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2011年3月12日 (土)

カウンセリング研究会のこと

今朝になってようやく電話がつながった。

父ちゃんと母ちゃんと弟の無事を確認して、気持ちがすとんと落ちた。

外出先にいた母が家に戻ってきたのは深夜になってしまったとのこと。電車も全線とまってしまって知り合いの人に車で送ってもらったそうだ。

そしてそんな母は家に居る父の安否を気にするどころか、自分の部屋にある大きなパソコンが床に落ちていないか、どうやらそっちを心配していたらしい。 それを聴いて、なんだか「母らしいな」と、変なところで関心してしまった。

だけどテレビの中は昨日よりも悲しいことになっていて、今ここにいる自分がどうしていいのかと、とても落ち着かなくなってくる。

遠い海のむこうの話ではなくって、すごく近いところで現実に起きていること。知り合いや友達も、おそらくいるであろうという場所で。そう思うだけで体じゅうが痛くなる。

一日じゅう流れている悲しい報道に気持ちはどんどんそっちに流れていって、何も手につかない。

今この自分がなにができるか、、、そのことばかり考えてる。

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昨日、まさに地震で揺れていたあのとき、私はカウンセリング研究会に参加していた。研究テーマもなにも持っていかなかった私はずうずうしくもカウンセリングを受けたいとお願いしました。

そのときの貴重な体験をここに書いておきたいので、今 少しの間テレビのスイッチは切ることにします。

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いつもとは逆の立場。自分がクライエントとして、そのときの気持ちをカウンセラーの先生に聴いてもらいました。そしていろんなことを感じたのです。

たとえばカウンセリングというのにはシナリオがないということ。前もって「何を話そうかな」みたいなことを大まかには考えていても、そのときの空気だったり空間だったりカウンセラーの雰囲気だったりで、自分の中から何が出てくるかが予測つかないのがカウンセリングなんだと。

それは音楽でいうところの即興演奏みたいな感じ。

そんなふうに何がどうなるか分からない、、、というところがカウンセリングのスゴイところで、それこそ「無意識」っていうところから湧き出てくるものかもしれないし・・・実はそこが大事だということも。

そしてカウンセラーっていうのは、クライエントから湧き出てくるものにそっと寄り添っていく立場。もちろんカウンセラーもある意味、即興的であるべきなんだって思った。

シナリオのないものどおしが、どんなふうな共演を繰り広げていくか・・・そこがカウンセリングの醍醐味みたいな、、、そんな感じがした。

1時間のカウンセリングの中で、自分の気持ちの奥のほうに埋まっていた感情に気づくこともあったり、それらの意味にも気づいたり、、、そしてなによりカウンセラーとしての勉強ができたということ。

「たるみん」ありがとうございました♪(日本カウンセラー学院の垂水先生のことです)

そしていつもお兄ちゃんみたくいろいろ私の話を聴いてくれる「北野さん」ありがとうです♪(日本カウンセラー学院のオペラ歌手です)

やっぱりここに来ると、原点に返ります。あのときあの学院の門をたたいたボロボロだった自分。今にもどうにかなっちゃいそうなくらいココロはパンパンで・・・。そんな自分がいたあのときのあの教室はやっぱりあったかかった。 お父さんとお母さんがいるわけでもないのに、なぜかココロはあるべきところにちゃんと落ち着く感じで、なんだか実家みたいな場所。

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再びテレビのスイッチを入れた。

この惨事をまのあたりに、真剣に「命」というものに向き合う自分がいる。

「生きる」っていう最大のテーマを前に、本当に大切にするべきものの姿が見えてくる瞬間のような気がする。余分なもがどんどん剥ぎ取られていって、「生きる」っていうただそれだけのテーマの意味が見えてくる瞬間。

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