2019年11月27日 (水)

心の復活と小さな目標。

 この歳にもなると、心の復活も早くなるものなのだな。
おとといの日、けっこう自分なりに落ち込んだと思っていたのだけど、次の日にはケロっとしていてびっくりした。昔はズルズル引きずって、心にしこり作っていつまでもメソメソいじけてたっけ。
歳をとるとそもそもそういうエネルギーが無くなるのか、果てまた今まで味わったいろんな経験が心の筋肉になった成果なのか…
まぁどっちでもいいけど立ち直りが早くなったことは心身ともに楽でいい。
いつまでもクヨクヨしていたって始まらない!という言葉の意味が、この歳になってようやくすんなり受け取れるようになったかも。
弱っていた頃は、誰かが掛けてくれる「頑張って!」の言葉がただ自分へのプレッシャーにしか聞こえなかった。そんなのこの自分が一番分かっているんだから…って、口にはできない言葉を腹の中で噛みしめたものだ。

今はなんだろな、それってシンプルに愛なんだと思える。だからその言葉を掛けてくれた相手の愛の言葉をこちらは素直にキャッチすればいいこと。ただそれだけ。
ありがとうと素直にお返しすればいいのだ。

 そういうことがどんどんシンプル化されていく昨今。
いろんな部分が退化していく反面、進化?!していっている面もきっとあるんだろうな。(そう信じたい)

 
 そういえば先週、フラメンコの発表会に向けての初のギター合わせがあったのだけど、自分なりにはいつもと同じ気持ちで踊っていたつもりが、師匠が「もっとしっかり呼吸して!」と私に言ってきたのですね。
その瞬間、「呼吸か〜」と深く考え込んでしまいまして。
帰ってきて録音した音源を聴いてみたら、師匠の言っていた呼吸の意味に考えさせられたんですね。
表面的な浅い呼吸しかしていないので、とにかく足の音が忙しないんです。落ち着きがないというか…。

と同時に、これってフラメンコだけの話じゃなくて、普段の生活においても私の呼吸って浅いと気付きました。
ゆっくりじっくり考えたり味わったりってことを、たぶんほとんどしてない。
表面をざっと擦って、ハイ終了!みたいな感じ。
あー、これって私にいちばん足りない要素だと思いました。

 逆に言うと、深くとかじっくりとか…そういうニュアンスを避けようとする自分もいるのです。
そこには時間を止めてしまうようなイメージもあるし、前に進めなくなるイメージもあるし、怖いイメージだってある。

 でももう私もいい歳。
いままで怖がっていた何かを手放してみるのもいいかも知れない、ってちょっと思いました。
もちろんこれって意識しないと、いつものうわっつらをなぞるだけの自分になってしまう。
 意識したら何か変わるかな。

 そう思いながら生活するのって、ちょっとおもしろいかも知れないな。




 

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2019年11月25日 (月)

むずかしい…

気づけば11月も後半戦。前回の日記から1か月以上も経ってしまった。
世の中はテレビよりもユーチューブという流れになっているみたいで、機械に疎いこんな私でさえもその流れにのりつつある今日このごろ。
キャンプ動画やら音楽関係やら、はたまたブログと称する動画もある。
もう最近は文章じゃなくて映像なんだなぁ〜ほぅ〜 という感じである。
そしてまた皆さんとにかく上手に撮っているではありませんか。中にはプロレベルの映像もある。すごいなぁとおばさんは感心するばかり。
そんなこんなでみなさんがアップしていらしゃる映像に見とれていたら、いまさら文章ってどうなんだ?!みたいな気持ちもあったりなかったりしつつ、1か月が経過。

 でもまぁ、文章は文章のいいところもあると思うのだけど。微妙な文末に含まれる気持ちとか温度とか。そういうのって文章だからこそ表現できると思う。

 それでもって今日どうして筆をとったかといえば、相手からもらう強い言葉やその言葉の奥の感情に、自分はものすごく反応しやすい…ということ。
思えば子どもの頃、親からきつく叱られたりしたことはほとんどなかったと思う。親が年だったということもあるだろうけど、共働きで忙しくしている両親は子どもにかまう時間なんてほとんどなかったのだ。なので怒られたり厳しくされたりということに慣れていないのかも知れない。

そんな私なので、今回の件ではかなり落ち込んでいるわけで。

まぁ誰でも相手から否定的なことを言われたら心はくじけるだろうし、もしかしたら人によってはそこに反発していくかも知れない。
自分の場合は、もう体が動けなくなるくらい怖さでいっぱいになってしまう。過呼吸にもなる。たぶんものすごく弱いんだと思う。


ダメ人生で来ている自分みたいなのは、人から批判されて当然。
わかっていても、それを正面から言われたり書かれたりするのはけっこうキツイ。

 そんなの放っておけばいい という話ではないと思うし、相手の感情がどこに向いているのか気になるし。

今は怖くてしかたないのだけれど、ダメ人生はどうにもならないので小さく生きていくしかないのだろうな。人目のつかないところで、ひっそり生きていく人生も考えたけれどそれはそれで苦しい。中にはアンタこんな日記なんか書いてる場合じゃないと言ってくる人もいる。じゃぁどうしたらいいんだろう。自分でも答えがわからない。
むずかしい…。

 今この複雑な気持ちをどうにもできなくて、筆をとりました。
そう思うと文章で表すという手段は必要なことなのでしょうね。自分の気持ちと向き合うためにも。




 

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2019年10月17日 (木)

秋のおクスリに。

 うだるように暑かった夏もいつのまにか終わっていて、気づけば10月も半ば過ぎている。
日記を書こうにもいっこうに筆がすすまずここまできてしまった。日常の気持ちの瞬間を切り取る作業もいつもならできたのに、だらだらと適当に流してしまっていた。文字や文章にして気持ちをアウトプットすることって気持ちを整理するためにすごく大事なことだと思うのだけど、それってやっぱり余裕がないとできないことなんだなと思った。

