2019年5月23日 (木)

こわいもの(恥ずかしながら)

 週に1、2度電車に乗る機会があるのだけど、ここ最近とても困っていることがある。
それは電車を降りて乗り換えのときや、はてまた地上に上がっていくときなど必ずといっていいほどエスカレーターを乗らなくてはいけないということ。
このエスカレーターが近ごろ怖くて怖くて仕方がない。昔はなんともなかったのに、どうして突然こんなふうに感じるようになったか我ながら謎である。
階段があるところならまだいい。しかーし私が行く先の駅にはエスカレーターしかない。しかもものすごーく長いやつ。エレベーターはたしかどこかにあるはずなのだけど、自分の目的先とはとんと離れた出口に出てしまうのでこれもダメ。
ある日、エスカレーターが怖いなんて自分だけかと思ってためしにネットで検索してみたら、いるではないですか…私と同じ症状の人が。
私の場合、昇りのエスカレーターが全くダメ(長くても短くても)なのだけど、下りは全く大丈夫なのである。逆の人もいるらしい。
克服方法なるものも載っていて試してみてはいるけれど、これがちっとも克服できる気配なしだ。克服どころかどんどんダメなほうにエスカレートしているような。今となっては左側のベルトに両手でつかまってしかも若干前のめりになって乗っている。上を見たら怖いし、ましてや下なんかのぞいたらゴロゴロゴロゴロ〜っと転がり落ちていきそうだ。
最近は夢にまで見るようになった。エスカレーターに乗っていると上のほうから大きな鉄の球が私をめがけて落ちてくるという夢。いったいどんだけ怖いんだ。

自分よりずっとお年を召したご老人がどこにもつかまらないで涼しそうに乗っているのを見るとスゲ〜って思う。
私が左側にぎゅーっと身を寄せてブルブルしながら乗っているその横をトントンと駆け昇っていく奴らがたまにいる。急いでいるのは分かるが、正直こういうの一番怖いやつ。マジでやめてほしい…。
私が本気で怖いと言っているにもかかわらず、時々相方さんが私の前に立ってわざと体を後ろ側にのけぞらせてくる。こういうおふざけもやめてほしい…こっちはマジなんだぞ。でも最近はエスカレーターに乗っているときの私の顏が青いことに気づいてやめてくれるようになりましたけど…。
 
などと、年をとると若いころに何気なく出来ていたことが突然出来なくなったり…なんとも思っていなかったことが急に怖くなったり、我ながらこんな自分にびっくりさせられる。
そしていよいよ明日はまたエスカレーターの日である。どうなるんだろう。鼻歌歌う作戦はやったし、前に乗っている人の背中しか見ない作戦もやった。しかし効果なし。明日はどんな感じでいこうかな。

| | コメント (0)

2019年5月16日 (木)

休み明け。

  今日も夏みたいに暑い。
休み明けに朝一番でお弁当の仕事をして頭とカラダをいつものモードに戻す。休み明けは正直「仕事したくないな〜」という気持ちがまず最初にきて、でもこのままダラダラしていたらほんとに仕事しなくなっちゃうかもワタシ…という自分も確実にいて、なるべくよからぬ考えが浮かばぬうちにちゃっちゃと動くようにしている。自営業は自由がきくとともに、そこに必ず責任をもたなくてはいけないところが重い。かといって責任という鎖にがんじがらめになってただの日々の繰り返しになってしまうと、あそび(余白)がないぶん自由な発想が生まれなくなってしまう。
むずかしいところなんだけど、時間を上手に使いつつバランスとっていくしかないのだろうな。
 そしてなんだかんだいっても、私の場合キッチンの定位置につくと水を得た魚みたいになるので、きっとやっぱり好きなのでしょう。
午前中の仕事を終えて今ちょっと休憩して、そして夕方からまた仕事に行きます。

 話は一変して、この休日はおなじみの岐阜ごはんツアーに相方さんと出かけてきました。
といっても、行くお店はいつも一緒。フランスごはんのお店と謎の中国人?!のお兄さんがやっているお店。
どちらもカウンターしかないお店で、マスターと仲良くなれるお店。もはやこういうお店ばかりしか行かない我ら。
料理のジャンルも違うし、お店の雰囲気も全然違うし、マスターの感じも全く違うんだけど、店主のほんとうに美味しいものを食べさせてあげたい!というシンプルな気持ちがどの料理にも感じられるところがこのふたりのマスターの共通項。
こういうお店ってありそうでなかなかないと思う。そりゃぁ高いお金出したら食べられるところはあるかもしれないけれど、シェフの顏が見えなかったり、ドレスコードはなんたらとか子どもはダメとかうるさいおしゃべりもダメとかいろいろ上から言ってくるお店はあるだろう。
気軽に入れて店主が目の前のお客のために作ってくれるお店って、なかなかないと思うなぁ。ある意味贅沢だぁ。
そしてどちらの店とも我らが行く時間はなぜか空いていて、店主は口ぐせみたいに「もっとお客さんに来て欲しいいのだけどね」とこぼすんだけど、我らとしては「あまり混んで欲しくないなー」というのが本音のところ。
お腹ぽんぽん&心はパッピーになって帰ってきました。
“美味しい”は料理ももちろんのこと、一緒に食べる人だったりお店の雰囲気だったり、自分のコンディションだったり…全部がそろって“美味しい”になるんだな。
いろいろ勉強になったけど、どっちの料理もワタシには作れないな〜。



| | コメント (0)

2019年5月12日 (日)

