうになってどんよりしてたら、王子が「俺まで沈んじゃうじゃないか」というので、すぐさま元気を装う。ひとりじゃないことだけが、なによりもの救いだ。

最近思うのだが、こういう「わけもわからない不安」というのは、いったいどこからやって来るのだろうかということ。

自分の場合は確実に幼い時分に味わっているものだということ。ふと何かの瞬間にその感触に包まれたりする。悲しいとか淋しいとか、それらは言葉になるものではなくて、あくまでも感触として覚えているものなのだ。私にとっては懐かしい場所でもあって、少しばかり痛みを感じたりはするけれど、これがあるから、生きていけると思えるもの。だから自分にはなくてなならないものだったりするし、今の自分を作ってる部品のひとつでもある。心理屋の仕事も、これがあるからできるのだと思ったりもする。

・・・・・・・・・・・・・・・

おそらく、ほとんどの人がそれらを抱えて生きていて、世の中の大半の人は、その痛みから目をそむけて生きてるんだと思う。

だけど痛いものは痛いのだ。苦しいものは苦しいのだ。そこの部分と向き合いながら生きていったっていいと思う。それは決してかっこわるいものじゃなくて、正直な生き方なんだと私は思う。

自分はそういうふうにしか生きられないし、わざとらしい自分を作るのはやっぱり嫌だもの。そんな弱っちー私の独り言に、意味はわからなくてもいつも付き合ってくれる王子にはほんとにありがとうなのだ。本人はよく「その意味、俺には分かんない」などと言っているけれど、王子自身も実はその国の住人だと私は思っている。その国というは、ことばの向こう側にある世界のこと。

・・・・・・・・・・・

タクミから電話があり、「今からそっちに行くよ」とのこと。このすごい空の下、奴は電車を乗り次いで来るのだから、やっぱりあいつも「その国」の住人に違いない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年9月 1日 (木)

ラーメン王子

王子が休みなので午前中は産直野菜を買いに連れて行ってもらう。片道車で1時間ほどかかるので助手席の私にとってはちょっとしたドライブ気分。高速道路にのってまず目に飛び込んでくる緑の山々や田んぼばっかりののどかな風景は、日常を少し遠くに感じさせてくれる。

そして何よりも嬉しいのは、私の1週間ぶんの日常報告に付き合って、隣で相づち打ってくれる人が今日はいる!

・・・・・・・・・・

こんなに買ってどーすんだ!というくらいの量の野菜を仕入れた。大丈夫、ちゃんと使いきれるもんだ。今日のヒットはフルーツトマトかな。あー、これで冷たいパスタ作りたいっ。バジルもあるし。

・・・・・・・

帰りにショッピングセンターをフラフラして、お腹がすいたので何か食べようということになったけど、とくべつそそられるものもなかったので、王子の知っている「このへんじゃ有名」というラーメン屋さんに行くことにする。

そういえば、ラーメンといえば王子なのである。今までかなりの数を食べてきてるみたいだし、まさにそれは評論家なみ。たまに行列のできてるお店なんかの前を通りかかると、「なんであの店に客が並ぶのか意味わからないよ、あいつら舌おかしいんじゃないの」などと、かなり辛口なことを言ったりする。そもそも彼の美味しいの基準は、ブームとか、雑誌に載ってるとか、そういうものじゃないみたい。自分の舌で得た感動なのだと思う。そういうこだわりみたいなものは、私なんかよりずっと強い。ある意味頑固だ。

・・・・・・・・・・

その「このへんじゃ有名」というラーメン、ひとくち食べて「なるほど~」と思いました。

昔ながらの醤油がふわっと香るシンプルで懐かしいラーメンという感じ。「こういう系が好きな人、結構いるよな~」なんて思った。

メニューもラーメンしかなくて、餃子食べたかったけどなかった。ビール飲みたかったけど、あまりにも店内のトイレ臭のきつさに、そんな気にもならなかった。私にとっては「ざんねーん」な店。久しぶりに来たという王子も「昔は美味しいと思ったんだけどな」などとコメント。それはそこの店の味が変わったんじゃなくて、「あなたの舌が上達したのです!」ということなのだ。毎日せっせと手作りしてる私のゴハン食べてたらそうなるんだよ、と言ってあげました。

化学調味料ビシバシきかせてあるスープは、とてもじゃないけど半分の飲めなかった。まるで舌をヤケドしちゃったみたいにビリビリで帰りにコンビニでアイスを買ってはんぶんこした。

・・・・・・・・・・

帰ってきて仕込みしてたら、イマちゃんから「今夜遊びに行きまーす」の電話。イマちゃんは王子とのツーリング仲間。うちに来るときも赤のかっこいいバイク(バイクはまったくわからないからこういう表現しかできない)にまたがってやってくるのです。得意な魚釣りの話、また聴かせてもらお~っと。

さて何作ろうかな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2011年8月 | トップページ | 2011年10月 »