 ずっと滞っていた日記をなぜ書こうかと思ったかというと、やっぱり秋という季節は意味もなく切なくなったり心が揺れ動いたりしてすごく不安定になる時期だと思うのだ。どうしてこうなっちゃうのか自分なりにいろいろ考えてもみたのだけれど、やっぱりこれというのが分からない。
自分なりに思うのは、ひとつ気候のせいもあるかもと。
暑いとか寒いとか極端なやつがなくて、秋ってとにかく気持ちがいい季節なのだ。気持ちいいことは良いことのはずなのに、私みたいな人間はこの気持ちがいいことに不安を持つ、なぜだか。こんなんでいいのかなって、無意識に不安定な場所を探していたりする。ほんとに自分でも訳がわからない。
あ〜気持ちがいいなぁ〜って、素直に喜べたらどんなによかろう、楽かろう と思わずにはいられない。

 それでもって、この不安定な自分をどうしたらよいのかと最近始めたのがキャンプだ。
今まさに第2次キャンプブームの到来でキャンプ人口が急増していると聞いている。流行りに乗るのは苦手なこの私も、恥ずかしながらしっかりとこのレールに乗っかってしまっているではないか。今や月2回のペースでキャンプに行くほど。
  なんでしょね、薪を割るとか火起こしして焚き火をするとかって非日常的なことなのだけど、この単純な作業にものすごく充実感をおぼえるんです。こんなこと思ってもみなかった。
自然というものと一体化できる歓びみたいなものがあるのかな…。深く辿れば人類の祖先たちの血がこの私の体のなかに記憶されているからなのか…。
まぁ訳もなく血がさわぐのです、キャンプって。
そして日常の気持ちの揺らぎを、ちょっとだけ整えてくれるのもこのキャンプ。

  昨日帰ってきたばかりなのに、もう次のキャンプのことを考えている私。
この歳になって楽しいことなんて見つからないと思っていたから、天からのプレゼントみたいに思っている。流行りに乗るなんてかっこ悪いと思っていたけれど、おばさんはまんまと引っかかってしまいましたよ。






 

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2019年9月 5日 (木)

父とヤカン。

 麦茶を沸かしているヤカンの口が壊れてしまった。この夏、一番活躍した台所役者である。お湯が沸くとピーピー鳴って教えてくれるあのヤカン。私にとって特別思い入れのある品なのだ。
 前の夫と別れて初めて借りた小さなアパートでお金がなくて小さなフライパン一個で暮らしていた頃、このヤカンが実家から送られてきた。それまではお茶を飲むためのお湯もこのフライパンで沸かしていたのだけど急須にどうしてもうまく注げない。こぼす量のほうが多いくらい。ヤカンひとつでこんなにもストレスが減るなんてと、嬉しくなって実家に電話したほど。そして驚いたのは、私からリクエストしたわけでもないのにこのヤカンが送られてきたということ。
親と子というのは、遠く離れていてもどこか通じているものがあるのだろうか。テレパシーってやつだろうか。
そんなことをぼんやり考えながら、さてお湯でも沸かそうとヤカンのフタを開けたらさらに驚くべきことが。
なんとヤカンの中に、その頃季節だった丸々と太った栗がびっしり詰まっていた。
まだ父が元気に生きていた頃の話。

 
 その頃の父の口癖といえば「じゅんちゃんのことが心配で心配でまだ死ねないよぉ」だった。まぁ本当に親には迷惑かけっぱなしの私だったから父がそう言うのも無理はない。
父は母以上に母っぽいところがあって、元気な頃は炊事洗濯アイロンがけ 全部父がやっていた。

何十年もサラリーマンとして働きづめだった父は定年退職後、なにかぽかんと気持ちに穴が空いてしまったようでいつもテレビの前でゴロゴロ過ごすようになってきた。そのうち少しづつ痴呆も強くなってきて、そのことを母に注意されたり怒られたりしてそんな姿の父を見るのはほんとにつらかった。私が早くから実家を出たいと思ったのはそのこともひとつある。
それでも毎月一度、近所のスーパーで買った野菜やら日用品をダンボールいっぱいに詰めて送ってくれた父だった。
頭はボケながらも、今日はどこどこのスーパーの卵が安いとか洗剤が安いとか、そういう情報を新聞折り込みのチラシで毎日チェックするのも父のひとつの趣味だったようだ。そしてそんな父のことを隣で母が「男のくせにそんなことばかりして…」となじるのもお決まりだった。
 
このヤカンが私のところにやってきて10年になる。そうか10年前はまだ父は元気だったんだ。遠い昔のことのようにも思えるし、つい最近のことのようにも思える。
壊れた口を直してまだまだこれからも使っていこう。
栗の季節になると思い出す。
さあコーヒーでも淹れよう。



 

 

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2019年8月26日 (月)

表現するってすばらしいな。

子どもの頃の苦い経験から、今でも身体的な問題点を人から指摘されるとなんともいえない気持ちになる。心にちくりと針を刺されたような一瞬の痛みのような刺激が私の体をかけめぐる。
言ってきた相手を睨むわけでもなく、ムッとなるわけでもなく、こんな自分が悪いんだダメなんだと自分をぼっこぼこにしたくなる。そして心は一気に縮こまって、殻の中に逃げ込もうとする。
昨日たまたまそういう経験をして、子どもの頃に味わったのと一緒だと懐かしくも心は痛がゆかった。
この年になっても、こどもの国から抜け出せてない自分がいるんだな、たぶん。
 でもまぁそういうことを客観的に見ることができるようになった今は、あの頃よりも余裕ができたということだろう。
子どもの頃の心の経験って刻まれちゃうんだ。いくつになっても厄介につきまとうしね。

 おとといくらいから、朝晩がとても過ごしやすくなってきた。風のにおいが全然ちがう。とんぼがクルクル飛んでいるし、夏休みの宿題の追い込みに忙しいのか近所の子どもたちの姿もあまり見ない。もう秋だ。
今年こそプールに行くぞと決めていた自分なのに、まだ水着さえも買っていない。来年に持ち越しかな。
過ごしやすくなったとはいえ、心はぐぐっと秋のしんみりモードに切り替わる。これも厄介といえば厄介…。

 昨日は知り合いのお嬢さんが出演するというミュージカルを観に行った。
役者さんたちのものすごい熱演ぶりに何度も涙しそうになりながら、この人たちのくもりのないまっすぐな表現に何度も心を打たれた。かっこいいなぁ、すごいなぁって。
私はもちろん演劇はできないけれど、自分にも何かまっすぐに表現できるものってないかなと、そういうものを探してみたくなった。
それができたら今よりもっと自分らしく生きられそうな気がする。身軽になれそうな気もする。
 