リセット。

 きのうはヨガ部の日だった。
かれこれ年数は経つのだけど相変わらずカラダはいっこうにやわらかくならない。意識の問題なんだろうけど。そもそもヨガはそこが目的じゃない というのが分かってからは、ますます自分のカラダを甘やかしまくっている気が…。
といっても、りえちゃんがシェアしてくれるヨガの世界についての話を聴くと、その世界の深さに驚かされるばかりだ。心理の世界や宇宙の世界までも繋がっているということに。
そしてそんな話を聴いていると、自分自身がここに存在する意味とか、そういうことまで考えてみたくなる。壮大だなぁ。
そして今日もりえちゃんは輪郭がくっきりしていて声もまっすぐぽーんと響いていた。
ヨガをしている人ってみんな美しい。きっとそれは内面のものが外に出るからなんだと思う。
最近めっぽう情緒不安定なワタシ…、日々瞑想でもしたいところなんだけど、結局アレやコレやと時間に振り回されている。いけないなぁと思いつつもそうやって何かに追っかけられて日常を回している。
令和元年は、ちょっと変えたい。リセットしたいなぁ。

 リセットといえば、お昼ごはんのときの話題がまさに“自分リセット”だった。
今までの自分(価値観みたいなものかなぁ)をいったんニュートラルにして、そこから新しい自分を作っていく みたいな話だったかな。
話の内容ももちろんなんだけど、私はそういうことに意識を向けて常に自分を高めていこうと思っている人たちがいるということに驚かされた。
私なんてなーんにも考えていないし、そういうアンテナも張っていないもの。かつてはそういうふうな時期もあったけれど、今となってはなんにもない。どちらかというと後ろ向き方向に歩いているような。
よくよく考えれば自分を高めるということは、自分だけじゃなくて周りの人をも幸せにすることに繋がるんじゃないかな。人に優しくなれるということなんじゃないかな。そう思ったのだ。
そんな友人たちの話を聴いていたら、私もそうありたいと思った次第。
とはいえ今の自分にはちょっと勇気がいることだ。でも何かを超えたい、向こう側の景色を見てみたい。力まずストイックにもならず、乗り越えたいな。
きっとそれがなりたい自分なんだ。
人生ってきっと何度リセットかけてもいいものなんだろうな。
                                                                    Img_1153  
                                                                     みんなで食べたお弁当(メロ弁)

| | コメント (0)

2019年5月 9日 (木)

ありがとう。

 夕べはお客さんたちに誕生日を祝っていただいた。もうなんていうか、胸がいっぱいなのと、こんな自分みたいな人間のことを祝ってくださる人たちがいるんだという感動&どうこの気持ちを表したらいいのかわからない  っていうのがごちゃまぜになって、その場に立ちすくんでしまった、、、私。
ありがとうという素直な気持ちってどう伝えればいいんだろう。もちろん言葉で言えばいいことなのだけど、それだけじゃ足りないし…。
私の場合はこの仕事でその気持ちをお返ししていくしかないんだろうな。心を込めてごはんを作っていこう。 みんながほんわかな気持ちでいられるような空間を作っていこう。
 それでもって、みんなが帰ったあとにいろんな気持ちが混乱して大泣きしてしまった…。嬉しい気持ち、自分のダメさ加減に落ち込む気持ち、どうしてよいのか分からないという気持ち…などなど、なんて複雑なんだ 私って。

 でも朝起きたらだいぶ落ち着いていて、じわりじわりと夕べの余韻にひたっていたら温かな気持ちが降りてきた。やっぱり夕べは混乱していたんだ。気持ちってすぐには降りてこないんだな。
などと、ぽ〜っとしていたらお弁当の仕事に遅れてしまった。しかも1時間も。
顔だけ洗ってすっぴんのまま店に向かい、10個のお弁当をなんとか完成させてなんとかぎりぎりで間に合ってお届けできた。すっぴんだったから下向いたままもぞもぞしながらお渡ししたけど。

 そのあと酒屋さんに仕入れに行って相方さんと魚定食を食べて帰ってきた。たまに行くその定食屋さん、ザ・漁師飯!って感じのごはんなのだ。魚のさばき方が大胆だったり味付けもシンプル。ごはんはどんぶり飯だしとにかく男料理。こういう男っぽさっていうのは私の料理にはないので、いろんな意味で刺激になる。こんなふうにザッ、ドバッ、ドーン みないなやつ私もやってみたいなと。
でもそれってやろうと思ってもなかなか難しい。この自分の複雑な感じとか変に神経質なところとかが、どうして料理に出てしまう。
料理には人が出るんです。

 さて、そろそろ仕事に行く時間。
今日は朝一で店に入っているので夜の仕込みはまだやっていないのだ。なので今ソワソワしている。
キッチンは天国でもあるし、戦場でもある。気合いを入れないと仕事にはならない。
などとイキってはいるわりには、どうしてもザッ ドバッ、ドーン はできない私。気が小さいんでしょうねぇ。


| | コメント (0)

2019年5月 8日 (水)

とくべつな日は特別じゃなくてもいいね。

 一年に一度きりの自分の記念日。歳をとることを嫌に思う時期もあったけれど今は違う。若い頃には感じ得なかった感情とか想いとかが、自分の中でふつふつと湧いてくるときがある。あ〜昔はこんなことぜんぜん思わなかったけど、いつのまに…みたいな。
とすると、歳をとるのも悪くない というのが最近の自分である。
 
 そんな記念日の今日、朝いちばんで思いたったのは何か特別なことをしよう!普段できないような何か特別なことをと。
まぁ、午前中は家事をすませてそのあといつもとおり仕入れに行きそのあと仕込みをして相方さんのごはんを作り、そうしたらあっという間に午後である。
アパートに帰ってきて「あー疲れた」とどっこいしょと腰を下ろして海外ドラマなんか見始めちゃったもんだからもうおしまいである。
気持ちを切り替えて、今日は特別なことをするよりもとにかくゆっくりダラダラ過ごす作戦に変更。な〜んだ、ぜんぜん特別じゃないじゃん、と思いつつ時計の針は着実に時を進めていて、なんだかなぁという気持ちもあるけれど。まぁいいか。

