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2011年3月

2011年3月31日 (木)

なにができるだろうか

アスファルトの切れ目からスミレ。

可憐な紫の花、そして葉っぱにも茎にも勢いがある。

足元にも、こんな小さな生命があったんだ。しかも空にむかって自己主張しているその姿に思わずじんときてしまった。そして何かを教わったような気がした。 

今日は半日お休みの日だったので、午前中は王子に頼まれた用事をいくつか済ませたり役場に行ったりで、ぐるぐると動いてサカサカと片付けてった。

普段、手帳っぽいものは持たない自分でも、箇条書き並べた項目にひとつひとつチェックマークを入れてくみたいで気持ちよかった。全部にしるしがついたときに味わうあの小さな達成感と似てた。

いちいちその場の感情とかに浸ることなくとにかく動く ってやつだ。ある意味 楽チンだけど、自分にとってはちょっとだけ物足りなさみたいなものもあったかな。 

午後はスーパーに行って、帰ってきてケーキを焼いた。かつては得意だったシフォンケーキがここのところうまくいかなくて(新しいオーブンの性格がいまひとつつかめていないんです)くやしいのでまたチャレンジしてみる。これで何十回目かな。今、オーブンの中で成長中。

ちょうど焼き始めたときに親友のMちゃんから電話。

Mちゃんの提案でこの被災におけるなんらかの支援を一緒にやっていこうとのこと。もちろん賛同するとの返事。

ココロの仕事をしている自分たちになにができるか・・・

実際の現地の様子を見ていない自分たちになにができるか・・・

なんにもできないかも知れないけど、なにかができるかも知れなくて。

そういう想いを活動という形ですすめていこうということになった。なにができるだろうか。

こんな微力な自分が、誰かを想い、何かを想いはじめたとき、もうひとりの自分がムクムクと強くなってくのがわかった。「想い」のパワーとはこういうものなのかな。

さて、そろそろシフォンも焼けるころ。お店のしたくも始めよう。

いつもよりも体の上のほうで今を感じてる。目の奥が開けてる感じで。

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2011年3月30日 (水)

白いクマちゃんが運んできたもの

庭の垣根の木たちが風の中に流れてた。

その姿には自由な感じと無防備なリアルさみたいなものも感じられた。なるようにしかならないというようなあるところを見極めた者の雰囲気さえ漂ってた。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

午後のスーパーはガラガラだった。

テレビで葉もの野菜が売れないと言ってた。問題になっている風評被害というやつなのかな。

そもそも安全じゃなかったら、店頭なんかにはのぼらないはず。情報は大事だけど、それを消費者である自分がどう受けとめるかが一番重要なところなんじゃないかなと思う。

自分の意識だったり考え方だったり、そういうものをしっかり持っていない人たちのとりあえずの気持ちの置き場所が、風評っていうなんとも不確実な場所を見つけてそこに乗っかっていこうとすることなのかもしれないな。

そう思うと人はみんな、気持ちの置き場みたいなのを探してるのかも知れない。そして多数決で多いほうへ自然に流れていくみたいなちょっと意味の分からない仕組みが出来上がってたりするんだろうな。

そんな中、自分はといえば、いつもと一緒。美味しそうな野菜やらお肉やらお魚やらを買った。ガラガラなのでレジ前もスムーズだ。

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いったん荷物を置いて久々に図書館へ行った。特に読みたいものがあったわけじゃないけど、なんとなく午後の図書館の雰囲気の中に吸い込まれていった感じで。

古いページのひなびた匂いと人の匂いが入り混じったこの場所。音といえば、誰かの咳だったり、ページをめくる音だったり、椅子をひく音だったり、どこかからの寝息だったり、、、そういう人間くさい空間、図書館というところは。

そしてそういう自分もそこに身をおくと、たぶん人間くさくなっているんだと思う。ページをひらけばその世界にもぐりこむ自分がいて、そういうときっていうのは周りが見えないし聞こえないし、、、そのページの住人になってるわけだから。

そんな人間ばかりがここには居る。嫌いじゃない空間。

しかもこの時間帯は窓からの光がちょうどいい感じに差し込んでくる。光の当たっている椅子をみつけてそこで小説を読みはじめた。ここだと小説の中の世界も3倍くらいに広がってそしてせまってくる。

あまりにも気持ちがよかったので知らないうちに頭をガクンと落した格好のまま眠ってしまった。浅い夢の中にもいたと思うし、時間とか空間とかを飛び超えた所にもいたと思う。

だんだん現実に戻りつつあるとき、自分の座ってる周りで子供達の声が聴こえてきた。まだ半分夢の中にいるみたいで、すごく遠くのほうの声みたいだし、やまびこみたいだったし、そんな声をしばらくぼんやり聴いていた。

するとなにか自分の足に触れる感覚があって、そのとき初めて「今」に戻った。

3人の女の子たちが、私のジーンズのポッケから飛び出してた携帯ストラップのぬいぐるみで遊んでたよう。白いクマちゃんのストラップ。

なんだかその子たちのキャッキャに自分ものっかって、こしょこしょ声でおしゃべりした。ここは図書館だから声を抑えるぶん、身振り手振りがデカくなる。傍から見たらたぶんオモシロイ景色になってたと思う、私たち。

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ひょんなところから、、、しかも居眠りの中から、可愛い女の子たちの笑顔を3つももらっちゃった。やったぁー。

ちなみにこのクマは、先日 洗濯洗剤を買ったらおまけに付いてたのです。クマちゃんは、洗剤と一緒に幸せも持ってきてくれました。

さてそろそろお店の準備。

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2011年3月29日 (火)

乗り遅れないよう注意せねば!

おてんとうさまの光が優しく感じられる日。

風もなくて、、、だから用もないのに、やたら外に飛び出したくてしかたない。ランチの時間を終えて近所を歩いてみた。ちょっと歩いただけでも汗がにじむ。

それもそのはず。

自分はまだ真冬の格好で歩いてる。

最近、着ているものとかそういうものに、無頓着になってた。 たぶん、もう半年くらい毎日同じような格好してると思う。(もちろん毎日お洗濯はしてます) なんだか去年の6月くらいからずーーーっとお店をすることしか考えていなかったから、着るものとかそういう部分はどんどんまわりからズレまくってったと思う。

どうしても、ひとつのことを考えると、とことんそこにのめり込んでいってしまう自分がいて、しかもそののめり込みの勢いは誰にも止められない感じで。王子にも何度も「そんなに慌ててどうする」みたいなこと言われたっけ。自分からしてみたら、熱くなってる気持ちの温度をどうしてむりに下げようとさせるのかまったく意味がわからなかったけど。

自分はどちらかというとなんでもトロイほう。だけど自分の「想い」というところだけはすごく大事にしてる。しかもそれってこの世で一番信用性があるものだとも思う。意味もなく「想い」なんて湧いてくるものじゃないし、、、だからこそ大事にしたいと思うし、そこに勢いがつくみたいになる。

たぶん 「想い」ってそもそもそういうものなんじゃないかな。

だけどそうしているうちに、自分の場合はどうやらまわりが見えなくなってしまうみたいで。

そしてそういう自分の中のズレた感覚みたいなものは、外を歩いたときの春の匂いとか、青い空を見上げたときとか、そういうときにふっと自分に返ってきて何かを気づかせてくれたり、教えてくれるものだったり。

  そうだ。 今度の休みには春色のワンピースでも買いにいこう。

春はよいです。王子も私も春生まれだし、初めて出逢ったのもこの季節でした。

五条川の桜ももうじきかな。

近所の男の子が家のすぐ横のコンクリートの道のところでしゃがんで遊んでた。カードゲームをしてたみたい。

妙に息子たちとかぶって見えてそれがまた微笑ましかった。なにか話しかけたくてたまらなかったけど「こんにちわぁ~」だけにしておきました。だってこの年代の男の子ってびみょうなんです。ヘタにしゃべりまくると変なおばさんになっちゃうことも経験してるし、、。

だけど男の子たちから「こんにちわ」の可愛い笑顔をもらうことができてすごく嬉しかった。ありがとうです。

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2011年3月28日 (月)

ぐにゃぐにゃになる

午後タクミが帰っていった、彼は彼の日常へと。

私は14時にいったん店を閉めて、奴を送って行こうと思っていた。そしてその帰りに、仕入れに行こうかと。

だけど結局、タクミも仕入れについきてふたりでスーパーに。

買いものかごを持ってくれることとか、レジを通ったあとに買ったものを袋に丁寧に詰めてくれることとか、

いつのまにか、自分の知らないところで彼はそういうことを学んでる。嬉しくもあり、切なくもなる。

そのあと駅まで送っていったのだけど、なぜかいつもこのときだけは、車内がしんとしてしまう。そしていつものバイバイをして、大きなリュックサックの背中を見送った。私の大キライな時間。

帰ってきて カラカラに乾いた王子のワイシャツにアイロンがけをする。まっ白のシャツの上はなんとなく気持ちをニュートラルにしてくれるみたいでちょうどよかった。音の無い部屋で、ただ黙々とやった。

キッチンにもいつもより早めに入る。久しぶりにゆっくりと包丁を研いでみたりして、、気持ちがどこかに流れないようにしている自分がちょっとわざとらしくも感じたけど、そうするしかないと思ってやった。

細かい仕込みをしていたらあっという間に時間が経っていた。いつもよりも早めにお店を閉めて王子が夜のドライブに連れ出してくれた、、、、といっても、向かう先は彼の好きなドンキです。

戻ってきてワインを飲んでいたらきゅうに泣けてきてしまった。無理やり冷静さを装っていた自分の気持ちの芯がぐにゃぐにゃになってしまったよう。なにに反応して泣いているのかもわからないんだけど。

歳を重ねるたびに、気持ちのまわりにまとったものが、どんどんはがれていって薄皮1枚みたいになってく感じ。

ふぅっと流れてくる「想い」の風をこの肌でじかに感じるみたいに。温かかったり、冷たかったり、痛かったり、柔らかかったり・・・そういう感触をものすごく近いところで感じたりする。

ときどきこんな自分でいいのなかなと、思うときもある。ちょっと緩めるとガタガタと崩れてしまいそうで。

そしてこんな自分みたいな人間の面倒をみれるのは、俺くらいしかいないと いつも王子に言われる。その顔は決してにこやかな感じではなくて、あるところで覚悟を決めた人間のちょっと険しい表情だったりする。

うーん、こういうふうにしかできない。。。自分。

これからも王子にはたくさん迷惑をかけることだと。

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明日はケーキでも焼こう。そんな小さな楽しみを枕の下に、、、さっさと寝よ。

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2011年3月27日 (日)

日曜日のお出かけ

おもちゃ箱の中身はあいかわらず散らかったままだったけれど、ひどい二日酔いにもならなくて朝のおてんとうさまを仰ぐことができた。

あれだけ前の晩に大騒ぎした私がなぜか誰よりも早く起きた。ゆうべはタクミも遊びにきて、どうやら王子とふたりで酔っ払いの介抱をしてくれてたみたい。感謝です。

ふたりが寝ているうちにそうっと洗濯も掃除もすませ、さて出掛けようとひとり意気込んでいた。今日は長久手のほうで行われるエコとアートのイベントを前々からチェックしていたのだ。