 さてそろそろ仕事だ。

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2019年8月22日 (木)

すべてが思い出になる。

 久しぶりに長男と三男に会った。ふたりとも縦にも横にも厚みにもたくましく成長していた。
そしてなにより、自分の道を自分で決めて歩いていこうとする姿勢に母ちゃんは胸を打たれた。
そうだよね、もう成人してるんだものね。母ちゃんの中ではずっと小さい頃のまんまの君たちでいるのだよね。時計を進めなきゃと思いつつも、やっぱりかわいいと思ってしまう。すっかりオッさん化してる君たちを見ていても、やっぱりかわいいものはかわいいんだもの。
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長男がお昼にチャーハンを作ってくれました。中に入っているチャーシューも手作りだそう。上に乗せた味玉もそのチャーシューの汁に漬けておいたものなんだって。味付けもちょうどいい。こんなに愛情がこもったチャーハン食べたの初めてだよ。このチャーハンに長男のすべてが込められていることも。
母ちゃんはひとくち食べて涙が100粒くらい出そうになりました。

そして小さい頃からずっと長男と三男は犬猿の仲できて、このふたりが一緒にいるってどうなるんだろうと思っていたら、お互いなにを喋るでもなく同じ空間にただただいる、、、それだけなのにあまりにもその空間にふたりが馴染んでいることに母ちゃんはびっくりしました。いつの間にふたりとも大人になってるじゃん!長男の作る料理を三男が普通にパクパク食べているのも、なんかいい絵だな。

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夕方ものすごい雨がざーっと降ってきて雨が弱まったのをねらって長男と晩ご飯の材料を買いに出掛けました。
見上げれば空に虹がかかっていました。息子と歩いて買い物に行くなんてあの子が小さい頃以来だもの。そしてこの虹のことも思い出になるのだろうね。
重たい荷物も持ってくれるし、もうすっかりいろんなことを息子たちに抜かされてしまった気分。
何を抜かされたのか具体的には表現できないけれど、もう私より一歩も二歩も先を歩いているんだと思う、息子たちは。
そのことを一瞬さびしく思ったりもするけれど、やっぱりこれはいいことなのだ。素敵なことなのだ。頼もしい君たちにこれからも陰ながら母ちゃんはエールを送っていこう。
そしてまたいつかこうしてごはんを囲める日がくるといいな。
 次男はただいま就活まっただ中で今回は会えなくて残念だった。母ちゃんは応援するのみだ。

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2019年8月18日 (日)

花火大会へ。

  昨日はお店をお休みにして岐阜の花火大会に行ってきた。
この仕事にとって大事な週末をお休みすることに抵抗はあったのだけど、相方さんの「たまには自分たちも楽しまなきゃダメだよ」の一言で思い切りがついた。

そう言われてみれば心から楽しむということを最近していなかったかも。楽しんでいるつもりでいても、いつだって気持ちはどこか違うほうをむいていた。楽しむことに集中できないというか、何かが邪魔しているというか。
そんなことしているうちに、素直な心からの喜怒哀楽ってものができなくなってしまった。
私は今、楽しんでいるの?嬉しいの?怒っているの?それとも哀しんでいるの?……
ぜんぜんシンプルじゃなくて、いつだってモヤがかかっている感じで。心と自分が分断されてしまったみたいな。

  頭上で大きく花開く色とりどりの光は、その時間だけいろんなものをを忘れさせてくれた。異空間にいたかのよう。
和太鼓の音がお腹の奥のほうにずしっと重みをもって響いてくる感じと花火のそれとはとてもよく似ていると思った。
 そして花火の上がっている間はとにかく圧倒されっぱなし&その世界観にのめり込みっぱなしでずっと無言だった私。本当に感動すると声を出すことも忘れちゃうんだな。
周りにいた浴衣の女子高生たちや若いカップルの子たちははとにかくキャーキャーワーワー言っていて、そういうのもちょっと羨ましいなって思ってしまったけど。

 たしか以前来たのは10年くらい前だったかな。相方さんと知り合ったばかりのとき。なので今回で2度目。
相方さんが毎年のようにここに来ているかのように私にいろいろ言ってくるもんだから、あ〜きっとこの人にとっては毎年恒例のイベントだったんだろうなぁと勘ぐってしまう自分もいたりして、以前の私だったら絶対女心ってやつがむき出しになっていたと思うけど、今となればもうそんなことどーでもいいやって感じ。それこそ彼の過去の思い出のお裾分けをしてもらってる気分だ。

 車だったのでノンアルコールのまま、帰りに美味しいラーメン屋さんでさくっと食べて渋滞に巻き込まれず無事帰宅。
私にはめずらしいノンアルday。おっかない夢をたくさん見て夜中に何度も起きて気持ちを取り直すのだけど、それでもまた怖い夢の続きを見ることに。
どれだけストレス溜まってるんだ…。

 今日は昨日以上の猛暑日。朝からもう洗濯機を2度も回している。ノンアル明けの朝は体がとても軽いしフットワークも軽い。それはそれでいいことなんだけど、あの だるーい、なんにもしたくなーい、細かいことなんか気にしないー みたいな不健康な感じも悪くはないな。あの感じがあるから頑張ろうって思えることもあるし、あのだらしなさがちゃんとしなくちゃ!に繋がったりもする。
むずかしいね。







 

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2019年8月12日 (月)

気持ちの整理。

 ここ2、3日、なんだか気持ちが冴えない。毎日をなんとなーく平べったく過ごしてきたところに、突然足元に石ころがごろごろとあらわれて 臆病な私はそこを飛び越えられずにただそこに立ち竦んでいる…みたいな感じだ。
昔の自分だったらなんなく越えられていたと思う。なんならそのスリル感を楽しんでいたことだろう。あーこの感覚、また来ちゃいましたー、ぐらいに思っていただろう。そしてこのスリルをいくつも乗り越えることこそが自分自身を強くするものだ、なんて思っていただろう。