 今日は天気が良かったので冬の毛布などを洗って気持ちよく太陽の下に干した。これが唯一の特別行事である。
そして私のおじいさん、おばあさん、そして父の写真にありがとうございますと手を合わせた。こういう気持ちは若い頃には湧いてこなかったと思う。
誕生日は両親やご先祖様に感謝する日なのだろうな。この世に誕生させてもらえたことにありがとうと。
47歳になりました。



 

| | コメント (0)

2019年5月 6日 (月)

最近の自分。ゴールデンウィーク最終日。

 なんだかわからないけど腹が立って立って仕方なかったり、イライラが止まらなかったり、毒を吐きまくったり…そしてそういうのを何かのせいにしたり誰かのせいにしたりするんだけど、よくよく考えたらそれってつまりそういう自分に腹が立っているということなのだよね。
まぁそもそもこの歳になると腹立たしく思うことも滅多にないのだけれど、この間めずらしくそういうことが起きてプンプンしながらも冷静な自分もいて「あ〜私もおばさんになっのね」とちょっとだけおばさんであることを嬉しく思った瞬間でございました。

 この日記にたびたび登場する相方さんとの関係も、最近変わってきているように感じます。
もちろん私たちは夫婦ではないし、あえてそういうかたちをとらないというスタンスでいるし、愛とか恋とかとははるかにかけ離れた世界にお互いいるわけなのだけど、そのことをなんとも思わなくなったというか…。
そりゃぁここまでくるのにはいろいろあったけれど、今ではそういうことも笑い話みたいに思えるし、そんなこともあったね〜くらいにしか思っていないかなぁ。
わたしは過去に失敗しているから、今度こそ!みたいにどこか力んでいたんだと思う。相手にいろんなことを求めすぎていたこともあったし、寂しい気持ちをどうにかして欲しいと相手に負担かけることもたくさんあったし。
わがままだった自分を今はちょっと恥ずかしく思います…。
 お役所の書類の世帯主との関係の欄には私は“同居人”と書くわけなのだけどまさに我らの今の関係ってそれだと思う。ただ隣にいて同じ空気を吸って一緒にごはんを食べる。なんのこだわりも持たないそんなふわりとした関係になってきたと感じています。そしてそれはきっといいことなのだと。

 さてゴールデンウィーク最終日。とにかく長かった。
とはいっても自分の生活も仕事もいつも通りだったけれど、なにせ世間はお休みモード。スーパーに買い物に行けば家族連れであふれかえっていたし、ニュースでは海外旅行に行く人たちや帰国した人たちのインタビューばかりだし、そういうのを指をくわえながら羨まし〜な〜と思ってみたり。
とにかく曜日感覚が分からなくなりました。
長〜いお休みだった人たちはきっと夏休み最終日のあのなんともいえないぽかーんとした気持ちになるのだろうな。
個人的にはこの10日間はお店に入る時間がいつもより1時間ほど早くて、たった1時間早いだけなのに結構カラダには応えました。夜帰ってくれば布団にたどり着けずに床で寝てしまうという日もあったりで、駆け抜けたゴールデンウィークという感じかな。
 Img_1145   

先日老舗ケーキ屋さんの“ボンボン”で買ったサバラン。
今流のしゃれた味じゃなくて、昔ながらのフツーの味。このフツーがなんだかむしょうに懐かしくて。
サバランといえば父が大好きなケーキだったなぁと、学生時代バイト先のケーキ屋さんでよく買って帰ったものです。
そんな父を想いながら食べました。
 上にのっかたチェリーもいい感じ。今、こういうチェリーあまり見ないなぁ。


| | コメント (0)

2019年4月22日 (月)

子どもってすごいな。

  いつものお客さんがめずらしくお孫さんを連れていらっしゃった。
おじいちゃんもおばあちゃんも孫を前にすると目尻が下がりっぱなし。そしてときどき孫の名前を自分の息子とか娘の名前と間違えちゃったりして。それって自分の息子や娘を子育てしていた頃にタイムスリップしているのかなぁ。
そういうのってほんとうに微笑ましい。

 夕べテレビで街の子どもたちにボクシングを教えるというおじさんが出ていて、そのおじさんが言ってた。「子どもは未来をになう大事な大事な宝物だ」と。その通りだと思った。
 数年前、街の子どもたちと一緒にお料理をする企画をやっていたときに自分もそう思った。 子どもの心ってキラキラしている。そしてスポンジみたいにたくさんのことを次から次へと吸収してゆく。発想力は無限大。だから子どもたちと一緒にいると元気をもらえる。夢みたいな話だって彼らと一緒だと現実になっちゃいそうな気になる。
またいつかそんなことをやりたいなぁと、昨日のボクシングおじさんを見ていたらそんな気持ちになりました。

 今日は朝から20度越えのポカポカ日和。空気がほわっと柔らかいので、窓を開けてこの日記を書いています。
お昼にはお客さんからいただいた(相方さんのお誕生日祝いにいただきました)極上サーロインステーキを焼いて大事に食べました。付け合わせにじゃがいもを焼いてクレソンのサラダも一緒に添えて。いいお肉って焼いたあとの匂いまで美味しいのですね。今まだお部屋の中はステーキです。しばらくは楽しめそう。


| | コメント (0)

2019年4月20日 (土)