お昼前に出発し現地より手前の駅に車を止めてリニモに乗った。3人とも初リニモ。524

がたんごとんという音が無くてびっくりしたこととか、車内の窓がとても大きくて外の景色をひとりじめできたこととか、あっという間に到着してしまって実はもっと乗っていたかったこととか、、、、初めてのことには、そういうたくさんのココロのお土産がついてくるもの。

白や濃いピンクの梅の花がちらちらとしていた。そしてそのむこう側に、赤や緑のイベントブースのテントが見えた。ものすごい人だ。

526地元の作家さんたちによるエコなアート作品が手ごろな値段で販売されていた。見るもの見るものみんな欲しくなった。工作好きの王子はブリキでできているレトロな工具らしきものを買っていた。タクミは可愛い形をした青のチェックの帽子を買っていた。私は風の中を舞ってた芝生の粉で目が痛くって、少し離れたところにあるフードブースのB級グルメに舌鼓。花より団子な私。

会場内は広かった。アウトドア派ではない私たちにとっては、長い距離を歩くことにも慣れていなくて結局3人とも同じタイミングで「もうそろそろ帰ろうか」と顔を合わせた。3時間くらいはいたかな。自分たちにとってはもうそれで充分だった。

帰りの景色もまたすごくよかった。このあたりには自然がいっぱい残っている。

森や田んぼの中に、ぽつんぽつんと家がある。きっとここは時間に流れもゆっくりなんだろうし、1分、1秒の間にも見えない時間が存在するような、、、そいうことを感じさせてくれる風景だった。

だから車の中の話題も自然にそういうふうになる。「あそこの梅がきれいだね」とか「この土手に寝転がって一日じゅう昼寝したいよね」とか、周りの景色がそうさせてくれる。そしてそういうことをしゃべってる自分たちの中は日常からちょっと離れて深呼吸しているみたいでとてもすがすがしかった。

帰り道に、市場みたいなスーパーがあってそこで、晩ご飯の買いものをすることに。

ツヤツヤぴかぴかのブリを一尾買った。ネギと白菜とお豆腐も買う。

今夜はブリしゃぶにしよう。

タクミは明日帰るみたいだし、今夜も一緒にゴハンが食べられると思うと、子供の頃の夏休みが一日延長されたみたいで嬉しい。そして今夜は金八スペシャルが待ってる。

写真:初リニモに興奮気味な王子とタクミ。

写真:B級グルメグランプリの甲府の「鶏モツ煮込み」。

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2011年3月26日 (土)

ココロは晴れときどき大雨。

あまりの風の強さにぴーかんなおてんとうさまも飛ばされてしまうかのよう。空は澄んだ青がどこまでも広がってる。

ここのところ気持ちはずっと横向き、、、斜め向き、、ときに後ろ向きになってたりで 一生解くことのできない数学の問題を抱え込んでるみたいだった。

だけど今日はお昼にがっちゃんとあっちゃんが来てくれるということが、なによりもそんな気持ちをまっすぐな方へ持っていってくれるきっかけになった。

朝もなんだかいつもより1時間早くに目が覚めて、掃除したり仕込みしたり、待ち遠しくてたまらなかった。数年ぶりに恋人と再会するみたいなあの甘い感覚。

11時半ころ、ふたりはやってきた。何年ぶりだったか思い出せなかったけれど、あのときと同じ温度を確認して懐かしくなった。

ふたりとも、私の過去のこともいろいろ知っていて、どんな状況にあるときも、ありのままの私を好きでいてくれた人たち。

ふたりの言葉には、にごってる部分がみじんもなくて、いつだって透明でまっすぐに私のところに入ってくる。だからいつも「あ、そっか」みたいにすとんと気持ちがととのう感じになる。そういうところが、ふたりの大好きなところ。そして不思議とがっちゃんとあっちゃんのそういうところがまた似てたりする。

彼女たちが私の手料理を食べてもらうのは初めてだったから、なんだかいつになく緊張してしまった。ココロのすみっこを覗かれちゃったみたいな感じがしてちょっと照れくさかった。

もっともっと一緒にいたかったけどそういう時間ていうのはすごく短く感じる。濃厚なのだ。

ふたりが帰って、なんとなくぽかんとしながらお皿を洗い、夕方までひと眠り。今夜はフラメンコ仲間たちの新年会だ。

午後のひだまりは気持ちよくて、すっかり寝こけてしまった。気づけばすでに集合時刻。

師匠に連絡して、あわてて電車に飛び乗った。そしたら駅を出たすぐのころによしこさんが待っていてくれて半分寝起きの頭もぼぅっとしてた私の手をひっぱってお店まで連れて行ってくれた。寝起きの風はすごく痛かったけど、よしこさんの手は温かかった。

お座敷の長ぁいテーブルに20人くらいの人たちが座ってた。初めてお会いするような人もいた。師匠はこんなたくさんのお弟子さんがいるんだと、なんだか関心してしまった。師匠の隣の席が空いていたので、自分の指定席とばかりに、ぽこっとその空間にはまってみた。

外は寒かったので、熱燗をちびりちびりやりながら、おしゃべりに参加する。私の前や横にいる人たちはみんなセレブな方たちばかりだったから、みょうにひとりだけガード下のおやじみたくなってて変な絵になってたと思う。

そもそも今日ここに参加したのには理由があって、それというのもフラメンコ休止宣言をするという目的があった。気持ちがねじれちゃってるし、お金もなくなっちゃったから、続けることが難しくなってきたということを師匠にちゃんと伝えようと思って。

だけどなんだか妙に優しい仲間たちや、師匠のフラメンコにたいする熱意とか・・・そういう「想い」という温かい空気がそこかしこに漂ってる中にいたら、宣言なんて もうどうでもいいや みたいになってきた。何をしゃべったのか、仲間がどんなこと言ってたのか、あんまり覚えていないけど、確実になにか温かいものに包まれている感覚があったのはたしか。

結局いつものように酔っ払った私は、じゅんこさんの車で師匠とともに送ってもらえることになった。じゅんこさんは、私がお母さんって呼んでる女性で、やわらかくって温かくて大地みたいな人。

車の中での私は、かなりうるさかったと思う。よく覚えていないけど、大きな声で泣きじゃくって運転席のじゅんこさんの手を何度も握ったりしてた。お母さんみたいな人が近くにいると、どうしてもこうなってしまう。。。いろんなところが緩んじゃうみたいな。

先に降りた師匠が私の頭をなでながらじゅんこさんに「この子よろしく頼むね」っ言ったとき、自分のまわりにはお母さんみたいな人がいっぱいいると思って、それが嬉しくてまたでっかい声で泣いた。

よっぽど泣いて暴れたせいか、帰ってきてからずっと放心状態です。ちゃんと整理したおもちゃ箱の中身を一気にひっくり返したような感じ。床の上に見事に散らばった色とりどりのおもちゃたちを遠くの位置から一個ずつ眺めては、ただただぼぅっとしながらいるだけの今の自分。

あーあ、またやっちゃった・・・。だけど今は片付けられないや、、みたいな

そんな感じです。。。。

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2011年3月25日 (金)

親友とのもめごと・私ってダメだな

淡い水色の空が広がってる、柔らかい風が流れてくる午後。

大好きな友達とメールの中でひと悶着あって、なんとなく気持ちの中は12色の絵の具が混ざり合ったパレットの上みたいになってる。

相手の気持ちの温度を察してあげられなかったことに反省。

そもそも「友達」とか「親友」とか「親子」とか

そういうすでに出来上がっちゃってるココロの対話っていうのには、衝突なんてものはそもそもつきものだ。衝突できるだけ、自分たちはそれだけの関係になってるということなんだと、ありきたりな言い訳みたいなものを積み上げつつ、無理やりにでも「解決」っていう答えを出そうとしてる自分がいる。

なぜかというと、相手はやっぱり自分にとっては大事な親友だから。

「親友」という相手からは、親からもらえる愛情とは違う種類のもの、、、違う意味のものをもらえる。

だからこそ、その感覚がいつも新鮮で、刺激的で、ちょっと考えさせられるものだったりする。

自分の価値観にないものを、じれったく感じさせてくれるのが親友なのかも。そして自分もその価値観の波に乗っかろうとして、、、だけどうまく乗ることができないときもあったりで、、、

そんなぎこちない場所に今、私と親友はおります。。。。

近いからこそうまく表現できなかったり・・・

近いからこそ正直な自分が出せなかったり・・・

そういうのってあるのかもしれない。

それはお互いが今までに創り上げた関係であって、ほかの誰にもわからないものだし、真似できるものじゃないもの。その瞬間、瞬間に私たちが創ってきたものだから。それは「いい」とか「悪い」とか判断できないもの。

ちょっとでも早く、、、だけど自然の流れにまかせながら、、、

いつかそのうち・・・いつもの温度に戻りたいなと思う。

自分って人間はたぶん鈍感なのだ。こういうところが相手の気持ちの隙間の部分に冷たい風を送って、そうして知らず知らず相手を悲しい思いにさせてしまってるのかもしれないな。 ダメだな、、私。

いつもよりも早く夕方がやってきたみたい。パラパラと冷たい粒も降りてきた。

空が泣いてる。。。

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2011年3月24日 (木)

機械ものは苦手です

春なのに寒い一日。ブルーグレーのむこうの空が今にもこっちにせまってくるかのよう。冷たい風はちょっと淋しげ。

午前中、王子に用事をたのまれて西枇杷島警察署まで行ってきた。車庫証明とやらをとるためだそう。

車でたぶん20分くらいの距離だと思う、、、何度かポータブルナビのお世話になりながらも行ったことのある場所。だけど行動範囲の狭い私にとっては圏外の場所。。。しかもナビの使い方も分からないので朝、王子が出掛ける前にセットしてもらってから指示にしたがって向かったのだった。

ナビのお姉さんの声がやたらと小さくて聞こえずらい・・・。だからといって画面を見入ってしまったら危険。「え?も一度リピートしてくれないかしら?」なんて言ってもお姉さんには通じない。

20分以上はかかってしまったけど、なんとか目的地に到着。

警察署の窓口にいたお姉さんのキビキビした口調に圧倒されてしまって、なんにも悪いことしていないのに、なぜだか「すいません」みたいなしゃべりかたになっていた。

10分ほどで手続きを済ませ、また車の乗り込んでいざ出発となったそのとき・・・

   ん?????

お家にどうやって帰ればいいの?