今となってはずいぶん小さくまとまってしまったな私…と思う。弱っちくなったものだ。
 そんな自分を責めようとは思わないけれど、もうちょっとしっかりしなきゃと喝を入れたくはなる。
そしてその方法は自分でもなんとなく分かっているのだけど、勇気がないというか力が出ないというか。そんなこんなで言い訳ばかりでごまかしている気がする。
だからそんな昨今の自分がちょっと嫌いだったりする。
 
 自分を嫌いに思っていると、どうしてもそういうオーラみたいなものが滲み出る。人は寄ってこないだろう。というか、自分で壁を作ってしまっているのかも。ほーんと嫌な私…。

 久々に自分を整理したくて日記を書いてみた。書くことで事が解決する訳ではないけれど、自分の内側との対話ができる。こういうことも最近めっきりやっていなかったから今日はちょうどよかった。大事だな。

 

 しかし今日も暑い熱い…。明後日のメロキャン(昨年に引き続き夏のメロディ合宿。といってもただただみんなで楽しくお酒を呑む会というふう)の準備で朝からドンキに行ったりホームセンターに行ったりスーパーに買い出しに行ったりで買い物メモとにらめっこしながら動きっぱなし。
暑くてまったく食欲がない私に栄養をと、お昼に相方さんがパスタをおごってくれた。久々に誰かの作ってくれるごはんを食べられる幸せよ。最近のおうちのごはんといえば冷汁ばかりだったから、相方さんも何か美味しいものを食べたかったのかもしれないな。
たまには手の込んだものでも作ってあげなきゃと反省した今日の午後でした…。
さて。仕事に向かわなきゃ。

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2019年7月10日 (水)

梅雨空に。

休みの日に見る夢にはきまって息子たちが出てくる。まだあどけない頃のあの子たちがはしゃぎまわっているのだけど、そのはしゃぎ方には3人それぞれの性格がすごくよく表れていて、私はそんな息子たちを怒りながらも夢の中のその光景を懐かしんでいる。
夕べの夢の中には匂いもあった。水遊びする池みたいなところでは草むらの青々しい匂いが。公園のお山のところでは湿った土の匂いがした。その匂いがこの夢をいっそうリアルなものにしてくれた。もっともっとこの夢の中にもぐっていたかったな。

なぜだか休みの日の夢にはあの子たちが登場する。私が知っているあの子たちとの思い出を一個一個辿るように。

 そして必ず夜中に目が覚めて、そこからずうっと息子たちのことを考えはじめる。元気でやっているだろうか。それぞれの目標に向かって頑張っているだろうか。彼女はできたのかな、とか。
 もしかしたら自分は嫌われているかも知れなくて…身勝手は承知の上で…それでも母ちゃんはずっとずっと君たちの母ちゃんでいたい。
そんなこんなで頭の中はどんどん冴えていってしまって気がつけば外は薄明るくなっている。

 そうなるともう眠れなくて今朝は一番で仕入れに行った。
先週は暇な日が多かったから、食材も仕込んだものもいろいろ残ってしまっていて、冷蔵庫を開けるたびに気持ちは萎えるのだよね。
だって、食べものって少しでも無駄にはできないし、使い切ってあげないと食べものに申し訳ないって思ってしまう。
昔はそこまで思わなかったかも知れないけれど、この仕事をするようになって本当につくづくそう思うようになった。冷蔵庫の隅っこに忘れられたニンジンのしっぽとかがシナシナになっていたりすると、思わずごめんなさぃ…って言いたくなる。(ニンジンに)
最後まできちんと使い切ってあげようと思う。それが食べものを扱う人間の責任だから。
なので、今残っている食材も無駄にしないように調理してあげなくては。アイディア次第でなんとでもなるし。

 今日は雨は降らないらしい。分厚い雲がどしっと重みを持って空一面を覆っている。こういう天気の日はなんとなく気持ちまで湿っぽく重たくなる。
気持ちを切り替えるためにも久しぶりに日記を書いたのだけどね。


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2019年7月 1日 (月)

なんとかしたいという気持ち。

 何年かぶりに会う友人。底ぬけに明るくて誰にでも優しくて、かつて私も彼女からたくさんの元気をもらった。
そんな彼女との再会に何日も前から胸がときめいた。

そしてその日、彼女は相変わらずだった。あぁ、この感じ懐かしいなぁと思うのと同時に、なぜだかどうしてだか私は、あの頃の自分を思い出していた。彼女と会ったばかりのあのときの自分を。

 私の中の時計はあのときから止まったまんまだと思った。
何も変わってないじゃん。何も進化してないじゃん。ともすれば、あの頃よりもいろんな意味で衰退しちゃっていないか…。
だから彼女に再会したとき、ただただすごーい!しかなかった。
相変わらず周りの人たちへの思いやりが強くって面倒見もよくって、とにかく頼もしい。情が厚くて涙もろくて。私が一番感動するのは、彼女が全身全霊でまっすぐに生きている という姿勢。

 もしかしたら、彼女のほうがあの頃となにも変わっていなくて、変わってしまったのはこの私?!

 なるべく人目に触れぬようコソコソ生きてないか…私。
 どんどん閉じこもっていっていないか…私。
 人を怖れていないか…私。
 
なんだかいろいろ考えさせられた。
彼女との再会を嬉しく思う気持ちと、すっかりしょぼくれてしまったこの自分を恥じる気持ちとが心ん中で入り混じっていたのはたしか。

やっぱりなんとかしたいって思ってるんだ。どうにかしたいって思ってるんだ。この情けない自分を。




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2019年6月17日 (月)

テレビを消してうまれる時間。

 ここ2週間くらいずっと心に引っかかっていることがあって、何をしていてもそのことばかり考えてしまう。
ずっと大切に温めていたものが、ある日突然自分の中から消えてしまった…みたいな。そのことを自然な流れとして受けいれるべきなのか、もしかしたら自分に非があってそういう結果になってしまったのか…とか、いろいろ考える。考えれば考えるほど悪いことばかり想像してしまう。

そんなこといちいち考えても仕方がないことはわかっているのだけど、やっぱり私にとってそれがいかに大切だったかということに、あらためて気付かされた出来事だった。どのみち流れには逆らえないので、しっかりと受けいれるべきなのだろう。
正直、そのことに対して落ち込んだ時期もあったけれど、その時間も自分にとっては大事だったし、無駄ではなかった。
前を向くしかないし、今あるものを温めていくしかないのだろうな。