とりあえず動く。

 筋肉は裏切らない…とは、私のフラメンコの師匠の口ぐせである。その言葉に翻弄されて最近筋肉というものに興味を持ち始めたってわけ。
とはいえ、しんどいことが苦手な私。師匠なんか見ていると、しんどいことによろこびを感じているのだよね、彼女って。アスリートの方たちってたぶんみんなそうなんだろうなぁ。しんどいことの先にある世界を彼らは知っているんだ。だから頑張れるんだろうな。
などと人ごとみたいに言っている私は、到底そういう世界には達しなさそうなので、テレビ見ながらゆる〜く腹筋したりして体幹を鍛えておるわけです。何もしないよりマシ、程度のことをね。
 その程度のことでも、やっぱりカラダを動かすといろんなものが循環し始めるようです、どうやら。
自分の場合、ほぼほぼ引きこもりみたいな生活なので気持ちも凝り固まってしまうわけ。落ち込だり沈んだりしているときなんか、どんどん深みにはまっていくというか。
でもね、ちょっと動いてみると何かが巡り始めるんですよね。気持ちも軽くなるんです。自分に自信が湧いてくることだってあります。
なので私のように引きこもりの好きな方、ぜひ筋トレしてみてくださいな。…てなことを言いたくてここに書いたわけじゃないのだけどね。

 今日は朝からなんとなく気持ちがモヤっとしていたので、その整理も兼ねて日記を書くことにしました。
モヤっの原因はよく分からないのだけどね。
だからとにかく動いてみました。そしてちょっとだけ軽くなりました。
お外はいい天気です。

さてそろそろ仕事に行かなくては。

そーいえば引っ越してきたお隣さんのカップル。決して悪い子たちじゃないと思うけど、こちらから挨拶しても知らんふり。
「最近の若い子たちって…」って思わず言いたくてなっちゃうけど、また挨拶してみよう。(おばさんコワイ)


| | コメント (0)

2019年4月18日 (木)

コツコツと…。

 ちょっと動いただけでも汗がじっとり出てくる。この春はおもしろいくらいに機嫌のいい空とそうでない空が入れ替わり立ち替わりだったので、まだタンスの中には冬ものがしっかりと入っている。このあたりで切り替えても大丈夫かなぁ。。。

 ところで。
どんなに近しい人であっても、自分の内面事情を話すのは苦手な私。ううむ…近しい人ほどそのへんの話ってしずらいかも。
でもさすがにここ最近堪えていたので、相方さんに話してみたわけです。
「ここのことろ年々、自己否定感が強くなってきてどうしていいのか分からないんだよね…身動きできないというか」と。
すると相方さん
「人から褒められたら嬉しくないの?」と聴いてきた。
私「そりゃすごく嬉しけど…。それ以前にまず自分て人間を否定してしまっているから、なんだか自分じゃない人のことを褒められているような感覚になるんだぁ」

 そんな会話をしつつ、誰かに話すことによって自分を客観的に見ることができたのでこれはこれでよかったのかと。
自己肯定感が完全に欠落してしまっている今…
自分という人間を常にボッコボコにしている私…
まずこの自分をしっかりと受け容れるところから始めなきゃと思ってます。逃げちゃいけないですね…。

そしてとにもかくにも、いろんなことすべてが怖くて怖くてたまらないので、小さくてもいいから今の位置から一歩踏み出すのが目標。
でもね、どうやったら一歩出せるんでしょうね…。そもそも一歩って何だろ。
今の状態でいるのは、やっぱり嫌なのだよね。しんどいし…。
よぅし!と、気合いを入れたところでどうにかなるものではないのだけど、今日の空みたいに晴れやかに軽やかにいきたいもの!

 休み明けの今日は朝いちばんでおべんとの仕事をしたり、そのあと仕入れに行って仕込みをしていつもの1日を過ごしました。すき間が無けりゃ気持ちもなんとなくキープできるものです。せっせと手を動かすこと、カラダを動かして働くこと、そういうことって気休めかもしれないけれど、心の処方箋にはなると思う。

さて。そろそろ仕事に行かなきゃ。

| | コメント (0)

2019年4月15日 (月)

春は揺れる

昨日とはうって変わっていい天気。朝から洗濯したりスムージー作って飲んだり、そのあと筋トレもちょっとやったりなんかしてなんちゃって健康女子(健康オバハンか)。そもそも健康という言葉からは一番かけ離れた生活をしているので、できる範囲でカラダを気づかおう〜程度のことしかできない。深夜に帰宅してなんか食べてそのまま寝ちゃうみたいな生活だし。
でもここ最近思うのは、この気づかい程度のことがけっこう楽しい。添加物まみれの変なものは食べたいと思わないし 人工甘味料が入っている飲み物も飲まなくなるし、ちょっとだけカラダを動かすと気持ちも上がる。ゆる〜い心がけでできることを続けていこう。こんなゆる〜い感じだって、それなりにカラダが応えてくれているのが分かるから。この調子で病み病みな気持ちもなんとなく前向きになれるといいのだけど。

 春というのは良くも悪くもいろいろに気持ちが揺れ動く季節だ。子どもの頃から今にいたっても、この時期はとにかくツライ。けれど何がツライのか?と言われてもそこがうまく答えられない。答えはひとつかも知れないしいくつかあるかも知れないし…。でもそれを一言で表すのはとてもむずかしい。
 自分の場合、更年期のせいもあってかとにかく泣いてばかりいる。いい歳したオバハンが情けなや〜と自分でも思うのだけど、気持ちが何かに反応して涙が出てくる。どうやら私の場合は、自分の中にあるツライとか苦しいとか悲しいとかっていう感情に勝手にリンクしてしまうようなのだ。
だから常に何かに集中していないと、ふとした気持ちのすき間にそういうイタズラが入り込んでくる。自分ひとりでいるときならまだしも、そこに自分以外の誰かがいるときには何事が起きた?状態になるので、花粉症のせいになんかしてごまかしたり。(花粉症じゃないけど)
ほんとーに気持ちのコントロールがむずかしい時期なのです…。