ナビの使い方も知らないし、お姉さんを呼び出しかたも分からない。

仕事中だと分かっていたけど王子に電話してしまった。こんな時間に電話するなんてありえないことなんだけど、そのときの私こそありえない状況にいたわけだからそうするしかなかったという理由がつく。

電話越しに、いろいろ教えてもらいながらもなんとか目的地を入力することができた。たぶんその間に家に着いてたかも、というくらいの時間が経っていた。ならば、お姉さんじゃなくて王子の声でナビゲーションしてもらいたかったと、あとになって思った。

機械とか、地図とか・・・自分にとっては未知の世界。

そこを理解できるようになろうとは今の自分は思っていなくて、いつか必要性が出てきたときに、そういうものは勝手に身につくものだと思ってる。

だからやらないんだろうな、覚えようとしないんだろうな、できないんだろうな、、、。王子はそういう私に困ってるみたいだけど。

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町の子供たちは春休みに入ったのかな、どうなのかな。

いつもよりも早めな時間に近所の小学生たちのキャッキャが聞こえてくる。窓越しの陽を背にうたた寝してる自分は、妙にそんな声たちに安心感を得たりする。どんなBGMよりも落ち着く感じで。

だけど曇りと晴れのあいまの空が、そんな子供たちの活気をもみんな吸い取ってしまうかのようで夕暮れ時の空気は冷たくてちょっと空しさも含んでいた。

朝干した洗濯物もなんとなく冷たく湿っている。春なのになかなかそういう気分にさせてはくれないこの時期。

ACの「ぽぽぽぽーん!」のCMで今日も元気づけられる。

http://www.youtube.com/watch?v=Bsk2ioK0Lrg

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2011年3月23日 (水)

アメブロ始めました

風が冷たい一日だった。

洗濯ものは思い切り乾くのだけど、なんだか気持ちのすみっこまでもカラカラになってしまうのはなんでかな。

そしてそういうカラカラな空しさみたいなのを作り出しているのはこの自分だということも自覚しながら・・・とりあえずこの渇ききった感じに浸ってみることに。

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えーっ、さて。

昨日、ようやくアメブロに登録してみました。

まだ扱いに慣れていないので、日記を書くことだけで精一杯な感じです。

新しく作ったページはコチラ (このページの右のサイドバーにも貼ってあります)

     ↓

http://ameblo.jp/cafe-and-bar-melody/

引き続きこのココログページも綴っていくつもりでいますのでよろしくお願いします。

このページというのは、どうやらありのまんまの自分の「居場所」のようです。今後とも日々のココロの出来事を書いていこうかと思ってます。

  

そして新たなアメブロのページでは、お店のこと、料理のこと、「食」にまつわるものだけに限定して書いていこうかと思っております。どうやら創りだすゴハンのことと、裸の自分とに 分けてあげないと、それぞれの立場でうまいこと表現できないみたいです・・・私。

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かつて心理の学校に通っていたころ、講師の先生方に

 「『食』と『心』の世界ってつながってるんです・・・絶対!これってどう表現したらいいですか?」

みたいな質問をひたすら投げてた時期がありました。講座とかワークショップとか講演を開いくのもいいかも、、、っていうアドバイスをかなり具体的にアドバイスくださったことも覚えております。東京に行っては企業家さんたちのお話を聞きにまわったりもしました。

そして卒業後も、自分なりの「心理」の表現のしかたについていろいろ考えておりました。カウンセラーの先生って、たぶん日本にはたくさんいると思うし、だとしたら「カウンセラーの私」ってどんな人なのか、、、っていうところの特徴づけみたいなものが大事だと思ったんです。

「ココロ」の仕事は人と人なわけだし、「ココロ」と「ココロ」なわけだし。

そうしたらおのずと、この「自分」が「自分である」っていう表現が大事だと思いはじめました。

そして数年経って自分の中から紡ぎだす糸みたいにするすると生まれてきた想いというのが

  "自分の心理への「想い」というのは「食」してもらって初めて伝えることができる"

というところに行き着いたんです。すごく自然な感じにここにたどり着きました。たどりついてみて、「やっぱりそれしかないよな」みたいに妙に納得しちゃった自分がいたのもたしかです。

たぶん、それしか「ココロ」っていうものの意味を伝える手段は今の自分の中にはないみたいです。それって、どれだけ「言葉」や「文字」にのせても届かないもので、「味覚」という人間の体の一部を通して、初めて感じてもらえるものだということも。

そんな気持ち込めながら、今後とも、アメブロ、ココログ 両方のぞいてみてくださいね。

鬱っぽい独り言の中から生み出したゴハンたちは、等身大の自分ですdelicious

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2011年3月22日 (火)

優しさのベール

風が強かった日。窓をたたきつける音はまるで自然界からの声みたい。ときに激しくおどろおどろしいそのさまは、人間界への強いメッセージのようにも聴こえた。

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夕方、かなり久しぶりのお友達からの電話があった。

私がここにお店を開く直前までバイトしていたところで たまたま意気投合して仲良くなった掃除のおばちゃんからだった。

私があそこを辞めても、この仲は続いている。

 「あんたには毒だってなんだって吐けるわよ。わっはっは」

とおばちゃんは高笑いしながらそう言う。

けど、あえて電話をしてきたのには理由があるんだろうな、なんて思いながら話を聴いてたのはたしか。

 「あたしさ、仕事先の若い子に悪いこと言っちゃったの。あたしが悪いの。。。」

いきなりそう言い出したおばちゃんは、きゅうに小さくなっちゃったみたいだった。声にも力がなくて、今にもしおれちゃいそうだった。

そんな声を聴いていたら、「今はとにかくおばちゃんの味方してあげよう」と思ったのだった。「おばちゃんは悪くない」というようなことを何度も言おうと思った。

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何十年も連れ添ってきた旦那さんを数年前に亡くしてからというもの、おばちゃんは一人暮らしになった。生前はすごく仲のよかった夫婦だったということは、おばちゃんの話の感じでわかる。

小さくなったおばちゃんが、旦那さんのお仏壇に手を合わせる様子とか、いつもひとりで早めの晩ご飯を食べてることとか、近所の年寄り仲間がときどきコーヒーに誘ってくれてることとか、、、

そういうおばちゃんの背景が見えたときに、ただ受話器を持っているだけの自分なんだけど何かしてあげたくなった。それが味方になるということだったのだ。

1時間ほどおしゃべりして、話の内容もいろんな方向に行き来したりしたけど、結局最後におばちゃんが言ったことは

 「やっぱりあたしが悪かったんだわぁ」

だった。

だけどその声の感じは、最初のとは全然違っていて力強さと明るさを含んでた。

「甘えちゃってごめんね・・・じゅんちゃん・・・」

って「またね」の前に言ってくれたおばちゃんの言葉に思わず泣いてしまった。

毎日誰よりも元気にたくましく働くおばちゃんの中には、実は寂しさとかそういう柔いものがいっぱい詰まっていたのかなと思うと、胸が痛かった。

けど私は

 「まったくぅー、こまったおばちゃんだなー、しょうがないなー。」

とかいつもの調子で言いながら「またいつでも電話してよ」と付け加えた。

受話器を置いたあと、しばらくぼぅっとしてしまって何も手につかなかったけど、だんだんと温かい何かに包まれてくような感覚があった。

それはまぎれもなく、おばちゃんがくれた優しさのベールだった。それに包んでもらったのは実は自分のほうだったということに気づいた瞬間だった。。。

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2011年3月21日 (月)

月曜な気持ち

春の雨が優しく降る中、始発電車でタクミが帰っていった。

彼は彼の日常に帰るという自覚はちゃんと持っているようで、眠気まなこをこすりながらもまだ夢の途中の体をエイっと起こして靴下を履いたり身支度を整えていた。なんだかそいいうところはすごくたくましい。

11歳の脳ミソにも、そういう意識がうわっているんだと思うと、嬉しい反面、寂しさみたいなものも同時に襲ってくるのだった。ココロのどこかでは 「タクミ帰っちゃやだよ」と泣きべそかいてる自分がいたから。

朝が始まったばかりの駅のホームで奴がおにぎりをほおばる姿はなんだか可愛かった。出掛ける前におおいそぎで、ジャーの中のご飯をラップでくるんだだけのまっ白なおにぎりを美味しそうに食べているのをとりあえず確認してから、私は私の日常に返らなきゃと一生懸命気持ちのベクトルをまっすぐに整えようとしてた。

王子は今朝は早く仕事場に向かうとかで、7時前に家を出てった。白いおにぎりを、胸ポッケに詰めて。

月曜日の誰もいなくなっちゃった朝というのは独特の雰囲気があって自分はどうやらまだその感じに慣れていないみたい。

週末の楽しい空気がまだ部屋のそこかしこに残ってる感じとか、ちょっと気をゆるめるといとも簡単に、その残り香に包まれてしまう自分がいることも、だけど気持ちも体もまっすぐにしなくちゃと冷静な自分がいることも確認するのだった。

だからいつもの朝よりもひとつひとつのことをやるのに時間がかかる。

日曜日の匂いが一枚一枚にしみ込んでる洗濯物もを干すときも、深夜番組観ながら食べたスナック菓子のかけらを見つけて掃除機かけてるときも、、、

いちいち気持ちが反応してそっちのほうに引きづられていきそうになる。

そして不思議とキッチンで洗い物したり、スープのダシをとったりしているときにだんだんと気持ちはここにあることを確認するのだった。なぜだかどうしてだか台所というところは私にとってそういう場所らしい。

そう思うと、自分にとってはやっぱりここは特別な場所なのかもしれないな。呼吸する場所でもあるし、呼吸を確認する場所でもあるんだろうな。

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お昼前に雨もやんで、むこうのほうからやんわりと春の陽がさしてきた。

待ってましたとばかり、部屋の中に干してた洗濯物を一気にベランダに移した。雨あがりのしっとりとした空気は柔らかくって、お花みたいな甘い香りを含んでいる。どこかから優しい賛美歌の響きが聴こえてきそうな、そんな癒しの風がとても心地よかった。

ふとテレビをつけたら、すでに幾度も目にしてる被災地の映像がリピートされていた。これだけ復興の兆しが見えてきていて、それにむけて日本じゅうがひとつになって動き始めたときに、こういう報道というのはいかがなものかと、なんだかそれが筋違いなように思えてきてすぐさまスイッチを切った。

テレビっていうのはこわいものだな。人間の感情をも操作してしまうのだから。どうせだったら光の方向に持っていって欲しいと思う。とにもかくにも、「自分」て人間をしっかり持ってるかどうか、そいういことなのかも。

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千葉にいる父ちゃんと久しぶりに長いこと電話で話した。あれからずっとつづく余震のこととか、生活品が不足していることとか、ガソリンが売っていないこととか、とにかくその声には不安があふれてた。

今すぐに飛んで行ってあげられないから、とにかくそんな父ちゃんの気持ちを聴いてあげようと思った。父ちゃんの声の温度を感じながら。

そしてこれからもマメに電話してあげようと思った。物資も大事だけど、それらを必要としている人たちのココロの温度を感じてあげることは、もしかしたらもっと大事なことのような気がしたから。

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だけど父ちゃんの声聴いて少し安心したのはたしか。母ちゃんの話だと、ちょっとボケてきて困ったなんて言ってたから実は心配してたのだ。だけど娘の私が感じるところでは、全然そんなことはないように思えた。

なんだか親子が逆みたいになっちゃった感じがした。頑張んなきゃな、って言葉が自然に湧いてきて不安定なココロの芯みたいになった。

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2011年3月20日 (日)