 今日は空が高くてどこまでも水色に澄み渡っている。久しぶりだな。風は強めだけどこのくらいが気持ちいい。

最近あまりテレビを観なくなってきたので、アパートではもっぱら音の無い時間を過ごすことが多くなった。
今まで気にもとめなかった鳥のさえずりや電車の音、近所の子どもたちのはしゃぐ声や、夕方近くにきまって聞こえる町内放送なんかがよ〜く聴こえる。このアパートは道路に面しているから夜中以外はずっと車の音が絶えないのだけど、その音に混じっていろんな音があることに今さらながら気づいた。そういう時間がけっこう楽しい。
 まず、考える時間や思う時間が増えた。今まであえて考えないようにしてきたこと見ないようにしてきたこと、そういうことと真正面から向き合う時間ができた。向き合ってみると、今まで目をそらしてきたことが全然たいした問題でもなかったことが分かったり、なにより自分の気持ちがどういう位置にあるのかということに敏感になってくる。
 そして一番の変化は料理をするようになったこと。
今まではアパートではほとんど料理はしなかった。キッチンは狭いし、調理道具もあまりそろっていないし。なんといっても仕事で料理作って深夜に帰ってきてまで料理なんて絶対嫌だった。
でも最近は、ちょこちょこやるようになった。深夜に軽く食べられるものを昼間のうちに作っておいたり、ひとり飯もちゃんと作る。
休みの日以外は外食はほとんど行かなくなった。なのでちょっとだけカラダも元気になった気がする。相方さんのカップラーメン率もものすごく低くなったし。(それでも彼は買うんですけどね)
 なので今のところはテレビ時間が少なくなってなんとなくいい感じまわっている気がする。
 
今も近くでシジュウカラが鳴いてる。

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2019年6月11日 (火)

久しぶりの晴れ間。

 天気予報では昼から雨とのことだったけれど、今のところまだなんとかもっている。ここ数日の雨続きで洗濯物がずっと乾かない。湿った洗濯物がどんどんたまっていくので干す場所ももうないくらい。今朝はりきってベランダに干した。家中のハンガーを集めてきて干しまくった。
そんな洗濯物たちが気持ちよさそうに今風になびいている。今日は乾くといいな。
なんて言っている間にも雲が分厚くなってきたぞ。やっぱり降ってくるのかしら。

 夕べは静かだった。22時過ぎにもうお客さんが来る気配もしなくて早めに店を閉めてアパートに帰ってきた。そしていつもなら適当にすませてしまうごはんも、夕べは味噌汁などを作ってちょっとだけ手を加えたものを。

そして先週録っておいた“昨日何食べた?”をちゃんと見た。(いつもなら眠くて途中で必ず寝てしまう)
あのドラマに出てくるごはんがいちいち美味しそうで毎週見ているのだけど、料理の工程とか節約のための豆知識みたいなネタもおりまぜているところがすごく好き。作るのはゲイの男の子なんだけど(俳優の西島さんが演じてる)いろんな意味で繊細なところとか。
夕べ見た中でこんなセリフがあった。「自分ひとりのためだけに作るごはんはスパゲティだけとか一品料理になりがちだけど、誰かのために作るごはんは品数や料理全体のバランスを考えて作るものなんだな」こんなような内容だったと思う。
ふむふむだった。そうなんだよね、料理って食べてくれる人がいてだから自然に気持ちがこもる。それが“美味しい”になるんだと思う。
たまにひとりで部屋で食べるごはんは、ちっとも味がしないのはそういうことなんだろうな。
 と言いつつも、今日の昼ごはんはひとり。相方さんは朝から仕事に出ている。冷蔵庫の整理も兼ねて、もやしとか小松菜とか人参を湯がいてナムルを作って、ごはんの上にのせてナムルごはんにして食べた。それとお客さんからいただいたすごい椎茸(岐阜のしいたけブラザーズの)とレタスで中華風のスープを作って。
ここの椎茸はまるでお肉。味が濃くて食感にもボリュームがあってなんといってもジューシー。初めて食べたけど、噂通りとても美味しかった。

さて、今日は休みの日。部屋の掃除はやった。あれもこれもやりたいことはあるのだけど、カラダがいまいちだるくてまだなかなか力が入らない。そんな中、冷蔵庫の整理第2弾として今台所で、はじっこ野菜ばかりのカレーを煮込んでいる。そろそろかき混ぜにいこう。




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2019年6月 8日 (土)

呼吸。

 夕べの雨は凄かった。ザーッと勢いよく降ってきたと思ったら、きゅうに静まったりして。かと思えばゴロゴロ〜っと大きな雷が鳴ったり。
仕事しながら空の大合唱に耳を傾けていた。それにしても賑やかだったなぁ。
 今日は一変してぴーかん。午前中は月一のヨガ部。
寝転がったときに足の裏で柔らかい風を感じたり、見上げれば水色の空に綿菓子みたいな雲が浮かんでいたり、そんな中で最高に気持ちいいヨガができた。
今日は呼吸法が中心だったのだけど、どれだけ普段の自分の呼吸が浅いかというのに気付かされた。たぶん私の場合、胸の上の部分だけでしか呼吸してないんだと思う。だからゆっくりカラダ全体を意識して呼吸すると、普段意識していないカラダの部分にエネルギーが巡っていく感じがわかる。だんだんカラダの奥のほうがぽかぽかしてくる。そうか、この子たちも私のカラダの一部なんだなぁと、普段ほっぽらかしにしていることを反省するのだ。そもそも深呼吸すら普段やっていない気がする。呼吸って大事なんだ。そして意識して呼吸をするということも。
 部長のりえちゃんも相変わらずパワー全開で気持ちがいい。なんていうのかな、まっすぐなんだよね。自分がちゃんと自分になっているというか。
 お弁当のときに、なんだか今日はみんなしてまったりムードでぽわんとしていたのがよかった。今日はそういう日なんだねぇとみんなで言い合えたのも。
私はやっぱりみんなの前でしゃべるとか、そういうことができないことに毎回ちょっと落ち込む。みんなのいい話を聴けば聴くほど、できない自分が嫌になる。昔はなんでもおしゃべりできたのに、なんでこんなになっちゃたんだろう。
まぁ私は聴き役専門でいいのかなぁ。