 などとマイナスなことばかり言っているけれど、いいこともあります。
アパートの裏の街路樹の花水木が今とてもきれい。毎年思うのだけど、花水木の花って蝶々のよう。
黄色とかうすピンクとかの蝶がひらひらと舞いながら枝にとまっているかのよう。
モクレンが終わって桜が終わって次にこの花水木。この中では一番地味なお花かも知れないけど、可憐で健気なこの感じが好きなのです。

 

| | コメント (0)

2019年4月10日 (水)

気持ちの奥にしまったもの

  睡眠時間4時間のリズムがすでに出来上がってしまっているので、夕べ23時に布団に入ったら夜中の3時にしっかり目が覚めてしまう。
のそのそとテレビの前に布団を引きずってきて深夜のショッピング番組を見ながらウトウトしていたら、小さな2号君(次男)が寝ぼけてお腹に乗ってくる(夢を見た)。
3人兄弟の真ん中っていうのはちょっと変わりものが多い なんて聞いたことがあるけれど、たぶんほんとだ。変りものというのは変なイメージじゃなくって、個性的でマイペースで世渡り上手のこと。2号もそんな子だった。
小さい頃は人なつっこくて保育園の先生たちからも可愛がってもらえた。優しくて人当たりがよくて、友達も多かったと思う。
病気がちだった彼は保育園の前に近所の大きな病院に通っていて、診察のあとにはきまって病院の1階にある食堂でソーダー水を飲むのが定番だった。「今日は何色にする?」とこっちが聞くと「緑〜」とか「黄色〜」とかって答えてくれて、そのやりとりも楽しかった。
あの時間は2号と私だけの秘密の時間だったんだぁ。懐かしい。

 そんな2号君のぬくもりを夢と現実の境目みたいなところでほんわかと味わっていたら、なんだかポロポロ泣けてきてしまった。だって20年以上も前のことだよ。でもその感覚をしっかり覚えているということが、なんだかとても切なく思えてきて。

 ずいぶん昔にこの日記にもいろいろ書いてはきたけれど、10年前に私という人間の身勝手な都合で大事な子どもたちと離れて暮らすという選択をした。たくさんの人たちからお叱りを受けることもあったし、友達も離れていったり、今でも自分の身内にはなかなか会えないでいる。
そんなことは当然だ。すべて自分が悪いのだから。
ただこの10年いろいろ考えて、このまま自分という存在を責め続けて萎縮していったらどうなってしまうんだろうと。今でも息子たちのことを思うと息ができないくらい苦しくなる。
そんな中でどうやって私は生きていけばいいんだろうと。

 先日、電話で1号君と2号君の声を聴いた。ふたりの声はほんとうに似ていてどっちがどちらだか分からないくらいだったけど、声の間のとりかたとか話す癖だけは、小さい頃と変わっていなくてなんだかほっとした。ふたりともすっかり大人になっていて(22と21だもんね、あたりまえか)母ちゃんの私のほうが子どもじみているようにも思えた。子はいつのまにか親を追い越していくんだな。
でもそういうのをこれからも遠くから見守っていけたらと思う。ウザイと言われても困ったときには手をさしのべてあげたい。
そしてなにより、息子たちがお酒の飲める歳になったことがとても嬉しい母ちゃんです。

 これからは、気持ちの奥にしまって見ないようにしてきたことを少しづつ引っ張り出せたらいいと思う。

 

| | コメント (0)

2019年4月 4日 (木)

1号君。

めずらしく今日は1号君(長男)のことを書こうと思う。
 1号はとにかくしっかり者。何事に対してもどーんと構えているタイプだ。

幼い頃に肺炎をこじらせたことがあってしばらく入院したことがあった。その歳の子だとおそらく泣いてしまうような痛い検査のときも、彼はじーっと椅子に座ったまま痛いというそぶりひとつせず耐えていた。むしろ耐えているという様子さえも感じさせないくらいだったほど。その姿に看護師さんも驚いていたし何より母親である私が一番びっくりした。この子は強い子になるなと直感したものだった。
 そういうところがあるので、彼は普段からもあまり感情を表に出すほうではなかった。男の子というのはそもそもそういうものなのだろうけれど、彼のはちょっと違うふうに思った。兄弟の誰よりも感情というものをはるか奥のほうで感じとっている。ときに母親の私でさえも彼がなにを考えているのかわからないときもあった。でもしっかり彼は感じていた。誰よりも繊細に、温かい気持ちで。
小学校1年生のときに担任の先生との関係で彼なりにどうしても納得のいかないことがあり、その気持ちを学校の自分の机いっぱいに絵にして吐き出していたことがあった。たしか大きな竜がうねりながらこちらを向いているような絵だった。小さな頃から絵を書くのが好きだった彼の絵はその歳の子にしては芸術的すぎるくらいのレベルだったと思う。
その日、先生から呼ばれて「息子さんが授業中に机に絵をかくのでお母さんのほうから注意してください」とのお叱りをいただいた。帰ってからさっそくそのことを彼に話し、それと同時にどうしてそんな絵を描いたのかを聞いてみたら、つまりはそういうことだったのだ。1年生ながらに知っている言葉を一生懸命さがしながら話してくれたように思う。でもそこには彼の悔しさみたいなものが滲んでいたのがわかった。
なるほどと。さきほどの先生からの言葉でなんとなくわかってしまった。
とりあえず授業中に絵を描くことは注意した。でもその絵のうまさは褒めてあげた。そしてそのあと彼の気持ちをゆっくり聴いてあげたらそれ以来いっさい机には描かなくなった。
 