「母」って名の人はすごい。

タクミがやってきて王子と3人で焼き鳥屋に行って今帰ってきたとこ。

串2,3本つまんだ頃、王子の感じがいつもと違うことに気づいて、おかわりしようとした熱燗もそこまでにして帰りじたくに入った。

今日は、王子の母上が京都からやってきてまる一日一緒に過ごしたので、彼なりにいろんな気づかいとかそういうことで疲れたんだろうな。 大人のルールにのっかっていけない自分みたいな外れちゃってる人間と、ついでにその息子もいたりするわけだから、そりゃぁ訳わかんない者どうしが集まっちゃった感じとかあっただろうし、そういう中にいた王子は、いろいろ大変だったのだろうな。

そんな王子と母上のやりとりというのがまた特別だった。

親子なのにお互いがお互いに気をつかって、それが積み重なってって芯の部分が見えなくなっちゃってく感じとか、見ていると思わずじれったくなってしまう場面もいくつもあったりして。小さい頃からなんでもかんでも思ったことをそのまま親にぶつけていた自分とはまったく違う世界だったから、「どうしてストレートに気持ちぶつけないんだろ」と何度も思ったりもした。

だけどそれがこの親子の温度感であるし、そういうふうに出来上がっているものなんだといことも、今日やっとそう思えるようになった。それをじれったく思ったり、なんか変だなとかって言ったりするのって、そもそもおかしなことなんだとようやく思えてきた。

そう思えるようになったというのも、その親子にしかない空気とか、においとか、色とか、そういう世界に触れたときに、ただ素直に「いいな」って思える瞬間を今日はいくつも見てしまったから。

母上が王子の子供時代の話をするときの柔らかに頬を緩める感じとか、王子の大好物が実は母上のそれとまったく同じだったということを知ったときとか、、、そういう親子の間にしか存在しない世界感っていうのはものすごくかけがえのないものだということをこの肌で感じてしまったから。

そしてそれを知ってしまったらもう、自分はそこに入り込む余地なんかなくて、だけどそれが決して寂しいものじゃなくて、、、ただただそんな温かな景色を私はちょっと遠くから眺めているだけで、、、それだけでいいんだぁって思えた瞬間だった。自分が今までどれだけこの親子の関係に文句を言ってたかと思うと恥ずかしくなった。

今日はたまたまタクミもいたせいなのか、みょうに親子の温度とかそういうことを客観的に考えてた自分がいた。いつもより、ちょっと離れた位置から冷静にそういうことと向き合ってた。

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焼きとり屋では軽くすませて帰ってきたから、ちょっとお腹がすいてきました、、今。

さきほど母上に買ってもらった風来坊の手羽先でもつまもうかな。王子とビールあけて仕切り直しといこう。母上は無事に帰れたかな。いつも母上が来るとお腹が痛くなっちゃうのは、どうやら別れるときのあのなんともいえない寂しさみたいなのが先走りして私の胸に飛び込んできちゃうせいみたいだ。

明日は休日だけど、お店はいつもどおり営業します。

みなさんどうぞ遊びにきてください。ランチもやります。

気持ち、真ん中に持っていくのが大変な日曜日の夜。

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2011年3月19日 (土)

子供たちからもらえるパワー

近所の梅の花がぽかぽかの陽にあたってまぶしいほど。たくましく伸びる枝に綿みたいな白い花がふわっとのっかってる。まるで水墨画でも見ているような。冬の寒さを耐え忍んで春の到来を一番に告げる梅の木には桜とは違う種類の力強さみたいなものを感じる。

今日のお昼は、たくさんの子供たちが遊びにきてくれた。ママたちは4人だったけどそれぞれ2人ずつくらい子供を連れてらっしゃったので、、、、、お店は子供たちの熱気でいっぱいになった。

前々からご予約をいただいて、こどもがたくさんということも聞いていたので、なによりも子供向けメニューを考えるのが楽しくてしかたなかった私。その日が終わっちゃった今はなんだかちょっと寂しいな。

にんじんとかパプリカをお星様の形に抜いたり、、、子供たちの笑顔を思い浮かべながら準備した。そしてそういうことをしている自分もたぶん子供みたいになってたと思う。

まぁるいテーブルに子供たちが体寄せ合ってぴっちぴちになって座ってる姿とか、大きい子が小さい子の面倒を見ている様子とか、ちょっと苦い菜の花のソテーを頑張って食べてる小さい子たちの表情とか、そういうのが愛しくてたまらなかった。

子供をあやすのが得意な王子も、カウンター越しにすっかり子供になってた。頭からダンボールとかかぶっちゃって怪獣ごっこでもしてたみたい。私はキッチンで作業しながら、そんな様子が微笑ましくて、なんだかとっても温かかった。

王子も私もいろんな都合で、自分の子供たちと一緒にはいることができないから、なんだか今日はたくさんの子供たちとふれあえてココロのどこかが緩くなった感じ。そして私たちに今必要なエネルギーをもらった感じ。乾いた土にたっぷりの水を注いでもらって生命をつなぐための大事ななにかをもらったような。。。

そんなこんなで気持ちはだいぶ真ん中に来ております、今日。

と、思っていたら・・・

王子の母上が明日の朝、こちらに来るという連絡があった。

母上とは最近、友達みたいになやりとりをしてます。母上はマメにメールをくれるし、地震速報とか聴くとまっさきにメールしてきてくれるし、、、たぶんそういうのは私なんかよりずっとデキル人。明日は、だいぶ前に母上にお願いしてた京都にある老舗の金平糖を買って持ってきてくれるみたい。やったぁー。

けど、、なぜかお腹が痛いんです・・・・どうしてかな。

きっと明日も私のココロの中ではものすごいドラマが繰り広げられることだろうな。今夜は早めに寝よう。・・・・・もしかしたら眠れないかもしれないけど。。。

明日のことは明日考えよう。

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2011年3月18日 (金)

ポクポクかぼちゃの作り方

いつもよりも早めな時間から小学生たちが近所をうろうろしてた。お昼過ぎた頃には、帰りの幼稚園バスが家の前にとまった。あれ、さっき行ったばかりじゃなかったけ、なんて思いながら。

もう春休みに入るってことなのかな。ラジオでは今日卒業式のところが多いみたいなこと言ってから、あちらこちらでは感動的なドラマが繰り広げられていることだろうな。

今日は風もなくて、ぽかぽかの日だった。ジャンバーを着て車運転していたら汗がにじんできたほど。このおてんとうさまを東北の人たちにも届けたいと祈りながら運転してた。

久しぶりに行ったスーパーマーケットの入り口には、色とりどりの果物やら野菜やらが並んでいた。ビタミンカラーの活き活きとした色彩が目に入ってきたとき、体の中に「元気」っていう物質が一気に注入されたみたいだった。

そして思った。

そうだ、まずこの自分が元気でいなくちゃいけないんだって。

一日中流れている被災地の映像の中にもぐりこんでいくと、自分が元気でいることが罪みたいに思えてきたり、笑顔なんていう言葉を出したらそれこそ不謹慎だとか。

だけど、「元気」は元気な人じゃないと届けられないものだと、そう思えてきた。この身がここにあることに感謝をして、「元気」を祈りとして届けようと

そう思った。そしてそういう目には見えないものの力は実はものすごいものであるというこを確信を持って言える自分がいたことにも。

街のあちらこちらでは義援金を募る箱が設置されるようになってきて、ようやく目に見えるものとして私たちのメッセージを届けられるようになってきた。そして日本人が今この瞬間に大きなひとつの輪になった絵がふっと目の前に現れてなにか温かなものに包まれたみたいな感じがした。

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514 目に飛び込んできたビタミンカラーのひとつだったかぼちゃを買ってきました。

ざくざくと皮付きのまま切って、ひとつまみのお塩と、ティースプーン1杯ほどのお砂糖を振りかけて半日置いておきます。(今日は1/4個のかぼちゃで作りました)

すると、かぼちゃが汗をかいてきます。ここに大さじ1ほどのお酒を足して厚手のお鍋で蒸していきます。フタをして中火弱くらいにかけて、ふつふつしてきたら弱火におとして10分ほど。竹串をさしてすぅっと通るようになったら、あとは粉ふき芋を作るみたいに、お鍋をふって残りの水分を飛ばしていくだけ。ここでバターを落としても美味しいです。

かぼちゃの固さだったり水分によっても仕上がり時間は多少変わってくるかと思いますが、これこそかぼちゃ本来の旨みを引き出す最高の食べ方なんじゃないかなぁと、ぽくぽくのかぼちゃにマヨネーズと黒胡椒をつけてほおばりながらも そんなふうに思うのであります。

なんだか最近作る料理は、最小限の調味料でシンプルに、、みたいな方向になっているような気がします。たぶん、どんどん引き算していくと素材本来の旨みみたいなもの、芯みたいな部分が見えてくるんじゃないかなぁと。

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今日も感謝をしていただきます。黄金色のかぼちゃにパワーをいただいて。

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2011年3月17日 (木)

思い出の味・ヒデキのカレー

今日も寒かった。半分しまいかけたモコモコのジャンバーを引っ張り出してきてマフラーもぐるぐるに巻いて買いものに出掛けた。

スーパーは昨日よりもさらに品薄状態で日用品ももちろんのこと鮮魚売り場もスカスカだった。ゆいいつ棚をぴっちり占領しているものといえば、ビールなどのお酒類くらいだろうか。

みんなみんなが同じようなものを買い物かごに詰めてレジに並んでるその様子にはなんだか圧倒されてしまう。これから日本じゅうが怖い方向へ流れていく波を自らつくりだしているかのようにも見えた。

そしてそんな風景を見ながら、ふとこんなんでいいのかなと、今だからこそ違う波を創りだす必要があるんじゃないか、、、と頭の中で何かを叫ぼうとしてる自分がいた。

そんな中、私はいつものようにぴちぴちのお野菜と、少しばかりのお肉を買って店を出た。寄り道せずまっすぐ家に帰る自分は、なんだかちょっと物足りないような気もしたけどそうするしかないのかな、、、と妙に内向きになってる自分を確認したりした。

部屋の中ではとにかく毛布をかぶってみの虫みたいになる。自分が出来ることといえば節電、節水とかそんなことくらいしかない。

外はものすごい風で音の無い部屋には、窓ガラスを押してくるミシミシの音だけが響いてた。

みの虫のまま床の上にゴロンとなったとたん眠気が襲ってきてうとうとしたけれど、夢に入る手前のところで必ず怖い出来事に会ってしまうので、どうしてもその先に進めない。エイっと体に力を入れて起きて、家のことをしたりお店の準備をしたりした。

ここのところ毎晩のようにうなされているみたいで、気づくと体じゅうにじとっとした変な汗をかいている。

最近、笑ってない自分に気づいたり、人間としての大事な機能すべきところが故障してるような気もしたり、、、

ココロが何かを欲してる。たぶん。そしてそれは自分だけじゃなくて、日本じゅうがかも。

 

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今夜はヒデキのカレーを作りました。りんごとはちみつとろーり・・・のです。

作りながら中学生のときの林間学校を思い出しました。お鍋に浮いていた白いアクをとるのを忘れて、私たちの班のカレーはまるで溶き卵を流したみたいに上のほうに濁ったかたまりがぷかぷか浮いてたのを思い出しました。

美味しかったのかどうか正直覚えていないけれど、青い空と、ギンギンの太陽と、飯盒で炊いたお米がべちょべちょだったことと、男の子たちが慣れない手つきでジャガイモを切っていた風景だけはしっかりと覚えています。