帰りに仕入れをして、仕込みは夕方からにする。今朝早かったから。
ベランダからの風が気持ちいい。最近日記を書く場所を変えたのだ。今まではちゃぶ台にiPadを持ってきて床に正座して書いていたのだけど、今は窓際の小さなスペースに机を持ってきて椅子に座って書いている。なんとなく気分が変わる。
網戸が壊れているからほぼ窓全開。すぐ横には洗濯物。向かいのアパートのベランダもすぐそこ。日記書きながら向こうの人にこんにちわできそう。
もうちょっとひと休みして仕事に行こう。

 

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2019年6月 6日 (木)

今日も暑いな。

 今日も夏みたいな日。夕べは早く寝たので朝は6時に起きた。洗濯物を干すとき、ふわぁ〜っと透明な風が吹いてきてハワイの風みたいだった。風の感触ってこのカラダがちゃんと覚えてるんだ。
でもそのあとどんどん気温が上がってきて仕入れに出るころには30度近くになっていた。空気もどしっと重みをもってきて名古屋の夏って感じに。
そのまま仕込みに入って2日休んだぶんを挽回しようとひたすら手を動かした。キッチンは暑かったけど冷房は付けずに頑張った。運動したみたいに汗びっしょりになった。これがまた気持ちいい。
そのあと自分たちの昼ごはんを用意して扉を全開にして食べていたら、近所に住むお客さんがひょっこり入ってきて「ビール飲んでもいい?」って。
そしてそのあとすぐに「冗談ですよ〜。でもこのお店は本当に出してきそうだからなぁ。」と付け加えていた。もう、こっちは本気でビール出そうとしちゃったよ。いったいうちの店ってどんなふうに見られているんだろう。まぁ気軽にこういうご近所のやりとりができるのも楽しいこと。
アパートに戻ってくるときに車のフロントガラスにモンシロチョウがとまっていた。なんだか久しぶりに見た気がするなぁ。今もぜったいにどこかにいるはずのモンシロチョウ。町がどんどんアスファルトとコンクリートに覆われてきているからあまり見かけなくなっちゃったのかなぁ。

 そういえば、夕べはなんとかひとり夜時間を乗り越えた私。ときどきあるのだけれどやっぱり苦手。ワインをしっかり飲んで眠気を誘ったところでバタンキューの勢いで寝る、というのがいつものパターン。余計なことも考えなくていいし怖いこともない。
ところが眠りの浅い私はちょっとした音でも目が覚めてしまう。深夜0時過ぎに相方さんがドアノブをそ〜っと開け閉めした音にもしっかり気づいていた。実はワインが足りなくなった私は相方さんのカエルコールを待って、そのときにコンビニに寄ってワイン買ってきてと頼むつもりでいた。それなのに、電話もメールもなしでしかもそ〜っと後ろめたそうに帰ってくるなんて…と、布団の中でプンプンしていたのだ。(大人気ないが)
結構酔っていたみたいで、テレビを付けたところでテレビの中の人と会話している様子だった。きっと楽しい酒だったのだろう。そしてそのままソファーで寝てしまったみたい。

 そして今朝早かった私はいつものスムージーを冷蔵庫に入れてアパートを出たのだけど、今戻ってきたらスムージーのコップがしっかり流しに置いてあった。しかも夜中に食べたであろうカップ麺のゴミもちゃんとゴミ箱に捨ててある。
いつもだったら飲みっぱなし出しっぱなしなのに。
男の人って実にわかりやすいのう。

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2019年6月 5日 (水)

美味しいな。

昨日今日と連休で久しぶりにゆっくりと過ごしている。ちょっと前だったら、休んでなんかいられない!仕事、仕事!という気になって休みの日までも店に入って作業していた。ところが最近は、休みの日にはきちんと自分の休みをとる!という線引きをするようになった。まぁ正直なところ、そういう気持ちもまだ100%というわけではないのだけど。気持ちのどこかではソワソワしているし、後ろめたい気持ちもどこかにあるし。
でもこの線引きをきちんとしないと仕事も日常も中途半端になってしまいそうなので、なるべくそうやって割り切っていきたい。

 夕べは伏見のトルコ料理屋さんにリベンジに行った。というのも、前回にお邪魔したときには2件目に伺ったので、お腹もいっぱいであまり注文できなかったのだ。一品料理を相方さんとシェアしてワインを軽く飲んだ程度。申し訳ないなぁと思いつつ会計のときにママさんの表情がちょっと険しかった気がして(こちらが勝手に感じただけかもしれないけど。美味しい料理を出すお店としてはこういう客はあまり喜ばれないと思ったので)、今度お邪魔するときにはお腹をすかせた状態でしっかり飲んで食べようと思って。
やっぱり美味しかったなぁ。ご主人はあちらの人で現地の味を日本人の口に合うように…とかではなくって、そのまま再現してくださっているそう。それが美味しいのなんのって。一瞬にしてトルコ料理のファンになってしまった。
あまりにも美味しかったからご主人に「すごく美味しいです!」と伝えたら返事がなくて、あれ〜?聞こえなかったのかなぁ、と自分が声を出したことが恥ずかしくなってしまって…そんなこんな思っていたら少し間があいた頃に「ありがとございます」って返ってきた。シャイな方なのかしら。伝わってよかった〜。
新鮮な野菜がたっぷりでヨーグルトを使うところも絶妙で、羊料理なんかもスパイスのきかせ方が最高。カッコいい料理というよりもどこかほっとするような優しいお母さんの味というふう。
ほぼほぼ常連さんばかりの中で、我らはちょっとアウェーな感じがしたけれど、ちょっとづつこの壁がなくなっていくといいな、と思えるようなお店だった。
 そしてその帰りにまだちょっとだけ飲み足りなくて伏見の地下街の立ち飲み屋さんでさくっと呑んで帰ってきた。
相方さんはまだ物足りない様子で地元でもう一軒寄ると言ってはりきっていたけれど、結局帰ってきてソファーに寝転がったとたん大イビキが始まった。もうお互いいい歳なのですから。