 たぶん22になった今でもそういう部分は変わらないのだろうな。
1歳くらいのとき、私が台所でお鍋の準備をしていてえのきを切っていたら、小さな1号君が隣にきてくるくると耳そうじをする仕草を始めたことがあったっけ。
なるほどね〜。えのきが耳掃除の綿棒に見えたのね。
思わず可愛らしくて抱っこしてしまった。

そんな思い出が今でも母ちゃんの中に宝物としてきらきら光っているよ。




 

| | コメント (0)

2019年4月 1日 (月)

目標はコミュニケーション。そして新元号。

 久しぶりに日記を開いたら画面の入力の仕方が新しく変わっているでは…。慣れるまで時間かかりそう。
なので ぎこちなくこの日記を綴っております。

 昨日はお客さんたちと一緒に楽しくお花見をして酔っ払いのへろへろで夕方からはお店の営業をし、なんとかコースの料理も作り上げて無事帰宅できたことがよかった。お花見中、私は調子が悪くてほとんど動けなくて 、でも相方さんやまわりのみんながテキパキと動いてくれた。そしてそういうのを見ていたらありがたい気持ちで胸がいっぱいに。
自分のまわりにはこんなにもたくさんのいい人たちがいるんだって。
 正直いって昔から人づきあいは苦手なほうだし人が怖い。誰かと繋がりたいと思っていてもやり方がわからないから、ただモジモジしているしかないし。友達がたくさんいる人を羨ましく思うし、気軽に悩みを相談できるような友達もいない。数年前まではできた気がするけれど、今はまったく。いつしか自分を閉ざす癖をつけてしまった。自分で自分の扉をぴっちり閉めきっているわけだから、相手もノックしてくるわけがないのだよね。わかってはいるのだけど、なかなか一歩が出ない。

 今はお店という形をとりながら、なんとかコミュニケーションするのが精一杯。だから昨日みたいな集まりがあると感動というかなんというか、心にたくさんのいい刺激をもらうのだ。うまい言葉が見つからないけれど、とにかく心に波が起きる。その海の中にまだずっぽりと浸かっている。
そういうのに全然慣れていないから、少しだけ鍛えられた感もある。心にも筋肉が必要ってことか。

今日は朝いちばんで仕入れに行ったきりでそのあとはなにも手につかず…いまだぽわんとした感覚に包まれている。
早くいつもの感じに戻りたいけれど、もうちょっと味わっていたいような気も。

新元号が令和と決まった。その瞬間は思っていた以上に感慨深いものだったし日本人であることを誇りに思う瞬間でもあった。素晴らしい元号だ。テレビの前で思わずうるっときてしまう自分がいた。

  

 

| | コメント (0)

2019年3月15日 (金)

もくれんの花。

フラメンコのレッスンが休みで久しぶりにゆっくり過ごした金曜日。
プチ断捨離をして台所周りを整理したらちょっと快適になった。今までは深夜に帰ってきて寝るだけの場所という感覚でいてそんなもんだと思っていたけれど、それだと知らず知らずのうちに気持ちに垢がたまってゆくのです…。そんなことに今さらながら気づいた私…。
一気に立て直しはできないけれど、コツコツ進めていければいいと思う。カラダの調子も少し良くなった気が。

近所のもくれんの街路樹がそろそろ見頃を迎えようとしている。道の両側を白く彩る光景はなんともお見事。梅や桜と違って花のひとつひとつが大きいから、遠くからみると白い綿菓子みたいに見える。
この道を通るたびにわぁ〜っと歓声を上げる私に相方さんは半ば呆れていて(かなり興奮しているので私)でもそんなこと気にしないもんね。1年に一度しかないこの景色、まさに自然からのプレゼントであり宝物。目に焼き付けておかなくっちゃ。
人間が死ぬときに持って行けるものって、たぶんこういうものだけなんだろうな。だからこの時期、心は大忙しなわけです。ブタ公園の桜の木も遠目で見るとうっすらピンクに染まってきたし。あら大変。心の準備は大丈夫かしら。

というわけでそろそろ仕事へ行く時間。もくれんの道を通ってちょっとだけ遠回りして行こう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2019年3月13日 (水)

弟。

夕べ見た夢の中にめずらしく弟が登場した。

ひとつ違いの弟とは特別仲が悪かったというわけでもないのに、ほとんどといっていいくらい一緒に遊んだとかケンカしたとかっていう記憶はない。歳が近すぎたせいなのか、私自身もお姉さんぶったこともないし自分でもそういう意識もしていなかったし、そして「姉ちゃん」とかって呼ばれたこともない。
そんな弟は幼少のころから私よりもずっとしっかりしていて、学級委員長とか生徒会とかやるタイプの人間だった。かけっこもいつも一等だったし、なんでもできる子だった。
中学校にもなると猛勉強して超エリート校への進学が決まった。そしてそのままいまでもエリート路線を突き進んでいる。ここにはあえて職業は書かないけれど、姉としても自慢したいくらいのそれはそれは立派な仕事についている。
という弟の人生の背景はなんとなく知っているのだが、昔からほとんど口も聞いたことがないので、正直どんな奴なのかよくわからない。

灰色の空の下、夢の中の弟と私は一緒に並んで自転車をこいでいた。学校に向かうためだった。
途中の分かれ道でお互い別々の道を進んだ。弟と別れた私は心細くて仕方なくて、来た道をひたすら戻ることにした。もちろんそこには人っ子ひとりいなくて空も相変わらず冴えなくて、私はひとりその場にしゃがみ込んでメソメソしていた。
…この続きはまだあったかも知れないけれど、鮮明に覚えているのはこの部分だけ。