だけどどう頑張っても、あの夏の太陽の下で作ったカレーの味は、再現できないんです。

あの日の太陽の温度と、鼻の頭に汗かいてみんなギラギラになりながら作った思い出っていうのは、今ここで作りだすことはできないです。あの夏の一瞬に凝縮されてたもの。

だけど私の味覚の記憶にはしっかり刻まれているものだということを知ったんです。思い出は戻ってはこないけど、人間の体のどこかに刻印されているものなんだと。

そんなきゃぴきゃぴだったあの頃の思い出にひたりながら小さな幸せをかみ締めるみたいに今日もお鍋に向かっています。

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2011年3月16日 (水)

感謝の厚み

ぴーかんかと思いきや、いきなり灰色の空から氷の粒がパチパチと音をたてて落ちてきたりで、悲しいような寂しいような怖いような、そんな一日だった。

お昼過ぎに、あわてて洗濯物をとりこみに2階に上がって降りてきたらYちゃんがランチしに来てくれてた。玄関のところにすとんと立ってたYちゃんはよそのお家だというのに不思議とその空間に溶け込んでた。

氷の粒のこととか、書き直したばかりの外の黒板の文字が悲しそうな感じでにじんでいたこととか、いつ地震がくるか分からないからカウンターにおいてあるお酒の瓶を全部床におろしたこととか、、、気持ちが真ん中にこないまんま手だけを動かしていたときだったから、なんだか遠くの景色をぼうっと見ているようで彼女が目の前にいることも夢の中のできごとみたいに感じてた。

だけど料理を作っていくうちにだんだん今いる自分の場所に落ち着いてきて、全部作り終えたときには、ようやくいつものところに気持ちが根っこをおろしたみたいだった。 朝からずっと気持ちはテレビの中のことでいっぱいいっぱいだったせいもあるんだろうけど。

そのあと、ふたりでいろいろおしゃべりした。誰かとゆっくりおしゃべりしたなんて、けっこう久しぶりかも。しかも明るい時間に。

どちらかといと赤提灯で隣に座ってる知らないおじさんと、かみ合ってるのかかみ合ってないかよくわからない会話ばかりに慣れちゃってたので、なんだかすごく新鮮な感じだったし、健康的な感じもした。

なによりも「ひとりじゃないんだぁ」っていう、誰かと会話するときの温度を共有できてるあの温かい感覚、、、今の自分がすごく欲しかったものだったというのが分かった瞬間でもあった。

Yちゃん、ありがとう♪

 生きているからこそ、こういうココロの感触も味わえるのだといつもよりも「ありがとう」の厚みが何倍にも感じる。

あっという間に時間も過ぎて、彼女もおうちに帰り、私は夕暮れ前のスーパーへ。

日に日に買いものしてる人たちの表情にも深刻さみたいなのがにじんできてる。陳列棚もスカスカで、日本じゅうが今にもどうにかなってしまいそうな灰色の空気が漂ってる。

そんな中、とりあえず今必要なものだけをかごに入れてレジを出た。自分の料理には欠かせないお野菜だけはいっぱい買って。

帰ってきて少し横になったら、けっこう深いところに行ってしまって怖い夢まで見てしまって、真っ暗になっちゃた時間にあわてて気づいてお店を開けた。今、細かい仕込みを終えてこの日記を書いております。

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今日もいろんなことに感謝です。

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2011年3月15日 (火)

グリンピースごはん

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柔らかなおてんとうさまにありがとう。

さらさらとそよぐ風が葉っぱの上をするする滑ってくるこのやさしい感触にありがとう。

スーパーで美味しそうなサヤ付きのグリンピースを見つけました。さっそく豆ごはんです!今年初めての豆ごはん!

グリンピースは、だんぜんサヤ付きで買ってきたほうが美味しくできます。お豆のひと粒ひと粒がプリっとしてます、こっちのほうが。

きっとサヤの中でお豆たちは生きてるのでしょう。

今回は、いつもと違うつくり方で炊いてみました。

512 いつも私が作るのは、お豆をお米とは別々に炊いて、そのお豆の汁でご飯を炊く方法。そうすると最後にご飯をあわせたときに、お豆のひと粒ひと粒が綺麗な翡翠色のままに仕上げることができます。 まるで料亭で出てくるような美しい仕上がりです。

だけど、最近 自分の味覚のルートみたいなのをたぐるようになったときに、父がよく作ってくれた豆ご飯を思い出したんです。

父のは、お米と一緒に生の豆を最初から炊き込む方法でした。見た目はいまいちですが、ご飯の粒にもお豆の味も香りもしっかりしみ込んでいてすごく美味しかったのを覚えてます。

そんな父との思い出と味覚の記憶をもとに、私もさっそく作ってみることに。

磨いだお米の上に昆布をのせて、お酒少々、お塩(2合で小さじ1くらい)をくわえたら、その上にサヤからはずしたばかりのグリンピースをのせて炊飯器のスイッチを入れます。それだけです。簡単です。

翡翠色にはならないけれど、お豆はねっとりと本来の甘みが出ています。この自然の旨みが引き出せるのは、だんぜんこっちの方法だと思いました。

当時、母はたしか「豆くさい」からと、ほとんど口にしなかったことも覚えてます。けれど小さかった私は父の豆ごはんが食べたくて毎年春が待ち遠しかったことも。

そんな幼い頃の、台所の景色もふわっと、今自分の中に蘇ってまいりました。すごく温かな感じがします。

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今日もごはんが食べられたことにありがとう。

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2011年3月14日 (月)

光をみつけて光を信じる

夕方、庭の草むしりをしたあと部屋に戻ると携帯電話からは聴きなれない音。サイレンみたいな音だった。

画面をのぞくと「地震警報」みたいな内容で、今にもこっちに来る感じで赤い警告ランプみたいなのが画面のすみっこに点滅してた。

そんな中、テレビでは被災地の悲しい映像が流れていて、、、、半分パニックになりながらまっさきに息子たちが心配になって彼らのお父さんにメールした。

その数秒後、王子の母上からは「地震くるよ、火を消してラジオをつけるように」とのメールが来たりで、不安な気持ちはひとりでいると何十倍にもふくらんでしまう。おんおんと泣いてしまった、、こわくて。

幸い、王子がいつもよりもだいぶ早く帰ってきてくれて、ぱんぱんな気持ちがそのときふぅっと一気に緩んだ。不安という気持ちは、誰かがいてくれるだけで半分になるんだな。被災地で、常に不安を背負っている人たちに、たくさんの人たちでエールを送ったら、その不安もその人数ぶんで分散されるんだと。

そう思ったら何かしたくなった。そうだ、一生懸命エールを送ろう。

テレビの報道は、不安が不安をあおりたてるような感じがしてきて、私たちの気持ちをどん底にまでむりやり持っていっていくよう。どんどん暗い海の底に沈んでいくみたいに。

 どんな状況においても 光はあるはず、、、必ず! 

ここ数日の悲しい報道の中にも、やっぱり日本人ってすごい!って思う瞬間が何度もあった。

「地震おじさん」とまで呼ばれた崩壊した家から救出されたおじいさん、

  「大丈夫!また再建しましょー!」

って言葉には日本人の力強さみたいなのを感じがして思わず泣いた。

しっかりとした足取りで、しかも瓦礫の山の中から笑顔で出てきたおじいさん。その笑顔にはこの世を知り尽くしたといえるほどのゆるぎないパワーみたいなものがにじみ出てた。その言葉に画面のこっち側の自分もすごく勇気づけられた。

そうだ!そんな光をみつけよう!。。。多くの人たちが集えば光の束になる。ぜったい大丈夫だ!

    ...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。

昼間のスーパーは、非常用袋が完売していて、非常食的なものも売り切れになってた。

こちらの人たちも、毎日が不安でしかたないという感じがレジに並ぶ列の人たちひとりひとりの表情ににじんでた。

   だからこそ今、光が必要なんだって思った。

言葉にすると「希望」っていうふうなものかもしれないし、「想い」っていうものかもしれないし。

きっとそういう目に見えないものの力っていうのは果てしないものだと思うから。

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2011年3月13日 (日)

チョコのおかえし。こどもってスゴイ♪

空にかかるいく筋もの飛行機雲も、洗濯ものを干しているときに背中にのっかるおてんとうさまも、みんなみんなありがたく感じる日曜日の朝。

ふつうにゴハンが食べられることとか、お風呂に入れることとか そういうことがふつうにできることに感謝する。

あたりまえのことがすごく尊く感じて、ひとつひとつ噛みしめるみたいに大事にしていく。被災地の人たちは電気も水もない中で暮らしていると思うと、つけっぱなしの電灯も消そう、水道の水も大事に使おうっていつもよりもぴんぴんと生活する。

今、わたしたちは生きている。そんな自分たちができることは何だろうって思うと、物資やお金を送ることはもちろん大事だし。そしてなによりも、「今を精一杯感謝して生きる」って気持ちがその根っこにはあることも忘れちゃいけないんだと。

被災地の方々の気持ちを思うと、なにをするにも今はためらってしまう自分がいて、だけど今を生きぬくことしかできなくて、そうするしかないということにも気づかされる。

一日も早く、日本という国に光がさしてくることを願いながら今できることをしよう。

   ゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。

今日は一日タクミが遊びに来てた。

明日のホワイトデーは、どうやら手作りのものをお返しするとやらで、材料を一緒に買いにいった。袋に貼るピンクのお花のシールや、赤いリボンも買った。

タクミは夕方いつもよりも早めに帰っていった。お菓子を作るために。

電話での実況中継の中、なんとか完成したみたい。レンガのかたちの生チョコだそう。

なんだかそれを聴いて、あったかい気持ちになった。

こどもっていうのは、どんなときも変わらなくって、、、悲しい状況があったとしてもこどもの中に埋まってるキラキラした芯みたいなものはけっしてゆるがないもの。

そういうところに触れると思わずこっちも笑顔になる。

被災地のこどもたちがりんごをかじる映像を見た。美味しそうにほおばることもたちの笑顔は、こんなこわいことがあったということも感じさせないくらい無邪気でかわいいものだった。あの子たちは、どんな状況にあっても喜びは喜びとしてちゃぁんと感じてる。

こどもってすごいな。

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はずかしがりやなタクミが明日、女の子にちゃんと渡せますよーに。。。

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2011年3月12日 (土)

カウンセリング研究会のこと

今朝になってようやく電話がつながった。

父ちゃんと母ちゃんと弟の無事を確認して、気持ちがすとんと落ちた。

外出先にいた母が家に戻ってきたのは深夜になってしまったとのこと。電車も全線とまってしまって知り合いの人に車で送ってもらったそうだ。

そしてそんな母は家に居る父の安否を気にするどころか、自分の部屋にある大きなパソコンが床に落ちていないか、どうやらそっちを心配していたらしい。 それを聴いて、なんだか「母らしいな」と、変なところで関心してしまった。