 そして今夜も相方さんは飲み会へと出かけて行った。私はひとり留守番である。
相方さんも私をひとり残して出かけるのは後ろめたいのかなんなのか分からないけれど、昼間のうちにワインを一本買ってくれた。「これ飲んで酔っぱらってなさい」だって。(私はアル中か)
明るいうちにシャワーを浴びてコンタクトレンズも外して、ひとり晩ごはん(カリフラワーライスでいつぞやのカレー、山盛りレタスのサラダ)を作ってワインも開けたけれど、さすがに1人のワインってすすまない。ごはんもちっとも味がしないし。
今夜は早めに布団に入ろう。



 



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2019年5月27日 (月)

今どきの・・・。

 夕べはうちの店には珍しい若い女の子たちが来てくれた。
この年になると、そういう子たちについ“今どきの若い子”という代名詞を付けてひとくくりにしてしまうのがおばさんの悪いクセ。
ゆとり世代とか悟り世代とかなんとかで、おばさんはどうても君たちに対して上から目線になってしまうのよ。まるで君たちの粗探しをするみたいに。悪気はないのだけどね。

 でも、夕べ会った子たちはみんなとても清々しかった。
なんていうのかな、自分たちの意見をストレートに言えるところとか感情豊かで思いやりがあって、こちらに対しても気づかってくれるし、お酒も強くて(笑)こちらから見ていてとても気持ちがよかった。
そしておばさんは、自分が若かった頃はどうだっただろうかと思いおこしてみたのです。
こんなにパワフルじゃなかったし、感情表現もストレートじゃなかったと思う。どちらかというととても複雑で陰鬱な子だったと思う。

 あぁ、今の子って素敵。あの頃の私にこの子たちを見せてあげたい。
今まで“今どきの若い子”という代名詞はどちらかというとあまりいいイメージではなかったけれど、今日から良いイメージに一新しました。
粗探しではなく上から目線でもなく、若い子たちのキラキラした部分をおばさんは見ていこうと決めました。そしてできるのならば、おばさんも君たちからパワーをもらいたい。ちょこっとでもいいから(笑)
日本の未来は明るいかもしれないな。




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2019年5月23日 (木)

こわいもの(恥ずかしながら)

 週に1、2度電車に乗る機会があるのだけど、ここ最近とても困っていることがある。
それは電車を降りて乗り換えのときや、はてまた地上に上がっていくときなど必ずといっていいほどエスカレーターを乗らなくてはいけないということ。
このエスカレーターが近ごろ怖くて怖くて仕方がない。昔はなんともなかったのに、どうして突然こんなふうに感じるようになったか我ながら謎である。
階段があるところならまだいい。しかーし私が行く先の駅にはエスカレーターしかない。しかもものすごーく長いやつ。エレベーターはたしかどこかにあるはずなのだけど、自分の目的先とはとんと離れた出口に出てしまうのでこれもダメ。
ある日、エスカレーターが怖いなんて自分だけかと思ってためしにネットで検索してみたら、いるではないですか…私と同じ症状の人が。
私の場合、昇りのエスカレーターが全くダメ(長くても短くても)なのだけど、下りは全く大丈夫なのである。逆の人もいるらしい。
克服方法なるものも載っていて試してみてはいるけれど、これがちっとも克服できる気配なしだ。克服どころかどんどんダメなほうにエスカレートしているような。今となっては左側のベルトに両手でつかまってしかも若干前のめりになって乗っている。上を見たら怖いし、ましてや下なんかのぞいたらゴロゴロゴロゴロ〜っと転がり落ちていきそうだ。
最近は夢にまで見るようになった。エスカレーターに乗っていると上のほうから大きな鉄の球が私をめがけて落ちてくるという夢。いったいどんだけ怖いんだ。

自分よりずっとお年を召したご老人がどこにもつかまらないで涼しそうに乗っているのを見るとスゲ〜って思う。
私が左側にぎゅーっと身を寄せてブルブルしながら乗っているその横をトントンと駆け昇っていく奴らがたまにいる。急いでいるのは分かるが、正直こういうの一番怖いやつ。マジでやめてほしい…。
私が本気で怖いと言っているにもかかわらず、時々相方さんが私の前に立ってわざと体を後ろ側にのけぞらせてくる。こういうおふざけもやめてほしい…こっちはマジなんだぞ。でも最近はエスカレーターに乗っているときの私の顏が青いことに気づいてやめてくれるようになりましたけど…。
 
などと、年をとると若いころに何気なく出来ていたことが突然出来なくなったり…なんとも思っていなかったことが急に怖くなったり、我ながらこんな自分にびっくりさせられる。
そしていよいよ明日はまたエスカレーターの日である。どうなるんだろう。鼻歌歌う作戦はやったし、前に乗っている人の背中しか見ない作戦もやった。しかし効果なし。明日はどんな感じでいこうかな。

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2019年5月16日 (木)

休み明け。

  今日も夏みたいに暑い。
休み明けに朝一番でお弁当の仕事をして頭とカラダをいつものモードに戻す。休み明けは正直「仕事したくないな〜」という気持ちがまず最初にきて、でもこのままダラダラしていたらほんとに仕事しなくなっちゃうかもワタシ…という自分も確実にいて、なるべくよからぬ考えが浮かばぬうちにちゃっちゃと動くようにしている。自営業は自由がきくとともに、そこに必ず責任をもたなくてはいけないところが重い。かといって責任という鎖にがんじがらめになってただの日々の繰り返しになってしまうと、あそび(余白)がないぶん自由な発想が生まれなくなってしまう。
むずかしいところなんだけど、時間を上手に使いつつバランスとっていくしかないのだろうな。
 そしてなんだかんだいっても、私の場合キッチンの定位置につくと水を得た魚みたいになるので、きっとやっぱり好きなのでしょう。
午前中の仕事を終えて今ちょっと休憩して、そして夕方からまた仕事に行きます。