空の色も昔どこかで味わった気がするし走った田舎道も小さい頃に住んでいた町の感じとよく似ている。会話も交わすことのなかった弟の、後ろ姿だけはやけに記憶のどこかに残っている。
不思議な夢だった。

いちばん最近弟に会ったのは3年前の父のお葬式の時だった。
私の記憶の中の弟とは全然違っていて険しい顔をしていた。その夜私はワインを一生懸命飲んで、ようやっとふたことみこと話しかけた気がする。
そんな弟は今どこでどうしているんだろう。

このところ私のまわりでなぜだか兄弟(兄妹)間のいざこざ話をよく耳にする。いい大人が言い合いしたりするとかって、私からしてみたらなんだかちょっと羨ましい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2019年3月 7日 (木)

整える気持ちよさ。

顔のケガは相変わらずでマスク生活続行中。傷の具合とアザの具合をネットで調べたてみたら治るまでに半年くらいかかると書いたあった。がーん。
給食当番になったつもりで頑張ろう。
で。このケガをきっかけにあらためて今の自分の生活を見つめ直してみようと思った次第。
自分のこといいかげんに扱っていなかっただろうか、いじめていなかっただろうか、ヤケになってなかっただろうか…と。
よくよく考えれば、生活という部分においてはかなり適当というか投げやりだった。一日一食しかもカップラーメンだったりとか、夜は疲れて朝まで床で寝ちゃうとか。そのツケがまわってきたんだ、きっと。
ということで、あの日以来、自分なりに反省して出来る範囲のことで生活を見直してみているのです。

まず少しだけ自炊をするようになりました。そもそも仕事でずーっと作りっぱなしなのでプライベートではなるべく作らない、作りたくないというのが以前の私だった。でもやっぱり食べることって大事だし、この体だって私が食べたものでできているんだから、ここは外しちゃいけないところ。しかも五十路女は体のことも真面目に考えなきゃいけないですよね。
深夜に帰ってきて重たいものは食べられないから野菜スープなどを作り置きしたり、食事の時間も日々バラバラなのでちょこちょこつまめる野菜のおかずなんかもタッパーにストックしてみた。ここ何年も自分用にごはんも炊いたことなかったけれど、鍋でせっせと炊いておひつに入れて、これもお腹が空いたときに食べようと思って。
それと。部屋の掃除もいつもより丁寧にしてみました。そもそも相方さんの私物が多すぎてなかなか片付かないというのもあるのですが(このことも以前までは腹が立って立ってしかたなかったのですが、近頃はあきらめました。共同生活には見て見ぬ振りも大事かと。しかも腹を立てるというのはこちらもかなりのエネルギーを消耗しますので)キッチン周りとかトイレとか私ができる範囲のことをやりました。
たったこれだけのことですが、気付けば気持ちがすっとしていました。時間もなんだかいつもよりゆったり流れているように感じました。
あーら、不思議。
私ヤバイなと思ったときは、食べること&身の回りのお掃除、そのふたつをちゃんとするだけでこんなにもスッキリした気持ちになるものなのね。鏡を見ながらつくづくそう思っている今…。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2019年2月27日 (水)

アホです…。

昨日のポカポカ陽気とは相まって今日は朝からどんより。すっかり春めいてきたかと思っていたらまた冬に逆戻りしたかのよう。しまいかけたコートを引っ張り出してきた。
昨日は顔のケガの痛みのせいで気持ちも塞ぎがちだったけれど、1日経ったら気持ちはだいぶ復活した。ケガの痛みは相変わらずだけど…というより腫れが増してきた感じ。
いい歳して酔っ払って転んで顔面から流血なんて…などと自分のアホさ加減を情けなく思う気持ちの向こう側に「相変わらず私ってばバカね」と笑っちゃってる自分がいるんです。憑き物が落ちたようなそんな感覚です。

今日は気を引き締めて朝いちばんで仕入れに行きそのあと仕込みもしました。目覚まし時計はいちおかけるのだけれど、たいがい目覚ましよりも早く起きてしまうのはアラフィフのさだめでしょう。
これ健康にいいよ!とすすめられるものは片っ端から試していったり、洋食よりも和食の薄い味が好みになっていったり、肉より魚が好きになったり、見るテレビといえば健康系か旅番組だったり、、、気づけば自分が子どもの頃に見た両親のうしろ姿を自分もしっかりとなぞっていたりする。そう思うと、これからどんどん歳を重ねていくことも悪いことじゃない。楽しいことなのかもとも思う。
ふと見た鏡の中の自分が母親そっくりに見えるときもあれば、このあいだ高校のときの友達から送ってもらったセピア色になりかけた当時の私の写真が、よく見れば長男そっくりだったのにも驚いた。
こういうことにいちいち感動するような歳になったのだな。

ケガした場所がちょうど鼻の下あたりで、まさにバカボンのパパ状態。バカボンのパパはたしか41歳だったから私のほうが先輩ってことね。
今日はマスクをして仕事に出よう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2019年2月26日 (火)

なんだか複雑…。

たいしたことも書いていないつたない日記なのだけれど、読んでくださっている人はいるみたい。
昨日ある方から、自分のことは日記に書かないでとのお言葉をいただいた。
なんだかとても複雑な気持ちになったのは正直なところ。
いっそのこと、このブログを閉じようかとも思った。
けれど、この私という人間の内側からあふれてきた言葉をすべて消去するというのは自分否定になっちゃうんじゃ…。そしてこんなつまらん人間の日記を、どこかで見ていてくれている人がいるかもしれないと思ったら、簡単に消去しちゃうなんてできないよ。