だけどテレビの中は昨日よりも悲しいことになっていて、今ここにいる自分がどうしていいのかと、とても落ち着かなくなってくる。

遠い海のむこうの話ではなくって、すごく近いところで現実に起きていること。知り合いや友達も、おそらくいるであろうという場所で。そう思うだけで体じゅうが痛くなる。

一日じゅう流れている悲しい報道に気持ちはどんどんそっちに流れていって、何も手につかない。

今この自分がなにができるか、、、そのことばかり考えてる。

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昨日、まさに地震で揺れていたあのとき、私はカウンセリング研究会に参加していた。研究テーマもなにも持っていかなかった私はずうずうしくもカウンセリングを受けたいとお願いしました。

そのときの貴重な体験をここに書いておきたいので、今 少しの間テレビのスイッチは切ることにします。

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いつもとは逆の立場。自分がクライエントとして、そのときの気持ちをカウンセラーの先生に聴いてもらいました。そしていろんなことを感じたのです。

たとえばカウンセリングというのにはシナリオがないということ。前もって「何を話そうかな」みたいなことを大まかには考えていても、そのときの空気だったり空間だったりカウンセラーの雰囲気だったりで、自分の中から何が出てくるかが予測つかないのがカウンセリングなんだと。

それは音楽でいうところの即興演奏みたいな感じ。

そんなふうに何がどうなるか分からない、、、というところがカウンセリングのスゴイところで、それこそ「無意識」っていうところから湧き出てくるものかもしれないし・・・実はそこが大事だということも。

そしてカウンセラーっていうのは、クライエントから湧き出てくるものにそっと寄り添っていく立場。もちろんカウンセラーもある意味、即興的であるべきなんだって思った。

シナリオのないものどおしが、どんなふうな共演を繰り広げていくか・・・そこがカウンセリングの醍醐味みたいな、、、そんな感じがした。

1時間のカウンセリングの中で、自分の気持ちの奥のほうに埋まっていた感情に気づくこともあったり、それらの意味にも気づいたり、、、そしてなによりカウンセラーとしての勉強ができたということ。

「たるみん」ありがとうございました♪(日本カウンセラー学院の垂水先生のことです)

そしていつもお兄ちゃんみたくいろいろ私の話を聴いてくれる「北野さん」ありがとうです♪(日本カウンセラー学院のオペラ歌手です)

やっぱりここに来ると、原点に返ります。あのときあの学院の門をたたいたボロボロだった自分。今にもどうにかなっちゃいそうなくらいココロはパンパンで・・・。そんな自分がいたあのときのあの教室はやっぱりあったかかった。 お父さんとお母さんがいるわけでもないのに、なぜかココロはあるべきところにちゃんと落ち着く感じで、なんだか実家みたいな場所。

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再びテレビのスイッチを入れた。

この惨事をまのあたりに、真剣に「命」というものに向き合う自分がいる。

「生きる」っていう最大のテーマを前に、本当に大切にするべきものの姿が見えてくる瞬間のような気がする。余分なもがどんどん剥ぎ取られていって、「生きる」っていうただそれだけのテーマの意味が見えてくる瞬間。

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2011年3月11日 (金)

地震

ものすごい地震。

昼間ずっと出てたので、日本じゅうがこんな大変なことになっている状況なんてまったく知らなかった。帰ってきて2階にあがってテレビのスイッチを入れたときにはっとして言葉が出なかった。

炎のかたまりは、またたくまに海を上をおどろおどろしい赤に染め、津波は大きな建物も車もそして人もみんな呑みこんでしまう・・・。人間が小さな人形のように見えてしまう。自然界において人間とはこういう位置にいるということを思い知らされる瞬間でもある。。。

見たことも無い映像が次々に目の中に飛び込んできて、だけどどうしていいのかわからずただただ立ちすくむだけ。

まず息子たちに電話した。名古屋にいるというだけで、それほどのことにはなっていないはず。 だけどやっぱりこういうことが起きると一番に彼らの声を確認したくなる。3人とも家で普通にテレビを見てるということでちょっと安心した。

千葉にいる両親、東京にいる弟、大事なともだち、、、電話してもつながらず、とりあえずメールを送ってみた。

70をとっくに過ぎてる父ちゃん、母ちゃんは、逃げ遅れてタンスの下敷きとかになってないだろうか・・・

いろんな嫌なイメージばかりが頭をかすめて、気持ちは居場所を求めてただうろうろするだけで。

とりあえずテレビの前に枕を持っていって今夜は寝ます。見たくはないものだけど、知る必要のある映像だから。  たぶん眠れない・・・。

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2011年3月10日 (木)

ココロは複雑・・・。そしてぴょんぴょん娘。

水色の空に綿菓子みたいな雲がもこもこと浮かんでる。

今、窓の上のほうの景色を見ながら毛布にくるまってこの日記を書いています。

外は冷たかった。今日は午前中フラメンコに行ってきました。

なんだか気持ちがものすごく内っ側に向いているから、師匠の言葉にもなかなか集中できなかった。

集中できない気持ちと、、、、だけどそんな自分にも熱心に指導してくださってる師匠の気持ちもすごく伝わってきて、途中何度も泣きそうになった。気持ちがふたつにわかれていて、その道の先もそれぞれ見えているのに、どうしていいのか分からなくて、ただそこにぼぅっと立ってるだけの自分。

単純に「踊りたい」っていうまっすぐな気持ちが、最近ねじれてきているような気がしてならない。

どうしてこうなっちゃったのか自分でもよく分からないけれど、こんなふうに感じるってことは、そもそも自分にとって「踊る」ことは「呼吸する」こととおんなじくらいの位置にあるものなのかもしれないな。それくらい大事だってこと。理屈とかそういうのでは片付けられないもので、「私」って人間を作ってる部品みたいなものかも。

だから、するりとそこの世界に入っていけない今の自分がすごくもどかしくてしょうがない。

  「あー、なんにも考えないで踊りたーい。」

自分で自分を小さなとりかごに押し込めているみたいだよな今・・・。ほんとはもっともっと羽ばたきたいし、もっともっと自由になりたいのに!私。

内っ側に向かってるときは、とことんそっちに引っ張られていく。今の自分は、こっちのほうが心地いいんだな、、、たぶん。内っ側の世界を無限に広げていくことも嫌いじゃないから。。。きっとそのうち飛び出したくなるんだろうし、そういう勇気みたいなものも自然に湧いてくるんだろうとは思ってる。

 

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帰り道、黄色い帽子をかぶった小学生が列になってぴょんぴょんしながら歩いてた。

ぴょんぴょんの子はひとり。ふざけていて、なかなかきちんとした列に並べないみたいだった。一番後ろにいた先生が水色の旗を列に沿ってまっすぐにあてがいながらもその子を注意しているように見えた。

けれど、その子のぴょんぴょんはいっこうに直らない。

それを見たときふと 私とあの子が重なった。あのぴょんぴょんの子は、まさに小さい頃の自分。

先生の言っていることが分からなくもないのだけど、どうしてだかカラダと気持ちが言うこときかないあの感じ。自分でもちゃんとしなきゃと思うのだけど、なぜか出来ないあの感じ。なんだかわからないけど頭の中はいつだって夏休みなあの感じ。そう、あのぴょんぴょんな感じ。

そぅだ。

そもそも自分って人間は、ぴょんぴょんだったのだぁ。

ただちょっとだけおとなの世界を知ってしまった、、、ただそれだけのことかもしれないな。

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2011年3月 9日 (水)

私のミートソーススパゲッティ

目覚まし時計よりも早く起きた。

小鳥のさえずりは、いかにも春という軽やかな感じなくせに、外は冬みたいに寒くて。空気がピンピンにとがってる感じ。

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

昨日久しぶりにミートソースを仕込みました。

今まで私が作っていたのは「ボロニェーゼ」。今回作ったのは「ミートソース」です。

同じものなんだけど、私の中のイメージとしてはまったく違うものです。

作りながらいろいろ思うことがありました。ふと母の作ってくれたミートソーススパゲッティを思い出したのです。

料理の得意でなかった母の数えるほどしかないレパートリーの中のひとつだったんです、ミートソースが。

母はいつもなんにも考えずに大量にスパゲッティーを茹でておりました。そしてしっかりと茹でたそのスパゲッティをおもむろにザルに上げて、食べるぶんだけとって、それを鉄のフライパンでマーガリンと一緒に炒めていくんです。あまったスパゲッティは次の日必ずたっぷりのマヨネーズと野菜と一緒になってサラダになって食卓にのぼっておりました。

別の片手鍋では缶詰のミートソースを温めます。ママの絵がかいてあるやつです。そしてその時、母はいつも庭の月桂樹の葉っぱを摘んできてその中に一緒に入れていたのを覚えております。台所じゅうに漂っていた当時なじみのないハイカラな香りは、今でも、私がトマトソースなんかを仕込むたびにふと思い出して温かい気持ちにさせてくれます。

これが私の食べていたミートソース。すごくありきたりな味なんだけど、ココロにしっかり刻まれてる味で、今の私を作ってくれた味。

そう思ったときに、「私が作りたいのはボロニェーゼじゃなくってミートソースなんだぁ」ってことに気づいたんです。

さすがに缶詰は使わないけれど、あの懐かしい味のする昭和な感じのミートソースが作りたくなりました。

香味野菜を刻んで、こがね色になるまで炒めて、ひき肉も焼き付けて、赤ワイン入れてアルコールを飛ばしたあとに、トマトソース缶を煮詰めて、ケチャップやデミグラスをちょこっと加えたりしたら、子供のころ食べたあの味に近づきました。505

  ★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

最近、料理しながら思うんです。

自分が作りたい味って何だろう、、、って。

めちゃめちゃ美味しいものは、ちょっとお金を出せばいくらでも食べられるんです。だけど私は高級料理も作れないし、手の込んだ料理も作れません。

私しかできないこと、私が私であるということ・・・・、それを表現することがここに居る意味なのかなって、思ったりしてます。

味覚っていうのはおもしろいものです。舌だけでなくてココロにも刻まれているものなんです。だから、うちに来てくれたお客さんに名刺を渡す感じに自分は料理をこしらえようといつも思います。「私ってこんな感じです、、、」みたいなニュアンスがそのとき伝わったらうれしいです。

だからこれからも、今の自分に刻まれたものを大事にしつつ、その味覚の世界を広げていくことにも努めていきたいです。その幅を広げていくのは、人生の幅を広げていくこととたぶんおんなじだと、今の自分は思ってます。

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2011年3月 8日 (火)

ケンカ。

王子とケンカした。

はたしてそれがケンカっていうものなのかどうか、、、びみょうなところだけど。。。思ったこと感じたことそのまんまにしか表現できない不器用な自分が、またしても、しでかしてしまった。

いつだって冷静に物事を判断して、ぐらつくこともほとんどない王子なのだけど夕べはさすがに私の吐き出した言葉の重さにまいってたみたいだった。

今、仕事で煮詰まってる王子のこと、近くにいるこの自分が一番よく分かっているくせに、だけどあのときは湧いてくる気持ちが抑えきれなかった。もしかしたら、そのキンキンに張り詰めた空気の中にいることに耐えきれなくなっちゃったのかもしれないとは後になって思ったことだけど。

そんな王子が夕べは私の身勝手さに我慢できなくなったみたいで、ものすごい直球を投げ返してきた。直球と直球ぶつけ合ってるだけだからお互い痛くて気持ちにもいっぱい穴があいちゃうんだけど。