 話は一変して、この休日はおなじみの岐阜ごはんツアーに相方さんと出かけてきました。
といっても、行くお店はいつも一緒。フランスごはんのお店と謎の中国人?!のお兄さんがやっているお店。
どちらもカウンターしかないお店で、マスターと仲良くなれるお店。もはやこういうお店ばかりしか行かない我ら。
料理のジャンルも違うし、お店の雰囲気も全然違うし、マスターの感じも全く違うんだけど、店主のほんとうに美味しいものを食べさせてあげたい!というシンプルな気持ちがどの料理にも感じられるところがこのふたりのマスターの共通項。
こういうお店ってありそうでなかなかないと思う。そりゃぁ高いお金出したら食べられるところはあるかもしれないけれど、シェフの顏が見えなかったり、ドレスコードはなんたらとか子どもはダメとかうるさいおしゃべりもダメとかいろいろ上から言ってくるお店はあるだろう。
気軽に入れて店主が目の前のお客のために作ってくれるお店って、なかなかないと思うなぁ。ある意味贅沢だぁ。
そしてどちらの店とも我らが行く時間はなぜか空いていて、店主は口ぐせみたいに「もっとお客さんに来て欲しいいのだけどね」とこぼすんだけど、我らとしては「あまり混んで欲しくないなー」というのが本音のところ。
お腹ぽんぽん&心はパッピーになって帰ってきました。
“美味しい”は料理ももちろんのこと、一緒に食べる人だったりお店の雰囲気だったり、自分のコンディションだったり…全部がそろって“美味しい”になるんだな。
いろいろ勉強になったけど、どっちの料理もワタシには作れないな〜。



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2019年5月12日 (日)

リセット。

 きのうはヨガ部の日だった。
かれこれ年数は経つのだけど相変わらずカラダはいっこうにやわらかくならない。意識の問題なんだろうけど。そもそもヨガはそこが目的じゃない というのが分かってからは、ますます自分のカラダを甘やかしまくっている気が…。
といっても、りえちゃんがシェアしてくれるヨガの世界についての話を聴くと、その世界の深さに驚かされるばかりだ。心理の世界や宇宙の世界までも繋がっているということに。
そしてそんな話を聴いていると、自分自身がここに存在する意味とか、そういうことまで考えてみたくなる。壮大だなぁ。
そして今日もりえちゃんは輪郭がくっきりしていて声もまっすぐぽーんと響いていた。
ヨガをしている人ってみんな美しい。きっとそれは内面のものが外に出るからなんだと思う。
最近めっぽう情緒不安定なワタシ…、日々瞑想でもしたいところなんだけど、結局アレやコレやと時間に振り回されている。いけないなぁと思いつつもそうやって何かに追っかけられて日常を回している。
令和元年は、ちょっと変えたい。リセットしたいなぁ。

 リセットといえば、お昼ごはんのときの話題がまさに“自分リセット”だった。
今までの自分(価値観みたいなものかなぁ)をいったんニュートラルにして、そこから新しい自分を作っていく みたいな話だったかな。
話の内容ももちろんなんだけど、私はそういうことに意識を向けて常に自分を高めていこうと思っている人たちがいるということに驚かされた。
私なんてなーんにも考えていないし、そういうアンテナも張っていないもの。かつてはそういうふうな時期もあったけれど、今となってはなんにもない。どちらかというと後ろ向き方向に歩いているような。
よくよく考えれば自分を高めるということは、自分だけじゃなくて周りの人をも幸せにすることに繋がるんじゃないかな。人に優しくなれるということなんじゃないかな。そう思ったのだ。
そんな友人たちの話を聴いていたら、私もそうありたいと思った次第。
とはいえ今の自分にはちょっと勇気がいることだ。でも何かを超えたい、向こう側の景色を見てみたい。力まずストイックにもならず、乗り越えたいな。
きっとそれがなりたい自分なんだ。
人生ってきっと何度リセットかけてもいいものなんだろうな。
                                                                    Img_1153  
                                                                     みんなで食べたお弁当(メロ弁)

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2019年5月 9日 (木)

ありがとう。

 夕べはお客さんたちに誕生日を祝っていただいた。もうなんていうか、胸がいっぱいなのと、こんな自分みたいな人間のことを祝ってくださる人たちがいるんだという感動&どうこの気持ちを表したらいいのかわからない  っていうのがごちゃまぜになって、その場に立ちすくんでしまった、、、私。
ありがとうという素直な気持ちってどう伝えればいいんだろう。もちろん言葉で言えばいいことなのだけど、それだけじゃ足りないし…。
私の場合はこの仕事でその気持ちをお返ししていくしかないんだろうな。心を込めてごはんを作っていこう。 みんながほんわかな気持ちでいられるような空間を作っていこう。
 それでもって、みんなが帰ったあとにいろんな気持ちが混乱して大泣きしてしまった…。嬉しい気持ち、自分のダメさ加減に落ち込む気持ち、どうしてよいのか分からないという気持ち…などなど、なんて複雑なんだ 私って。

 でも朝起きたらだいぶ落ち着いていて、じわりじわりと夕べの余韻にひたっていたら温かな気持ちが降りてきた。やっぱり夕べは混乱していたんだ。気持ちってすぐには降りてこないんだな。
などと、ぽ〜っとしていたらお弁当の仕事に遅れてしまった。しかも1時間も。
顔だけ洗ってすっぴんのまま店に向かい、10個のお弁当をなんとか完成させてなんとかぎりぎりで間に合ってお届けできた。すっぴんだったから下向いたままもぞもぞしながらお渡ししたけど。

 そのあと酒屋さんに仕入れに行って相方さんと魚定食を食べて帰ってきた。たまに行くその定食屋さん、ザ・漁師飯!って感じのごはんなのだ。魚のさばき方が大胆だったり味付けもシンプル。ごはんはどんぶり飯だしとにかく男料理。こういう男っぽさっていうのは私の料理にはないので、いろんな意味で刺激になる。こんなふうにザッ、ドバッ、ドーン みないなやつ私もやってみたいなと。
でもそれってやろうと思ってもなかなか難しい。この自分の複雑な感じとか変に神経質なところとかが、どうして料理に出てしまう。
料理には人が出るんです。

 さて、そろそろ仕事に行く時間。
今日は朝一で店に入っているので夜の仕込みはまだやっていないのだ。なので今ソワソワしている。
キッチンは天国でもあるし、戦場でもある。気合いを入れないと仕事にはならない。
などとイキってはいるわりには、どうしてもザッ ドバッ、ドーン はできない私。気が小さいんでしょうねぇ。


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