というわけで、嫌われても書きます…。
悪口的なことを書くときも時々ありますが、実名とか出したことありませんし、それなりに言葉は慎重に扱ってます。


そんなむしゃくしゃした気持ちの行き場がなくて、昨晩は仕事を終えて呑みに行ったんです。
いつもどおりしっかり呑んで陽気になっていざ帰ろうとしたとき、道路ですってんころりん。
鼻の下ざくっと切りました…。
今すごーく恥ずかしい状態になっております。

うーん。もっといろいろ書きたいのだけれど、やめておこう。もうすこし気持ちが落ち着いたところで冷静になってからあらためて書こう。
でもそもそも書かないでって言われたということは、読んでいただいてるってこと?
複雑だなぁ…。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2019年2月 6日 (水)

休みの日。

早起きして朝いちばんで買い物に行ってそのまま明日のメロ弁の仕込みに入る。近所に8時からやっているスーパーがあるのだ。この時間だったら空いているだろーなーと思ったら結構人がいてびっくり。朝いちばんのスーパーって食材の陳列が綺麗だし働いている人たちの空気もぴりっとしているし、すがすがしくていい。買い物客のほとんどが大きなダンボールに山盛り買っていく。きっとお商売されている人たちなのだろう。そんなことを想像しながら列に並ぶのも楽しい。1日の始まりがスーパーっていうのもなかなかいいもの。

昼ごろアパートに戻ってきた。今日は休み。そして1日ひとり。
音の無い部屋はなんとなくさびしいので見もしないテレビをつけたりしてその中で自分の昼ごはんを作った。小さな鍋に干してカラカラになった小松菜と人参と長ネギを放り入れて鰹の出汁と冷凍のご飯を入れてグツグツ煮込むだけの簡単メシ。それを鍋ごとむさぼるこのズボラ感よ。干した野菜は水に戻すと一気に膨らむのでおかげで私の胃袋もパンパンになった。
そしてそのあとはちゃぶ台の前の指定席(小さな茶色の座椅子)に座ってひたすら映画を観た。ときどきうたた寝しながら何時間もこの場所で固まっていました。
普段立ち仕事している身としては座れることが天国なのです。ありがたき座椅子ちゃん。
そして日記にもならないような地味〜な1日をとりあえずこうして綴っている。ドキドキもワクワクもなんにもない1日を。
と思ったら、息子のお父さんからメール。実は今タクミがいろいろ大変なのだ。母親としてアドバイス的なことは伝えたけれど、本人もいろいろ悩んでいるのだろうということは声を聞いて分かる。近すぎる距離もウザいだろうし、かといって遠くなれば不安になるかもしれない。ちょうどいい距離を探りながら関わっていこうと思う。
我が子がいくつになっても母親っていうのはいろいろ心配になるものだ。我が子が風邪ひけばこっちも苦しくなるし、我が子が悩んでいたらこっちも心がチクチク痛い。そういうものだ。

日が暮れてきた。洗濯物をとりこもう。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2019年2月 4日 (月)

ゴミ当番。

あっという間に2月になり、しかも今日はなんだか暖かい。北陸のどこかでは春一番が吹いたとか、関東のどこかは気温が20度越えとのこと。ここ名古屋はそこまでではないけれど昨日までの空気とは違うほわんとした空気だった。洗いたてのふっかふかのタオルに包まれているみたいで。
そんな今日は朝一番で町内のゴミ当番の仕事があった。名目上は7時〜とはなっているけれど、たいてい7時前から皆さん集まって作業している。なので私もはりきって6時45分に行ったらさすがに誰もいなかった。7時ちょっと前にもうひとりやってきて結局2人だけで作業した。いつもは5、6人集まるはずなのだけど。
収集所に集められた各家庭で出た瓶、缶、ペットボトルなどを確認しながらきちんと分別し直す作業なのだけど、これがまたマナー知らずの人がたくさんいることに驚くばかり。分別せずひとつの袋の中にひたすら詰め込んでいるのもあれば、なぜだか食べかけのお弁当を瓶や缶と一緒にそのまま袋に詰めているのもある。どさくさに紛れて掃除機なんかも袋に入れて捨ててあった。ここに捨てにくるのは当然大人だから、つまりはそういう大人が普通の顔をしてここに住んでいるということ。かなしいようなさびしいような気の毒なようなそんな気持ちになってしまう。私と一緒に作業していたご婦人はこの状況に「まったく…」とはきながらもずっとプンプンいていた。

袋の中に入れてしまえば終わりってものではないのだ。中を開ければその人が見える。
まるで人の心や家庭の中身までのぞいているような作業だ。

ゆうべ降った雨でゴミ袋もびっしょり濡れていてはめていた軍手もびちょびちょになってしまうしで、朝からなんだかな〜という気分になったけれど、部屋に帰ってきてシャワーを浴びたらすっとした気持ちが降りてきた。
少しでもこの町のためにお役に立てたという爽快感なのだろうか。

作業の終わりがけに必ず毎回立ち寄ってくれる婦人会のおばさまがいる。かつて一緒に作業したことがあるのだけど、マナー違反なゴミ袋を見つけるたびにものすごい勢いでお怒りまくるので隣にいる私なんかずっとビビりっぱなしだった。それでもこのおばさまは当番でもない日でも毎度ここに立ち寄って最終点検をし、その日当番だった人たちに「ごくろうさま」と声をかけてすっと去っていく。
こんなすごい人がこの町を世直ししてくださっているということを、もっともっとたくさんの人に知ってもらいたい。
この町にはこんなすごい人がいるんだよ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«女更年期♪