そもそもはじめから言い争うとは思わないし、ケンカなんかしようとも思わないけど

「汚れた思い」を外に出そうとすると、ときどきこうやって私たちは衝突してしまうのだ。そして結果的にそれがケンカっぽくなっちゃう。

そして毎回気づくことがあって。。。自分の気持ちを私はただ聴いてもらいたかっただけなんだっていうことに。すごく単純なことなんだけど、日常の中ではなかなかできなかったりするから。

そしてひととおり吐き出すと、実はそれだけでもう自分は充分な感じになるのだ。王子には申し訳ないけれど自分の中では勝手に解決しちゃってたりする。だからといって、決して気持ちはスッキリしたわけじゃなくて、なんとなく「もぉ、これでおしまい」みたいな区切りがつく感じになる。

きっと吐いた言葉は相手にぶつけているんじゃなくて、自分にぶつけているんだろうな。相手の胸めがけて投げた気持ちはそのまま跳ね返って、結局自分のところに戻ってきているんだと思う。

だから痛いんだな。ケンカのあとっていうのは。。。決して軽くなんかない。自分の中から出た言葉の重みに時にはつぶされそうにもなる。

そして今になって、自分が出した灰色の言葉のひとつひとつが、頭の中で壊れたラジカセのテープみたいに何度もリピートしてる。。。うっとうしいくらいに。。。

そんな王子は今日もあたりまえのように仕事に出掛けた。ちょっと疲れた表情で、アイロンかけたはずのワイシャツもなんだかくたびれた感じに見えた。

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あー、不器用な自分よ。いつだってこんなふうにしかできない。

前の結婚のときも、旦那さんにはいっぱいいっぱい迷惑かけたと思う。相手の気持ちの温度を知ろうともしなかった、あのとき私は。

だけど、あの時代があるから今の私がいる。こんな自分のこと拾ってくれたひとがいるんだから。捨てられないようにしなくっちゃって、いつもどこかでビクビクしながらまるで自分がどこかの捨て犬みたい思えてきて、、、、なのにダメを繰り返しちゃうバカな自分がいて。

もうどうしようもないくらいアホ。。。

ごめんなさい・・・して、せめて王子の好物のしょうが焼きでも作るかな。

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今日の空は不機嫌な色をしてた。風がものすごく強くて冷たかった。なんだか気持ちの中にまでびゅぅっと入り込んできたみたいだった。

いつもの昼寝は今日は無し。考えごとしてたらあっというまに時間が過ぎちゃった。

♪「ゆ~きやコンコン・・・」って流しながら灯油屋さんが家の前を通っていきました。この歌があたりまえみたいに聞けるんだから、、、やっぱり寒い。。夜の開店時間まで毛布に包まっていよう。

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2011年3月 7日 (月)

月曜日のお月様。

小雨降る月曜日。なんだか白いものがチラチラ降ってきそう。

昨日はお休みだったので、ほとんどキッチンに入ることもなくて、だから月曜日の朝っていうのはいろんな意味でリセットの時間になる。

煮干と昆布でゆっくりダシをとってお味噌汁をこしらえる。足もとはまだ冷たくて指先を丸めながらキッチンに立つ。 頭の中は不思議とまっすぐで、気持ちにも一本すうっと芯が通るというのが月曜日の朝。

そうやって知らず知らずのうちに、身体のリズムは整っていってココロも自然にそこに寄り添っていくみたいに。

ピアノだけのCDをかけて、でこぼこのココロの表面にヤスリをかけてもらう。センチメンタルなメロディーの部分では時々ほろっとしながらも、、、だけど気持ちを込めてひとつひとつの作業に集中する。青いネギを細かく刻むのも、パセリの葉っぱをみじん切りするのも、にんにくの皮をむくのも、、、単純な作業なんだけどココロを込めてやる。

そうしているうちに、いつの間にか背中がシャンとしてきて、お腹にも自然に力が入るようになる。泣きすぎてハニワみたくなっちゃってたまぶたの腫れも少しずつひいてくる。

あーそれにしても、かかっているピアノのCDのせいなのか、昨日の遠足で楽器を演奏してる皆さんの笑顔が焼きついているせいなのか、

今ピアノが触りたくてたまりません。。。

もうこうなったら王子の娘っ子の部屋に侵入してってオルガンでもなんでも弾いちゃおうかな。

内っ側に埋まっちゃってるもの、ちゃんと外に出してあげないとダメになっちゃうこと、この自分が一番よく知ってるもの。

音楽は魔法みたい。人のココロにそっと寄り添って慰めてくれる。思い出もくれる。

ピアノに向かうことも、料理することも、たぶん私の中では同じ線の上に並んでること。

深い深いココロの呼吸をする作業で、しかもそれってすごく大事な作業だということも。

  ・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

笹船みたいなお月さんが見えてます。ゆら~り揺れるゆりかごのようにも見えます。

薄目で見たら消えてしまいそうなくらい儚いお月さま。

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2011年3月 6日 (日)

おとなの遠足♪

水色の空の下、おにぎりと玉子焼きとおつまみとお酒、そして楽器しょって・・・・

   今日は大人の遠足。

薄手の上着をはおっていったけど、背中にあたるおてんとうさまがジリジリして、途中汗を何度かぬぐった。酔っ払ってたせいもあるんだろうけど。

もくらん大将主催ということで、いろんな銘柄の日本酒やら焼酎やらが石段の上に無造作な感じに並んでた。紙コップで飲む昼間のお酒が、こんなにも美味しいとは。。。しかも、バックには名古屋城。なんとも贅沢なり。

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だんだんとカラダも気持ちもほぐれてきたところで、ステージが始まった。

ほんのりとピンクに頬をそめたおじさまたちのステージ。大将をはじめとするサックス3重奏。以前、大将のお店に遊びに行ったときに聴いた音とはぜんぜん違う。まっすぐに伸びる音の感じとか、響きとか、、楽器のことをよく知らない私でも、その上達っぷりみたいなことはすぐに感じた。

大将と一緒に演奏してた男性陣も、お話を聴いてみると、楽器を触るようになってまだ2、3年だという。そのきっかけも様々で、、、だけどそういうお歳になって新しいことにチャレンジする姿勢みたいなのがすごくかっこよかったし、夢中で演奏している横顔がまるで小学生みたいなまっすぐな表情だったりで、、、なんかそれって「素敵」って言葉と「尊敬」って言葉がぴたっとくる感じ。

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ふと子供の頃に見ていた自分の父の顔が浮かんだ。父はある年齢を過ぎた頃から、週末のたびにゴロゴロと一日じゅうテレビの前で横になってた。枕元にはビールジョッキに入った氷水とセブンスターの箱があった。そしてその風景が子供ながらにあまり好きじゃなかったことも、、、、。

だからこういうかっこいい大人たちを見ると、すがすがしい気持ちになるし、いいな、って素直に思える。そして私もこんなふうになりたい、って思う。500

はじめてお会いした人たちもたくさんいて、元気もその数のぶんだけ、いただいて帰ってきた。「家に着くまでが遠足です!」って担任の先生の言葉がどこからか聞こえてきそーな、そんな懐かしいおてんとうさまの一日。

今日はいちにち、遊びにきてたタクミも一緒だったので、遠足の絵の中に奴もいた。

夜になってタクミも自宅に帰り、またしても私はバカみたいに泣いてしまった。

楽しいことっていうのは、あとがツライ・・・。

明日からまた月曜日。するりと日常がはじめられますように。。。

  写真:素敵なおじさまたち。右が大将。

  写真:王子のトランペット。

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2011年3月 5日 (土)

私のキャンディーズ、そして飲みすぎた

メロ号いまだ入院中につき、八百屋のおっちゃんカーにて元気に仕入れに向かいます。

最近すっかりAMラジオのとりこになってる私。昭和っくさい感じだったり、ひなびたタバコのにおいがしてくるような雰囲気だったり、、、それは子供のころにどこかで味わったことのある感じ。そんなにきれいじゃなくて、どちらかといえば埃かぶってうすよごれてるこの感じが、なんとなくこの肌が覚えていて、するりとはまってしまう。

ようやくつかまえることのできた電波からは、コテコテの名古屋弁があふれていてちょっとびっくりした。今どき、こんな濃いぃ~名古屋弁しゃべる人なんているんだろーかって、ちょっとそいういのがわざとらしくも感じたけど。

バックではいろんなリクエスト曲が流れていた。

そうしたら子供の頃を思い出すような、昭和なイントロが流れてきて、思わず口ずさんでしまった私。キャンディーズの「年下の男の子」だ。

ランちゃん、スーちゃん、みきちゃんのハモリは今聴くとなんだかすごく新鮮。あの3人の衣装にもあこがれたし、仲良し3人集まると、いつもランちゃん役は取り合いになったことも覚えてる。やっぱり、歌謡界の原点みたいな匂いがする。たぶん私がこの曲を聴いてた頃は幼稚園?!くらいだったと思うけど、おとなになって覚えた歌謡曲なんかよりもずっとずっとインパクトがあるもの。今でもココロに刷り込まれているもの。あの時代を知っててよかったって思う。

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仕入れといっても、私のお店じたいは小さいので、昔やってたときみたいにダンボール山盛りの買いもの、ってほどはないんです。けっこうコンパクトな感じです。

最近めっきり和な料理ばかり作ってます。もともとはイタ飯屋さんの調理補助ばかりしてたので、パスタとか煮込みとかアンティパスト系なんかを作ろうかと考えていたけれど、なんか今の自分にとってはそれが背伸びしちゃってるような、、、かっこつけてるような、、、そんな感じがしちゃって、そっちの方向はどうやら目指していないみたいです、、、私。

ちなみに夕べの黒板メニューに書いたひとつに「なつかしの赤ウィンナー炒め・ポテサラつき」っていうのがあったのだけど。(ちなみに380円)赤いウィンナーなんて、正直めちゃくちゃおいしい、ってものではないんだけど、なんかどこかくすぐられるんです、、私。だからメニューにしちゃう。そんなんばっかりです。

今後どんなふうになっていくかはまだ分からないけれど。もちろん、ご要望がありましたら、何でも作りますから♪

ココロにまつわる仕事をしているせいなのか、「食」の原点ってたぶん、「ココロを満たすこと」なんだと思っていて、そうすると作る側の自分のココロをまず満たしてあげないと、作ることができないみたいなんです。。。それって、ある意味 自己中かもしれませんが。でもその満たされた気持ちって「食べてくれる人」にちゃぁんと伝わるものだと思っているから。

「料理」って「ココロ」なんだと。食べてくれる人のお腹の中に入って完成して、そして伝わるものなんだと。。。。

そんなふうに思います。

にぼしや昆布でゆっくりダシをとっていくことや、お醤油やみりんのあまじょっぱい味に安心感をもとめたり、、、これって今の自分が欲していることのようです、どうやら。白いご飯がこんなにも美味しいと思えたのは、生まれてこのかた初めてかもしれないです。

春野菜もいろいろ出てきました、仕入れに行くのもワクワクな毎日です。私の大好きな豆ご飯も作りたいし。そんなふうに、いつだって「ワクワク」がないと料理って出来ないんだと。毎日の台所を担うお母さんの気持ちとまったく同じです。

