月曜な気持ち
春の雨が優しく降る中、始発電車でタクミが帰っていった。
彼は彼の日常に帰るという自覚はちゃんと持っているようで、眠気まなこをこすりながらもまだ夢の途中の体をエイっと起こして靴下を履いたり身支度を整えていた。なんだかそいいうところはすごくたくましい。
11歳の脳ミソにも、そういう意識がうわっているんだと思うと、嬉しい反面、寂しさみたいなものも同時に襲ってくるのだった。ココロのどこかでは 「タクミ帰っちゃやだよ」と泣きべそかいてる自分がいたから。
朝が始まったばかりの駅のホームで奴がおにぎりをほおばる姿はなんだか可愛かった。出掛ける前におおいそぎで、ジャーの中のご飯をラップでくるんだだけのまっ白なおにぎりを美味しそうに食べているのをとりあえず確認してから、私は私の日常に返らなきゃと一生懸命気持ちのベクトルをまっすぐに整えようとしてた。
王子は今朝は早く仕事場に向かうとかで、7時前に家を出てった。白いおにぎりを、胸ポッケに詰めて。
月曜日の誰もいなくなっちゃった朝というのは独特の雰囲気があって自分はどうやらまだその感じに慣れていないみたい。
週末の楽しい空気がまだ部屋のそこかしこに残ってる感じとか、ちょっと気をゆるめるといとも簡単に、その残り香に包まれてしまう自分がいることも、だけど気持ちも体もまっすぐにしなくちゃと冷静な自分がいることも確認するのだった。
だからいつもの朝よりもひとつひとつのことをやるのに時間がかかる。
日曜日の匂いが一枚一枚にしみ込んでる洗濯物もを干すときも、深夜番組観ながら食べたスナック菓子のかけらを見つけて掃除機かけてるときも、、、
いちいち気持ちが反応してそっちのほうに引きづられていきそうになる。
そして不思議とキッチンで洗い物したり、スープのダシをとったりしているときにだんだんと気持ちはここにあることを確認するのだった。なぜだかどうしてだか台所というところは私にとってそういう場所らしい。
そう思うと、自分にとってはやっぱりここは特別な場所なのかもしれないな。呼吸する場所でもあるし、呼吸を確認する場所でもあるんだろうな。
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お昼前に雨もやんで、むこうのほうからやんわりと春の陽がさしてきた。
待ってましたとばかり、部屋の中に干してた洗濯物を一気にベランダに移した。雨あがりのしっとりとした空気は柔らかくって、お花みたいな甘い香りを含んでいる。どこかから優しい賛美歌の響きが聴こえてきそうな、そんな癒しの風がとても心地よかった。
ふとテレビをつけたら、すでに幾度も目にしてる被災地の映像がリピートされていた。これだけ復興の兆しが見えてきていて、それにむけて日本じゅうがひとつになって動き始めたときに、こういう報道というのはいかがなものかと、なんだかそれが筋違いなように思えてきてすぐさまスイッチを切った。
テレビっていうのはこわいものだな。人間の感情をも操作してしまうのだから。どうせだったら光の方向に持っていって欲しいと思う。とにもかくにも、「自分」て人間をしっかり持ってるかどうか、そいういことなのかも。
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千葉にいる父ちゃんと久しぶりに長いこと電話で話した。あれからずっとつづく余震のこととか、生活品が不足していることとか、ガソリンが売っていないこととか、とにかくその声には不安があふれてた。
今すぐに飛んで行ってあげられないから、とにかくそんな父ちゃんの気持ちを聴いてあげようと思った。父ちゃんの声の温度を感じながら。
そしてこれからもマメに電話してあげようと思った。物資も大事だけど、それらを必要としている人たちのココロの温度を感じてあげることは、もしかしたらもっと大事なことのような気がしたから。
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だけど父ちゃんの声聴いて少し安心したのはたしか。母ちゃんの話だと、ちょっとボケてきて困ったなんて言ってたから実は心配してたのだ。だけど娘の私が感じるところでは、全然そんなことはないように思えた。
なんだか親子が逆みたいになっちゃった感じがした。頑張んなきゃな、って言葉が自然に湧いてきて不安定なココロの芯みたいになった。
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