だからそこいらへんは、ズレないようにブレないようにしたいです。自分は何をしたいのか・・・っていうことをいつも自分に問いながら。

なんとも不器用にしかできない自分ですが、しかたないです。どうぞお付き合いくださいませー。

 

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夕べは、お店閉めてから、ひとりこんこんと飲んでたので、いつもよりも1時間ほど寝坊。

台所の洗い物もそのまま、、、にぼしと昆布を浸しておくのも忘れて、、服のままバタンと寝てしまった。王子が毛布をかけてくれたみたい。

今、シャワーを浴びて、洗い物もすませて熱い緑茶をすすりながらこの日記を書いてます。おてんとうさまは見え隠れな感じで冷たい空が見えております。

今日は土曜日。平日とはちがって、なんとなく時間の流れがゆっくりと感じられる日、それが土曜日。

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2011年3月 4日 (金)

時計がこわれた

一週間前のこと、左手の時計がとまった。たぶん電池切れだと思うけど。

なかなか機会がなくて、そのまんまになっている。 馴染みのない涼しい風が左手首のまわりを抜けていく感じを今味わってます。

高校生のとき以来、腕時計をはずしたことのない私。もちろん寝ている間も。なんとなく「ある」というだけで安心する感覚。

だから何十年かぶりの時計を見ない生活です。左手首にはなくったって、今や携帯電話だって、テレビだって時間を教えてくれるものなんだから、けっきょくどこかでは「時間」っていう「ものさし」を意識しながら生活しているんだもの。今はちょっとだけ自分の中にある気持ちのネジを緩めてあげよう、って思えばいいんだもの。

そんな左手は時計が無いということだけで、軽いし、気持ちもなんだか軽いし、ついでに足どりも軽やかになる感じです。しばらくこのままでいようかな。

 

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昨日はひな祭りということでちらし寿司を作りました。私は息子ばっかりだったので、あんまり作ったことはなかったかも。 材料を買い忘れたので、冷蔵庫にあるものでちゃちゃっと気軽に・・・。496

ちらし寿司は、具材を煮たり、レンコンを甘酢につけたり、お米をいつもよりも硬めに炊いて酢飯を作ったりと、、、ちょっと手間がかかるのだけど、やっぱり手作りすると美味しい。

ちょうど夕べはお客さんも遊びに来てくれていたので、みんなでひな祭りのテーブルを囲みました。

「我が家へようこそ♪」みたいにアットホームになれる夜の時間が好き。私はもっぱらお母さんみたいになっちゃうんだけど。。。

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今朝もなんだかすごく寒い。さきほどコンビニに牛乳を買いにいきました。寝起きの髪をざっくりひとつにまとめて、顔はまだ寝ぼけたまんまで。だけどこんな早朝にもかかわらず、缶コーヒー買いにきてる出勤途中のシャキッとした人たちもけっこういたりしてびっくりした。こんなに早くから頑張ってる人たちっていうのはたくさんいるんだな。

さて。今日もはじまる。また寒さが戻ってきてるから、仕事帰りに王子に灯油を買ってきてもらおう。

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2011年3月 3日 (木)

夕暮れキライ。

日が落ちてくるころ、お腹の底のほうに埋まってる子供の自分がムクムクと顔を出してくる。

家々の窓にオレンジ色のあかりが灯り始める頃、夕飯のしたくをする世話しない音と一緒に香ばしく焼けた魚の匂いがどこからともなく流れてくる。

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子供の頃、日が暮れるまで公園の石のお山のてっぺんでよく遊んでた。マンションの明かりの数が家族の温かさの数と同じだということに、鍵っ子だった自分はなんとなくうらやましく思ったりして、そんなとき小さな胸はいつもきゅんとしてた。

たまに家族がそろっても、父ちゃんと母ちゃんはケンカばかりしてた。だからよけいに家庭の温かさみたいなものには憧れがあった。

ひとつ下の弟は、私とはまったく逆のタイプで頭も良くて運動もできて、しかも子供のころから自分のことはなんでもやれる優等生だったから、「どーせ私なんかなんにもできないもんっ」っていつもふてくされてた私は彼の妹みたいな位置にいたと思う。優秀な弟は親にとってはいつも「自慢の息子」で、それにくらべて私は「こまった娘」みたいな場所にいた。

学校から帰ってくると弟はまっすぐに自分の部屋に入っていった。下の部屋でこたつにもぐってひとりでみかん食べてる私のところには決して途中下車することはなくて。なんとなくそういう雰囲気も私の子供の頃の家庭の寂しさみたいなチクチクする思い出として今も残ってたりする。そんな弟とはたぶん中学生くらいからずっと会話していない。

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だから夕暮れどきっていうのは、いつもきゅんとするし、あたりまえのように夜がやってくることにも戸惑いを感じしてしまう。

それがいやだと思った時期もあったけど、今となっては、そんなひとつひとつの思い出が、今の自分のカラダとココロを創っている部品みたいになっているって思う。

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夕方、昼寝から起きて身支度して、お店のあかりをひとつづつつけていくときは、いつもお母さんみたいな気持ちになる。子供の頃に母ちゃんにして欲しかったことを、今の自分がやっている。一個一個かみしめるようにやっている。そしてそういうとき、ココロにもふぅっとあかりが灯る。

夕暮れどきはいつもこう。

  ★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

久しぶりに水色の空。なんだか冬に戻っちゃったみたいに空気は冷たいけど、これも春への予兆なんだろうな。

庭の石畳の間からスイセンかなにかの芽が吹きでてる。開拓工事をしたときにすっかり以前の土も掘り返して白い石を敷き詰めたはずなのに・・・、力強い自然の生命力を感じるな。

同時に、、、「ほぉら、私の草木ちゃんはちゃぁんと私のこと覚えてくれているのよ」とかなんとか言いながら得意そうにしているあやしい王子の母上の笑顔も浮かんできたりして、、ちょっとこわい・・・。

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2011年3月 2日 (水)

怒る・笑う・泣く、みんな大事。

おもしろいことがあった。

「おもしろいこと」なんて言うと、それをマジな気持ちで私のところに持ってきてくれた王子にたいしては大変失礼なことかもしれないけど・・・。

えーと、どんな内容かというと、、、

ここのお店っていうのはそもそも一般住宅の一部を改装して作っているので、当然ながら、光熱費とかそういうものも、一般家庭基準設定の料金で毎月支払ってるわけです。

先日、王子がどこからか得てきた情報によると、、、店舗扱いのような手続きをすると、基本料金(?!)やらが、少し安くなるとかなんとかで、さっそく電力会社へ直接詳しいことを聞きに行ったみたいです、王子。

11時、王子からの電話。こんな午前中の電話なんてめずらしいな、なんて思いながら受話器をとると

「今、電力会社の担当の人と話したんだけど、その人っていうのが、めちゃくちゃ感じ悪くてさー、目つきとかそういうのからして、すごくぶっきらぼうだったんだよ。もうなんだか話す気にもならなくなっちゃったよ。」

って。

なんか、いつもの王子っぽくない感じがしてびっくりしたし、またそのいつもと違うところがおかしかったりで。

ものごとに対していつだって冷静に、論理的にとらえる王子のセリフとは思えない感じだった。こんなふうに感じたままに表現するのって、まるでどこかの誰かみたいだ、って思ったりして。。。

そのあとの会話もなんだかいつもよりも呼吸が合ってる感じがして、受話器のむこう側にいても、なんだかすぐ近くでしゃべってるような気さえした。気持ちの温度がたぶんおんなじくらいになってたと思う。

けっきょく、お互いみょうなところで、内っ側の部分がこの会話の中で落ち着いてしまったから、電気料金だとか無愛想なおじさんのこととかそういう外っ側の話はどこかへ行ってしまった。

なんか久しぶりに「感情」っていうボールをうまいことキャッチボールできた感触が嬉しかったのだ、、、私は。

「ココロ」っていう見えない臓器だけど、人間は絶対にここが機能していないと死んじゃうんだと思う。いつもそう思う。

大人はいつしか、こどもの頃に持っていた自由の世界に、いろんな仮面や鎧を重ねながらじょうずに生きてくことを学んでいくんだけど、芯の「自分」っていう部分は実は変わらなくって、いつまでも子供のまんまなんだと。だから、ときには、子供みたいにありのままに笑ったり怒ったり泣いたりしていいんだと。

人間は、どれだけ歳を重ねたって「こども」なんだと思う。

なんだかほんの数分の王子とのやりとりの中で、いろんなことを感じた瞬間だった。

今この日記を書いているうちに朝がやってきました。

キッチンではランチで使う塩豚をとろとろ煮てます。

窓からの空は、薄い青とひらべったい雲が何層にも重なっててミルフィーユみたいに見えます。今日は洗濯ものが干せるかな。空気は冷たくて春を目の前にしどろもどろしてる感じ。

さて、そろそろ王子を起こす時間だぁ。。。

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2011年3月 1日 (火)

料理な話とくもり空。

火曜日 くもり。

夜遅くに帰ってきた王子と深夜のラーメンに出掛けた。しょうゆ豚骨ラーメンと餃子の大盛りはあたりまえだけど胃もたれな朝につながる。今朝は味噌汁だけでいっぱいいっぱい。

結局、先週末までに仕上げなきゃならない王子の仕事もなんだかのびのびになっているみたいで、またまた今週も会話少なめな一週間になると思うとなんだか気が重いな。

朝から6時から煮ている黒豆がそろそろいい感じなはず。こんなにも早くから仕込みするのは珍しいこと。夕べのラーメン屋さんのスープの化学的な味に舌がヤケドしちゃったみたいで、なんだか一刻も早くいつもの味覚に戻したくってしかたなかったのだ。

あぶった煮干と昆布とかつおのお出汁の味は、ふるさとに帰ってきたようでほっとする。やっぱり日本人だなー。

最近は、洋風の味のベースにも煮干のダシをよく使ってます。そういう意味で、煮干のダシは、かつおぶしよりも万能選手だと。煮干特有の臭みが気になるときもあるので最近はもっぱら「水出し」にしてます。頭とハラワタを抜いた煮干を軽く炒って、一晩水につけておくだけ。煮出さないで、そのままダシとして使います。

自分の舌の感覚って大事だなーって思う。

カッコイイ料理は作れないけど、ほっとするゴハンを作りたい、っていつも思う。

そのためには、自分の体調管理や気持ちの管理も必要で、、、なにかがくるってしまうと全部がおかしな方向にいきそうで。だから自分が今向いてる方向を見失わないようにしたいな。それは味覚だけの話じゃなくて、生き方だったり、目標だったり、、、、すべてのことに通ずるものなんだと思う。

そう思うと、「お母さん」ってよばれる人たちは、みんなみんなそういうことを、あたりまえのように家族のためにこなしているんだから、やっぱりすごい!って思う。

さーて、今日もはじまる。はっきりすっきりしない空が、なんとなく憂鬱を連れてこようとするけど、掃除機をかけて、洗濯機をまわして、、、そんなことしてるうちに気持ちも軽くなってくるといいけど。いつよりちょっとばかり音量をあげてクラッシックでも聴きながらやろうかな。

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